第68話
「……かわいい……」
私が横になっているベッドの脇に置かれたゆりかご。その中を覗き込んだエクトルは、完全に笑み崩れながらそう呟いている。
「それもう五十回は聞きましたよ。……まあ、本当に可愛いですけどね」
「うん。……かわいい」
子供は無事に生まれた。平均より少し小さいようだったが、病の色も見えないし産声もとても元気な女の子だった。……母子ともに無事であろうことは、エクトルの予想線で分かっていたけれど。実際に目にしてようやく安心できた。
(エクトルさんの予想線ではずっと大丈夫そうだったから、他の人の出産よりはまだ心配は少なかったかもしれない)
今日、自分が産気づくというのはエクトルの予想線を見て悟っていた。彼の頭上に伸びる長い半透明の
「生まれましたよ! 女の子です!」
産婆のその声と響き渡る赤子の声に安堵して、全身の力が抜けたのが二時間前のこと。出産自体の時間は産気づいてから一時間程で生まれたので、安産と言えるだろう。それでも激しい痛みに襲われ、体力を削ったのは間違いない。こっそり自分に治癒魔法を使ったくらいである。……魔力の減りによる疲労に襲われたが、そちらの方がマシだった。私のような回復方法が使えない世の中の母親たちを尊敬する。
(……かわいい)
生まれたばかりの赤子はしわくちゃで、とても小さい。生まれた瞬間は火が付いたように泣いていたが、今はすやすやと寝息を立てている。そんな子供と私の顔を交互に見つめるエクトルは、なんだか感情がすごいことになっていた。
「……あの、エクトルさん。大丈夫ですか?」
「うん。なんか……うん。大丈夫だよ。……シルルさん、ありがとう。二人とも無事でよかった」
エクトルは私がすでに治癒魔法を使っていることを知っているが、それでも休んでほしいとベッドに寝かせて世話を焼こうとしてくれた。かいがいしくはちみつ水を作って持ってきたり、何度も赤子の様子を確認しては「かわいい」と呟いている。
「リリィは……シルルさん似かなぁ」
女の子が生まれたら名付けると決めていた「リリィ」という名を口にしながら、エクトルは今にも溶けそうなくらいの笑顔を向けてきた。
生まれたばかりの赤ん坊はとても可愛いけれど、顔立ちがはっきりとわかるようになるにはまだ早い。
「まだよく分からないですよ」
「いや、こんなに可愛いんだからシルルさんに似てるに決まってるよ」
自分の顔立ちの良さを忘れたのではないだろうかという発言である。ただ、生まれたばかりでもリリィの髪の色は明るい金色をしているようなので、それはエクトルに似たのだろうと思った。
産湯に浸かっている時に薄っすら開いた目から見えた瞳の色は赤かったのでそちらは私に似たのだろう。……いや、私に似た部分はそれだけではないが。
「エクトルさん。……この子は魔法使いだと思います」
「……分かるの?」
「はい。自分の中にいた時はよく分かりませんでしたが……今は、はっきりと」
胎内にいた時は妙に存在感があるとは思っていたが、それは実際に重みとして感じているからだと考えていた。しかしどうやらこの子には魔力があり、私は何となくそれを感じ取っていたのだと、生まれてから気づいたのだ。
間違いなく、リリィは治癒の魔法を受け継いでいるだろう。私が治癒魔法を使えるようになったのは五歳の時で、ある程度大人の話も理解できる頃だった。リリィにもその頃になった時にはこの力を隠すように教えなければならない。
「……目の方まで受け継いでいるかは分かりませんが、治癒の魔法は持っているかと」
「ああそっか……そっちは治癒魔法よりも受け継がれる確率が低いんだよね」
「はい。……まあ、そちらも受け継いでいたら私が教えられるので、私よりは苦労しないで済むかもしれませんね」
私の両親は魔法使いでなかったし、予想線を見る能力も当然なかった。どの色がどんな意味を持つのか、その動きの意味は何なのか、経験で知るしかできなかった私は、両親の死を避けさせることができなかった。
私が黒の予想線の意味を知っていたら両親が死ぬことはなかった――そんな後悔を、娘にはさせたくないと思っている。
「……しっかり守ってあげないといけませんね」
「うん。……シルルさんもリリィも、絶対に俺が守ってみせるから」
「はい。エクトルさんもリリィも、私が守ってみせます」
私とエクトルはお互いを守り合うと約束した夫婦だが、そこに新しく守るべき家族が増えたのだ。魔法を受け継いだこの子を守るために、考えることはきっと多い。この先にたくさんの障害があるかもしれない。
それでもエクトルと二人なら、どんな困難でもあきらめずに乗り越えられるような気がする。
「どこの馬の骨とも知れない男には絶対に嫁がせないから」
「……エクトルさん? どこまで想像が飛躍したんですか?」
「信用ができて誠実でまじめに仕事をこなしてリリィを守れる力があって幸せにできるような男じゃないと……」
「落ち着いてください。十五年は先のことですよ」
エクトルは少々想像しすぎるところがあるので、一体何を考えたか知らないがまだ生まれたばかりの娘の嫁入りを心配していて、気が早すぎる。
喜びの色は長いままなのに不安や心配の色が伸び縮みしているのだ。けれど、娘のことを真剣に考えてくれるのはありがたい。
「この子は魔法使いです。……きっと信用できる相手を見つけますよ。私みたいに」
魔法使いは信じられる相手でなければ愛せない。私はそれを、リリィにしっかりと教えるつもりだ。まだ小さな我が娘の将来は、魔法を持たない人間よりは厳しい道のりになるだろう。彼女が迷った時、道を示せるように。共に悩み、考えられるように。私もエクトルも長生きしなければならないと思った。
だというのにエクトルは胸のあたりを押さえて苦し気に眉を寄せている。病の色は見えないが胸が痛いのだろうか。
「……娘もすごくかわいいのに奥さんもすごくかわいくて心臓がしんどい……」
どうやら心配する必要はないらしい。……いや、心臓を使いすぎて早く死んでしまうということはないだろうか。やはり心配になってきた。
深呼吸をして落ち着きを取り戻したエクトルは、ニコニコと笑ってまた娘を見始めた。
「実家にも連絡をしないとね」
「そうですね。……私もジャンさんたちに手紙を書きます」
「うん。落ち着いたら里帰りするでしょう?」
「はい。……孫、と言うのは違うのかもしれないですけど……やっぱり、親代わりになってくれた恩人ですからね。リリィに会ってほしいです」
きっと喜んでくれるだろう。妊娠を報告した時の返信に滲んでいた涙の跡を思い出してくすりと笑った。私を娘のようにかわいがってくれたのだ。リリィのことも孫のように思ってくれるかもしれない。
(……きっと、いろんな人に愛される子になる。その中で……いつか、信じられる特別な相手を見つけられたら……)
私は親になったばかりだが、それでもこの世に生まれてきた娘の幸福を願っている。エクトルとてその気持ちは同じだろう。慈愛に満ちた目をゆりかごへと向けているのだから。
この子の未来に幸あれ。そしてその幸の中に、私たちの姿もありますようにと願った。
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