05-2.イザベラ・スプリングフィールドの後悔

「なあ、セバスチャン。私は公爵として正しい選択をしたのだろう。そしてお前の言う通りに心に従って行動を起こせば、人として犯してはならない罪に手を染めることだろう。それを理解しているのだ」


「それならば、行動には示さず言葉にされてみてはいかがでしょうか」


「言葉として口に出せば他人の心を揺さぶるだけではないのか」


「いいえ、そのような心配は無用でございます。執事やメイド、使用人たちは持ち場へと戻りました。ここには貴方様の腹心である私とアリアお嬢様しかおりません。私はなにも聞く耳を持たない傘持ちとなりますから、今だけは、どうかお立場をお忘れください」


 セバスチャンの顔を見なくても分かる。

 なにも聞こえない、なにも見えていないと言わんばかりに眼を閉じているのだろう。それでも私が濡れないように傘を差し続けている姿はなんておかしなものだろう。


 思うことは幾つもある。


 それでも異母妹に対してなんらかの感情を抱くことさえ私には許されていないだろう。彼女の命を守る努力をしなかった。命令された通りにしか動くことができなかった。心の中ではどうにか彼女を奪還しようと企んでいても、それでも、私は動くことができなかった。


 思い返せば、操り人形になったかのような気分だった。


 例えば、心の中で思っている言葉と口から出てくる言葉が違うような気分に陥ることは多々あった。思うように身体が動かない、肝心な時には金縛りにあったかのように動けなくなっていたようだった。


 見えない糸で吊し上げられ、誰かの都合のいいように動かされている。


 そのような気分だった。

 それは都合がよすぎる言い訳だということは分かっている。それは言い訳だ。


「……アリア」


 その名を呼ぶ機会は少なくなっていた。


 学院に入学してからは彼女の行為を批判する時にしか口にしなかった。決してその名を口にすることは罪ではないのにもかかわらず、私は、その名を呼ばなかった。もしも、名を呼んでいれば変わったのだろうか。叱責ではなく幼少期のように異母妹への愛情を込めて呼んでいれば、彼女は罪を背負わずにいたのではないだろうか。


 それを考えるのは無駄な行為だと理解をしている。


 彼女が生き返ることはない。

 私に笑いかけることはありえないのだから。


「私はお前の異母姉である資格はないだろう。異母妹よりも彼女を選んだ皇太子殿下を諫めなかった。あの場で諫めることができたのは公爵である私だけだったというのに、我が身の可愛さにお前を見捨てたのだ。お前は私に殺されたようなものだ」


 悲しくないわけではない。

 怒りを感じないわけではない。


 唯一、異母妹へ手を差し伸べることができる立場にいながらも、私はそれをしなかった。皇太子殿下を擁護した。未来の皇国を背負うことになる君主を守ったことへの後悔はない。その為に彼女を見殺しにしたのだ。


 私には涙を流す資格はない。

 彼女の死を悲しむ資格はない。


 分かっているのだ。それでも、私は後悔をしてしまっている。


「私を恨んでいることだろう。お前を見捨てた私を憎んでいることだろう」


 恨まれるようなことをしてしまった。

 それでも、彼女は私のことを異母姉と呼んだ。それが忘れられない。


「私には、お前に異母姉と呼んで貰う資格はない。お前に慕われるような異母姉ではなかったのだから」


 卒業の前日、父に公爵代理人の座を返上させた。様々な制約を付けられたものの、公爵の地位は本来あるべき場所へと戻すことができた。亡き母の血族以外にはスプリングフィールド公爵家を継ぐことは許されていない。婿養子である父が公爵代理人であったのは、私が未成年だったからだ。魔法学院を卒業する節目に公爵位を取り戻したのは、代理人を立てる必要性がなくなったからだ。


 その行為は、異母妹の命を奪う切っ掛けの一つになってしまった。


 私に公爵としての発言権がなければ彼女は生きていただろう。父に公爵代理人としての権限があれば、あのような結末にはならなかったかもしれない。それは可能性の話だ。ありえない話である。


「セバスチャン。私には義母上のような顔をするべきなのだろう。決して父上のように涙を流すべきではない。涙を流す資格など、彼女を追いつめた私にはないのだろう。――そう言ってはくれないか。なにも言うことのできない彼女の代わりに私を責めてはくれないだろうか」


 無言で傘を差すセバスチャンの顔を見上げる。


 なぜ、泣きそうな顔をしているのだとは問えない。私の専属執事であり、異母妹とは大して関わりを持っていなかったセバスチャンですらも、涙を堪えているのだ。悔しそうな表情をしているのだ。


