09-1.夢の中なら共に笑い合えただろうか

 王城へと向かう馬車の中で考える。


 スプリングフィールド公爵領は、皇国の長い歴史と共に繁栄し続けてきた。自治を許されている領土は皇国内では三番目の広さを誇る。三大公爵家の中ではもっとも小さな領地ではあるが、高原地帯から港町まで横に長く広がっている為、様々な特産物に恵まれている。だからこそ皇家に献上する特産物の種類も品質も三大公爵家の中でもっとも優れており、それに影響を受ける税収入も多い。横に長い土地柄のせいで一部の町は国境線近くにある為、軍備拡張をしても構わないと皇帝陛下直々に御言葉を頂いていることもあり、公爵家は多大な利益を得ている。


 だからこそ、皇帝陛下はアリアを皇太子殿下に嫁がせようとしたのだ。


 密かに皇国からの独立を企んでいた父を懐柔する為、私ではなくアリアを婚約者にと望んだのはアリアならば都合よく飼い慣らせると判断を下していたからだろう。


 箱入り娘として大事に育てられたアリアは外の世界を知らない。


 領地内では唯一の国境線近くにあるクリーマ町で起きる魔物による襲撃もアリアは知らないだろう。なにも知らないままのお飾りでいてほしいと願ったのは、野望に魅せられた父の失態だ。全ては皇帝陛下の計画だと知らずに踊らされているからこそ、私にその爵位を奪われるのだ。


 父から爵位を奪うように指示をしたのも皇帝陛下だとは知らず、あの人は野望が潰えたと嘆いていることだろう。


 皇帝陛下はなにを企んでおいでなのか。


 皇太子殿下からの登城命令が届いたのと皇帝陛下から一通の手紙が届いたのは、同時刻であった。皇太子殿下が痺れを切らし、私に命令を下すだろうと予言のように書かれたお言葉には絶句した。まさか皇太子殿下が手紙を書くのを目の前で見ていたのではないかと、ありもしない想像をしてしまうくらいに当たっていた。


 そして、皇太子殿下の暴挙を止めるようにと皇帝陛下が登城命令を下した。


 手段は選ばなくて構わない、全ての責任は皇帝陛下がとってくださるとのお言葉付きだ。恐らく、それすらも皇帝陛下の企みの一部なのだろう。それでもなにを言われるか想像をしたくもない。皇帝陛下により撤回されるとはいえ、領地縮小を言い渡されてしまえば生きた心地はしないだろう。


 温厚な人を怒らせることほど怖いことはない。


 日頃から当たり散らす人も恐ろしいが、穏やかな人は怒るとなにをするのか想像すらもつかない。だからこそ、恐ろしくて仕方がない。


 このようなことを願う資格はないだろう。


 皇太子殿下の未来を潰そうとしているのは私だ。

 それでも、どうか彼にとって最善の道が切り開かれることを願う。



「――イザベラ様。お手をどうぞ」


「早いものだな。もう着いたのか」


「はい。王城に到着いたしました」


 馬車が止まり、セバスチャンの手が差し出される。その手を取り、馬車を降りる。目の前にあるのは王城を守る豪華絢爛な装飾が施された門だ。門は既に開かれている。


 スプリングフィールド公爵一行の歩みを邪魔するなとでも命令が下っているのだろうか。下らないことを考える余裕があるほどに城内は静まり返っていた。騎士団が訓練をしているだろう声すらも聞こえない。出入りをしている貴族や使用人の姿は見えるものの、忙しくなく動き回っている。話をする余裕もないのか、足音だけが聞こえる。


 魔法学院に通っていた頃、皇太子殿下に呼ばれて王城に来た時はこのような様子ではなかった。


 あの頃は話し声も様々な所で聞こえていたし、忙しなくても世間話をする余裕はあるように思えた。


 これは思っていたよりも重大な役目を押し付けられたのかもしれない。


 友人ではなく公爵として皇太子殿下の暴挙を止める為、登城命令に応じるように書かれていた時点である程度の覚悟はしていた。これは皇帝陛下の恩情なのだろう。嫡子である皇太子殿下の様子を窺っているのに違いない。


