第二話 転生というものがあるのならば
01.これは夢だろうか
* * *
暖かい太陽の温もりを感じる。
馬車の揺れにより身体を揺らされながらも、それが心地よくて眠りを誘う。穏やかな日々を再現したかのような夢見心地は至福の時であり、このまま時が止まってしまえばいいとすら思う。
背中を貫く様々な属性で生み出された魔法の刃の痛みはない。鼻を貫くような悪臭も吐き気を催す死体の臭いもない。息をしているだけで精神を蝕まれていくかのような気分に陥ることもなく、ただ、暖かい太陽の温もりを感じることができるのは幸せなことなのだと知らなかった。魔法により温度調節がされているのにもかかわらず、窓から降り注ぐ太陽の温もりを嫌っていたあの頃では知ることはできなかった。
死んでから知るとは不思議なこともあるものだ。
心地よい馬車の揺れが収まる。
それと同時に先ほどよりも強い日差しが顔に当たる。眩しいとすら思ってしまうのはなぜだろうか。――これでは、まるで生きているようである。
「……誰かと思えば、ディアじゃないか」
「はい。ディアでございます。イザベラお嬢様、お帰りなさいませ。お足元にお気を付けくださいませ。御持参なさったお荷物はミーヤがお運びいたします」
眼を開けてみれば、見慣れたメイドのディアの顔がある。
支給したばかりであろう新しいメイド服に身を包み、この時を待っていたといわんばかりの笑顔である。あの日のような涙を堪えながらも、忠実に命令を守ろうとしていた無理矢理の笑顔ではない。嬉しくて仕方がないというかのように輝いてみる笑顔は、とても懐かしいものだった。
「帰って来たのか、私は」
私は死んだはずだ。
これは一体どういうことだろう。走馬燈と呼ばれるものでも見ているのだろうか。……それならば、一目でもいい。アリアに会いたい。
「はい。お嬢様。旦那様と奥様がお待ちでございます。明日は卒業式を控えているのでしょう? 言われた通り、必要な書類はロイ執事長が揃えてございます」
差し出されたディアの手を取り、馬車を降りる。
それにしても、今、ディアは卒業式と言ったか? 言ったよな。――走馬燈とはいえ、ここまで都合よく記憶に忠実なものであろうか。否、そもそも、あの時はディアとこのようなやり取りをした覚えはない。
それならば、これは夢だろうか。
いいや、あの時、私は致命傷を受けた。エイダ嬢を庇って命を落とした。
一体、これはどういうことなのだろうか。
まるで過去に戻ったかのようである。
「父上と義母上はどこにいる?」
「大広間にてお待ちでございます」
「そうか。ルーシー、ロイに書類を持って大広間に来るように伝えてくれ」
「畏まりました」
夢でも過去でも構わない。
あの日に戻れるのならばやることは一つだけだ。
ディアの後ろをついて歩いているルーシーに伝令を頼めば、直ぐに向かって行った。それにしても、ロイか。執事長には我が儘を言ってばかりだった。最後の別れまで無理を言い、強引に押し通そうとする私の背を守っていてくれたのはロイであった。二度と会うことはないと覚悟を決めていた。それなのにもかかわらず、こうしてまた会うとは分からないものである。
夢だとしても、もう少し、このままでいたい。
過去の筋書き通りに進んでいくのならば、変えてしまいたい過去がある。もしも、これが夢ではなく、神様に与えられた奇跡ならば、私は二度と同じ過ちを犯さない。今度こそアリアを守るのだ。今度こそアリアを幸せにするのだ。もしも、それを叶える機会が与えられたのならば、私はどのようなことでもしてみせる。
過去を変えることができるのだろうか。
それを父と義母とのやり取りで確かめることができるだろう。小さな可能性であっても構わない。これが走馬燈ではなく、人生のやり直しとして過去に戻ったのならば、それができるはずだ。
「旦那様、奥様。イザベラお嬢様のご到着でございます」
ディアの声掛けに対して小さな返事が聞こえる。
それを合図にしたかのように大広間の扉が開けられる。中には覚悟を決めたかのような表情をしている父と、私のことが憎くて仕方がないといわんばかりの視線を向けてくる義母がいる。こればかりは以前と何も変わらないようだ。
「お前のしようとしていることは、私たちへの侮辱と理解しているだろうな?」
二度目であっても父の言葉には心苦しい。
公爵代理人の座を譲りたくはない父の眼は鋭い。親子の縁を切る覚悟でも決めたのだろう。勝ち目がないと分かっていながらも、父は公爵代理人として振る舞うことを決めたのだろう。二度目だからこそ分かる。
一度目では、立場を失う父の願いを可能な限り聞き入れていた。
それは、父の覚悟を踏みにじることになっていたのだと、今ならば分かる。
私は父の覚悟を踏みにじってはならない。
