03.救いの手を伸ばさない理由にはならない

 クリーマ町の状況は報告されていたものよりも酷い状況だった。公共施設として開放されている町役場に運び込まれている負傷者の多くは、逃げ遅れたのだろう足の悪いお年寄りや魔物討伐に駆り出されたのだろうクリーマ町の男性や冒険者たちばかり。報告書では、女子供は安全地帯である教会に避難をしているとのことだったが、それも、限られた人数だけだった。大多数は教会の外に放り出されたままであり、恐怖に身を震わせながら、生き延びていた。


 ここまで酷い被害はなかったものの、以前ならば教会は解放されていた筈だ。逃げ遅れるお年寄りも少なかった筈だ。教会の神父や修道女は救助活動を行い、多くの人々の居場所になっていた。今回は限られた人々だけにしか手を差し伸べておらず、神父や修道女は教会から出てこない。その異常な姿に絶望した人たちも多かっただろう。神に仕える者ならば扱うことが許される癒しの力が行使されていれば、今も尚、苦しんでいる負傷者を救える。残念ながら命を落としてしまった人たちも救うことが出来たかもしれない。それなのにも関わらず、癒しの力を持っている神父は教会から出てこない。


「お見捨てになられても貴女様を恨みませんよ、イザベラ様。教会の神父ですらあの対応なのです。公爵であられる貴女様が見捨てたところでなにも問題はありません。全ての問題は救済の手を止めた教会にあります」


 終始文句を言いながらも着いてきたセバスチャンは、面会にも応じようとしない神父の対応に呆れたのだろう。対応がなっていない等と屋敷を出てからの間、文句ばかりを言っているセバスチャンは屋敷に置いてくるべきだっただろうか。


「それは理由にならないだろう」


 これは貴族が行うべき慈善活動ではない。

 領民を見捨てるような領主には成りたくはない私の偽善行為だ。


「復興が困難になろうとも生きている領民がいるのならば救いの手を伸ばす。それは私の役目なのだよ」


 偽善の末に命を落としてはならない。


 それではなにも変わらないのだ。救いの手を伸ばすと言っていながらも、命を落としているようでは話にならない。


 それでも災害といっても過言ではない魔物の襲撃に苦しんでいる領民を簡単には見捨てることはできないのだから、矛盾している。


「黙って従え。セバスチャン」


「……かしこまりました。イザベラ様」


「最初からそうやって大人しくしていればいいのだよ。ルーシーたちと合流する。魔物の軍勢を仕留めるぞ」


 ルーシーたちは最前線にいる。

 荒れ果てた道では思うように走る事は出来ないものの、それでも目的地が分かっているのだから進みようがある。崩れ落ちている建物を避けながらも最前線に向かう。


 場所の情報はルーシーから聞いているとはいえ、何も音がしない。


 大規模な魔法を行使しているのならば地鳴りのような音がする筈である。ルーシーが得意としている雷属性の魔法を行使していないのだろうか。状況が悪化したのかもしれない。ルーシーたちは無事だろうか……。

 

***


 クリーマ町の中心部である中央広場は荒れ果てていた。


 最前線で力を振るっていたルーシーたちと合流する事は出来たものの、そこには魔物の姿はなかった。だが、魔物の討伐に成功したわけではないというのは、ルーシーたちの顔色の悪さから分かる。気味の悪いものを見たかのような顔だ。


「なにがあったのだ」


「公爵閣下。……実は、三十分前までは討伐が行われていたのですが、恐ろしいことが起きたのです。これは通常のような魔物襲撃ではありません。それ以上に恐ろしい事が起きているように思われます」


「原因調査部隊がなにかを掴んだか」


「いいえ。原因調査など無駄な行為でした。三十分前、今回の魔物襲撃の元凶と思われる少女が現れたのです。少女は得体の知れない言葉を話すと、なんと、魔物は少女に従うかのように立ち去って行ったのです」


 ルーシーが語る話は想像絶するものだった。


 クリーマ町には魔物を引き寄せるなにかが存在しているのか、何者かが意図的に魔物を召喚し続けているのではないか。そのような仮説を立てていたが、それ自体は根拠もない可能性だった。それなのにも関わらずルーシーが語ることが真実だとするのならば、その仮説はあっていたことになる。


 しかし、そのようなことが本当に起こり得るのだろうか。


「最前線に乱入してきた少女が魔物を引き連れて逃亡をしたというのか」


「はい。私たちにはそのように見えました。その少女が魔物に声を掛けた直後、魔物は大人しくなったのです。そして少女は魔物を引き連れて森に逃げました」


 魔物を引き連れて森へと向かう少女の姿は、恐ろしいものだっただろう。魔物との意思疎通を交わすことが出来る魔法使いも魔女も存在しない、そのような事は不可能だとされていた。本当にそのような事が可能とする者がいるのならば、それは、魔物と似たような存在と考えるべきだろう。


 一方的に魔物を召喚する術はある。その召喚術そのものが禁忌とされているものの、歴史を遡れば、戦争等の緊急時に敵国を蹂躙する為に用いられた事があった。それは人の心を持たない者の所業だと非難される行為だ。それ以上に恐ろしい事態が起きるなんて誰も思わなかっただろう。


「……そうか。よく持ち堪えた」


 ルーシーの報告が真実ならば、この町は一人の少女によって壊滅的な被害を受けたということになる。


 そしてルーシーたちと交戦中だった魔物たちも、町中に潜んでいたのだろう魔物たちも、一人の少女に導かれるかのように姿を晦ました。それが今回の魔物襲撃の真相ならば、その少女も討伐対象とするべきだろう。その少女というのは魔物が突然変異をした存在なのかもしれない。


