07-2.何が正しい選択か、誰も知らない
それでも、当然のようにエイダ嬢が心優しい人物であるかのように話していたのだ。二人を守る為にアリアを差し出せと言ったのだ。
帰り際もアイザックは手紙に従うように言い残して行った。
返事がなければ何度でも来ると言い残していた。それが私の為になるのだと何度も意味のない説得を繰り返していた。差し出された手紙に従えば、アリアは処刑されるだろう。様々な罪を被せられてしまうだろう。そう思うからこそ、個人的な手紙に従うわけにはいかなかった。
一体、なにを言われたのだろう。
まさか、アリアに出頭をするように促したのではないだろうか。
アイザックならばやりかねない。
私に催促をするよりも素直なアリアを脅した方が確実だと判断していたのかもしれない。
「アイザック様は、わたくしを可愛がってくださった頃とは違っておりましたわ。――言われてしまいましたの。わたくしが公爵家に留まっていることをよく思っていないと、その地位にいるべきではないと、そう言われましたの。わたくし、アイザック様に、嫌われていましたのね。昔から兄のように慕っておりましたのに、なにも、気付けませんでしたわ。ねえ、お姉様、わたくしはだめな子ですわね。ローレンス様の気持ちを引き留めることもできなくて、アイザック様からも呆れられてしまって、それを言われなくては分かりませんでしたの」
あぁ、本当にあの男はなんてことをしてくれるのだ。
アリアを追い詰めた相手を守るのが務めだと豪語するだけはある。そこまで常識のない男ではないだろうと思っていたのが甘かった。
そのような非道な一面もあったのか。
アイザックを唯一の親友だと自負していたことが恥ずかしい。
なにも知らないではないか。本当はそういうことをする男だったのか。
次男の為に公爵位を継ぐことはできないとはいえ、それなりの教育は受けていた筈だ。それなのに相手を傷つけない言い回しもできないのか。
いや、傷つけることが目的ならばその言い方が正しいものかもしれない。
……いいや、それは言いがかりだ。
彼は変わっていない。変わってしまったのは私だ。
それでも、アリアが公爵令嬢でいるのも我が家に留まり続けることも、アイザックが口を出すような問題ではない。父や祖父母が口を出してくるのならば仕方がないが、アイザックは部外者なのだ。それなのに当然のようにそれを主張するとは思いもしなかった。
「分かっておりましたの。わたくしは、お姉様の邪魔になりますわ。それでも、わたくしは、それを認めたくはありませんでしたのよ。だめですわね、お姉様のようにはなれませんわ。わたくし、耐えられませんの」
アリアの眼から涙が零れ落ちる。
震える声だった。とても恐ろしい思いをしたのだろう。
それを思い出すだけで泣いてしまうような経験をしたのだろう。
「だからこそ、わたくしは思ってしまったのです。わたくしに生きている価値はあるのでしょうか。ローレンス様に要らないと捨てられ、兄のように慕っていたアイザック様からは公爵家にいるべきではないと言われ、お姉様の恩情に縋り付いて生きているのは、とても、情けないように思いますの」
「そんなことはない。お前は死ぬべきではないのだ。皇太子殿下との一件を忘れろとは言わない。だが、アイザックのバカの言葉を真に受ける必要はない。生きている価値がないというのならば、私が与えよう。アリアが生きていてくれるのならば、それだけで価値があるのだよ」
「ええ、ええ、お姉様はそうおっしゃると思っておりましたわ。――ですからこそ、情けないと思うのですわ。お姉様はローレンス様を守らなくてはなりませんのに、わたくしが生きているからこそ、役目を放棄するしかなかったのでしょう。お姉様。わたくしは生きていてはいけないのではないでしょうか? お姉様が命を捨てるように言ってくだされば、わたくしは、それに従いますわ」
アリアに言わせてしまった。
生きていてはいけないのではないかと、命を捨てるべきではないのかと、他でもない彼女に言わせてしまった。
アリアを抱き締める為に椅子から立ち上がる。それから正面に立っていたアリアを引き寄せて抱き締める。
――彼女は生きている。
その生を疑う言葉を口にしながらも、自ら命を絶つこともなく、生きている。
それならば、私は彼女を救わなくてはならない。
このままでは死んでしまいそうなアリアの手を離さないようにしなくてはならない。
「そのようなことがあるものか! それとも、私にお前のことを見殺しにしろとでも言うのか!? アリアが死ななくてはならない理由などあるはずがない!」
この一か月、考えないようにしてきたことがある。
婚約破棄をされたアリアが殺されないように守ることが正しいのかと何度も思ってしまった。前世ではアリアは死を悔やんでいなかった。死への恐怖よりも皇太子殿下の御身を案じていた。生きる希望を失っていた。
前世でのアリアの命日。
救うことすら許されなかった日。
よりにもよってこの日にアリアの本音を聞くことになったのは偶然だろうか。
「お姉様……」
