08-3.運命を信じ、その恋を信じた者の行く末
前世では散々聞いた彼女の評価とは正反対のものばかりだ。
皇国を救う聖女だと戦争の旗印かのように崇められていた頃の彼女が知れば、涙を流すことだろう。それを憐れめば憐れむほどに人々の心はエイダに囚われていった。それを知っているからこそ、私は彼女が命を失ったと知っても動揺せずにいるのかもしれない。
胸が痛い。かつては友――、になれたかもしれない人を失ったのだ。
その死を願っていても心は痛む。
それは当たり前の感情だろう。ローレンス様は私にはそのような感情を持ち合わせていないかのような言い方をしたが、私にも痛む心を持ち合わせている。もっとも、数日もすれば忘れてしまう痛みかもしれないし、忙しさの中に埋もれて消えていく痛みかもしれない。それが非情だというのならばその通りだろう。
それでも、私だって少しくらいは悲しいと思っている。
彼女が死ぬのは当然だとも思っている。
その矛盾は恐ろしいものなのかもしれない。思い返せば、アリアが断頭台に上った時も同じような感情を抱いていた気がする。
「お前は残酷な女だな。友が自殺をしたと知っても、まだ、アリアを庇うのか」
「エイダの死とアリアは関係ないでしょう」
「関係あるさ。死ぬべきなのはエイダではなくアリアだった。あの日、イザベラがアリアを庇わなければエイダは生きていた」
それはそうだろう。その通りである。
そうなる未来を知っていた。アリアが命を落とした先の未来を知っていた。ローレンス様の言う通り、アリアが命を落としていれば、エイダは生きていたかもしれない。
「関係ありませんよ。それは貴方の妄想でしょう」
それでも、それは言うべきことではない。
廃嫡され、貴族階級の身分を持たないローレンス様にはなにも言うことはない。本来ならば対等な言葉遣いもしてはならない。尊敬しているかのような態度はブラッド皇太子殿下を指名した皇帝陛下の意思に逆らうような真似だろう。
それは理解している。
子爵程度の貴族の養子にもなれず、時計塔で閉じ込められ続けていたのには皇帝陛下の思惑がある。これは見せしめだ。新しい時代を作り上げる為の犠牲としてローレンス様は選ばれたのだ。そうではなければ、騎士団に取り込まれることは無いだろう。そうでなければ、時計塔から逃げられる筈がないのだから。
「いい加減に妄想から目を覚まされてはいかがですか。聡明だった貴方ならば、今の状況を理解出来るでしょう。貴方の言う通り、エイダが命を絶ったというのならば魔法は解けている頃ではないのですか」
私の言葉にローレンス様は困ったように笑った。
それからようやく立ち上がって剣に手を伸ばした。
「魔法? ――あぁ、そうだな。イザベラの言う通りだ。私は魔法にかかっていない。エイダと引き離されて時計塔に幽閉された時から正気を取り戻している。確かに学院にいた頃よりもエイダを思う気持ちは薄れているかもしれないが、それでも私が彼女を愛していることには変わりはない。これは魔法に魅せられたからではないのだよ、イザベラ。私はエイダのことを愛している。ただそれだけの話だ」
「……正気を取り戻しているとは思えない言動でしたが」
「はは、そうかもしれない」
剣を抜くのだろうか。あの時のように。
正気だというのならば分かっているだろう。あの時のように生きたままではいられない。王位奪還を狙う反逆者として命を奪われることになるだろう。ブラッド皇太子殿下が手配した騎士団は、その機会を狙っているのだ。
それがわからないような人ではなかった。
正気だというのならば、その人柄も戻っているのだろうか。
「時計塔に幽閉されて様々なことを思った。両親の期待を裏切り、家臣の期待を裏切り、民の期待を裏切った。ブラッドは皇太子の座が手に入ったと喜んでいるだろうが、それに対しても色々なことを思う。考えるだけの時間はあったのだから当然だ。なにもすることがなければ、裏切ってしまった皆のことを考えてしまうことすらも、皇帝陛下は分かっているのだろうな。あの方はなにもかも見通した上で私を不要だと判断したのだろう。……それは正しいことだと思っている。私も私自身がオーデン皇国にとって不要な存在だと思うのだから、父上がそのようにお考えになるのは当然のことだ」
私の考えなどお見通しなのだろう。
ローレンス様は聡明な方だ。昔から周りの状況を判断する能力が優れている方だった。それに合わせて自分を偽ることを誰かに教わらなくても出来てしまう方だった。だからこそ、私は、彼を失うのは惜しいと縋ってしまうのだろう。
今になって気づいた。
この方は完璧を求められ、それに応えられる才能があったが故に孤独だったのだろう。彼は自分自身のことを凡才だとよく口にしていたものの、期待に応える為に努力を続けるのも立派な才能だったのだろう。それを褒められる人が傍にいたのならば、彼の運命は変わっていたのかもしれない。
偶然か、それとも必然だったのか。
その孤独を埋めるのは、幼い頃からの婚約者だったアリアではなくエイダだったのだろう。ローレンス様がエイダのことを愛していると口にするのは、彼女だけがローレンス様のことを見ていてくれる存在だったからなのかもしれない。
「陛下がそのように判断を下すのならば、それが正しいのだろう。それを理解している。時計塔に幽閉され、陛下が私に求めていることも理解していた。この命を絶つことでしか陛下に恩を返せないとわかっていた。それでも、それを実行できないのには理由があったんだ」
