03-1.何故、お前は私を「姉様」と慕えるのだ

 結局、私のしたことは意味がなかった。

 あの子を追いつめるだけだった。


 世間では公爵家からも見放された哀れな悪役令嬢として噂されているあの子は、王宮の地下牢に閉じ込められていた。そして、私は皇太子殿下から嬉々として聞かされた公開処刑の日程を、あの子に告げるように言い渡されたのだ。皇太子殿下としては私に憂さ晴らしをさせてやろうという好意のつもりのようだったが。


 何度でも言おう。

 私は身分剝奪をしたあの子を匿うつもりだった。


 それが言い訳だと非難されても何度でも言おう。

 私はあの子の命を奪うつもりはなかったのだと。


 釈放された際には、監視の目が届く屋敷の離れに住まわせ、世間の関心が他に移った頃にでも隠れ家を与えて市民の暮らしに慣れさせてもいい。嫌だというのならば別邸での生活を続けさせてもいい。どちらにしても私が養うのだから問題はない。それが問題になれば修道院に預けることになるだろうが、どちらしても、死ぬまでには世間の関心は薄れていることだろう。その頃に手元に戻せばいい。


 婚約者が奪われたと嘆くのであれば、皇太子殿下よりも優れた人を探してやるのもいい。


 国内では難しいだろうが、レイハイム帝国やフリージア王国を探せば皇太子殿下よりも優れた人もいるだろう。


 あの子が幸せになれるのならば、そのくらいはするつもりでいた。


 その為に屋敷に別邸を作らせていた最中だったのに。

 なぜ、このようなことになったのだろう。


「……アリア」


 地下牢の中で暴力を振るわれることもあっただろう。


 公開処刑という結果が変わらないのならば、身分剥奪をしなければよかった。そうすれば少なくとも目立つ場所への暴力は避けられただろう。手足には痛々しい鎖が巻き付けられている。元より細かった身体は痩せ細り、処刑を待つまでもなく死んでしまいそうだった。


 この場から連れて帰ってしまってもいいかもしれない。

 女公爵という立場を捨て、連れて逃げてしまいたい。


「眼は開けなくていい。そのまま聞いてくれ」


 私は、お前の青い眼が好きだった。


 半分しか血のつながりを持たないと分かっていながらも、本当は両親が同じなのではないかと、都合のいい夢を抱くことができるその眼が好きだった。その眼に映し出されたのだろう様々な光景の話を聞くのは嫌いではなかったし、感情表現が豊かなその顔を見るのも好きだった。


 だから、その眼を見て話すことはできない。


 監視役として傍に居る騎士たちも悟ったのだろう。緊急時には駆けつけられる距離を保ちつつ、私たちだけにしてくれたのは同情だろうか。それとも彼女には抵抗をする力も気力も残されていないということだろうか。


「お前の処罰が決定した。明日、公開処刑にされるそうだ。処刑方法は、聞かない方がいいだろう」


 目の前にある鉄格子を摑む。


 冷たく痛い感覚がする。この中で閉じ込められているあの子を救い出すことも許されない硬い感触が忌々しい。


「お前の命を助けることはできない。私は、お前に死を告げにきたのだ」


 彼らには異母妹に死を告げる気持ちがわからないだろう。

 煩わしいと思うことはあっても、彼女は私の異母妹なのだ。家族なのだ。


「アリア。お前を殺すことになった私を恨んでくれ」


「……どうしてですか、お姉様」


「すまない、私の力では刑罰を変えることはできず――」


「違いますわ。どうしてお姉様が謝るのですか?」


 アリアと眼が合う。眼を開けなくていいと言ったのに、あの子はやはり私の言うことだけは聞かない。幼い頃から変わっていない真っ直ぐな眼だ。私が好ましいと思っていた青色の眼は曇っていない。


 死刑を宣告されたというのにその眼は濁らないのだろうか。


 絶望の中で気が狂ってしまっても仕方がないだろう。

 それなのにアリアの眼には濁りはない。


「わたくしを要らないと言ったのはローレンス様ですわ。お姉様ではありませんもの。それに、お姉様はわたくしを助け出そうとしてくださっていたのでしょう。先ほどまでいた騎士様たちが教えて下さったのよ。不思議でしょう。わたくし、あの騎士様たちが噓を吐いたとは思えませんの。ねえ、お姉様。お父様もお母様もわたくしを捨てて行ってしまわれたのに、お姉様だけがわたくしを助け出そうとしてくださっていたのでしょう? おかしな話ですわ。お姉様、お姉様はわたくしのことを嫌いになられたとばかり思っていましたのに。こうして、わたくしに会いに来てくださったのは、お姉様だけでしたわ」


