第三話 ヒロインのいない物語
01-1.ヒロインのいない物語は進んでいく
食事会の翌日。
公爵を継いでからは日課となりつつある書類整理や事務仕事の為、執務室にいる事が多い私の元をアリアが訪ねて来ないのは珍しい。この時期にしては珍しく激しい雨が降っているからだろうか。最近はアリアと一緒に中庭でのお茶会を楽しむ事が日課となっていたのだが、この天気では出来ないだろう。そうなると一日中、アリアと関わる事も無く、時間が過ぎていく事も少なくはない。
それはとてもつまらないものだった。
父上が行ってこなかった仕事の確認や関連する書類を整理するだけでも時間が掛かってしまう。何日か籠って作業をすれば終わるだろうが、剣術や魔法の鍛錬を怠るわけにはいかない。緊急時には皇族の方々をこの身を賭して御守する事になる。その時、動けないのでは話にならない。公爵領での仕事が落ち着いた際には、騎士団への入団を検討するのも良いかもしれない。万全な体制を築くまでは厳しいものではあるが、いずれは、国を守る為に剣を握る事になるだろう。
「……またか」
新たに追加された書類を見てみれば、ダックワース公爵家からの対談を求めるものだった。世間ではローレンス様の取り巻きの一人として認識をされているマーヴィンの件だろう。実際、友人たちの中でももっともローレンス様と親しくしていたのは彼である。そのような世間の目に晒されても仕方がないことだ。
あの時、マーヴィンは見たことのない表情をしていた。何かを企んでいるわけでもない。ただ、追い詰められたかのような表情だった。それに触れるべきかと悩んだものの、結局、なにもせずにいたのは私だ。あの時の私には彼にかける言葉を持ち合わせていなかった。
結果として彼を追い詰めることにもなってしまった。
友としてではなく、公爵としてマーヴィンを追い詰めたようなものである。将来的にはダックワース公爵家を継ぐことになるだろうマーヴィンの功績に傷を残したと捉えられても、なにも、反論はできないだろう。意図していなかったこととはいえ、彼にとっては大きな障害となることになる。
公爵を継いでから約一か月の間、何度も対談に応じて来た。その都度、ダックワース公爵家の要望を断って来たのだが、彼らも諦めるという選択肢も無いのだろう。私もその要望を受け入れるつもりはないが。
皇后陛下は、ダックワース公爵家の出身だ。ダックワース公爵の妹である為、ローレンス様が皇太子殿下であられた頃は三大公爵家の筆頭公爵家を任じられていた。その経緯もあり、二十年近く、公爵家の中でもダックワース家は別格のような扱いを受けていた。その扱いを維持する事を目論んでいるのだろう。
「セバスチャン。近日中、ダックワース公爵家との対談を設ける」
「またですか。先週もされたばかりではありませんか?」
「仕方がないだろう。筆頭公爵家の任を解かれたとはいえ、二十年近くもその役を任じられていたのだ。無下に扱うわけにはいかない」
「しかしながら、明日にはウェイド公爵家との対談予定もございます。通常業務に加え、鍛錬時間、領内視察等を考えますと近日中には難しいかと思います」
「書類仕事を夜に回せば時間が作れるだろう」
ローレンス様が廃嫡となった日以降、対談が増えているのは事実だ。スプリングフィールド公爵家もアリアの婚約破棄の件がなければ、ローレンス様の派閥に組み込まれていたままだっただろう。不幸中の幸いというべきか、そもそも、婚約破棄の件がなければ廃嫡されるような事態にはならなかったのだから、不幸の元凶というべきか。ローレンス様が廃嫡される以前に派閥から離脱する事が出来たのは、運が良かった。そうでなければ、私も他の貴族を相手に対談を名目とした取引に日々を追われていた事だろう。
誰もがこのような事態になるとは思っていなかった。
以前から存在していたブラッド皇太子殿下の派閥に取り入ろうとする貴族は多いと聞く。婚約破棄の件によりローレンス様の味方はかなり減っているだろう。側近の騎士すらも見放しているのではないだろうか。やはり、あの方をお救いする事が出来なかった事が悔やまれる。
