07-1.何が正しい選択か、誰も知らない


 * * *



 月日がたつのはとても早い。


 卒業後は慌ただしかったのもそのように感じる理由だろう。気付けば、四月になっていた。これでは言い訳のように聞こえてしまうだろうが、決して忘れていたわけではない。書類の申請はしていた。返信がいつまでたってもないことを気にしていたものの、結果は変わらないだろうと催促をせずにいた。


「ようやく返事を寄越したか」


 皇国魔法学院の理事長に送った書類の申請は問題なく通った。

 学院の許可が下りなければ自主退学をすることができない理由は、皇国の法律に定められている。有能な魔法使いや魔女の国外流出を防ぐ為や人材の確保をする為といった魔法学院の主張が認められたからこそできた法律ではあるのだが、今回に限っては自主退学の許可が下りたのだ。それには理由がある。


 アリアは、皇太子殿下の婚約者として、学院に通うことを義務付けられたのだ。


 それならば婚約破棄をされた時点でその義務は無効となるだろう。元々、魔力も少ない上に魔法の才能もあまりないのだ。学院にとっての利益はあまりないだろう。莫大な金額の寄付をしているわけでもない。


 だからこそ、自主退学通告書が送られたのだ。


「ディア。アリアに執務室に来るように伝えてくれ」


「畏まりました。すぐにお連れいたします」


「あぁ、頼むよ」


 一か月も屋敷にいるからだろうか。

 最初は庭にいることが多かったが、今では部屋に引き籠もっていることが多い。


 裁縫や刺繍をしているのも籠もっている理由の一つだろうが、なにより、屋敷の外に出ようとしたところをルーシーに捕まり、怒られたのが原因だろう。アリアの安全を確保する為には仕方がないことだったとはいえ、自由を好む彼女にとっては嫌な思い出になってしまったことだろう。


 領内とはいえ、屋敷から出ることは危険だ。


 アリアの命を狙っているエイダ嬢が刺客を放つ可能性も否定できない。屋敷の中に閉じ込めておかなければ不安で仕方がないのだ。


 勿論、それがアリアの為にはならないことは分かっている。


 それでも、今は、アリアを守る為にはこうするしかないのだ。


 アイザックの異常な様子を見てしまったからか、前世で私がしてきたことを思い出してしまったからなのか。


 私は私のことを信用することができない。

 昨夜はアイザックが異常な言動をしたと思ったものの、冷静になって考えてみれば、おかしいのは私なのだろう。これは世界に取り残されたような疎外感だ。それを抱いている間は大丈夫だろうが、基本的には少数の使用人しか信用ができない。


 領民の多くは、前世の私やアイザックのような普通ではないことを口にはしないものの、それだって、本心ではない可能性が高い。中にはアリアの命を狙おうとしている者だっているかもしれない。考えれば考えるほどに屋敷の中に閉じ込めてしまいたくなる。外は危険なのだ。正常ではない、普通ではないことを引き起こす現象が確認されている限りは、目の届く範囲にいて貰わなくては困る。


 これは私の我が儘だと分かっている。

 それでも、二度と失いたくないのだ。


 私だって前世のようにアリアを見捨てるような言動を取らないとは限らない。エイダ嬢はアリアを殺した仇だと心では思っていても、身体は違う動きをしていたことを覚えている。思ってもいないことを言葉にしていた。再び、そうなってしまうのではないかという恐怖がなくならない。


「……私は、殺したくはないのだ」


 前世ではアリアを見殺しにした。


 助け出すつもりだった。

 それでも、結局、助けることができなかった。


 身分剝奪をしなければアリアの命は救われたのかもしれないと何度も悔やんだ。あの日の後悔を繰り返して見る夢では何度も何度もアリアに手を伸ばそうとして、夢が醒めるのだ。その絶望は私を臆病にするのには充分すぎるものだった。


 やり直しをしている今も夢ではないのか。


 助けられると希望を抱けば眼が覚めて、絶望の日々に戻るのではないか。眠りにつく前はその恐怖を抱いて眠りにつく。以前のように睡眠時間が減ってきているのはそのような思いを抱き続けているからだろう。


