08.物語は再び進み始めている

 私はお前と一緒にいたいだけなのだ。

 私はお前と一緒に生きたいだけなのだ。


 日に日に強くなっていくその思いに引っ張られるかのように、私は感情を抑えられなくなっている。女公爵として恥のないようにと様々な訓練を受けてきたからこそ取得することができた感情のコントロールが上手くいかない。


 最初はアリアを助け出すことができたと浮かれていたからだと思っていたのだが、徐々におかしくなっていることに気付いてしまった。


 アリアと一緒にいると感情を抑えることができない。


 気の許せる使用人にも見せることが少なかった子どものような我が儘も口にしてしまうのが増えてきたのだ。感情が高ぶった勢いのまま、一生隠し続けなければならない秘密を口にしてしまった。


 “二度も見殺しにすることはできない”とアリアに言ってしまったのは、私の失態だ。真実に気付く可能性は低いものの、疑問を抱くだろう。


 そうなれば、再び、あの子は死ぬべきだと言うかもしれない。


 生きている理由がないと泣かれてしまった時はなにも言えなかった。


 あの子は、前世のように死んでしまった方が幸せだったのではないか。

 強い意志を貫き通し、死んでしまった方があの子の為だったのではないか。


 生きていてほしい、死なないでほしいというのは、私の願いだ。私の我が儘だ。


 一度もアリアに聞いたことはなかった。


 あの時と同じように言われるのが恐ろしくて見ないふりをしていた。生きていればなんとでもなると意地を張っていたのかもしれない。


 前世のようにエイダ嬢のことを最優先にしてしまう可能性を捨て切れない。再びアリアを死へと追いやってしまう可能性がないと言い切れない。私は恐ろしくて仕方がないのだ。他の誰よりも私自身が信用できない。アリアを守り抜くとそれらしいことを言っておきながらも、それを果たせないかもしれない。


 この世界でもっとも信用できないのは私自身だ。


 一度、アリアを死に追いやったのは私だ。

 二度目がないと言えないことが恐ろしい。


 それでも、いい加減、覚悟を決めなくてはならないのだろう。


 逃げてばかりではいられない。私はスプリングフィールド公爵なのだ。


 いつまでも屋敷に籠もることで守ろうとしてはいけない。

 正々堂々と歩まなければいけないのだから。


 今度こそアリアを守るのだ。その為には逃げるわけにはいかない。



「――アリア。数日、屋敷を空けることにした」


 王城に出向き、婚約破棄に纏わる一件を終わりにする。


 皇帝陛下はエイダ嬢と皇太子殿下の婚約を認めていないことを思えば、前回のようにおかしくなっていないだろう。エイダ嬢が現れるまでは皇帝陛下は温厚な方だった。慈悲深く、民と国を愛している方だった。今もそうであられる可能性はある。それならば、そうであると信じて進むしかない。


 今朝、遂に発令されてしまった皇帝陛下からの登城命令に従う形にはなったものの、前に進まなければならないといけないと覚悟を決める為には必要な切っ掛けだったのかもしれない。皇太子殿下からの命令ならばまだしも、皇帝陛下からの登城命令に逆らうことは許されない。勿論、皇太子殿下からの手紙を無視し続けた処罰を受ける覚悟はある。それにより命を奪われるようなことはないだろうが、領地縮小は言い渡されるかもしれない。皇太子殿下とエイダ嬢からの手紙の複製は既に皇帝陛下の元へ差し出しており、その結果、手紙は来ていないものとして処分するようにと命じられている為、皇太子殿下が処罰を命じても皇帝陛下が撤回なさる可能性はあるのだが、生きた心地はしないだろう。


「どうしてですか? 急に行かなくてはならない場所でもあるのですか?」


「登城命令が下った。……そんな泣きそうな顔をするなよ」


 言わずに行けば良かったのだろうか。

 口止めをしておけば私の行き先を知らずにいただろう。


 それではいつまでも逃げているのと変わらない。運命の日を先延ばしにしているだけに過ぎない。それならば、正々堂々と勝利を摑むしかない。私が前世の記憶という不可思議な現象を取り戻したのは、アリアを守る為にも、三年後に引き起こされる戦争を未然に防ぐ為にも必要なものだからだろう。


