第64話



 一年で最も星と月が明るく輝く時期の二日間をこの国の人々は星月祭と呼ぶ。それは国民の休日であり、大事な家族や恋人、友人と過ごす日。

 去年はこの直前に私が誘拐されてしまい、てんやわんやとなってしまったが今年は普通の星月祭を過ごせそうだった。


(……でも、私にとっては……久しぶりに、家族と過ごす星月祭ってことになる)


 私は子供の頃に両親を失っている。それからはドバック家が私を家族のように迎え入れてくれたし、私も彼らを家族のように大事に想っていたけれど、本当の家族ではなかった。

 秘密を打ち明け、生涯を共にする家族。それは私が一生得られるはずがないと諦めていた存在だ。だからこそ両耳を彩る家族の証が誇らしくて愛おしい。



「シルルさん、味を見て欲しいんだけど……どうかな」


「……美味しいです。料理が上手ですね、エクトルさん」


「野営もしてたから料理はそれなりにね」



 今晩の汁物料理、シチューを担当していたエクトルから味見用の小皿を差し出された。受け取って口にすれば、肉と野菜の出汁がよく出ていてとても美味しい。

 星月祭である本日は料理人も休みなので自分たちで作っているのだ。しかし材料は城から用意してもらった物なので、どれも最高級の品である。


(星月祭は基本的にすべての人の休日だから……私を攫った商人の邸では使用人たちが働かせられてたけど。あれの方が珍しい)


 星月祭は国民の休日となっている。警備をする護衛騎士達にも休みが与えられており、王族は誰にも知られない場所でひっそりと過ごしているという。

 星月祭に悪さを働くと死後その魂には罰が与えられるとされているので殆どの人間は正しく生活しているけれど、全くいないという訳でもない。だから休みではあるが城の中で家族と共に過ごし、留守を預かる役目を担う者もいる。……義兄夫婦は今年その役目で、城で過ごすのだと聞いた。


(……お義兄にいさんの場合は護衛が休みになるだけでもかなりの休息になりそう)


 この時ばかりはあの奔放な我らが陛下も慣例通りどこかに隠れて家族と時間を過ごしている。突飛な行動に悩まされることがない二日間はドルトンにとっても休暇となるだろう。

 私としても突然目の前に黒髪黒目の国王陛下が現れて無茶な要求をされることがないという点においては安堵感がある。何も気にすることなくサンドイッチ作りに励めるという訳だ。



「……美味しそうだね」


「夜までだめですよ。……でも星月祭にサンドイッチを作っている家はかなり珍しいでしょうね」



 エクトルが私の手元を覗き込んで呟いたので小さく笑いながら味見を禁止しておいた。私が今作っているのは彼の大好物なのだ。少し残念そうにしながらも楽しみの方が大きいようで、半透明の黄色の線が伸びている。



「うん。でも俺にとっては一番のご馳走だから」



 星月祭のご馳走なのだから城からは大盤振る舞いでどんな食材でも用意してくれると言われていた。鶏の丸焼きだろうが、仔牛のステーキだろうが、何でも作ろうと思えば作れたのである。そんな中で私が今作っているのはあらゆる種類のサンドイッチなのだから、他の家とは随分違うだろう。

 ただ、これがエクトルにとっての大好物で一番のご馳走なのだと言われれば作らないという選択肢はなかった。



「ローストビーフを挟むのは豪華だよね、絶対美味しいよ」


「星月祭ですからね。具材は豪華にしなくては」



 むしろパンに挟む具材を作るのに一番時間を使った。具材が豪華なので軽食扱いの料理であってもみすぼらしいことはない。そうして出来上がって並べられた種類豊富で色彩豊かなサンドイッチに、エクトルは喜びの色を見せている。



「夜が待ち遠しいね?」


「ええ、そうですね」



 今夜は外に焚火をし、テーブルと椅子を用意して明るい夜空を見上げながら食事を摂ると決めていた。そちらの準備も万端で、そわそわとした感情を見せるエクトルと共にゆっくりと、どこか焦らされるような心地で日暮れを待つ。

 しかし待ちきれなかったエクトルが夕日が赤くなる前に焚火を起こし始めたので、仕方がない人だと小さく笑った。そんな彼がシチュー入りの鍋を焚火の上に吊るして温め直している間に、私はテーブルの上に今夜の料理を並べる。