 騎士とのやり取りを話すアリアは、公開処刑を告げられたとは思えない。


 むしろ、学院では何度も目にしていた恥を晒すだけの無様な姿こそが偽りであったのではないか。いや、世間の目がそれを悪と評しても、婚約者がエイダ嬢に現を抜かしている状況を見て見ぬふりをすることなどできるはずがない。


「それも、きっと、あの女が仕組んだことなのですわね。そういうことにしてしまいましょう。全ての責任は身分を弁えない常識知らずのあの女が悪いのですわ。ねえ、お姉様も、そうしてしまいましょうよ」


「死を宣告されたというのに、お前は変わらないのか」


「ええ、死を受け入れても変わることはありませんわ。わたくしはわたくしです。他の誰でもございませんから」


「本当にそれでいいのか。足搔く必要もないと言うのか」


「ええ、構いませんのよ。ローレンス様に愛されないのならば、この世界に未練はございません。ですから、お姉様、わたくしのことはお気になさらないでください。わたくしのことを嫌いなままでいてくださいませ」


 アリアは皇太子殿下を愛していたのだ。


 それなのに、皇太子殿下の寵愛が他人の元に向けられていると知れば、黙っていられるはずもなかっただろう。だからこそ、学院では黙認されている公爵令嬢としての権利を振りかざしたのだ。婚約者だった皇太子殿下を取り戻したい一心だったのだろう。


 それを理解していながらも、私はあの子ではなく皇太子殿下を守ることを選んでしまった。それが最善だと心の底から思っていたのだ。


 ……嗚呼、なんということだろう。

 考えてみれば仕方がないことだったのだ。


 娯楽小説に譬えられて悪役令嬢などと非難を浴びることになったのは、あの子の立場が公爵令嬢だったからだろう。考えてみればあの子が泣くのも怒るのも、エイダ嬢を非難するのも当然のことなのだ。


 先日までは確かに皇太子殿下の婚約者だったのはアリアだ。それを掠め取ろうとする市民階級生まれの少女を非難してなにが悪い。市民は貴族の下であり、市民は貴族の為に働くもの。理不尽だと非難する声を上げる者は不敬罪で殺してしまえと笑う皇族がいるのだから、彼らに忠誠を誓う貴族がそれをしてなにが悪い。


 彼女は、きっと、そう考えたのだろう。


 そして、それは当然の権利なのだ。

 あぁ、私は、なんて愚かなのだろう。


 彼女に非はないのだ。彼女は公爵令嬢として当然のことを言っていたのだから。


「ふふ、納得のいかないと言いたげな眼をしていますわね」


 それはそうだ。


 私はアリアのことを嫌いではない。疎ましく思ったことはあっても、嫌いになったことは一度もない。彼女が私を嫌っていると思っていたのだ。


「それでしたら、一つだけ、未練がございますの」


「未練? なんだ。正直に言え」


「ええ、ありがとうございます。お姉様。これだけは言っておかなければ死に損ねてしまいそうですわ。そうなってしまえば、お姉様は困ってしまうでしょう? わたくしが生きていては困るのはお姉様ですものね」


 恨み言だろうか。どんな言葉でもいい。


 それが彼女の最後の願いならば、叶えてやりたい。


「ふふ、わたくし、ローレンス様の事が大好きでしたの。愛していましたわ。ローレンス様の婚約者でいられた間は幸せでしたわ。お父様もお母様もローレンス様の婚約者のわたくしを愛してくださったでしょう? だから、わたくし、勘違いをしてしまいましたの。ローレンス様に縋り付いてしまって、お姉様に身分剝奪をされて、それで牢屋に閉じ込められてようやく分かりましたの。……ふふっ、なにもかも遅いですわよね」


 連れて逃げてしまおうかと考えている私の考えなどお見通しだと言わんばかりに、あの子は笑って語り始めた。それは恨み言でもなく、幼い頃、何度も父と義母の眼を盗んで繰り返してきたやり取りだった。

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