だからこそ、泣きそうな顔をしているのではないか。
最初から寵愛を受けていなかったとはいえ、皇太子殿下の婚約者という立場を失い、幼馴染みのアイザックからは見放された。それを知ることなく、死ぬことができれば、アリアの頰は涙で濡れなかったのではないか。
「わたくしは死ぬべきなのではないでしょうか。ローレンス様はそれを望まれているのでしょう? アイザック様が教えてくださいましたわ。わたくしを庇っているからこそ、お姉様は苦しまれているのでしょう? もう充分ですわ、お姉様。わたくしはお姉様から嫌われていなかっただけで、それだけ、幸せですわ。どうか、わたくしのことはお忘れくださいませ。お姉様、わたくしのことで心を痛める必要はございませんのよ」
アリアは皇太子殿下を愛していたのだろう。
前世では、愛したまま死んでいったのだろう。
彼女が抱く皇太子殿下への思いは変わらないはずだ。彼女にとっては前世も来世も関係ない。今を懸命に生きているのだから。
それならば、生きる希望を失ったというのに、異母姉の我が儘で死なせてもらえないと思っていないだろうか。死すらも乞うことが許されないのではないかと、彼女を苦しめているのではないだろうか。
婚約破棄をされ、公開処刑という形ではあったものの、命を奪われてしまった方がアリアにとっては幸せだったのではないだろうか。
生き続けるよりも楽になったのではないだろうか。
「違う。お前が生きていてはいけないなんてことはありえない。アリア、私は苦しんではいない。お前が生きていれば、それだけで私は幸せなんだ」
私はアリアを救うつもりだった。
それは私の自己満足だ。
今度こそ幸せに生きて欲しいと心の底から思っている。
それは疑いようもない事実だ。しかし、問われてみれば、アリアよりも私の方が彼女の生に執着している。本人の意思を確認せず、これが正しいのだと決めつけてしまっていた。
「アリア、アリア、ごめん、私が悪かったよ。お前を苦しめているとは思ってもいなかったんだ。あのまま死んでしまうよりもいいと、お前の意思を聞かずに決めつけてしまった異母姉を許してくれ。私はお前に生きて欲しいだけなんだ」
これは本当に正しいことなのだろうか。
救うことができなかったことに対する贖罪のつもりだろうか。
奇跡により与えられた機会は、アリアの為にあるものだと思い込んでいたのではないか。
アリアは一度も生きたいと言葉にしていない。
「ごめんな、これは私の我が儘だよ、アリア。私がお前に生きていてほしいだけなんだ。お前の気持ちを聞かずに、勝手に決めてしまったことは悪いと思ってはいる。だが、これだけは譲ることができないんだ」
彼女が生きていることに縋っていたのは私だ。
これは私の我が儘だ。
涙を流し続けるアリアを抱き締めてようやく理解した。
アイザックが現実を見ていないと言っていたのはこのことだったのかもしれない。私は今も前世に囚われている。それは夢の中を生きているといっても過言ではないだろう。現実を見ていなかったのだ。今を生きているアリアを見ているようで見ていなかった。
「生きてくれ、アリア。私を遺して逝かないでくれ」
今だって生きるべきではないと言っているではないか。
それならば、アリアの願いを叶えるべきなのではないか。
頭では分かっている。これはアリアの願いを叶える行為ではない。
身分剝奪をされても誇り高い公爵令嬢の姿を崩すことはなく、死を受け入れたアリアだ。決して屋敷に閉じ込められるようにして生きて延びることを望まないだろう。そのくらいのことは分かっている。
「お願いだよ、アリア。死を選ぶようなことだけはしないでくれ。私はお前が思っているよりも弱い人間だ。二度もお前を見殺しにすることだけはできないよ」
処刑前日に交わしたアリアとの会話を思い出す。
頭の中では分かっていることを受け入れることができない。
忘れることはできないだろう。
手の届かない所へと旅立っていったアリアの顔は忘れることはできない。
二度と見たくない。
前世を思い出すたびに、アリアを守りたい私の行動は、彼女を傷つけているのではないかと思ってしまうのだ。それを隠すように一か月過ごしていた。
「……ごめんなさい、お姉様。わたくし、お姉様を困らせたいわけではありませんでしたの。少し頭を冷やしてきますわ」
「……あぁ、そうだな。私も情けない姿を見せた。すまないな、アリア」
「いいえ、お姉様は悪くございませんわ」
結局、そのままアリアが泣き止むまで抱き締めたままだった。
情けない姿を見せたかったわけではない。それでもアリアを失ってしまう恐怖には勝つことができない。このままでは弱点となってしまう。克服をしなくてはならないと分かっている。
それでも、なにも言わずに見守っている執事のセバスチャンやメイドのディアの存在を忘れたように泣き続けるアリアを抱き締めているこの時だけは、生きていることを感じさせてくれた。
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