「理由ですか」
「そうだ。私は死ぬわけにはいかなかった」
ローレンス様の目には光が無い。
それはエイダと出会う以前ではよく見られていたことだ。虚ろな目をしているわけではないものの、希望も夢もない、生気の感じられない目。求められていた完璧な皇太子を演じていた時には、自分自身の心や想いを犠牲にしていたのかもしれない。
それに気づくのが遅かったのだ。
もっと早くに気付かなくてはならなかった。臣下として彼の孤独を理解し、支えることが必要だったのだろう。私では役不足だったのだ。
「エイダを救うまではこの命を捨てるわけにはいかなかったのだ。私は一度も愛する者と共に生きることを諦めるつもりはなかったのだから」
薔薇園を揺さぶるかのように強い風が吹く。
薔薇の花びらが散る姿は幻想的ですらあった。なぜだろう。ローレンス様が遠くに行かれる気がした。覚悟はしていた最悪の事態とは違う。
まるで決められていたかのようである。
花びらが舞う薔薇園の中にいるローレンス様の姿は、絵画のように儚く美しい。
それなのに、生気を感じさせない恐怖を抱いてしまうのは、私が臆病者だからだろうか。
「不思議だ。エイダを愛していることへの後悔は何一つないのだから」
「それほどにエイダを愛しているとでも言うのですか。貴方の全てを台無しにしたと言っても過言ではない相手でしょう」
「そうかもしれない。スプリングフィールド公爵令嬢であるアリアと婚約破棄をしなければ、私は皇帝陛下の描く理想通りに歩んでいたことだろう。そこにはお前たちもいたことだろう。それは皇国の未来を案ずるのならば、もっとも正しいことだったのだろうな」
もしものことを考えても仕方が無い。
奇跡が起きない限りは過去をやり直すことは出来ない。運がよく、前世の記憶を取り戻すことが出来た私にも失ってしまったことばかりである。
私はアリアを守りたいだけだった。
その為に彼の人生を壊してしまった。
エイダは死を選ぶことになったのも私が運命に逆らったからだろう。次代の宰相になるのではないかと噂をされていたマーヴィンの将来が危うくなっているのも、アイザックがウェイド公爵家の中で居場所を失いつつあったのも、私が前回とは違う行動をしたからではないのだろうか。
なにかが起きる度にこの選択は間違いだったのではないかと思ってしまう。
それでもその道を信じて歩んで行かなくてはならない。
「父上の傀儡として生きる未来ではなく、エイダと共に歩む未来を選んだのは私だ。これは私の意思で選んだことだ。イザベラ。お前がそれに対して責任を感じるというのは自意識過剰な思い込みに過ぎない」
「貴方の個人として意思はそうであったとしても、臣下としてそれを正さなければなりませんでした。私にはそれを行う義務があったのですから」
「公爵としての言葉に耳を貸さなかったのは私だろう。どちらも譲れないものがあった。ただそれだけの話だ。私はエイダの手を取る道を選び、お前はアリアを助ける道を選んだ。それだけの話だと諦めることだってできる」
「それならばそれでいいではありませんか」
「そういうわけにはいかないんだ。許せよ、イザベラ」
ローレンス様の手の中にあった剣は抜かれる。
その矛先は真っ直ぐと私に向けられる。それなのにもかかわらず、殺意を感じられない。子どもが練習用の剣を手にして遊ぶわけではないのは分かっているのだが、その程度にしか感じられない。
武器を身に付けていないドレス姿の私に対して剣を向けるのは、騎士としても紳士としてもあってはならないことだ。無抵抗の相手を斬り付けてはならない。それは立場を問わずに求められる暗黙の了解である。
「お前には死んで貰わなくてはならない。許して欲しいとは言わない、これは私の我儘だ。……愛おしい彼女(エイダ)の最期の願いを叶えることでしか、私は、彼女に恩を返すことは出来ないのだ。それを果たす為、お前には死んで貰う」
それは理不尽な言葉なのだろう。
そのことは分かっている。
なによりも、ローレンス様から言い放たれた言葉を受け入れて死ぬことは出来ない。
「もしも、来世があるのならば、今度こそエイダと共に私と一緒に皇国を支えてくれよ」
なぜ、彼は悲しそうに笑うのだろう。
無駄な宣言などせずに斬り付ければいい。そうすれば、反射的にその攻撃を防いで反撃しただろう。私は死ぬわけにはいかないのだ。
剣を向けられても、私は動けなかった。
魔力を練れば魔法は幾らでも放つことが出来る。
この場から逃走することだって出来る。
頭では分かっている。それなのにもかかわらず動けない。
私は死ぬのだろう。
死ななくてはならないのだろう。
無抵抗な私を憐れむような眼を向けたローレンス様は距離を縮め、思いっきり剣を振るう。真っ直ぐに振り下ろされた剣は私を切り裂き――。
「イザベラっ――!!」
――切り裂く事は無かった。
強引に私とローレンス様の間に見慣れた奴、アイザックが入り込む。その姿を認識する前に聞こえた金属音は剣と剣が衝突した音だったのだろう。死を覚悟していた。死ぬわけにはいかないと分かっていながらも、当然のようにその剣を受け入れるつもりでいた。
道を違えたとはいえ、かつての彼は守るべき主君だったのだ。
二度もその剣を避けるわけにはいなかった。なぜだろうか。この命を失うことになったとしても、彼の生き様を否定してはならない気がした。
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