12-2.これは、お前の知らぬ私たちの約束なのだから
「父上、義母上。折角の食事会なのですから座ってお話をされたらどうですか」
両親と再会をして喜ぶアリアを見ていると心が揺らぐ。
公爵家に閉じ込めるようにして過ごすよりも、父たちと一緒に暮らしているべきなのではないか。いいや、婚約破棄の件が片付いたとはいえ、エイダ嬢がなにをし始めるか分からないのは変わらないのではないか。様子を見るべきではないか。
アリアに対して過保護すぎるのだということは分かっている。
それでも、不安が消えない。
アリアを失いたくはないと、その為ならば手段を選ばないと覚悟を決めているとはいえ、皇国の為ならばなにをするか分からない。私自身がなによりも信用ができないのは、今も変わらない。
それならば、私はアリアを手放すべきではないのか。
一緒に生きてほしいと願ったアリアの言葉は本音だろう。
そう信じている。
それでも恐ろしくなるのだ。
守りたいからこそ壊してしまわないか怖くなる。
「いいや、食事会には参加する気はない。ここに来たのは、公爵と話をする為だ」
あのような真剣な眼をする人だっただろうか。
都合の良い話ばかりを好んでいた人の上に立つのには不向きな人だった。思い返してみても、一つも思い出がない。母が存命の頃は屋敷に寄りつかず、母が亡くなってからは義母と一緒にいる姿ばかりだった。
「そうですか。――ディア、父上と義母上の食事は必要ないと調理人たちに伝えろ。不要となった食事は使用人たちの間で好きにしろ、喧嘩のないようにな」
「畏まりました。お伝えします」
「頼んだよ。それで父上、話とはこの距離を保たねばならないのですか? 遠すぎると思うのですが」
私から近寄るのは選択肢にない。
この距離のままでも支障はない。いつもよりも大きな声を出さなければならないのは面倒だが、声が通らないわけではない。
「それならお言葉に甘えて近寄らせてもらおう。おい、使用人。これを預かっておけ」
父が様子見をしていたミーヤに押し付けたのは、赤色の宝石が付いた指輪に加工された魔力媒体専用の魔道具だ。身体に負担をかけずに魔法を行使する為に身に付ける事を推奨されているものだ。父のような魔力の少ない魔法使いにとっては、なければ魔法を行使することができないと言われているような品物である。私も連発して魔法を放つことを目的に身に付けている白銀の腕輪と同じ耐久度のものだったはずだ。
それを他人に預けるということは、敵意はないと伝えるのと同じである。
背後を狙って魔法を放つような父からは想像できない行動だ。それに驚いている隙を衝くかのように距離を近づけてくる。それでも椅子が二つほど間に入りそうな距離を保って止まった。
「スプリングフィールド公爵。愛娘であるアリアの命を救ってくれたこと、心より感謝、しています。公爵位を継がれてから今日までの間、元皇太子殿下とアリアの婚約破棄が成立するまで多大なご迷惑をお掛けしましたことへのお詫びをさせてほしい、……頂きたく思っております」
公爵代理の座に就いていた間、他人に対して命令をするような言い方しかしてこなかったからだろう。度々、敬語に直すようなぎこちないものではあったが、なんとか言い切ると父は深々と頭を下げた。
公爵の私と、愛娘のアリア。
母親が違うというのは父にとっては大きすぎることなのだろう。
元より父から愛してほしいなどと考えたことはない。
それが無駄だと知っているからだ。
だから求めたこともなかった。
それでも、言葉にされると胸が痛くなる。
父にとっての娘はアリアだけだ。
父にとっての家族は義母とアリアだけだ。
彼の中ではいつまでも三人家族なのだ。
私は彼の家族には含まれることはない。
そのようなことは分かっていた。だから、表情を変えてはいけない。
父の後ろに見える義母とアリアの表情はなぜか似たようなものに見えた。血のつながりを感じてしまう。まるでアリアを解放しろとでもいうかのようだ。
「頭を上げろ。私は異母姉として当然の行いをしただけだ」
これが公爵代理を八年間も務めた人の姿か。
なにもせずにいたのだろう。なにもできないと嘆くことはあっただろう。父の権限はなにも残っていないまま、アリアの身に降りかかろうとしている悪意から身を挺して庇うこともできず、そのまま一生を終える覚悟をしていたのだろう。
「お詫びとは? 公爵家に貢献するほどのことができるというのか」
「なんなりとお申し付けください。娘を救ってくださった恩に報いてみせます」
「死ねと命じれば死ぬとでもいうのか?」
私の言葉を聞いて動こうとしたのは父ではなく義母だった。
なぜ、このようなことを言い始めたのか分からないものの、屋敷に居た頃となにも変わっていない義母には耐えられないだろう。私に詰め寄ろうとする義母を止めていたのはアリアだった。
「それが公爵のお望みならば、従います」
簡単に生きる事を諦めるのは、アリアと同じだ。
父のこのような性格にアリアは似てしまったのだろう。二人とも死への恐怖心が足りないのではないだろうか。簡単に命を捨ててしまえるほどに軽い命ではないだろう。少なくともその死を悲しむ人はいるだろう。
それなのに命令ならば従うというのか。
それがどれほどに悲しいことか分からないのだろうか。
「そのようなことを命じるつもりはない。命を絶てばアリアが悲しむことになる。家族を守りたいのならば簡単に死を受け入れるものではない」
「しかしながら、私は公爵に恩を返す為ならば、この命、惜しくはありません」
なぜ、母は父を愛し続けていられたのだろう。
望まれたのならば命すらも投げ出すといってみせる人柄に惹かれたのか。その危うさから保護対象として身内に引き込んだのか。それとも母にしか分からない父の良さでもあったのだろうか。
