02.二度目の過ちは繰り返されない
「アリア・スプリングフィールド公爵令嬢、私、ローレンス・ルイス・オーデンは貴女との婚約を破棄する! そして新たに彼女、“聖女”エイダとの婚約をここに表明する!!」
なにも変わらないまま、始まってしまった。
この日を迎えてしまった。
皇国魔法学院の卒業記念祝宴の穏やかな空気が変わるのを感じる。ローレンス皇太子殿下の従者により強引に皇太子殿下の後ろに並ぶように連れて来られた時点で同じだとは思っていたのだ。なにもかも同じだ。
皇太子殿下はなにがあってもエイダ嬢と結婚したいらしい。
一緒にいたいのならばアリアを正妃に迎えた後、側妃としてエイダ嬢を迎える方法もあるというのにそれは思いつかなかったのだろうか。寵愛を与えられる側妃の話はどの国でもある。別にそれ自体は珍しいことではないというのに。
それから不思議なことがある。
エイダ嬢を応援しようと思う気持ちは私の中から消えていた。
最初から存在しなかったかのように消えてしまっている。
それに対して不気味だとすら感じてしまうのは仕方がないだろう。
今は、アリアの幸せを壊してくれた彼女への報復をどのようにしようかと考えるだけである。
二度目だからなのだろうか。
エイダ嬢が周囲の人間にかけていると思われる魅了の魔法の効果が薄いのかもしれない。皇太子殿下の後ろに連れて来た従者は申し訳なさそうな顔をしていることにも気付けるし、隣にいるアイザックやマーヴィンがアリアを殺気に満ちた顔で見ていることにも気付けた。
アイザックはアリアの幼馴染みでもあっただろう。
マーヴィンは接点すらなかっただろう。
それなのに、なぜ、アリアを憎むのだ。
この時点では正式な婚約者はアリアだというのに。
「ど、どうしてですの? ローレンス様!」
「どうして、だって? お前という奴はエイダになにをしたのか分かっていないと言うのか! 数々の嫌がらせを覚えていないとは言わせないぞ!」
「いいえ、誤解ですわ。ローレンス様、全て、誤解なのですわ。わたくしは、その女が、卑しくもわたくしの婚約者であるローレンス様に媚を売るような真似をするから、だから、それは卑しく最低な行いなのだと教えただけですの!」
「言い訳をしても無駄だ。お前の罪状は分かり切っていることだ! 今も皇太子である私の婚約者を騙り、次期皇后となるエイダを貶めようとしているではないか!」
前回と何も変わらないやり取りが繰り広げられている。
なぜ、私は皇太子殿下の立場を庇おうとしたのだろう。冷静に考えなくても分かるではないか。皇太子殿下の言い分は子どもの我が儘のようなものだ。法律にも触れていなければ、皇族侮辱罪にも触れていない。このようなことが通じてしまうのならば、皇国から国民は消えてなくなるだろう。
それにもかかわらず、皇太子殿下の今後の治世に悪影響を残す危険性があると本気で考えていたのだ。二度目となれば、私が庇うことにより、皇太子殿下はこのような一方的な断罪が許されると勘違いしてしまい、今後も同じようなことを繰り返す危険性が増すだけだと分かる。
女公爵として皇太子殿下の過ちを諫めなくてはならないのにもかかわらず、過去の私はそれを理解していなかった。
庇うだけでは皇太子殿下の為にならないというのに。
「この女を皇族侮辱罪で捕らえろ!」
皇族侮辱罪で捕あえられた令嬢がいると世間で知られてしまえば、スプリングフィールド公爵家の名は堕ちたといわれるだろう。しかし、アリアを床に叩き付けて捕らえようとする従者を前にして、なぜ、私は黙って見ていられたのだろうか。
三大公爵家の力関係が崩れる?
