08-1.運命を信じ、その恋を信じた者の行く末
王宮の中でも美しい庭園は、ローレンス様が愛する薔薇園だと言ったのは誰だっただろうか。些細なことですらも思い出せない。いや、そのようなことすらも覚えようとしていなかったのだろう。
私は常に自分自身の為に生きてきた。
国の為や家の為だと言葉では飾っておきながらも、一人の女性を取り合う異常な姿を日常の光景として認識していた。それが異常なことだと気付いたからこそ、私を必要としている異母妹を失いたくはないと、足掻いた。わかっている。
それがアリアの為にはなっていないことも、公爵家の為にもなっていないことも、わかっていながらも、アリアを失いたくはなかった。
そのことを改めて考えさせられたのは、この場所を愛した彼のことを助ける術を持ち合わせていないからなのだろうか。本来ならば救わなくてはならない彼へ差し出す手を持ち合わせていないからだろうか。
それに対する罪悪感など捨てたつもりだった。
アリアの手を取ったあの日からこうなることはわかっていた。
どちらかしか救えないことは覚悟していたことだった。
私は公爵として間違いを犯したのかもしれない。
公爵として正しく歩むのならば前世のようにアリアを見捨てなくてはならなかったのだろう。それがこの国の正統な後継者であるローレンス様を守る術ならば、私は心を鬼にしてもそれを貫くべきだったのかもしれない。それができなかった私はこの場に立つ権利はないのだろう。
薔薇園に足を踏み入れてみれば、冷たい空気を感じる。
この場に立つことを拒絶されているかのようだと感じてしまうのは、きっと、気のせいではないのだろう。
「――私を呼んだのは貴方でしたか」
薔薇園を見渡すことが出来るように設置された椅子に座っていたのは、やはりローレンス様だった。本来ならば廃嫡された彼に敬称をつけるべきではないのだが、心の中で思っているだけならば許されるだろう。守ることが出来なかった彼を尊敬していた過去までなかったことにはしたくはない。
そういえば、アリアが薔薇を愛するようになったのは、ローレンス様が好んでいる花だと知ったからだった。アマリリスの花だけではなく薔薇も愛おしく思っているアリアの気持ちは、ローレンス様には届くことはなかったのだろう。
彼はいつもアリアのことを避けていた。それはエイダに出会う前からなにも変わらなかった。それでも皇帝陛下の命令だからこそ従っていただけの関係だったのにもかかわらず、アリアはそれでも良いのだと笑っていた。私にはその気持ちはこれから先も理解をすることはできないだろう。
「イザベラなら私が呼び出したことを分かっていると思っていたが」
「笑えない冗談を口にされるような方ではなかったでしょう。貴方がこの場にいるとは思ってもいませんでしたよ」
「そうか? お前は全てを分かっているのではないかと思っていたよ。いつだってお前たちは私を置いていってしまう。昔から凡才の私にはお前たちのような天才は遠すぎる存在だった」
「いいえ、私たちはいつも貴方の背を追っておりました」
「それならばどれほどに良かったか。相変わらず、お前という奴は言葉が上手い。どうしたら私が勘違いをするのかわかっているかのようだ。……私はお前のその言い回しも、アイザックの体力任せなふざけた行動も、マーヴィンのしつこい話も嫌いではなかったよ。それが当たり前のように与えられていくものだと思っていたからだろうか。一度だってそれに感謝したことはなかった。こうして、お前たちが離れてしまった後に気付いたのは愚かな私の間違いだったのだろう」
なぜ、この人は当然のように笑うのだろうか。
本来ならば、命を失うその日まで時計台の外には出てはならない筈だ。いや、罪を犯した皇族を幽閉する為の時計台に送り込まれたのだから、自らの意思により命を絶つことが正しい行動だろう。幽閉されていながらも生きることを選んだ事例は聞いたことがない。命を絶っていないことすら非常識だと言われているというのに、なぜ、この人は時計台の外に出ているのだろう。
何者かの手引きがあったことは疑う必要もない。
それはローレンス様の意思によるものなのか、別の人間の思惑によるものなのか、区別がつかない。少なくともローレンス様は外に出ることを望んでいたのだろう。彼が大人しくしているとは思えない。
しかし、警戒している騎士たちの狙いは、彼の命だ。
ブラッド皇太子殿下の治世が上手くいくようにする為にも、この人は生きていてはならない。皇后陛下の御子であるローレンス様が生きていると知られてしまっては、反乱を企む者も出てくるだろう。それならば亡き者にしてしまえば手っ取り早い。それを考えないとは彼も思ってはいないだろう。
「こうして、外に出ることができるとは思ってもいなかった」
ローレンス様は近くで咲いている薔薇に手を伸ばす。名残惜しそうに触れる前にその手を元に戻してしまった。
美しく咲く薔薇には棘がある。
ローレンス様にはその棘すらも愛おしいのだろうか。
「スプリングフィールド公爵邸にも薔薇が咲いていたか?」
「自慢の庭がございます」
「そうだったか。一度くらいは見ておくべきだったな、惜しいことをした」
それならばお越しください。
その一言を口にすることができたのならば、ローレンス様は救われるのだろうか。時計塔に幽閉されている筈の大罪人である彼にはそれを提案することすらも叶わない。
「考える時間はたくさんあった。後悔する時間もたくさんあった。人生の中でこれほどにゆっくりと過ごした時はなかった。――私はお前たちが当然のように理解することができていたことができない。それなのにお前たちの才能を自分の手柄のように振る舞ってしまっていた。お前たちが見放すのも当然だ」
それは皮肉な話だと思う。
ローレンス様は特別な才能はない。それなのにもかかわらず、皇帝陛下や皇后陛下からの期待は凄まじいものだった。期待に応えることだけがローレンス様が生き延びる方法だったのだろう。
それに気づくことができなかったどころか、遊び相手として選ばれた私たち三人はローレンス様の重圧になっていたのかもしれない。
「あぁ、でも、お前が自慢だと口にするのなら、それは素晴らしいものなのだろう。この薔薇園とどちらが素晴らしいと思う? ……いや、やはり、答えなくていい。忘れてくれ。お前と話をしていると昔のことを思い出してしまう」
ローレンス様の言葉を聞いていると我ながらくだらないことを考えてしまう。前世の記憶を取り戻したのが、卒業式の日ではなく、私たちが幼い頃だったのならば良かったと。
それならば、ローレンス様を苦しめることはなかったのではないだろうか。
アリアもローレンス様も救えたのではないだろうか。
叶わないと知っていながらも余計なことばかりを思ってしまう。昔のことを思い出すのは悪い癖だ。どちらにしても戻ってはこない過去の話だとわかっていながらも、後悔ばかりが頭を過ってしまう。
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