 どちらにしても、そのような恐ろしい存在がクリーマ町に潜んでいたのだ。


 真相を掴み次第、皇帝陛下に報告をしなくてはならない。


「少女の行方は?」


「部下に追わせています。報告では迷いの森の中央付近に留まっているとのことです。追撃をしましょうか?」


「監視を続けさせろ。先に情報収集をする必要がある。その少女の特徴は?」


「はい。変化能力を所有していなければ、薄い桃色の長髪です。珍しい髪色の為、染めているのかもしれません。目の色は金色でした。身長を大よそ150㎝前後かと思われます」


 薄い桃色の髪を持つ少女。


 頭を過ったのはエイダ嬢だ。親しい間柄だと勘違いをされては堪ったものではないからこそ、わざとらしく令嬢かのように扱ってきた彼女も薄い桃色の髪をしていた。だが、関わりを持つ必要も無くなればそのような敬称も不要だろう。


 エイダの髪色は皇国では珍しい色だ。


 世界中を探せばいなくはないだろうが、自然な色とは考えにくい。とはいえ、エイダのように市民の出身では染色をするような金銭の余裕は無いだろうが。


 アリアから婚約者を奪い取った彼女の容姿は、世間では知られていない。


 ローレンス様を廃嫡に追い込んだ悪女がいるとは風の噂で知られているだろうが、それがエイダだと知る人は少ないだろう。最も、彼女がローレンス様との仲を公表していれば話は変わってくるのだが。――私のように彼女に恨みを抱く人が彼女に濡れ衣を重ねようと企み、彼女の姿を模して現れたのか。それとも、彼女がクリーマ町を壊滅的な被害を与えた元凶なのか。


 何故、クリーマ町が狙われたのか。

 何故、エイダと似た容姿をしていると思われる少女がこの町に居たのか。


 その全てを明らかにしなければ討伐任務を行う事は出来ないだろう。不幸中の幸いと言うべきか、クリーマ町を襲っていた魔物はいなくなった。町中を確認していたルーシーの部下からの報告により、明らかになったそれだけでも良かったと考えるべきだろう。これ以上の被害が出る前に、迷いの森に魔物を引き連れて逃げていったのだ。なんらかの企みがあるのかもしれない。


「どのような情報でも構わない。その少女に関する情報を聞き出せ」


「畏まりました」


 直ぐにルーシーは、後ろに控えていた部下たちに指示を出していた。その素早い行動にはいつも感心をする。この一件が済めば臨時休暇を与えよう。この件に関わった使用人たちにも臨時報酬を上乗せしよう。この人数に割り振る為、少ない額にはなるが、ないよりは良いだろう。


 怯えた人々のやる気を奮い立たせる為には、それが効率的な方法だ。


 ありえない現象を目にした彼らの怯えは全体の士気にかかわる。それだけは阻止しなくてはいけない。


「イザベラ様。再度、申し上げます。このような事態になってしまった以上、クリーマ町をお見捨てになられても誰も恨みはしません。ご決断なさるべきかと思います」


「お前は見捨てることばかりを勧めるな。まさか、私を屋敷に閉じ込めておきたい願望でもあるのか?」


「いえ。申し訳ございません。そのような願望を抱いていたことを私自身も気づかずに発言をしておりました」


「そうか、それならば、そのまま気づかないままでいて欲しいものだよ。皇国内を探せば、執事の言いなりになる貴族もいるだろうが、私はそのような無様な姿を晒すような失態はしない。そのような真似をしたければ他家に当たると良い。セバスチャンが欲するのならば推薦書を書いてあげよう。……冗談だ。そのような間抜けな顔が見たかったわけではない。今の発言は撤回する。忘れろ」


 幼い頃から一緒にいるからだろうか。専属の執事や使用人たちは私が屋敷で大人しくしている事を望む声が多い。それを直接、訴えて来るのはセバスチャンだけではあるが。公爵令嬢だった頃からそのような声を聞いてきた。


 変化魔法を悪用して冒険者組合を出入りしていた事もそのような声が上がるようになった原因の一つだろう。アイザックと遊んでいて大けがをした時の事は忘れることが出来ない。そのような真似をせずに大人しくしていて欲しいと願う者たちがいても、おかしくはない。それに従うようなことはないが。


「セバスチャン、これは私の偽善行為だ。公爵家の者を巻き込んだ事は申し訳なく思っているさ。それでも、救いの手を伸ばさない理由にはならないのだよ」


 スプリングフィールド公爵領の領民とはいえ、全てを知っているわけではない。それぞれの町の長やその家族の名、商会や冒険者組合の重鎮の名は覚えているものの、その他は知らないものばかりだ。クリーマ町の町長の名とクリーマ町の住民の人数を把握しているくらいだ。それでも簡単には見捨てるわけにはいかない。


「二度と優先するべき事は間違えない。安心しろ、引き際は分かっているさ」


「……そのお言葉、お忘れなきようにお願い致します。万が一の事があれば、この命に代えてでも安全な場所に戻って頂きます」


「分かっているよ、セバスチャン。お前の判断に任せる」


 この小さな町を、命を賭してでも守ろうというわけではない。


 スプリングフィールド公爵領を守らなくてはならないのだ。クリーマ町に救済の手を伸ばす事が、領地経営に影響を及ぼすのならば、セバスチャンの言う通り、見捨てるべきだろう。そのような覚悟は言われなくても出来ている。

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