「イザベラ様。アリアお嬢様をお連れ致しました」


「……入れ」


「失礼致します」


 扉が開けられるとアリアが駆け寄って来る。


 何が嬉しいのか擦り寄って来る姿は子犬のようで愛らしいものだった。その姿を見ると私の選択は間違っていなかったと思うことができる。この可愛い異母妹が死ななくてはならない未来が正しいわけがない。


 私のしようとしていることは、間違ってはいない。


 それを確信することができるアリアの笑顔は私の背中を押してくれるように感じた。アリアに見られてはいけないローレンス様とエイダ嬢からの手紙を引き出しの中に片づける。以前届いた手紙と同じようにしなくてはならない。それがローレンス様の為にもなることなのだから。


「お姉様! なにかございましたの? もしかして、お父様とお母様からお手紙が届いたのですか? わたくし、そうだったら嬉しいですわ!」


「残念ながらそういうわけではない。だが、これはお前のものだ」


「え? ……これ、退学通告書ですわよね。自主退学の意思を尊重するって、書かれておりますわ」


 信じられないものを見ているかのような顔をしているアリアが、なにを思っているのかは分からない。だが、婚約破棄をされた以上は学院に留まることができないことは理解していただろう。魔法の才能に恵まれていないアリアが婚約者という盾がないまま、進級できる可能性は限りなく低いものだったから。


 才能がない彼女が魔法学院に通うのは残酷な話である。


 だから、その前に私が手続きをしておいたのだ。先々代当主を務めていた祖父からアリアの自主退学の手続きをするようにと助言を頂いたからこそ実行できたものではあるが、これに関してはアリアの気持ちを尊重できるものではない。


「わたくし、学院に通うことができないのですわね。そう、ですわよね。分かっていましたわ。わたくし、お姉様と違って魔法の才能がありませんもの。進級する価値がないと判断されてしまっても、仕方がないのですわよね……」


 駆け寄って来た笑顔は消えてしまった。


 沈んだ表情ではあったが、納得しているようにも見える。父と義母の甘すぎる教育の影響があったのか、幼い頃から我が儘し放題だったが、多少の常識は身に付けていたのだろう。それとも納得したような顔を演技しているだけだろうか。


「学院を卒業しなくても生きていれば幸せになることはできる。公爵邸にいれば命の危機を避けることができるんだ。だから、悲しむ必要はないよ、アリア。卒業証書が欲しければ、落ち着いた頃にでも私営の魔法学校に入ればいい」


「そういうわけではありませんわ、お姉様。くだらないことだと笑われるかもしれませんが、わたくし、いつの日か、お姉様のお仕事を手伝いたいと思っておりましたの。こうして可愛がっていただけている間にでも恩を返してしまいたいと思っていたのですわ」


「仕事を手伝う必要はないよ。領主としても、公爵としても、お前に任せられるような仕事はなにもないのだから、それは必要のない気遣いだ」


「ええ、お姉様はそうおっしゃると思っておりましたわ」


 アリアの眼は真剣なものだった。

 相変わらず沈んだ表情をしているものの、その眼には迷いがない。


「お姉様。わたくし、一つ、お聞きしたいことがありますの」


「なんだ。遠慮せずに言うといい」


「ありがとうございます。先日、訪問されたアイザック様とお会いしましたの」


 アリアの言葉に息を呑む。思わず机の上に置いていた紅茶を零しそうになってしまった。情けなくも動揺する私に触れることもなく、アリアは世間話をするかのような口調で話し続ける。


「お姉様が仕事で屋敷を離れている時のことですわ。少しだけお話をさせていただきましたの」


 アイザックと話をした? しかも、あの日に?


 アイザックは手紙の内容を聞いたのにもかかわらずエイダ嬢を守るべき人だと口にしたのだ。皇太子殿下を守るべきだと主張するのはアイザックが正しいことは分かっている。

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