06-3.お前が幸せになる為の犠牲にならば喜んでなろう
「お姉様は時々人生を諦めてしまったかのような言い方をしますわね」
「私はなにも諦めてはいないさ」
「いいえ、それは自覚がないだけですわ。お姉様、わたくしは幼い異母妹ではございませんのよ。公爵令嬢としてお姉様の傍にいますの。だからこそ見えていることもございますのよ」
行き場のなくしていたアリアの左手が私の右手を覆うように重ねられる。座っている私に視線を合わせるように前かがみになるアリアの顔は、いつもよりも真剣なものだった。
真剣そうな顔をするアリアを見たのはいつぶりだろうか。
少なくとも私の保護下に置くようにしてから見ていない。見ないようにしていたのかもしれない。アリアの頭を困らせるような話題は出来る限りは隠してきた。だからこそ、笑顔か、悲しそうな顔か、そればかりを見てきた。
「お姉様はわたくしのお姉様なのですわ。お姉様がわたくしを愛してくださっているよりも、わたくしは、お姉様のことを愛していますわ。お姉様はそのことを忘れていますのね。これほどにお姉様と姉妹でいたいと願っているのはわたくしだけですのよ。それを忘れてしまっていますわ」
怒っているのだろうか、それとも、拗ねているのだろうか。
先ほどまでご機嫌で合わせていたドレスを傍に落とし、私の手を離す。それから私の隣の椅子に腰を掛けた。その間、視線はずっと不満げに向けられている。
……真剣な顔も可愛いと言えば怒るだろう。
「セバスチャンのようにお姉様の傍にいるわけではございませんわ。でも、執事なんかに負けているなんて許せませんの」
「……何故、セバスチャンなのだ? 専属の執事が傍に居るのは当然だろう」
「惚けても無駄ですわよ、お姉様。わたくしの可愛がっているメイドたちの耳は優れておりますの。お姉様がセバスチャンに甘えていたなんて聞いた時は、わたくし、お姉様の寝室に潜り込もうとしましたのよ! わたくしのお姉様に手を出そうとするなんて、セバスチャンのことを摘み出せるのは異母妹であるわたくしだけでしょう? 不躾な執事を叱ってやろうと思いましたのに」
潜り込もうとしたところを使用人に止められたのだろう。そういえば、幼い頃からなにかと理由をつけて一緒に寝たいと我儘を言われたことがあった。以前までは父から止められていたことの一つだ。
父は私がアリアと親しくしていることをよく思っていなかった。
父は母のことを先代公爵として敬愛している人だった。だからこそ、先代公爵の娘である私とアリアが親しくすることを反対したのだろう。今だからこそ、分かることではあるが、父は主人だった母の尊厳を守りたかったのだろう。だからこそ、様々な理由をつけて一緒にいる時間を少なくしようとしていたのだろう。
「お姉様。なにを笑っていますの? わたくし、おかしいことを言いましたか?」
「いや、アリアがそれほどに私を好きでいてくれているとは思ってもみなかった。だから、嬉しくて笑ってしまったのだよ」
「笑うことではございませんのよ。セバスチャンに甘えるのでしたら、お姉様の異母妹であるわたくしに甘えてくださいませ。わたくしもお姉様に甘えさせていただきますわ。それが姉妹というものでしょう」
「ふふ、それは胸を張って言うことかい?」
「当たり前ですわ」
アリアのことを溺愛していると自覚はしていたものの、アリアがどのように思っているのか確認したことは無かった。拒絶されるのが恐ろしかったからだ。まさか予想していたこととは真逆の台詞を言われるとは思わなかったのだが。
何故だろう。心が温かくなる。
何故だろう。心の穴が埋められていくような安心感がある。
アリアは必死に怒っていると言いたげな表情をしているのにもかかわらず、それすらも愛おしいと思ってしまう。これが家族というものだろうか。
「それでは、今日は一緒に寝ようか」
「一日中、わたくしと一緒にいてくださるのならば、一緒に寝てもいいですわよ。お姉様のことですから、どうせ、お仕事を優先なさるのでしょうけど。わたくしを優先してくださるのならば、お姉様の我が儘を叶えて差し上げますわ。……まあ、お姉様! その子ども見るような眼は止めてくださいませ!」
「仕方がないだろう。私はこれほどに嬉しいと思ったことがないのだから」
今日だけはアリアと一緒にいるだけの日でも良いだろう。
