02.助けを乞う子を拒んだ日の話

 レイハイム帝国との戦争は死に場所を求めに行くようなものだ。

 皆、それを理解していながらも皇帝陛下の命令には従うことしかできず、その期待に応えることが己の生きた証しだと言わんばかりに戦地に足を運ぶことになる。


 もっとも賢明であり権力のある伯爵階級以上の貴族は、様々な理由を付けて戦地へ足を運ぶことを拒む者もいるだろう。伯爵階級以上のもので戦地に向かうのは、騎士団に所属をしているか、政治を担っているかどちらかだろう。


 そうでなければ自殺志望者だ。


 私は後者に分類されるだろう。


 断る理由を並べることが許された身分でありながらも、自ら、亡き異母妹により被った汚名をそそぐ為と志願したのだ。


 私によって身分を剥奪されたのも同然の父は嘆き、義母は異母妹が処刑された一件以降、心が壊れてしまったかのようになにも言わなくなった。スプリングフィールド公爵領にて気楽な領地暮らしをしていた祖父母も、私の参戦の知らせを聞き、慌てて王都にまで馬車を飛ばしてくるほどなのだ。


 それほどに父も祖父母も、勝ち目のない戦争だと理解していた。

 だからこそ、彼らが到着する前に屋敷を出発したかったのだ。


 結局、執事長のロイには様々な無理難題を押し付けてしまった。ロイには好んでいなかったあの子の墓守を託し、その上、私の帰還時には溢れんばかりの季節外れのアマリリスの花を頼んだのだ。せめてこの身が朽ち果てる前には戻りたいと願いを託し、あの子の好きな花で囲まれて灰になることを望んだのである。


 それを聞き届けた執事長には、私の死後、私有財産の一部を譲り渡すようにと遺書を渡してある。あの忠実な人はそれだけは受け取りたくはないと拒否したが、強引にその手に握らせた私はなんて最低な主人だったのだろう。


 それでも何かを贈りたくて仕方がないのだから、死に逝く私に免じて許してほしい。


 馬車に揺られながら、王宮を目指す。


 その心地の良い揺れが原因だろうか。それとも睡眠時間をまともに取っていなかったからだろうか。私は窓の外を見ていたのを止めて、眼を閉じた。


 眼を閉じればいつも同じ夢の中に戻る。


 時間が戻るわけではないと知っている。

 知りながらも、夢の中だけでもいいから過去を変えてしまいたいと願う弱い心が夢を見せるのだろう。



***



 その夢は、過去を忠実に再現する。

 まるで忘れることは許さないと私を縛りつけるかのようだった。


 

 ――あの日は、賑やかな思い出がつまっている皇国魔法学院の卒業記念祝宴が執り行われていた。魔法学院の卒業生は当然ながら、魔法学院の教授たち、卒業生の両親、そして伯爵階級以上で皇国魔法学院に在籍している貴族令嬢や令息たちが出席することが許された大規模な祝宴だ。今年度、魔法学院の卒業生であり公爵令嬢である私、イザベラ・スプリングフィールドは参加し、親しくしている友人たちとの別れを惜しんでいた。


 学びの場が終われば、その後は友人たちとは身分の差が生じてしまう。


 そうすれば以前のように親しげに茶会をしたり、下らない話で笑い合ったりすることは許されないだろう。いつだって身分の差は存在しているのだから。それを理解していない人は誰もいないからこそ、この場は友人たちと笑い合う最後の機会だったのだ。


「アリア・スプリングフィールド公爵令嬢、私、ローレンス・ルイス・オーデンは貴女との婚約を破棄する! そして新たに彼女、“聖女”エイダとの婚約をここに表明する!!」


 その時間を壊したのは、他でもない敬愛すべきオーデン皇国第一皇子、ローレンス・ルイス・オーデン皇太子殿下だった。皇太子殿下の口から出された名の中には見知ったあの子の名が含まれていた。それに気付かないほどに浮かれていることもできず、友との別れをする時間も与えられないまま、皇太子殿下の従者の手によって注目の的である中央へと連れて行かれる。


 中央には皇太子殿下とその腕に纏わりつく希代の聖女ことエイダ嬢。そして、二人を支持するかのように立つ見知った公爵令息が二人と、皇太子殿下の騎士が一人、そしてその中へと私も連れて行かれる。


 皇太子殿下に対して不審そうな眼を向けて見れば、隣に居た幼馴染みのアイザック・ウェイドに背中を叩かれた。今後、引き起こされることへの言い訳をするのならば、私はこの場においてもなにも知らなかったのだ。


「ど、どうしてですの? ローレンス様!」


 会場中に響き渡りそうな甲高い声が聞こえる。

 声の主は、今にも泣きだしそうな顔をしたあの子だった。


 私同様、あの子も知らなかったのだろう。いや、知っていたのならばこの場に足を運ばないような臆病な子である。学院では散々な失態を犯し、まるで娯楽小説に出てくる悪役令嬢のようだと比喩されたこともあった。


 それを隠れて泣いている子だった。

 あの子は他人を苛めて喜ぶような子ではない。


 娯楽小説の悪役令嬢のように我が儘な気質であることは否定できないものの、それは公爵令嬢として当然の主張をしているととっても問題はないものだった。生徒間の問題は生徒同士で解決することが求められている学院において、立場や与えられた身分を理解しない者への制裁も牽制も公爵家の者がするのが暗黙の了解となっている。立場を弁えない行いをした同級生に対して私がしていた行為と同じようなものである。


 本当は問いかけるのも勇気を振り絞ったのだろう。


 この場に来ているものの、なにも役に立ちはしない父と義母の前で恥をかくわけにはいかないと、必死になっているのだろう。既にあの子が恐れている権力を父が振るうこともできないことを、あの子は知らないのだ。私が父から公爵位を奪い取ったのは昨日であり、この祝宴が終わった後にでも教えようと思っていたのが災いしたのだろう。