その為には恨まれても公爵として振る舞わなければならないのだ。
「父上。それは貴方たちの都合でしょう。スプリングフィールド公爵家の先代当主は、亡き母、ローズ・スプリングフィールドです。父上は公爵位を継ぐ私が成人を迎えるまでの代理でしかありません」
「それはそうであるが、だが、父親の爵位を強奪するような真似が許されるとでも言うのか!!」
「ええ、許されるでしょうね。皇国の法律では、正統な後継者が成人を迎えた場合、代理人は速やかにその地位を返上しなくてはならないと定められています」
二度目の対談だからだろうか。
激昂する父上を冷静な眼で見ることができる。思えば、前回は父上の怒鳴り声に委縮し、向こうの提示した条件を幾つか呑んでしまった。それは後々の領地経営に影響することになる。今回は同じことを繰り返さないようにしなくては。
「必要な書類は全てロイに用意させています。ロイ、書類をこちらへ」
「はい。……旦那様、此方の書類は全てお嬢様のご慈悲でございます」
机の上に差し出される書類は三つ。
一つ目は、代理で務めていた公爵位を返上し、公爵位を私へと引き渡すことを誓う宣誓書。二つ目は、領地経営から手を引くことを誓う宣誓書。三つ目は、この後の生活を私が保障することを示した宣誓書の複製を受け取ったことを示す書類。その下には私が保障する事柄を事細かく書いた文書が付けられている。あらかじめロイに用意しておくように伝えたものである。
特に公爵位を返上する宣誓書は、皇帝陛下へ提出しなくてはならない重要な書類である。その為、不正がないようにロイを含めた使用人が十名ほどこの場にいる。不正があれば直ぐに取り押さえることができるように手配済みである。
「このような金銭でこれからを過ごせと言うのですか!? イザベラ! わたくしたちには皇妃殿下となるアリアがおりますのよ! それなのにこのような真似が許されると思っているのですか!?」
父が確認し始めた今後を保障する書類を盗み見ていたのだろう。
事細かく書いた文章を見て顔を真っ赤にした義母は大声をあげた。この品のない声も何かあればアリアを盾にしようとする話し方も、なにもかも嫌いだった。元は商家の生まれだという義母は、婿養子であった父に取り入って公爵家の後妻になったのだ。
公爵家そのものは母のものだというのに好き勝手な振る舞いをした父の言動は眼に余るものだった。それを許されていたのは、私がまだ公爵位を継ぐことができない年齢であったのと、先々代である祖父たちが国外に居たことが原因だ。
その上、母が父に対して寛大すぎる態度でいたことも悪い。
父と母の間に何があったのかわからない。
それでも、寛大すぎる態度で居続けた母には母なりの考えがあったのだろう。
「何か不満でも?」
「ええ、大いにありますわ! 宝石も新しいドレスも買うことができなければ、アリアが可哀想でしょう! あの子はあなたと違って皇妃殿下になるのですわよ! 未来の皇妃殿下に対してそのような態度は許されませんわよ!」
「義母上、貴女は商家の生まれなのでしょう? それならば、書類を読んでから話を進めてほしいものです。スプリングフィールド公爵家の家名を名乗ることが許されないのは義母上だけです。アリアはこれからもスプリングフィールド公爵家の一員として過ごしてもらいます。彼女は貴女とは違うのですよ」
父と一緒にいたいのならば、後妻ではなく愛人としていればいい。
スプリングフィールド公爵代理人としての役目を果たした父は、公爵家の一員でいたいと願う限りはそれを叶えるようにと、先代である母の遺言として残されていた。だからこそ、父はそれを名乗ることが許されている。
しかし、義母は違う。
商家の生まれである義母が公爵家を名乗るなどあってはいけないのだ。
「それが可愛がってやった義母への仕打ちか!! イザベラ!!」
冷静さを失わなければ分かることだった。
怒りに身を任せているかのように声を荒らげる父の眼は厳しい。しかし、それは私を非難するものではない。公爵として生き抜けるのかを見抜く為の演技だ。父を押し退けられないようでは公爵として生き抜くことはできない。それを見抜かせる為に父は声を荒らげていたのだろう。一度目では見抜くことができなかった。
それは私に公爵であり続ける覚悟が足りなかったからだ。
「父上、勘違いをなさっているのではないですか? 私はどうでもいい他人にまで慈悲を与えることはしません。それならば使用人たちや領民に慈悲を与えるべきでしょう。私腹を肥やすことにしか興味のない義母上にはそれを与える必要はありません」
「そんな話をしているのではない!! お前には人としての情がないと言うのか!! ミーシャが苦しんでも良いとでも言うのか!?」