崩れるようなことをしたのは皇太子殿下だ。
庇わなければならない理由はない。
気付けば、私を止めようとするアイザックの制止を振り切り、前に出ていた。
皇太子殿下の表情もエイダ嬢の表情も知らない。見る気もない。
「汚い手でアリアに触るな」
恐らく、私がここで前に出るとは思わなかったのだろう。今にもアリアを床に叩き付けようとした皇太子殿下の従者の動きが止まった隙に、アリアに触れようとする従者の腕を掴み、撥ね除ける。
それぞれの驚いた表情がよく見える。驚くだろう。
前回――、前世と呼ぶべきだろうか。その時には私は動くことができなかった。心の中では妥協策を考えながらもアリアを見捨てたのだ。同じ道は二度と辿らない。
「お姉様……?」
「心配をする必要はない、アリア。お前はなにも罪を犯していないのだから」
皇太子殿下の婚約者としてアリアが選ばれたのは事実である。選ばれる為の手段は卑劣なものではあったものの、結果は結果だ。皇帝陛下が選んだのはアリアだったのだ。なにより、婚約破棄の書類が公爵家に届いていない限り、アリアは皇太子殿下の婚約者なのだ。
「恐れ多くも申し上げます。ローレンス皇太子殿下、我が異母妹、アリア・スプリングフィールド公爵令嬢と皇太子殿下の間に結ばれている婚約は、皇帝陛下が我が公爵家に命じられたものでございます。それを破棄すると仰せならば、正式な書面にていただきたく存じます」
騎士として最敬礼の姿勢を取りつつも、女公爵として物申す。
それは皇帝陛下から頂いた誓約書の複製を持ってきているからこそ言える言葉だ。証拠を出せといわれたらすぐに出せる。その為にディアに複製を持たせているのだから。
「皇太子殿下。エイダ嬢と共にある方法は幾らでもございます。その為にアリアが不要だと仰せならば、スプリングフィールド公爵家は、婚約破棄を受け入れましょう。今一度、お考えなってはいただけませんでしょうか」
欲を言えば、もう一度、皇太子殿下には考えてほしい。
将来の皇后陛下として名を連ねるのにはアリアは勉強不足だ。皇国を守る為の魔法を行使することもできなければ、自分自身を護ることもできないだろう。魔法学院の入学も公爵家の権力と皇太子殿下の婚約者というだけで入学を許されたのである。今後は学院に通い続けることは難しいだろう。
それでも、アリアの気持ちを思えば考え直してほしいと願うのはいけないことだろうか。処刑される直前まで皇太子殿下を慕い続け、その御身を心配していたのだ。少しくらい報われてもいいのではないか。
「うるさい! 私に命令をするなっ! 私に逆らうならイザベラの近衛騎士の話はなかったことにする!! 衛兵! イザベラ・スプリングフィールドとアリア・スプリングフィールドを摘まみ出せ!!」
これが私の敬愛する皇太子殿下のお言葉だろうか。
昔から親しくしている友人に対しては子どものような言動をとることがあったとはいえ、公の場においては理想を体現したといっても過言ではない立派なお人柄であったはずだ。少なくとも公の場で婚約破棄を言い放つような非常識な人ではなかったし、感情的になって言葉を荒らげるような人ではなかった。
なぜ、皇太子殿下は別人のように変わってしまっていることに、気付かなかったのだろう。
「ローレンス様、私、怖いわ。アリア様のせいでイザベラが別人のようになってしまったわ! 私、そんなつもりじゃなかったのに……っ」
「あぁ、ごめんな、エイダ。声を上げたから驚いたのだろう、泣かないでくれ。大丈夫だ、イザベラも頭を冷やせばわかる」
「そう、かしら。ううん、そうよね。イザベラはアリア様の味方をするしかなかっただけだわ。優しいイザベラにはアリア様を見捨てられないのね!」
エイダ嬢のその言葉にはなにも言えなかった。
先ほどまで気が狂ったかのような声を上げていたとは思えない皇太子殿下の変わり身の早さにも、それを懐柔するエイダ嬢の自分勝手な言い分にも呆れて言葉がでない。皇太子殿下の命令を受けて私とアリアをこの場から摘まみ出そうとする衛兵の手を弾き、私の後ろで隠れているアリアに視線を向ける。
アリアの眼からは大粒の涙が流れ落ちていた。
あぁ、どうして私はあのような仕打ちができたのだろう。
アリアは、子どものように泣くことしかできないか弱い存在だというのに。それでも、愛した人の為に必死になって強がるような健気な子だというのに。
なぜ、私は見捨てることができたのだろう。
アリアの手を取ることができるのも、この場から助け出せるのも、私しかいなかったのに。
「泣く必要はない、アリア。私が、――アリアのお姉様がここにいるだろう。なにも恐れることはない。お前が罪を犯していないことは、この私が保障しよう。だから泣くな、アリア」
今にも崩れ落ちそうなアリアに手を差し出す。
これは助けを乞う子を拒んだ手ではない。
助けを乞うことすらもできなかった泣き虫の異母妹へ、私から差し出したのだ。
今度こそ失わない為に、今度こそ共に生きる為に。
「一緒に屋敷に帰ろう」
「おねえ、さま……っ」
「ふふ、なんだ。情けない顔をするのではないよ。ほら、これで涙を拭くといい。……いい子だ、もう歩けるか?」
「おねー、さまぁっ、わっ、わたくし、どうして……っ!」
「大丈夫だ、アリア。話は落ち着いてからゆっくりと聞こう」
アリアは私の手を摑んだ。
緊張が解けたのか大泣きをするアリアにハンカチを渡し、頭を撫でる。それから抱き着いて来るアリアを宥めながら、少し落ち着いたところで歩き出した。右腕に抱き着いているアリアは俯いたままだったが、それでも、しっかりと歩いている。歩いているのだ。それだけであの頃とは違う。
はたして、これが夢であるのか、現実であるのか、分からない。
もしかしたら、現実だと思っていた今までの出来事が夢なのかもしれない。
神様が与えてくれた奇跡なのかもしれない。
それでも、私は生きている。
アリアも生きている。
それならば、与えられた奇跡はやり直しの機会なのだと受け止めるべきだろう。
生き返ったというよりは、二度も同じ人生を歩んでいるというべきかもしれない。
いいや、都合の良い夢だろうが、やり直しだろうが、なんでもいい。
アリアが生きているのならばそれでいいではないか。
私の可愛い異母妹。二度と失うものか。
お前が幸せになれない世界など必要はない。
私よりも先にお前が死んでしまう世界は必要ない。
アリアが笑って生きていけるのならば、私は何でもしてしまうだろう。泣きながら腕にしがみ付いて来るアリアの可愛い姿を心に刻みながらも、未来を変えることができる確かな手ごたえを感じていた。
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