「夜というか、まだ日暮れ前ですよ。気が早くないですか?」


「……でもほら、空の色が変わっていくのを見るっていうのも趣があるじゃない?」


「そうですね。……でも待ちきれなかっただけですよね?」


「うん」



 素直な返事にまた笑った。しかし私も彼に吊られて料理を並べてしまったのだから同罪だろう。

 日が沈み夜になればさすがに冷えるので、それぞれマントを羽織って火の傍に設置した椅子に座る。こうしていれば充分に温かい。



「はい、シルルさん。熱いから気を付けてね」


「ありがとうございます」



 隣の椅子に座ったエクトルが湯気の立つ熱い茶の入ったコップを渡してくれたのでありがたく受け取った。後ろのテーブルには手づかみの料理が並んでいて、シチューも大分温まっている様子だ。

 シチューが焦げないように時折かきまぜつつ二人で雑談をしながらお茶を飲んで暖を取っていると、空の色は次第に変わっていった。しかし日が沈み切ってもあたりはそこまで暗くなることはない。星と月が強く輝いて、地面を静かに照らしているからだ。

 星の川が流れる美しい夜空を見上げながら、私は去年の星月祭のことを思い出した。



「……一年前が懐かしいですね」



 一年前の星月祭は、私が商人に攫われてしまったところをエクトルの所属する騎士団が総出で救出に来てくれたのだ。助け出された私はその日の宿に向かうため、エクトルと二人で明るい星空の下を歩いた。あの日の夜のように、今日の空も美しく輝いている。



「……あの日のことは一生忘れないと思う。俺は君が見つかるまで生きた心地がしなくて……もう二度とごめんだよ」


「きっと、もう二度とそんなことは起こらないでしょう。……誰よりも傍に、貴方が居てくれるんですから。貴方の言葉を、誓いを、私は信じています」



 結婚式でエクトルは私を守ると誓ってくれた。その前からずっと、彼はそう言ってくれていたし、実際に守ってくれている。

 一年前の私たちは友人同士で、一週間に一度しか会わなかった。今の私たちは夫婦で、一日のほとんどを共に過ごしている。王城の警備体制の中で私が攫われるような事件は起きないだろうし、いつか年老いて職を辞し、小さな薬屋を切り盛りする未来がやってきても――エクトルが傍に居てくれるなら、安心できる。



「うん。……絶対に俺が君を守るからね」


「はい。信じています」



 間近に見つめ合い、視線が絡む。どちらからともなく唇を重ねて、くすぐったい心地に笑い合った。以前はキスをする前に毎度「してもいいか」と尋ねられていたが、夫婦になってからはこういう触れ合いも自然体で出来るようになったと思う。

 その時、小さくエクトルの方から空腹を訴える腹の音が聞こえてきた。



「……もう食べていいかな」


「いいですよ。もうすっかり夜ですからね」



 さっそく深皿にシチューを注いで口に運ぶ。火傷しそうなほど熱くなっているのでしっかり冷ましてから口に運ぼうと息を吹きかけていたら、隣から「熱っ」という声が聞こえてきた。空腹に耐えかねて熱いまま口に入れたらしい。



「大丈夫ですか? 火傷していたら治しますよ」


「ん、大丈夫。……冷めるまでこっちを食べることにするよ」



 皿をテーブルに置いてサンドイッチを手にしたエクトルは、それを一口齧ると嬉しそうに目を細めた。元から長い喜びの色が伸びたかどうかは首が痛いほど見上げなければ確認できないが、わざわざ確認しなくても喜んでいることは分かる。



「美味しい。毎日食べたいくらいだよ」


「毎日では飽きてしまいますよ。それに普段は城の料理人が考えて、栄養が偏らないように献立を考えていますからね。健康にはそちらの方がいいです」


「それはそうだけど……俺はシルルさんが作ってくれるこの料理が一番好きだからさ」


「では……来年も、再来年も。私たちの星月祭は、これを作りましょう」



 これから何度でも星月祭は訪れる。そしてこの先、必ず私達は一緒にその日を迎えるだろう。いつか、二人ではなくて三人や四人になることもあるかもしれないが――私達が共に在ることだけは確かだ。



「そうだね。……来年も、再来年も、その次も。楽しみだなぁ」


「まだ今日は終わってませんけどね。色々作ったんですから、他のも食べてください」


「うん。……次はどれを食べようかな」



 明るい星空の下で家族と過ごす特別な日。私はこの世で最も愛しい家族の横顔を見て、そんな相手を得ることが出来た幸福を静かに噛みしめた。



「あ、流れ星」


「……私は見逃してしまいましたね、エクトルさんを見ていたので」


「ぐっ……不意打ち……ッ」



 顔を覆うエクトルから視線を上へと向ける。見上げた夜空に星は流れていなかったが、代わりに私にしか見えない恋の色が伸びていて――きっと、来年もその先も、この光景は変わらないのだろう。


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