悪役令嬢は前世の義弟と二度目の人生を謳歌したい

佐倉海斗

第0話 悪役令嬢、婚約破棄をされる

01.悪役令嬢は断罪される

 それは雲一つない晴天の日のことだった。

 その日はイルミネイト王国の第一王子、アルベルト・イルミネイト・ギースベルトを含む王族や貴族の子息、子女の魔法学園の卒業式だった。学園を卒業した者には栄誉ある未来が待っていると言われているほどの名門校の卒業式ということもあり、国中の注目を集めていた。


「――メイヴィス・エミリー・バックス公爵令嬢、中央へ来い」


 華やかな場に水を差すような行為だった。


 低い声色をしたその声は広い会場に響き渡る。その声の主がアルベルトだということはこの場にいる誰もが気付いているからだろう。

 賑やかだった会場から声が消えた。

 ダンスを踊っていた者の足は止まり、奏でられていた音楽も止まる。踊っていた者たちは足早に中央から離れ、アルベルトたちだけが取り残される形となったのは意図的なものだったのだろう。アルベルトの腕の中には愛くるしい見た目の少女がおり、二人を中心として三人の男子生徒がいた。卒業生もいれば在校生もいる。しかし、彼らがアルベルトの取り巻きであることは誰もが知っていた。

 そして、アルベルトの腕の中にいる少女は、先ほど、名を呼ばれた公爵令嬢はない。それがなにを意味しているのか、わからない者などいないだろう。


「メイヴィス、いるんだろう。さっさと出て来い」


 アルベルトの声は冷たいものだった。

 苛立っているのだろう。この場にいる無関係な令息や令嬢は不興を買わないようにと息を潜め、名を呼ばれている公爵令嬢が早く姿を現すことを願うことしかできなかった。


「何度もお呼びにならなくてもいますわ」


「お嬢様!」


「貴方は着いて来なくていいわ」


 公爵令嬢、メルヴィス・エミリー・バックスは魔法学園の卒業生である。

 第一王子であるアルベルトを抑え、首席として卒業をするほどに魔法の才能が優れたメルヴィスが王国の支えとなるべくアルベルトの婚約者として選ばれたのは必然だったのだろう。未来の王妃として期待され続けてきたメルヴィスの表情は堂々としたものだった。付き添いとして来ていたのだろうメルヴィスを慕うメイドの手を振り切り、彼女は迷うことなくアルベルトの前に出る。


 ……このような場では目立つ真似はするべきではないというのに。


 口頭での指摘はしないものの、メイヴィスの視界にはアルベルトの腕の中にいる少女の姿も入り込んでいる。メイヴィスの姿を見た途端、顔色を悪くした少女に対して言いたいことは山のようにあるものの、それをこの場で指摘するほどに空気が読めないわけでもない。


 ……殿下の女好きは困ったものだわ。まったく、諫めなくてはならない立場のことも考えてほしい。


 付き添おうとするメイドの言葉を遮ったのも、アルベルトに目を付けられることを避ける為だった。メイヴィスはなにをしてもアルベルトの不興を買いやすいらしく、なにかと言い掛かりをつけられてきた。それでも国王直々に任命されたアルベルトの婚約者として相応しい振る舞いを続けてきたメイヴィスではあったものの、この場の雰囲気を考えればそれを褒められるようなことはないだろう。


「こそこそと隠れていたんだろう。お前はプライドばかりが高い女だからな」


「褒め言葉をありがとうございます、殿下。光栄ですわ」


「褒めてなんかいない!」


「あら、そうですか。それではどのようなご用件でしょうか」


 淡々とした話し方をするメイヴィスに対し、いつも声を荒げるのはアルベルトだった。アルベルトの婚約者として相応しい振る舞いを学んできたメイヴィスだからだろうか。彼女が感情を表に出すことは珍しい。

 いつだって冷静でいることがアルベルトの婚約者として求められていた姿だった。メイヴィスはその期待に応え続けていた。


「俺の恋人に対して嫌がらせばかりをする低俗な女を王太子妃として迎えることはできない! お前は俺には相応しくはない卑劣な女だからな!」


 ……頭に虫でも湧いたのかしら。


 アルベルトの宣言を聞き、真っ先に思い浮かんだ言葉を口に出さなかったのは偶然だった。人目のあるところでそのような発言をするとはメイヴィスも想像をしていなかったのだろう。冷静であり続けなければならないと自分自身に言い聞かせながらも、アルベルトたちに向けられているメイヴィスの眼は冷たいものだった。氷のように冷え切った視線に気づいたのだろう。アルベルトの取り巻きをしている少年、メイヴィスの義弟であるエドワルド・アベーレ・バックスは肩を揺らした。


「よって、メイヴィス・エミリー・バックス公爵令嬢との婚約を破棄する!」


 それは胸を張って宣言する言葉だろうか。

 メイヴィスがなにを思っているのか知らないアルベルトは正しいことをしていると言いたげな表情をしている。それを否定する人がいないのも関係しているだろうが、これは明らかにアルベルトの暴走によるものだった。


