09-2.夢の中なら共に笑い合えただろうか

「皇后に相応しいのはエイダ以外ではありえない。それを分からないというのなら、イザベラ・スプリングフィールド公爵にはこの場で死んでもらう」


「剣を抜くのはお止めください、皇太子殿下」


「はっ、いまさら、怖じ気づいたか! 謀反の疑いがある公爵にはこの場で死んでもらわなくては皇国の未来に影が差すだろう。私が処分を下すのだ、光栄に思え」


「皇太子殿下。冷静さを失ってはなりません。言葉の駆け引きで負けたからといって人を殺していれば、貴方様の名は皇国の汚点となることでしょう」


 感情のままに人を殺せば、皇太子の地位は剝奪される。

 それどころか死刑台に送られるのはアリアではなく皇太子殿下になるだろう。


 ここまで感情的な行動を起こすような人ではなかった。


 当然のように制止は受け入れられず、皇太子の手には剣が握られている。その刃が私に向けられた途端、監視役である騎士の手は皇太子殿下に向けられるということを分かっていないのだろうか。


「殿下。これは最後の忠告です。剣を収めてください。貴方様が皇国を慈しみ、民を慈しむ心をお持ちならば、それはなさってはなりません。貴方様が守るべきものを見失ってはなりません。皇太子殿下、お考え直してくださいませんか」


 どうすれば、皇太子殿下の暴挙を止めることができるのか。


 そもそも、暴挙を止めるようにと手紙に書かれていた時点で、彼のこのような傾向が見られていたのだろう。皇帝陛下は、皇太子殿下が感情に左右されるような性格になってしまったことを見抜いていたのだろう。


「私に従わない公爵など必要ない!!」


 子どもが癇癪を起こしたかのようだった。


 ついに皇太子殿下の剣は私に向けられる。そのまま斬りかかろうと近寄って来たところ、私の傍にいた近衛騎士が躊躇なく間に入り、その剣を止める。そして慣れた手つきで剣を叩き落としてしまう。簡単そうに見えるがそんな荒業ができる人間など見たことがない。そしていつの間にか皇太子殿下の背後に忍び寄っていた別の近衛騎士により、皇太子殿下の身柄は床に叩き付けられる。


 なにもできずに眺めていて、ようやく理解した。


 皇帝陛下は皇太子殿下の暴挙を止めるつもりはなかったのだ。私に暴挙を止めるようにと命じたのは、皇太子殿下が激情して殺そうとするだろうと見込んだ上での命令だったのだろう。


 皇帝陛下が求めていたのは、皇太子殿下を諫めることではない。


 皇太子殿下の身分を剥奪することだ。

 廃嫡する為の決め手を求めていたのだ。


「スプリングフィールド公爵。貴女の息子を思う優しさに付け込むような真似をしてすまなかったね」


 振り返れば、そこには皇帝陛下が笑っていた。


 慌てて最敬礼をとる。皇后陛下といい皇帝陛下といい、なぜ、人を驚かせる登場の仕方をするのだろうか。どこかで様子を窺っているだろうとは思ったが、いつの間に後ろにいたのだろう。気配がなかった。


「皇帝陛下、浅はかな私では陛下の真意を読み取ることができませず、申し訳ございません」


「いやいや、構わないよ。成人を迎えたばかりの公爵にそこまで求めるつもりはなかったからね。今は、私の計画通り、ローレンスを動かすことができただけで充分な働きだ。今後は先々代当主であるメルヴィンの教育の元、立派に役目を果たしなさい」


「はっ。有り難きお言葉、感謝いたします」


 手紙でのやり取りでも思っていた通りだった。

 理由は分からないものの、皇帝陛下はエイダ嬢の影響を受けていない。


 以前とお変わりなく、偉大な皇帝陛下のままだ。それを間近で感じることができ、感動のあまり涙が出そうになる。このまま行けば、皇国は戦争をしなくてもいいかもしれない。多くの人たちが無駄死をすることもなく、平和でいられるかもしれない。


「スプリングフィールド公爵、それから、ダックワース公爵子息、ウェイド公爵子息も下がりなさい」


 皇帝陛下の命令にはアイザックもマーヴィンも大人しく従った。三人一緒に部屋から出て行く姿を見て皇太子殿下はなにやら文句を言っていたが、その言葉に振り向かない。皇帝陛下の命令には誰一人逆らうことはできないのだから、仕方がない。


 私たちが部屋を出たのと同時に扉が閉められた。


 部屋に取り残されていたエイダ嬢はどうなるのか、想像することもできない。不敬罪として処罰を受けなければいいのだが、それも彼女の行いによって変わってくることだろう。


「……なんで、こんなことになったんだろうな」


 それぞれ屋敷に戻るようにと言い渡され、馬車を置いてある場所へと向かっている時、アイザックは力のない声で言った。いつもならば率先して悪知恵を働かせるマーヴィンが不気味なまでに静かなことも気になるが、いつもバカみたいに騒いでいるアイザックの力がない声も気になる。取り巻きとして認識されている二人に何らかの処分が下る可能性は否定できない。それを分かっているからなのか、別の思惑があるのか分からないが。


「現実を見ていないのはお前だった。それだけの話だろう」


「それ、この前のことを言ってんのかよ」


「ふふ、バカでもそれは分かったか。それは良かった」


「……お前、俺のことをバカにしてる余裕あるのかよ? お前だってあの場にいたじゃねえか」


「私は公爵としてあの場にいた。立場の違いは分かるだろう?」


 大前提として皇帝陛下からの登城命令に応じただけの私と、取り巻きとして皇太子殿下の傍にいたアイザックとマーヴィンとは状況が違う。私は役目を果たしただけだ。処罰が下るはずがない。


 だからといって穏やかな心境ではない。


 結局、皇太子殿下のお気持ちを変えることはできなかった。踏み止まらせることができなかった。思い通りにならないのならば殺してしまおうとした彼には迷いはなかった。あのような表情は一度も見たことがなかった。


「これに懲りたら現実を見ることだよ、アイザック。心の底から謝罪をする気になればいつでも公爵邸を訪ねて来るといい」


 エイダ嬢の魔法がこれで解除されたとは考えにくい。


 前世では戦争を引き起こすほどに強力な力だったのだ。今、それが発揮されないのは、エイダ嬢が放心状態に陥っているからだろう。目の前で皇太子殿下が床に叩き付けられたのだ。魔法を行使する為の精神力が乱されてもおかしな話ではない。


 それでも未来を変えることができた。


 アリアが公開処刑になる可能性はかなり低くなっただろう。今後、彼女が法律に触れるようなことがなければ、このまま生きていられるだろう。


 もしかしたら、また、共に笑い合えるかもしれない。


 そのような淡い期待を抱いてしまう。


 いつか、学院で過ごした頃のように皆で笑い合える日が訪れるのではないだろうか。


 勿論、皇太子殿下たちのアリアへの言動は許せるものではないが、それを許すかどうかは私ではなくアリアが決めることだ。いつの日か、消えてなくなるような夢の中でも、共に笑い合えるのならば、それは幸せだろう。


 再び、共に笑えるように。

 そのような未来を描きたいものである。

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