08-2.運命を信じ、その恋を信じた者の行く末

「イザベラ。知っているか」


 それは在りし日の彼がそこにいるようだった。


 いずれは皇帝の座に君臨する筈だった聡明な彼の面影を見た気がした。


 これはいけない。ただの幻想である。気の迷いである。


 ローレンス様が皇帝になることはない。私がアリアを守る為だけに壊したのだ。彼への忠誠心よりも異母妹への愛を優先したのは私だ。


 それを非難するような眼をしていると思ってしまうのは、私に非があるからだろう。罪悪感がそのように思わせるのだろう。家族を守る為ならば他人を犠牲にしても構わないと笑ってみせなくてはいけないというのにもかかわらず、私はこういう時ばかり弱くなってしまう。


 以前ならばそのようなことはなかっただろう。


 誰かに必要されるということを知らなかった頃ならば、アリアが愛おしい家族だと思い出さなければ、私はそのような弱さを抱くことはなかった。これは私の弱さが招いたことである。


 わかっている。私は彼の人生を狂わせてしまったのだ。


 恨み言を言われるのが当然なのだとわかっている。


「エイダが死んだよ。自殺だった」


 エイダが死んだ。


 その事実を淡々と語るローレンス様の目には光はない。感情を押し殺すのは昔から得意だった。その頃と同じような眼をしている。私やアイザックに比べられて苦労していた頃の彼と同じような眼をしている。……そうか、ローレンス様は私たちと一緒にいた時は今のように絶望をしていたのか。今になってそれを知ることになるとは思わなかった。


 知りたくもなかった。

 彼にとっての希望がエイダであったことなど知りたくもなかった。


「そうですか」


 なぜだろう。

 憎い相手の死を知らされたというのに、なぜ、胸が痛いのだろう。


 私はエイダの死を望んでいた。

 彼女は死ぬべきだと思っていた。


 そうでなければ彼女を拷問にかけたりしない。非道な拷問が待ち構えているとわかっていながらも騎士団に引き渡すようなことはしない。


 少しでもエイダのことを同情する心があったのならば、全責任を負う覚悟で彼女をあの森で殺していただろう。それをしなかったのは公爵としての立場を優先したからである。私情で他人の命を奪うようなことをしても公爵の地位が脅かされることはない、それは知っている。権力を振りかざせば、この国ではどのような犯罪もなかったことにすることができる。それは貴族特権ではなく、暴走した貴族の姿であるが、その方法を知りながらも手を染めなかったのは正義感ではない。


「彼女は死を選びましたか。それも彼女の選んだ道だったのでしょう」


 エイダは裁かれるべきである。

 私情ではなく公の場において裁かれるべきである。


 ただそれだけだった。……私はアリアが彼女を許すと言えば、それでいいと引き下がっただろう。私たちの前に姿を見せなければ見逃すつもりだった。


 騎士団に引き渡した時点で彼女の死は決まっていた。


 拷問や人体実験紛いの末に死んでもおかしい話ではない。謎を解明する為ならばどのような手段でも使うだろう。拷問を専門としている者たちが所属する部隊に引き渡されたという噂を耳にしていた。数日の間に自らの手で命を落とすとは思っていなかったが、それはそれで彼女は苦しまずに逝けたのかもしれない。


 それがエイダの選んだ道ならばそれでいいのではないだろうか。


「なんとも思わないのか? イザベラ。お前だってエイダを可愛がっていたではないか。手のひらを返したかのように態度を変えるのか? お前という奴はどこまで非情になれるんだ。友の死を嘆くこともできないほどにアリアが大切か。貴族の尊い血が流れていないあの女が大切か。……そうだというのなら、お前は私の知るイザベラとは違うようだな」


 それはどうだろうか。


 学院での日々を振り返れば、私はエイダを可愛がっていたのだろう。


 前世の件がなければ、皇族の方々に差し出すべきこの命を失ってでも、無意識の内に彼女を守ろうとしてしまっただろう。それなりには大切に思っていたのは変えようがない事実だ。今になって思えば、あの時、守る術を持ちながらも動くことすら出来なかったのは、アリアよりもエイダを大切に思っていたのかもしれない。


 だが、それは前世での話だ。


 今は違う。

 私は二度と失いたくはないという自分勝手な都合からアリアの手を取った。


 それによりローレンス様もエイダもおかしくなってしまったのかもしれない。そう思わなかったことはない。何度も何度も悩んだ。それでもアリアの手を離すことだけはできなかった。


「彼女は死んだのはお前の責任だ。イザベラがアリアを庇わなければ、彼女は死ぬようなことはなかった。そうだろう?」


 なぜ、この人はこれほどまでに彼女のことを庇うことが出来るのだろうか。


 裏切られたと思わないのだろうか。利用されたと憎しみを抱かないのだろうか。それとも、――本当にエイダが命を落としていたとしても、彼女のかけた魅了の魔法は解かれることはないのだろうか。


 そこまで疑ってみても違和感がある。


 ローレンス様は昔と何も変わらないのだ。


 全てを飲み込むように笑顔で話す表情も怒りのままに声を荒上げない姿も、淡々としながらも相手を責める口調も、エイダと出会う以前の彼と何も変わらない。否、エイダに関わらなければ彼は彼のままだった。それを嫌でも思い出させる。


 それではまるで彼が心からエイダを愛しているかのようである。


「私が異母妹を庇わなくても彼女は魔物を操る力を持っていたのですから、危険人物として囚われの身になったことでしょう。他人を惑わす魔法を使うことが世間に知られてしまえば、その命はいとも簡単に奪われていたことでしょう。だからなにも変わりませんよ。私ではなくとも彼女のことを危険人物だと認識をすれば、騎士団に引き渡したことでしょう。そのことはお分かりいただけますか?」


「結果論にすぎないだろう」


「彼女の問題に関してはその結果が全てなのです」


「そうだとしても少しは悲しいと思わないのか……? エイダはイザベラのことを友人として慕っていたのは事実だろう。私の恋人はお前の友人だっただろう。それすらもお前の中ではどうでもいいことなのか? それほどに非情な人間だったのか、お前という奴は」


「これは皇国を思うからこその決断です」


 それはエイダを騎士団に引き渡した時に知れ渡った話だ。


 ローレンス様を廃嫡に追い込んだ悪女。

 人の心を惑わす魔女。

 魔物を意のままに操る恐ろしい魔女。


 人々の噂というのは恐ろしいもので、一時期は聖女だと崇めていた声が噓のように変わっていた。

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