 ……国王陛下のお怒りを買いたいの? そうだとしたら、殿下とはいえ、笑えない話なのだけど。


 メイヴィスを王室へと引き入れたいのは国王夫妻である。二人の婚約には当人たちの感情などはなにも考慮されていない。メイヴィスの両親も国王の望み通りに差し出しただけなのだ。アルベルトはそれを理解していないのだろう。


「なんだ、その眼は! 不服とでも言いたそうな顔をして! まさか、エミリアにしたことを覚えていないわけではないだろうな!?」


「殿下が癇癪を起すような行為はしておりませんわ」


 ……あの子、エミリアっていうのね。初めて知ったわよ。興味がない相手に対してなにかをしたかと言われても、さすがに困るわね。だって、覚えてないもの。


 アルベルトが連れ歩いていることは知っていた。

 しかし、婚約者が他の女性に構っていることに対する不快感を覚えることはあっても嫌がらせをしたことはなかった。そもそも、眼中になかったのだろう。


 ……興味がなかったのよね。殿下はどうしようもない女好きでも最後は国王陛下の望みを叶えるものだと思っていたから。


 どこの国でも、王室に限り、一夫多妻制を採用しているのは知識として知っていた。実際、国王も側室を何人も抱えている。それを考えればアルベルトが女性に現を抜かしている姿を見ても声を荒げるだけ無駄だと判断してしまったのだろう。一々、側室の存在を気にしていれば精神がおかしくなってしまう。


 ……さて、どうしましょうか。


 人目のある場所で宣言をしたからにはアルベルトの発言は広がってしまうだろう。国王の耳に届く日も遠くはない。もしかしたら本日中には伝わってしまうかもしれない。


「アル様は癇癪なんて起こしていないわ! メイヴィス様、酷いですわ。どうして、そうやってアル様を傷つけるの!?」


 悲しくて仕方がないと言いたげな表情をしながら声をあげたのはエミリアだった。泣き始めてしまったエミリアを宥めるかのようにアルベルトは優しく彼女を抱き締める。エミリアの愛らしい容姿だからだろうか。その様子は愛し愛されている恋人同士のようにも見える。


「エミリア、泣かないでくれ。彼奴がいるから泣くのか? ……衛兵、メイヴィスを捕えろ。バレステロス監獄の地下牢にでも放り込んでしまえ!!」


「し、しかし、殿下、メイヴィス公爵令嬢は――」


「俺の命令が聞けないのならば解雇するぞ!!」


 ……横暴ね。


 信頼を投げ捨ててでもエミリアのことが大切なのだろうか。

 アルベルトの理不尽な命令に従うことができない衛兵たちの視線を感じ、メイヴィスはため息を零す。


 ……そこまでして恋人を守りたいものなのかしら。


 そのような姿を見せられてしまっては百年の恋も冷めるというものだ。

 メイヴィスはアルベルトに対して淡い恋心を抱いていた。好意を抱いているからこそアルベルトを支えられるようにと勉学に励んできたのだ。令嬢が学ぶべきことではないだろう帝王学も経営学も学んできた。全てはアルベルトを支える為にしてきたことだった。


 それは無駄な行為だったのだろうか。


 アルベルトの姿を見る限り、彼はそのような女性を望んでいなかったことがわかる。わかってしまったからこそ、メイヴィスの胸は酷く痛んだ。


「護衛騎士殿、殿下の指示に従ってくださるかしら?」


 メイヴィスの言葉に眼を見開いたのは数人の護衛騎士とエドワルドだった。しかし、エドワルドが驚いていることにメイヴィスは気付いていないだろう。


「卒業の祝いの席を早々に抜け出してしまうことをお詫び申し上げます。それでは殿下、お先に失礼いたしますわ」


 メイヴィスは迷うことなく背を向ける。

 戸惑いを隠せていない護衛騎士の腕を引っ張り、やるべきことをしろと言いたげな視線を向ける彼女の堂々とした姿は婚約破棄をされた令嬢の姿とは思えない。そんなメイヴィスではあったが、不意に言い残したことがあったと言わんばかりに振り返った。


「言い忘れてしまうところでしたわ、エドワルド。私がいなくなった後はお父様とお母様が荒れるとは思いますが、それは貴方に任せますわよ」


 メイヴィスの言葉には迷いはなかった。


 魔法学園に通っていた三年間、首席を保ち続けた頭脳は伊達ではない。状況把握力はこの場にいる生徒たちの中では飛び抜けている。だからこそ、アルベルトはメイヴィスを嫌っていたのだろう。


「バックス公爵家の者として、私の義弟として、情けのない姿を見せるのは義姉の望むことではありません。殿下を支持すると決めたのならばその姿勢を貫き通しなさい。それでは、皆様、ごきげんよう」


 彼女はそこまで把握してしまっている。

 理解してしまっているからこそ、自身に降りかかるものを受け入れてしまうのだろう。堂々とした姿からはメイヴィスがなにを思っているのかを想像することはできなかっただろう。言いたいことだけを言い、会場を後にするメイヴィスの姿を見送ることしかできなかったエドワルドの表情は暗いものだった。アルベルトがそれに気づくこともなく、エミリアは安心したように笑っていた。

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