06-1.死とは残酷なものである
この戦いは皇国の負け戦である。
レイハイム帝国に挑んだ勝ち目のない開戦からまだ三か月しかたっていないというのにもかかわらず、皇国の被害が大きいのが証拠となるだろう。無謀な戦争に駆り出された騎士団団員の命は儚く散った。希望者だけで構成された臨時軍隊も壊滅寸前に追い込まれている。この戦争の目的を知ることもなく、命を落とした騎士たちも大勢いたことだろう。
目的としては聖女であるエイダ嬢と皇太子殿下の婚約を正当化することだろう。
それだけの為に亜人や魔族たちの国、レイハイム帝国を敵に回す等ということは正常な状態ならばありえない話だ。それを王命として下した皇帝陛下はエイダ嬢の魅了の魔法にでもかかっているのだろう。そして、正常な思考回路を奪われてしまったのに違いない。
「……アイザック。皇太子殿下の容態はどうだった」
「ある程度は回復なさったとのことだ。エイダ嬢の奇跡で意識は戻った。数日程度、安静にしてさえいれば戦場復帰も可能だとさ」
「そうか。それは良かった」
戦況は最悪だ。
レイハイム帝国は次から次へと増員していくのにもかかわらず、皇国は死傷者の数が増えていくだけだ。エイダ嬢を庇った皇太子殿下が敵に敗れたと聞いた時は、この身を投げ打ってでもエイダ嬢を殺すべきではないかと思ったものだ。彼女さえいなければ皇太子殿下は致命傷を負わずにすんだのではないかと思ってしまうのだ。
しかし、皇太子殿下の意識が戻ったのならば、それでいい。
エイダ嬢の持つ光属性の魔法は使い道がある。戦場下では生きている限りは命を救うことができる奇跡の力は、まだまだ必要となるだろう。
もしも、神様がこの戦を見守っているというのならば、皇太子殿下が戦場復帰をする前に勝敗がつくことを望むのだが、そうはいかないだろう。
目前に広がっている敵兵を見る。
マーヴィンの魔方陣により生み出された半透明の結界に綻びが生じている。
私たちの制止を振り切り、彼はその命を削ることにより強力な結界を発動させた。
彼が編み出した発動阻害魔方陣は対人用の兵器だ。それだけでも多量の魔力を消費するのにもかかわらず、皇太子殿下やエイダ嬢の安全を確保する為だけに必要以上の魔力を注ぎ込んだ。
その結果、本部を覆い隠す規模の結界が生み出されたのだ。しかし、命を削る行為により維持をしているこの結界はマーヴィンの死と共に崩れていくだろう。その命の灯が消えるのは時間の問題だ。
結界が崩壊すれば、敵兵は勢いのままに襲撃をしてくることだろう。作戦本部を目の前にして手加減をする連中ではない。ここにいる皇国の人間を壊滅させるまで暴れ狂うことだろう。
「皇太子殿下の御身を守り抜けよ、アイザック」
これから引き起こることが分かっているのにもかかわらず、なにもせずにはいられない。
本来ならば公爵の立場を盾にして逃げ出すべきだろう。
負け戦に参戦すると分かっていながらも帰りを待っている屋敷にいる皆、領民たち、それから最後になると分かっていながらも会う前に逃げてしまった父たちも、それを望んでいるのかもしれない。
逃げて帰っても仕方がない事態に陥っている。
実際、身分を盾にして逃げた騎士や臨時軍隊の軍人も少なくはない。誰も死にたくないのだ。終戦後、逃げ出した者たちにはなんらかの処罰が下るだろう。それでも勝ち目のない戦場で命を落とすよりも軽い刑罰で済むだろう。
それでも私は逃げるわけにはいかない。
二度と見殺しにしたくはないのだ。
それが顔も知らない人であっても、私の行動により命が救われる者がいるのならばそれでいい。
「なあ、それ以外の方法はねえのかよ。お前、どうしようもねえバカだから、作戦を練り直した方が良いんじゃねえのか。公爵のお前が死ぬようなことをする必要ねえだろ」
「作戦を練り直している時間はないさ。今にもマーヴィンの結界が崩壊しそうだ。目の前の敵兵がそのまま流れ込んで来れば、作戦本部は壊滅を免れない」
「そのくらい俺だって分かってる。彼奴が命を賭けてまで手に入れた最高の機会を無駄にするわけにはいかねえってことも、分かってる」
「そこまで分かっているなら充分だろう」
捨て身の必要はない。だが、あの数の敵兵を相手にすれば命の保証はない。