 あの子は見ているのが恥ずかしいと思うくらいに皇太子殿下に必死に縋り付いていた。


 何故、あの子が恥ずかしい思いをしなくてはならないのだ。

 何故、あの子はみっともない姿を晒すのだ。


 言いたいことはたくさんある。この場の雰囲気を搔き乱して問いかけたいことは山のようにある。それなのになぜだろう。身体が動かない。


「どうして、だって? お前という奴はエイダになにをしたのか分かっていないと言うのか! 数々の嫌がらせを覚えていないとは言わせないぞ!」


「いいえ、誤解ですわ。ローレンス様、全て、誤解なのですわ。わたくしは、その女が、卑しくもわたくしの婚約者であるローレンス様に媚を売るような真似をするから、だから、それは卑しく最低な行いなのだと教えただけですの!」


「言い訳をしても無駄だ。お前の罪状は分かり切っていることだ! 今も皇太子である私の婚約者を騙り、次期皇妃となるエイダを貶めようとしているではないか!」


 皇太子殿下は聞く耳を持たない様子だった。


 話の流れを聞く限りではあったが、大体の流れは読めた。それこそ、娯楽小説の悪役令嬢のような展開である。実に分かりやすいものだ。正式に皇太子殿下の婚約者であったあの子を捨て、“聖女”エイダ嬢を選んだのだ。本来の手続きも踏まずにそのような暴挙ができるのは、皇后陛下の子が殿下だけだからだろう。


 だからといって三大公爵家の一角であるスプリングフィールド公爵家の令嬢を一方的に婚約破棄するというのは、おかしな話である。そのような真似は通じない。そのようなことが許されるほどの権力は皇太子殿下にはない。


 しかし、金縛りにあったかのように身体は動かない。

 身体の自由を奪う魔法でもかけられたのだろうか。


「この女を皇族侮辱罪で捕らえろ!」


 皇太子殿下の言葉を待っていたとばかりに、皇太子殿下付きの従者たちはあの子を捕らえる。床に叩き付けられるようにして捕らえられた姿は、とても、公爵家の令嬢として扱っているものとは思えない。


 このまま行けば、皇太子殿下の立場は危うくなってしまうだろう。


 あの子のしてきた行為は、学院では黙認されている行為に該当する。それなのにもかかわらず、一方的な断罪をしたとあっては今後の皇太子殿下の治世に悪影響を残すことになる。


 それこそ、一方的な断罪は後々に暴君の始まりと言われる可能性もある。三大公爵家の関係性が崩れてしまう可能性もある。皇族侮辱罪で捕縛された令嬢がいるというだけでスプリングフィールド公爵家の名は堕ちたと好き勝手なことを言われるだろう。


 なによりもこのままではあの子の命が危ない。


 公爵令嬢でありながらも皇族侮辱罪を犯したとなれば、よくても無期懲役、可能性がもっとも高いのは極刑である公開処刑だろう。……嗚呼、それならば、皇太子殿下の立場を守りつつも、あの子の命を救う術は一つしかない。


「お姉様! お姉様からも言って下さいませ! わたくし、アリア・スプリングフィールドはローレンス様の正式な婚約者であることをお姉様が証明してくださいませ!」


 今にも泣きそうな顔をして、必死に手を伸ばす。


 なんて無様な姿なのだろう。かつて婚約者を取られたと泣いていた自分自身の姿と重なって見えるのは、なんて滑稽なことだろう。あれは彼女の意図ではなく、父の意図であったと知るまでは彼女を恨んだものだ。


 従者たちから潰されるように床に押さえつけられながらも、必死に私に手を伸ばしている。今までの態度を反省したことはあるだろうか。


 義母の都合の良い人形となったあの子は嫌いだった。

 あの子の義母と同じ黒髪が憎いと思った、父譲りの私と同じ青色の眼は少しだけ好きだった。


 泣いている姿が嫌いだった。

 笑っている姿を私の前で見せることは許されなかった。


 義母の言いつけを守るあの子が大嫌いだった。


 あの子は、亡き母を貶めたあの女の子どもだ。

 あの子は、亡き母を裏切ったあの男の子どもだ。


 それならば、少しくらいは痛い目に遭うべきだ。そうすれば、命だけは救われるのだから、これは結果としてあの子の為になる。そうだろう。


「それならば、この場をお借りして告げなくてはなりません。アリア・スプリングフィールドはこの場を持ってその身分を剝奪します。後ほど、正式な書類を皇帝陛下に提出させていただくとしましょう」


 公爵令嬢の身分がなくなれば、公開処刑はされないだろう。元より公開処刑される重罪を犯していないのだ。それならば、身分剥奪により市民階級に叩き落とされたというだけで世間は同情することだろう。それであの子が死なずにすむのならば、それでいいではないか。世間が静まった頃、父と義母の元にでも送り届け、静かに暮らしていてもいいだろう。それでも世間の目が厳しいのならば、私が匿い続ければいい。


 これは、あの子を守る為になるのだ。


「貴女はこの場をもってスプリングフィールド公爵令嬢ではなく、ただのアリアだ。市民階級の者として皇族へ敬意を忘れずに生きるといい。……それで構いませんか、皇太子殿下」


「嗚呼、そうだな。良いだろう。この女を地下牢へ連れて行け」


 相変わらず、皇太子殿下の腕に纏わりついているエイダ嬢の頭を撫でながら、皇太子殿下は従者に告げた。身分剝奪は想定外だったのだろうか、あの子は涙を流しながら従者に連れられて行った。その後は何事もなかったかのように祝宴が再開されたのだった。

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