 それならば、これは残酷な願いだろう。


 死者の言葉を代弁しろ、とは無理な願いだと分かっている。


 それでも、そうしてもらわなくては前を向いて歩けそうもなかった。泣き崩れてしまうわけではない。後悔と自分自身へ向ける怒りの感情で立ち止まったままになってしまいそうだった。


「いいえ、貴女様には泣く権利がございます。お嬢様の死を悔やむ権利がございます。旦那様や奥様よりも、イザベラ様がお嬢様のことを気にされていたことは、私たち使用人一同は存じ上げております」


「……主人の無理な願いは聞けないとでも言うのか」


「いいえ。イザベラ様が心の底から望まれるのならば、どのような我が儘でも応えて見せましょう」


「それならば、なぜ、私の問いに相応しくない言葉を返すのだ」


 謎かけのような問いかけは好きではない。


 騙し合いが基本である貴族社会においては好き嫌いをしている場合ではないというのは、分かっている。だからこそ、信頼している執事やメイドには率直な言葉を求めるのだ。もっとも、それは私の問いに対して求めている言葉を返すように求めているようなものだ。それが彼らの本音であるのか否かを考えることは、何年も前にやめてしまった。


 他人に期待をしても無駄だ。


 家族ですら期待をしても無駄なのだから、他人に求めるのが間違いなのだ。


「イザベラ様、空を見上げてください。占いを得意とする魔女は晴れだと予言しましたが、今は、雨が降っているでしょう」


 言葉通りに見上げてみても傘が邪魔をして見えない。


 それでも雨が降っていることは知っている。地面を濡らす雨は少しずつ強くなる。小さな音ならば雨の音で搔き消されるだろう。


「貴女様が泣く権利がないと言われるのならば、それが正しいのだと私は肯定しましょう。貴女様が望むのならばどのようなことであったとしても、正しいのだとその背を支えてみせましょう。だからこそ、今から貴女様の頰を濡らすのは、雨の雫です。貴女様の喉を揺らす音は雨の音です。今日だけはそういうことにしてしましょう」


「……バカを言うな」


「申し訳ございません、イザベラ様」


 とんでもない言い訳だ。

 セバスチャンの言葉は優しすぎる言い訳だ。それは分かっている。


 それなのになぜだろう。心が軽くなったわけではない。泣く資格はないのに、頰に冷たいものが伝う。セバスチャンの言葉を借りるのならば、これは、通り雨だ。雨の雫だ。空が私の代わりに泣いているのだ。


 今だけでいい。

 今だけはそういうことにしてしまいたい。


「……アリア、お前の死を、空が泣いてくれているようだ」


 死なせたくはなかった。生きてほしかった。


 言葉にすることすらも許されないその言葉を吐き出せない。それでも、私の頰は濡れる。それを黙って気付かなかったことにしているセバスチャンに感謝をしつつも、雨が晴れるまで異母妹の墓の前から離れられなかった。


 強くなっていた雨は直ぐに弱まっていく。


 まるで私の姿を隠すように振り続ける雨の中、私たちは異母妹の墓の前に立ち続けた。それは泣いているようにも見えただろう。



* * *



 馬車が大きく揺れて眼が覚めた。


 相変わらず目覚めの悪い夢だった。三年前、彼女を見殺しにした記憶だ。少しでも眠りに落ちると夢にみる。


「――雨か」


 急な雨で足場が悪くなったのだろう。

 馬車は王都に向かって走っていた。王城で待つ彼らと合流する為だけに走っているとはいえ、この雨では予定よりも遅くなるだろう。


 この日はいつも雨が降る。

 それはただの偶然だろう。皇国の四月は雨がよく降る時期だ。


「傘を差しておけばよかったな」


 彼女は雨が嫌いだった。


 庭を歩くことを好んでいた彼女にとっては、退屈な室内に閉じ込められていた記憶がこびりついていたのかもしれない。恵みの雨だと知っていても好きにはなれなかったのだろう。不満を口にする彼女の姿を何度も見たことがある。


 二度と彼女の墓に花を手向けることはないだろう。


 それならば、雨が嫌いな彼女の墓が濡れることのないようにしてくればよかった。窓の外に視線を向ければ、青い眼が映る。二度と光を宿すことのない彼女の眼の色を忘れることができないのは、この色は私たちの共通点だからだろう。


 雨の日の窓は姿を映す鏡のようになる。外が暗いからだろう。


 だから私は雨の日が好きになった。彼女が傍にいるような錯覚に陥ることできるこの日だけは退屈な日々を耐えることができたから。

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