「ローレンス皇太子殿下、イザベラ・スプリングフィールド公爵の御到着でございます」


 皇太子殿下が待っている応接間の扉を守る近衛騎士が声を掛ければ、部屋の中から返事が聞こえた。そして扉は開けられる。


 これより先は入ることが許されるのは私だけである。護衛として連れていたセバスチャンとディアは扉の先で待つことになる。それを近衛騎士に言い渡された二人の顔は恐ろしいものではあったが、仕方がない。二人が危惧しているような事態にはならないだろう。万が一、そのようなことが起きれば、私は剣を抜くことになる。それだけはしたくはないものだ。


「お呼びでしょうか、皇太子殿下」


 部屋にいるのは皇太子殿下、エイダ嬢、アイザック、マーヴィンの四人。


 その様子を窺っている使用人や近衛騎士の顔は見たことがある。皇帝陛下の傍で働いている実力者たちだ。この場でのやり取りは噓偽りなく皇帝陛下に告げられることになるだろう。どう考えても、皇太子殿下の監視役だ。


 一か月の謹慎処分を命じられ、それがようやく解かれたとは聞いていたものの、未だに監視されていると分かっている上での行動だろうか。せめて全てを理解した上での行動であると思いたいものである。


「やっと来たか、イザベラ。何度も登城するように命じていたのに、なぜ、今まで従わなかったんだ?」


「公爵として応じる必要性のないものだと判断いたしました」


「必要がないだと? 私からの呼び出しに応えないことが不敬にあたると分かった上での発言だろうな」


「公爵として皇太子殿下からの応じる必要がない命令を断ることが不敬にあたると仰せならば、今一度、皇国の法律に関わる書物を勉強されることを推奨いたします」


 やはり不敬罪に持ち込もうとしていたか。


 謹慎処分中に送られてきた手紙の複製が皇帝陛下の手の中にあるとは知らないとはいえ、この方はこんなにも無知だったか。次期皇帝に選ばれた方なのだから帝王学も法律学もなにもかも教わっているはずだ。公爵位を継ぐことが決まっていた私も皇太子殿下と一緒に教授の授業を受けさせていただいた記憶がある。それを理解できていないような様子は見受けられなかったのだが……。


「ご存じでしょうが、スプリングフィールド公爵家は、アリアとの婚約破棄の一件は皇后陛下からのお言葉を受け、なにごともなかったかのように振る舞うことを誓わせていただきました。当然、なにもないのですから皇太子殿下が望まれているアリアに罰が下ることは不可能なのです。私は、公爵令嬢であるアリア・スプリングフィールドを免罪で貶めよう等という恥知らずな真似をなさらないように忠告に参りました」


 婚約破棄の一件に纏わる手紙を届けに来た王城勤めの使用人の中に、皇后陛下が変装をして紛れ込んでいた時には気絶をするかと思ったものだ。


 気が動転して公爵家に利益がない条件で受け入れてしまったのは、情けない話だが、仕方がないだろう。領地拡大は求めるつもりはなかったが、今年の納税義務を免除して貰うつもりだったのに失敗した。決して、納税ができないほどに困窮しているわけではないが、やりたい事業があったのだ。免除された資金をそちらに回そうと企んでいたのに失敗した。お蔭でやりたかった事業は来年に先送りになってしまった。前世では大成功をした事業だったからこそ、少しでも早めにしたかったのに。


「皇太子殿下、卒業記念祝宴の場でも申し上げましたが、エイダ嬢と共にある方法は幾らでもございます。今一度、お考えいただけないでしょうか?」


 これは友人としての願いだ。


 幼い頃から皇太子殿下に仕えていくのだと決められていた。彼の隣にはアリアがいるのだろうと、義理姉として彼を支えていくのだと思っていた。


 だからこそ、このままではいけないのだ。


 私が前に進むことを選んだのと同じだ。皇太子殿下にも選択をして貰わなくてはいけない。このまま皇太子殿下としての栄えある人生を歩むのか、皇帝陛下の決断が下るのを待つだけの時間を過ごすのか。その二択しかないのだから。


「……お前の言いたいことは分かった」


 椅子に座っていた皇太子殿下が立ち上がる。


 その眼は冷静なものだとは思えない。感情に左右されるのは民の上に立つ方のすることではない。皇帝陛下が望まれている皇太子としての姿ではない。そのような真似は全て皇帝陛下に伝わってしまうというのに、それを阻止することは私にはできない。私がすることができるのは公爵として過ちを正すだけである。

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