「ええ、義母上が苦しんでもなにも思いませんよ。私は領民の命を守らなくてはなりません。その為には切り捨てるべきものは切り捨てます。義母上は公爵家には必要ない存在です。だから切り捨てます。それが悪いと言うのですか? 義母上を養いたいと言うのならば、父上がやり繰りをすればいい話でしょう。父上が今後の生活をするのには充分すぎるほどの資金を毎月支給するのですから」
歴史上では、“金食い虫は見つけ次第に処分しろ。”なんて宣言をして大々的に粛清をした皇帝もいたことを思い出す。現皇帝陛下は金銭感覚の甘い人ではあるが、必要か不要かはしっかりと判断される方である。これからの皇国を導く皇太子殿下もその感覚は引き継がれていることを願っている。
そうではなくては、皇国の未来に影が差すことになる。
二度と無謀な戦いに身を投じてはいけない。
それを回避できないのならば、身内と使用人と領民を守る術を身に付けておく必要がある。その為には軍事費を蓄えておかなくてはいけないのだ。義母を養う余裕はない。
全ては守るべき人々の為だ。
犠牲になるべきではない人々の生活を守らなくてはならない。
「無駄話はこれで終わりにしましょう。父上は書面に名を書けばいいのです」
話し合いするつもりはないと察したのだろう。
父上は忌々しいと言いたげな表情で書類に名を書いていく。それを全て受け取り、間違いないかを確認した上でロイに手渡しをする。
「確かに受け取りましたよ、父上。あぁ、そうだ。荷物を纏めて早々に別邸に移動をしてくださいね。今後、私の許可もなく本邸に足を踏み入れることは許しませんのでお忘れ物がないようにしてくださいよ」
これで用事は終わったと言わんばかりに背を向ける。
すると、前回と同様に背中に殺気を感じる。こんなことまで同じなのは、これが夢だからなのか。それとも、前回よりも交渉が上手く行ったからなのかは分からない。
「我、アーロン・スプリングフィールドが命じる。風の聖霊よ、我に力を貸し給え。彼の者を討ち取れ。【風の刃(ウィンド・ブレイド)】」
「【氷の盾(アイス・シールド)】。――父上。私を殺そうとするのならば自爆くらいはしていただかなくては。そうでなければ、弾かれた魔法により父上は死ぬことになりますよ」
初級魔法も満足に使えないのにもかかわらず、よく殺せると思ったものだ。【氷の盾】に【風の刃】は衝突し、消える。どちらも初級魔法であるのだが込めている魔力量の違いだろう。一部は撥ね返り、父の喉元に衝突する前に光の粒となり消える。振り返って、父と義母に笑ってみせる。
義母は情けなく震えている。
それに対して父の様子はなにも変わらない。
「これが戦場ならば貴方たちは死んでいましたよ」
今度こそ、大広間を出る。
二度目の攻撃を仕掛けて来なかったのは怯えたからではないだろう。連続して魔法を発動させることができないのだ。
父は公爵代理人の座を返上して正解だったのだろう。
この先の未来が変わらなければ皇国は勝ち目のない戦争に身を投じることになる。
もしも、公爵代理人の座を返上していなければ父は命を落としていたことだろう。スプリングフィールド公爵領の一部も戦禍に巻き込まれていた。最前線にいた私には何もすることができず、屋敷に残していたロイからの手紙で知ったのだ。
国境近くにあるクリーマ町が戦禍に巻き込まれたことにより、そこに住まう領民たちが命を落とすことになった。
その責任を問われて命を落としていただろう。
親しい間柄ではなかったとはいえ、血のつながった親なのには変わりはない。
今回は、命を落とす可能性を限りなく低くすることができるだろう。
たとえ、どんな目に遭っても生きていて欲しいと願う相手はアリアだけではないのだ。
「……よかったのですか? お嬢様」
「あぁ、父親殺しの汚名を被るのは嫌なものでな」
「それは、なんともお嬢様らしい理由でございます」
「ふふ、そうだろう。アリアの婚約に関わる全ての書類の複製を頼みたい。明日までに学院に届けて欲しいのだが、できるか?」
「畏まりました。本日中にお届けいたしましょう」
手渡しした書類の複製が終わったのだろう。
ロイの複製技術にはいつも感心する。本物は、当主と当主が許可した者以外には手を出すことができない特殊な金庫で保存されている。先々代より引き続きその許可を受けているのは執事長であるロイだけである。
それから、明日に控えた卒業式の際に必要となる書類を頼み、再び馬車に乗り込む。休む間もなく学院と屋敷を往復する生活も明日で終わりである。
これが夢ではなく、現実だというのならば、二度と同じことを繰り返さない。
アリアを守るのだ。
私の可愛い異母妹を死なせたりはしない。
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