2020年、海竜の夏

緑茶

2020年、海竜の夏

 大海竜は、4年に1度、わたし達の街に襲ってくる。

 それは全高50メートルほどにもなる、巨大な、とてつもなく長いいきものの群れで、全体的な姿としては、タツノオトシゴをトゲトゲにして、トカゲっぽい装飾を加えた感じに近いけれど、海から津波と一緒にやってくるからか、その濃い青の全身に、うぞうぞした泡のようなうろこを何枚も体表に並べて、常に泥のように流動しているという特徴を備えている。


 だから、そいつが来たときは、すぐに分かる。遠吠えにサイレンを合成したような轟音をひびかせながら、そいつらは、群れをなして、わたし達の住む海辺の街に覆いかぶさるように襲ってくる。

 標高の低いところにある建物は根こそぎ洗い流され、抵抗をするものは怒りに満ちたその身体の衝突で粉々に打ち砕かれて、結局は、沿岸部一帯をぐちゃぐちゃにさらったうえで、夜明けとともに、まるで、それで満足した、とでも言いたげに去っていく。


 わたしの父は、大海竜の研究をしていた。でも、8年前のやつらの襲撃で、死んだ。母はそのショックが元で、去年死んだ。

 2020年の夏。今年は、またやつらが攻めてくる年になる。


 その習慣を続けるようになったのは運動部のおかげか、それともわたしの忸怩たる思いがそうさせるのか。それは分からないけど、きょうは日曜。

 わたしは一緒に住んでいるおばあちゃんからお弁当を受け取ると、自転車を駆使して坂を駆け上がっていく。

 いい天気だった。いたるところで、セミの声が聞こえ始める。木漏れ日が覆いかぶさり、そのはざまからまぶしい日差しが差し込んでくる。じっとりと汗ばむ背中を風で乾かしながら自転車を走らせていく。坂のまわりの建物はみんな低くてボロボロ。それが、坂を登っていくごとに、強く、きれいになっていく。


 この街の構造。遠くを見ると、まだ完成まで至っていない防波シェルターの欠片が沿岸に見える。いつもあそこから、急ピッチで作り上げられるのだ。それから、坂道が終わると、今度はすり鉢を逆さにしたみたいな段々畑の構造に街が変化する。それを駆け上っていく。骨が折れるけど、やらなければならない。

 わたしは汗だくになって息が上がりながらも、のぼりきる。展望台に到着する。段々畑はそこから上も続いているけど、わたし達『一般市民』が入れるのはそこまで。そこから上は、富裕層と、この街の中心になっている人達しか住んでいない。わたしは『立入禁止』の文字に中指を立てた後、展望台から外側に目をこらす。街が、一望できる。


 ――この街は、大海竜の襲撃があるたび、えぐれたところを守るようにして、堤防を継ぎ足していって出来ていった。はじめは低かったが、どんどん高くなり、慣れていった。そしてこの段々畑。慣れたのは、それだけじゃない。

 やがて人々は。街は、大海竜そのものに慣れるようになった。


 双眼鏡を出して、眼下に広がる街を見ると、そのあちこちに、アジテーションにまみれた看板が立てられている。『2020年夏、大海竜襲撃』『市民みんなで防衛しよう』などなど。はじめは確かに脅威だった。わたし達には未だにそうだ。

 だけど、一部の、いや、大部分の人達にとっては、恐怖の感情そのものも含めて、4年に一度のイベントごとになり。避難も物資の不足も、それに不平を言うことすら、一連の流れに過ぎなくなって。父が死んでからは、大海竜の研究も進まなくなって。

 今では、あの怪物は――この街の一部だった。


 わたしにはそれが、ガマンならない。

 わたしは『海笛』を取り出して、遠くで何も知らずにキラキラ光っている海に向かって呼びかける。それは風の音のようで、耳を傾けないとよく聞こえない。

 

 だけどそれは、父が作ったものだった。『大海竜には意思がある』というのが彼の持論だった。この笛は、その意思に呼びかけるものだ、と。わたしは父の遺志を継ぐため、彼の遺したものを無駄にしないため、それを使っている。どこかでは、無駄なことだと思う気持ちがあった。

 でも、それ以上にわたしには使命感があったし、同時に、街に対するうらみがあった。それは、大海竜を、一過性の悪い夢のように考える人達に対する憎しみだった。彼らのことを考える時、いっそのこと、こんな街など奴らに呑まれて壊れてしまえ、と思い――そんな時、わたしは使命感との間で激しく揺れ動く。だからわたしは、それを振り切るために、さらに海笛を吹く――。


 すると。

 ざわざわ。

 揺れているのは、木立ではなかった。


 わたしは周囲を見る。散歩に来ていた他の人達も、異変に気づいた。

 音は、海の向こうからだった。わたしは双眼鏡で目を凝らした。すると、水平線がざわめいて、その向こうから何かが轟き、こちらに近づいてくるのが分かった。


 サイレンも間に合わない。バカな、早すぎる――そんな声が至るところで聞こえる。それはそうだ。今年の大海竜は、あと一ヶ月以上先のはずだった。

 周囲の人達は慌てふためきながら逃げ惑う。海鳴りはどんどん大きくなってくる。みんなが周りから居なくなっていく。だけどわたしはその場から動けない。金縛りにあったように。