嗚呼、ロイに頼んであるアマリリスの花は屋敷に届いただろうか。
「アイザック。これは最後の機会なんだよ。分かってくれるだろう? それを最大限に生かすことができるのは私だけだ。皇太子殿下も理解した上での命令を下されたのだろう」
これは友であるマーヴィンが紡ぎあげた奇跡だ。皇国に残された最後の機会だ。ここで大打撃を与えることが出来れば、ここにいる彼らが生き残る可能性が上がる。作戦本部が敵の手に落ちれば、王城にいる皇帝陛下も敗戦を認めるだろう。
私の役目はこれ以上の被害が出る前に戦争を終わりへと導くことだ。
「それなら、せめて一人で行こうとするなよ。俺も一緒に行かせてくれ」
「バカ言うなよ。私一人で充分さ。アイザックは皇太子殿下の御身を守り抜かないといけないだろう?」
思い返せば、アイザックとの付き合いは長いものになっていた。母親同士が親しい仲だったからこそ引き合わされた仲ではあったが、それは楽しい日々であった。性別が違えば友になれないと父には否定された関係ではあったが、その言葉通りにはならなかった。戦場すらも共にするとは思わなかったが、彼こそは私の唯一の親友であると誇ることができる。
唯一の親友なのだ。死んでほしくない人なのだ。
だからこそ、彼を一緒に連れて行くわけにはいかない。
「これは私の役目だよ」
「誰もそんなことを望んでいねえよ」
「敵兵を薙ぎ払えと命じたのは皇太子殿下だ。お前だってその場にいただろう。私の命を懸ける価値のある役目だ。こればかりはお前にも否定はさせないよ」
アイザックは顔を歪めている。
私の言葉には間違いがないのは分かっているからだろう。緊急事態に陥った場合は命を懸けて時間を稼ぐようにと皇太子殿下は命じた。その代わり、私の死後、国家反逆罪を犯した異母妹の罪を軽減させる約束を果たすと言われてしまえば、なにも言えなくなるのは当たり前だろう。私は私の為だけにその役目を引き受け、皇国の為と大義名分のもとで命を散すのだ。
それを知っているのにもかかわらず、一緒に行くと言い出したのは、アイザックなりの優しさだろう。それを分かっているからこそ、彼の手を振り払う。
「それでも、お前は生きろ。私が好きだったバカみたいな笑顔で生きろ。これからの皇国を生き抜け。私は先に逝くことにするが、お前はまだ来るべきではない。むしろ、死に急ぐ友を引き留めることに専念して欲しいところだ」
死への旅路は一人でいい。巻き添えはいらない。
これは私の役目だ。
死をもって皇国に尽くしてこその私の生涯だ。
「お前はお前の役目を果たせ。それでも、私と同じ結末ならば仕方がない。バカな奴だと笑って迎えてやろう」
それはアイザックの枷となるだろう。
遺言は人の命を食い止める力がある一方的な言葉だ。それは全ての遺言がそのような効果を持っているわけではないが、少なくとも、親しき者の遺言は心の中に居座り続ける。私がこの日まで抜け殻のようなりながらも無様にも生きているのは、アリアの遺言があったからだ。
見殺しにしてしまった彼女の遺言を無視してまで無意味な死を選ぶことはできなかった。そうしてしまえば、彼女の死すらも無意味なものになってしまいそうだったからだ。そう考えれば、私は彼女によって生かされていたようなものだ。
「だから、後は頼んだよ、アイザック」
背負っている大剣を抜く。
それから地面を蹴り上げて飛び上がる。足元に込めた魔力の残滓は凍り付き、蹴り上げた衝撃と共に砕けて結界を破壊しようと試みる敵兵に向けて飛び掛かる。浮かび上がる氷を足元にして空を飛ぶように移動する。この技を生み出す切欠となったあの子との思い出を胸に抱きながら、空を舞う。
大空を飛び回る鳥のようになりたいと、あの子は笑いながら言っていた。箒を使わなくても空を飛んでみたいと言っていた。それを叶える為に編み出したのだ。結局、それはあの子を空へと連れていくことはできなかったが。
結界を抜ければ、敵は一斉に私を攻撃しようと上を向く。
それが狙いだとも知らずに我先にと武器を掲げているのだから、笑える話である。
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