03-2.何故、お前は私を「姉様」と慕えるのだ

 あの子の目に映る景色を知りたい私へ語る姿は、あの頃と同じだった。


 楽しかったこと、面白かったこと、悲しかったこと、辛かったこと、感じた物事の全てを共有するかのように語るあの子の話が好きだった。私の知らない世界を知っているあの子の話が楽しみだった。いつの日か、二人で色々な世界を見て回ろうと叶うことのない約束を交わしたことを思い出す。


「わたくし、お父様にもお母様にも愛されてはいなかったのですわ。だって、婚約破棄をされた後、お父様もお母様も一度も会いに来てくださいませんでした。庇ってもくださいませんでした。わたくし、本当に要らない子でしたのね」


 なぜ、今、思い出したのだろう。

 何年も忘れていた。きっと彼女も覚えてはいないだろう。


「だからこそ、公開処刑なんか怖くはありませんのよ。だって、わたくしを愛してくれる人のいない世界なんて生きていても辛いだけですもの」


「そんなことはない。父上も義母上もお前のことを大切にしていた」


「ふふっ、お姉様は昔から変わりませんわね。わたくしね、本当はお姉様とはずっと仲良くしていたかったのですよ。本当は、――お母様ではなくて、お姉様の手を取れば良かったのですね。ごめんなさい、お姉様。それこそ、後悔しても遅いですわよね。お姉様は、もう、わたくしのことなど嫌っておいでなのですから」


 幼い頃を思い出す。

 閉ざされた世界にいることはつまらないのだと私の手を引っ張るあの子は、幸せそうに笑っていたというのに。


 それを引き裂いた父も義母もあの子が求めているこの時には知らないふりをするのだ。


 これが公開処刑を明日に控えた元令嬢の言葉だろうか。


 泣いてばかりだったあの子の姿だろうか。

 そんなの許して良いのだろうか。


 ――許す? 違う、許して良いはずがない。

 なにも悪いことをしていないではないか。


 それなのに処刑されるなどというのはおかしい話である。娯楽小説ではないのだ。あの子は今を生きている。


 それならば、なぜ、助けてやれない。


 なぜ、この身体は動かない。

 なぜ、生きてほしいと、一緒に生きようと、その言葉が言えない。


 声にならない。その言葉を声に出せないのだ。


「それがお前の最後の言葉でいいのか」


 もしも、この場から連れ出してほしいと願えばそれを叶えるだろう。


 皇族侮辱罪を撤回させる力はない。公開処刑を回避する為に奮闘したものの、結局変えることができたのは処刑後の恥を晒すことを回避することだけだった。スプリングフィールド公爵家のなにを使ってもそれ以上は変えられない。


 それならば、公爵の地位を廃してでも連れ出すべきではないのか。


 くだらない逃亡劇だと後ろ指を指されても、騎士団を追っ手に放たれても逃げることはできるだろう。母譲りの魔力があれば、魔王でもない限りは逃げられるだろう。いっそのこと、趣味と慈善活動を兼ねて冒険者になるのもいいかもしれない。幼い頃、約束をした世界を旅するのもいいかもしれない。


「そうですわね。では、一つだけ、お姉様にお願いがございます。これが本当に最後のお願いですわ」


「あぁ、なんだ。何でも言え」


「寛大な心をお持ちのお姉様に感謝をいたしますわ。――わたくしの死後、いえ、来世というものがあるのならば、もう一度、貴女様をお姉様と慕うことをお許しくださいませ。生まれ変わりがあるのだとすれば、今度こそ、わたくしはお姉様の異母妹として生きたいのですわ。大好きなお姉様と一緒に過ごせたあの頃に戻れるのならば、わたくしは、それ以上のことは望みませんわ」


「……なんだ、それは。理解のできない夢物語だ。夢物語を口にするくらいならば、死にたくないと情けなく乞えばいいだろう」


「いいえ、それだけは言いませんわ。だって、わたくしがそれを望めばお姉様は行動に移してしまうでしょう? そうすれば、ローレンス様を守って下さる騎士のような女公爵様がいなくなってしまいますもの。お姉様よりも強い魔女も騎士もわたくしは知りませんのよ。ですから、お姉様はローレンス様をお守りくださいませ。それがわたくしの最後のお願いでございます」


 愛した人の命令により公開処刑になると分かっているのだろうか。当然のように、彼女は自分の命よりも皇太子殿下の御身を守る存在であり続けろと言う。


 それは笑えない冗談を聞いている気分になる。


 どこまで愚かな異母妹なのだろう。

 愚かなまでに真っ直ぐな異母妹なのだろう。


「は、なんだ、それは。嗚呼、全くもって笑えないぞ、アリア」


 呪いながら死ぬというのならばまだ笑えた。

 それなのに、この異母妹は最後の最後まで皇太子殿下の御身を守りたいと願っていた。


 それを告げたところで皇太子殿下の心は揺るがないと気付いているのにかかわらず、それでも、愛を貫くというのか。見返りのない愛を貫くというのか。


「死しても尚、愛を貫くとでもいうのか。見返りのないものだと理解していながらもそれを願うのか」


 それは想像することもできないものだった。


 母の死後、すぐに再婚をした父も、義母も、その子であるアリアも一緒だと思っていた。愛など口では言っても眼には見えない。もしも、父と義母の間に愛があるのならば母があまりにも可哀想ではないか。母は死に際まで父の名を呼んでいたというのに。それならば、愛は非情なまでに移り行く信用性のないものだと思ってしまう方が楽だった。


 アリアもそうなのだと思っていた。


 私を異母姉として慕うよりも血のつながりのある義母を選んだ時も、会話をしなくなった時も、学院での時も。興味も関心も全てが他へと移ったのだと、それならば私もそうすればいいとアリアを他人のように扱った。


 それなのに、なぜ、後悔をしているのだろう。


 私はお前のことを疎んでいた。

 それでも嫌いになることができなかったのに。


「そこまでしてお前が愛を貫く相手でもないだろう。あの方はお前を捨てたのだ。それなのに彼を異母姉である私に守れと言うのか? ……はは、良いだろう。異母妹の命を奪う男を守れと、お前はそれを望むのならばそれを叶えてやろう。私は噓を好まない。約束を破ることも好まない。お前が最後にそれを望むのならば叶えるまでだ。それでいいのだろう?」


 アリアから目を逸らす。

 冷たかった鉄格子は私の体温を奪った代わりに少しだけ温かくなっていた。


「約束は必ず果たそう。――それから、お前の夢物語が叶うのを心の底から願っているよ」


 鉄格子から手を離し、アリアに背を向ける。


 それが、アリアと言葉を交わす最後だと分かっていながらも、私は逃げるように地下牢を去ったのだった。

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