 自分勝手な解釈ではあるが、今はそれで良いと思う。


 皆を守ることはできないだろう。


 それでも、親しい間柄の人たちだけでも守りたい。

 皇族の皆様の御身を守る為にも此処で立ち止まっているわけにはいかない。


「それは、だって、わたくしの責任であるのではないでしょうか? お姉様はわたくしを庇ってくださっただけですのに。それについて尋問されるのではないでしょうか? わたくし、先日からずっと考えておりました。わたくしの果たすべき責任をお姉様が取らされるようなことになってしまったら、わたくし、この命を惜しむような真似は致しませんわ。お姉様がどのように言われても意志を貫き通しますわ」


 目の前で話をしているアリアの手が私の手を摑む。


 なぜだろうか。場所も時間も状況さえも違うというのに、前世でアリアと最後に言葉を交わしたあの場所でのやり取りを連想してしまうのは。


「お願いですわ。お姉様。一つ、約束をしてくださいませ」


 なにも言わずに黙っていれば、アリアは私の手を摑む力を強くする。


 それは、あの日、掴むことを許されなかったものに縋っているかのようにも感じる。どうしてそう思うのかは分からない。もしかしたら前世の記憶を取り戻した影響を受けているのかもしれないが、これは、処刑前日のやり取りの再現のような気がする。状況も話の内容も違うのだからおかしな話だとは分かっている。


 それでも、ようやく、アリアが婚約破棄をされた日から前に進もうとしているかのようだった。


「わたくしはお姉様の異母妹として生きたいのですわ。それなのにお姉様がいなくなってしまっては、わたくし、今度こそ死んでしまいますわ」


 それは、あの日、アリアが生まれ変わることができたら叶えたい夢だと口にしていた言葉によく似ていた。あの時は来世では叶えたいという未練だった。


「ですから、わたくしと一緒に生きてくださいませ、お姉様」


 そのような偶然があるのだろうか。


 まるでこうなるように仕組まれていたかのようである。アリアにも前世の記憶があるのではないだろうか。そう思ってしまうのは仕方がないだろう。覚悟を決めたかのような真っ直ぐな眼をして言う言葉は、私が求めていた答えだったのだから。


「私は、お前のその言葉を聞きたかったんだよ」


「酷い我が儘だとは思いませんの? わたくしもお姉様もいずれは結婚をする身ですわ。結婚をした後もわたくしはお姉様の元に遊びに来ますわよ? ずっと、ずっと、お姉様を頼って生きていきますわよ? それでも、……わたくしと一緒に生きてくださいますの?」


「ふふ、あぁ、そうだな。結婚をした後も実家を頼りすぎるのは賢いとは言いにくいが、そうなるのも仕方がないだろう。私もお前が可愛くて気に掛け続けるだろうから、お互い、どうしようもないな」


「……どうしようもないと言いながらも嬉しそうですわ」


「仕方がないだろう。仕事の前に可愛い異母妹の本音を聞くことができたのだ。それで浮かれない異母姉はいないよ」


 私の返事が予想外だったのだろうか。

 アリアは困ったように笑っていた。


「お前は生きていてはいけないのではないかと言ったが、私はそうは思わない」


 あの日もそう言うべきだったのだ。


 二度も見殺しにさせる気かとアリアを惑わせるような言葉は二度と口にしない。


 アリアにも前世の記憶があるかもしれないが、それでも、それ以上は悟らせてはならない。死の体験を思い出させるのは酷な話だ。


 私の手を握っているアリアの腕を引っ張る。

 急な動きに付いていけなかったアリアは私に抱きしめられる形になったことに驚いたのか、なにも言わずに固まってしまった。


「お前がそれで悩むのならば何度でも言うよ。私はお前に生きていてほしい、幸せになるべきだと願う。だから、私の願いを叶える為に生きていてはくれないだろうかと何度でも言うよ」


 簡単に腕の中に収まってしまうアリアを守れるのは、現時点では私だけだ。


 使用人や領民もアリアのことを気に掛けてはくれる。それでも、権力を持たない人間ができることは限られている。それならば、私はアリアを守る為に前に進まなくてはならない。この子を守る為ならば手段は厭わない。その為の覚悟はある。

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