「分かった。それでは、先代公爵のローズ・スプリングフィールドの墓守の役を命ずる。月命日は必ず花を供えることを忘れないように。それで手を打とう」
私の言葉に父は驚いたように目を見開いた。
亡くなる前に母は私の眼が好きだと言っていたのを思い出す。父から唯一受け継いだこの眼の色を見ていれば、夢ではないのだと思えると悲しそうに笑っていた。
父は母の想いなど知らず、母の死後すぐに再婚をするような人だった。
そして、母の墓参りを一度もしていないような薄情な人だ。
母に対してなにも感情を抱いていなかったのかもしれない。
それでも、母は会いにきてくれたと喜ぶだろう。
だからこそ、墓守を命じるのだ。
「先代公爵の墓守をする権利など私にはありません」
「母上はそれを望んでいた。貴方は私になんでも命じろといったではないか。それならば、手間を惜しまずに遂行するべきではないのか」
「しかし……。いや、わかりました。公爵の命令を謹んでお受けいたします」
納得のいかなそうな表情をしていた父を睨みつければ、直ぐに意見を変えた。それから目を伏せて口元を歪ませた。不気味すぎるその表情に警戒心を抱くなという方が無理である。やはり命を狙っていたのだろうか。
「やはり、貴女様は、先代公爵によく似ていらっしゃる」
……杞憂だったのだろうか。
父はすぐに目を開けて嬉しそうに笑いかけてきた。
父が私に笑いかけるなどということは今まで一度でもあっただろうか。
公爵を継ぐのだからと厳しく教育をされた覚えしかない。
仕事に関係しなければ顔を合わせることだってなかった。
なによりも父の目に映し出されているのは、本当に私だろうか。
父は、私を娘と思っていない。
父は、私を通して公爵としての母の姿を見ているのではないか。
そのようなことを思ったのは初めてではない。
以前から気付かないふりをしていただけだ。
「話は終わりだ。早々に屋敷から出ていけ」
「はい。スプリングフィールド公爵。――今まで先代公爵の御子を我が子同様に扱い、大変、申し訳なく思っております。今後は敬称ではなく名でお呼び下さい」
「言われずとも分かっている」
命令に従って離れていく父の後ろ姿を見て思い出すのは、母が存命の頃から使用人たちが話をしていた両親に纏わる噂話だ。父は元々スプリングフィールド公爵家に仕えていた使用人であり、母は父を傍に置きたい為に反対を押し切って結婚をしたのだというものだった。その現実味のなさから下らない噂だと放置していたが、もしかしたら、それは本当なのかもしれない。
私の父親は、アーロン・スプリングフィールドで間違いないだろう。
それでも父が望んだ結婚ではなかったことは聞かなくてもわかる。
父の命が無事だったことを喜んでいる義母の顔をみれば分かる。
二人は愛し合っているのだろう。
だからこそ、義母は私を憎んでいたのだろう。
義母が私を憎むのは、母が強引に父を手に入れようとしたからだったのかもしれない。父と義母が大広間から出て行ったのを見届けて、アリアが傍に戻って来たものの、アマリリスの花束を渡すような雰囲気ではなくなってしまった。花束は食事の後、部屋に届けさせよう。
「……お姉様。お母様とお父様のことを許してくださってありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。人として当然のことをしただけだ」
「それでも嬉しいのですわ。お姉様はお母様のことを嫌っておりましたでしょう。だから、両親を引き離すのではないかと思っておりましたのよ」
指定の席に腰をかけてアリアは笑う。
指示をしたわけではないのにもかかわらず差し出された料理を嬉しそうに頬張るアリアはいつも通りだ。父と母についていきたいとも言わず、それを当然のように受け入れてしまっている。
「そうするつもりだったよ」
一度も私を娘としてみない父の幸せを願うほどに立派な人間ではない。
少しは苦しめばいいと思っていた。
「だが、家族を引き離す権利はないだろう。アリア、両親と暮らしたいというのならば引き留めない。好きに生きるといい」
「ふふ、お姉様はやっぱりお父様に似ていますわね」
「似ていないだろ」
「いいえ。お父様も同じことを言いましたのよ。好きなように生きなさいって言ってくださいましたの。お父様とお母様と一緒に暮らしてもいいし、お姉様と暮らしてもいいって。自分で選びなさいって背中を押してくださいましたのよ」
彼女の嬉しそうな笑顔が私に向けられている。
それだけでこれほどにも嬉しいものだとは知らなかった。
「だから、わたくしはお姉様と一緒にいることを選びましたの」
「いいのか、本当に」
「ええ。……お姉様? どうして泣いておられますの?」
アリアに指摘をされて頰に手を当てると、確かに濡れていた。
涙は悲しい時に流れるものではなかったのだろうか。なぜだろう。心が晴れ渡っているというのにもかかわらず、涙が止まらない。
「なぜ、だろう。分からないが、……きっと、嬉しいのだろう」
「ふふ、変なお姉様」
アリアが生きている。一緒に笑っていられる。
それだけのことが嬉しくて仕方がない。ようやく長い間、忘れることができなかった前世での日々を乗り越えられる。
今日もアリアと一緒に暮らしていられる。
それだけのことが嬉しくて仕方がない。いつも通りの下らない会話をしながら食事をするだけの時間さえも愛おしいと感じてしまうのは、この日々を恋い焦がれていたからなのかもしれない。
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