明日からは皆から求められている公爵としての私に戻る。その為の時間なのだから。……セバスチャンの言う言葉も少しはあっていることがある。私は疲れていたのだろう。だからこそ、アリアの変化にも気づかなかったのだから。
* * *
「――相変わらず不機嫌そうな顔をしてんな、イザベラ」
不機嫌にもなるだろう。
なにが悲しくてアリアとの約束を破らなくてはならないのだ。
望んでいたわけではないとはいえ、貴重な休みだったのだ。それもアリアと一日中過ごしていても誰にも文句は言われない貴重な時間だった。それをこのバカ――、アイザックはまたしても事前の連絡もなく屋敷にやって来たのだから、不機嫌になるなというのは無理だ。
ウェイド公爵家の関係改善を促す祖父からの手紙がなければ追い返していたところだ。祖父にはアリアの件で融通を利かせてもらったこともあり、こればかりは断れなかった。なにより公爵としても三大公爵家の関係性が崩れるのは望ましいことではない。
「連絡しなかったのは悪かったよ。いや、今回ばかりは連絡をしようと思ったんだぜ? ほら、前回のことがあるしな。でも、居ても立っても居られなかったんだよ。馬を走らせて来たら連絡をするのを忘れてた。ごめん」
「連絡をしなくても簡単にお前を案内する使用人たちによーく言い聞かせておこう。次からは連絡をしないバカは庭に置いておけと。ウェイド公爵の子息でなければこのような真似は許されなかったぞ。大体、いい加減に常識というものを理解しろ」
「ごめんって。あ、でも、それでも追い返さねえのかよ」
「何だ、追い返されたいのか?」
「いや、違うけどさ。……なあ、イザベラ。色々と言いたいことはあるんだけど、先に言っておく。悪かったな。お前の立場も考えずにさ、酷い事を言って、イザベラを傷つけた。本当にごめん。謝って許されることじゃねえのはわかってる。でも、本当に悪いことをしたと思ってる」
それはローレンス様から託された手紙を持ってきたときの話だろうか。アリアへと向けた言葉に対してのものだろうか。それとも、ローレンス様が廃嫡される切欠となってしまった日のことだろうか。どれに対して謝っているのか分からない。思い当たることは幾つもある。もしかしたら全てに対してかもしれない。
いつでも公爵邸を訪ねて来いといったのは私だ。だからといって連絡を入れなくていいとは言っていないが、何だかんだと言いつつも応接室に招き入れるのは、その話をする為に来たのだと分かっているからだろう。
いい加減、現実逃避は止めなくてはならない。
これは公爵としての判断を下すべき案件だ。公爵家の関係を円滑に保つためには、私情を持ち込まない。そうしなくてはならないのだから。
「本当は痛いのは嫌いで、泣きたいのを我慢する意地っ張りで、偉そうなことばかり言うから周りからは好かれていねえし。すぐに感情的になるから抑えてやれる人がいねえとダメな奴だって知ってんのに。酷いことを言っちまった、本当にごめん。お前の話を聞いてやれるのは俺だけだったのに。ごめん、話も聞かずに勝手に決めつけちまった。お前が傷ついているのを分かってたのに」
「……前半は関係ないだろう。性格が今更変わるものではない」
「あー、おう、そうだよな。分かってる。ごめん、言いたいことが纏まらねえというか、言いたいことがたくさんあり過ぎて言葉にできねえというか。あー、もう、なんていうんだ。とにかく、イザベラ、俺はお前を傷つけるつもりはなかった。それだけは信じてほしい」
「それも分かっているよ。親友として傍に居続けたんだ。お前のまとまっていない言葉を理解できないようでは親友といえないだろう」
アイザックは、真っ直ぐ過ぎるのだ。
思い込んだらその通りに突き進んでしまう。その無鉄砲な性格には何度も振り回された。私も何度もアイザックを振り回してきた。
私の性格を分かっているからこそ、回りくどい方法を取らなかったのだろう。
分かっていた。しかし、アリアを守らなくてはならない私はアイザックの手を取るわけにはいかなかった。アイザックだって、それを理解しているのだろう。
この男はバカなだけではない。
感情的になりやすい私と一緒にいる時は、冷静な時が多かった。一人でいるとどうしようもなくバカなことをするが、二人でいれば、互いを補える。そのような関係性を作れたのは、アイザックだからだ。
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