「今回の対談はスプリングフィールド公爵邸で行う。明日のウェイド公爵家との対談も同様だ。アリアの動向を見張っておけ」
「かしこまりました。しかし、アリアお嬢様も連日の監視ではお疲れの様子が見られております。対談の間だけ別邸に移されては如何でしょうか?」
「それは出来ない」
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
アリア付きの使用人からも似たような声は上がっている。
対談の間は部屋から一歩も出る事を許さない。必要最低限の設備は全て整っているのだから問題は無いだろう。対談が長引いても数時間だ。食事の手配もさせている。それでも監禁状態のようだと声が上がっているのは分かっている。
セバスチャンもその訴えを耳にしたのだろう。
使用人からの訴えがでることはわかっていた。私も好きでそのような処置をしているわけではない。全ては公爵家の利益の為、なにより、アリアを守る為には致し方がないことなのだ。
「ウェイド公爵家とダックワース公爵家の狙いを知っているか?」
「いいえ。存じておりません」
「その程度は勘付かなければやっていけないぞ、セバスチャン。直接的な表現を控えているが、彼らの狙いは同じだ。ローレンス様の派閥が崩壊した今となっては、次の筆頭公爵家の任を与えられたスプリングフィールド公爵家を取り込んでおきたいのだよ。そのようなことを目論んでいる連中とアリアを接触させるわけにはいかない」
三大公爵家の中でも強い発言力を与えられている筆頭公爵家の任は、三十年間隔で与えられる。筆頭公爵家の任期中だったダックワース公爵家は、ローレンス様が廃嫡された際、その一件にマーヴィンが関与した事への処罰として解任させられた。次の筆頭公爵家はウェイド公爵家だったが、こちらも、ローレンス様が廃嫡された一件にアイザックが関与した事への処罰として取り消しさせられた。そのような経緯があり、その権限は私の掌の中へと納まったのだ。
本来ならば有り得ない話だ。
しかし、マーヴィンとアイザックは、ローレンス様が廃嫡される決定的な場面に立ち会ってしまった。公爵として皇帝陛下からの命令に従っていた私とは違い、自らの意思でその場にいたのだろう。その場にいただけでそれ程に大きな処罰を与えられるとは考えにくい。それにより皇帝陛下の怒りを買ったのだ。どのような理不尽な命令だとしても、皇帝陛下の言葉は絶対である。
「アリアお嬢様を婚約者として迎え入れたいと考えているのでしょうか」
「ダックワース公爵はそれを考えているだろう」
「まさか、そのようなことがあるのでしょうか。ダックワース公爵家はアリアお嬢様へ好意を抱いているとは思えません。なにより両家にとって利益があるとは思えません。イザベラ様の考えすぎではありませんか?」
「それならばどれほどによかったことか。……ダックワース公爵は、マーヴィンはアリアを気にかけている等と都合の良い解釈を繰り広げてくれたよ。気にかけている相手に対してあのような真似が出来るのならば、私は彼との友人関係を白紙に戻すというものだ」
マーヴィンがアリアに危害を加えた事はない。殺意に塗れた視線をアリアに向けていた事はあったものの、彼自身が何かを言ったわけではない。それでも、あのような視線を好意から向けていたというのならば、それはどう考えても異常者だろう。それこそエイダ嬢の一件がなくても、アリアを任せるわけにはいかない。
それなのにも関わらず、公爵家同士の繋がりや連携等と都合の良い言葉を並べるダックワース公爵には呆れたものである。今更、公爵家の連携もないだろう。これ以上に手を取り合って仲良くして何になるというのだ。与えられている領地の規模は皇国の中でも大きい。莫大な資産や軍事力も持ち合わせている。だからこそ、必要最低限しか干渉をしたくはないのだ。
公爵家が互いに取り込むような形になってはならない。
そのような形になれば、皇国の中心である皇族の権力が揺らぐ可能性すらもでてくることだろう。そのようなことはあってはならない。
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