 やがて――しばらくして。おそすぎるサイレンが鳴った頃に。水平線の向こうから、大海竜が現れた。


 怒濤を引き連れながら、こちらに向けて青い身体をくねらせる。しかし、おかしかった。そいつは『一匹だけ』だった。いつもならもっとたくさん居るはずなのに。それが意味することも分からぬまま、大海竜は――わたしの居る展望台に向けて、その大きな口をあけて、覆いかぶさった――。


 わたしは気絶しているらしかった。目を開けると、わたしの身体に、誰かがのしかかっていた。それは、小さな女の子だった。体中にうろこの装飾をした、まるでおもちゃで出来たお姫さまだった。


 まんまるの、驚いた目で、彼女はこちらを見た。そしてこう言った。「我々を呼んでいたのはお前か」と。

 それで私は、彼女が、大海竜が姿を変えたものであるということを知ったのだった。


 にわかに信じがたい話だったが、彼女の振る舞い全てが、納得させるに足りた。話をするため馴染みの店に連れて行って、しょうゆパスタをおごると、彼女は手づかみでそれを平らげながら、一方的に話をした。


 曰く、我々はずっとこちらに語りかけてくる声を聞いていた、と。海笛のことだと分かった。しかし誰もそれに取り合わなかった。だけど、自分たちの間にも、人間の街を襲うことに辟易している連中は大勢居た、と。

 だから、その思いを伝えるために、自分は一人、なかば亡命にも近いかたちで、ここに来たのだ、と。

 はからずも、その事実は、父が言っていた理論が正しいことを証明したかたちになったわけだが、あまりのことに、わたしは頭が追いつかなかった。


 だけど、わたしの中で、複数の思いが、同時に動き出したのを感じた。それは、もしかしたらわたし達は分かりあえるかもしれない、という希望と、今更虫が良すぎる、という憤りと……それ以上に、もしかしたら、父の思いが無駄にならずに済む、という期待が膨れ上がった。


 わたしは食事を強引に打ち切ると、もっと食べたいとごねる彼女を、家に連れ帰った。おばあちゃんは、風変わりな友人程度にしか思わなかったのだろう、無視をした。

 わたしは、少女を、父の居た研究室に連れて行った。そこは無事だった。父は、フィールドワークをしている最中に連れて行った。研究室には大量の資料が積まれていたが、わたしが用があるのはたったひとつだった。

 パソコンを立ち上げると、無理やり彼女を画面の前に座らせる。それから音声ソフトを立ち上げて、あるファイルを再生する。

 それは、海笛の音だった。父が録りためていたものだ。自分の研究成果を盗まれぬよう、音声に変換したものらしい。

 彼女に聞かせて翻訳をさせれば、何かが分かるかもしれないと思った。さいしょ怪訝な顔をしていた彼女だったけど、聞こえてくるのが、自分たちの言語であることを悟った後は、じっと聞き入った。


 しばらくして彼女は画面から顔を離して、ガタガタと震えながら、わたしにしがみついた。なんとかして落ち着かせると、わたしは彼女に、内容を聞いた。それは、次のようなものだった。


 父は、研究を続けているうちに、あるおそろしい事実を知った。

 それは、街の政府が、大海竜側と取引をしていたということ。

 理由はなぜかわからないが、政府は、彼らに、わざと街を襲わせていたのだ。


 父はそれに気づいていた。そして、事故ではなく、殺された。

 今では、何も知らない、若い大海竜が、何も知らない人々を襲うという儀式が、4年おきに繰り返されているということだ。

 わたしは混乱し、吐き気がした。それは、少女も一緒だった。


 わたし達は抱き合って、苦しみを分かち合った。

 それから、計画を立てた。少女はわたしとの約束を胸に、ひっそりと、海に帰っていった。

 わたしは、夕闇の中に藍色が侵略する中で、街を見た。そこにはたくさんの看板があった。全てが虚しく感じた。


 2020年夏。セミの鳴く、暑い暑い季節。シェルターは順調に完成しつつある。それは例年であれば、なんとか街を守り、もたらされた被害にフタをして、惨禍が過ぎ去ったことを人々と分かち合うのだろう。


 しかし、わたし以外の、誰もその裏側を知らない。今頃少女が、若い大海竜たちに、全てを伝えているだろう。

 今年も、彼らがやってくる。段々畑の上に住んでいる人たちは、何も痛みを背負うことなく、全てを見下ろすつもりなのだろう。

 だが、全てを知った者たちが、自分たちをもてあそんだ元凶をそのままにしておくなどとは、誰が言えるだろう。むろん、『若くない』連中が、若い連中を抑え込んで、例年通りに済ませる可能性だってある。それだって、十分考えられる。



 だから、2020年の夏は、わたしと少女の約束が、くだらないお定まりを壊すかどうかの、勝負の季節になるだろう。

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