第63話
まさか国王が司会を務める結婚式を挙げることになるとは思わなかった。我が国の新王は大変行動力がおありになられるとはいえ、彼の述べる口上で式を挙げるのは私達くらいのものであろう。
「では、誓いを。花婿よ、誓花にそなたの想いを込めて花嫁へ」
カイオスの声に従ってエクトルは胸に挿していた瞳の色によく似た花を手に取り、その花弁に唇を寄せた。この誓花に向かって相手に誓う言葉を語り、そして贈り合うことで婚姻が成立するのだ。
「俺は君を一生守ると約束する。この先どんな危機が訪れようと、必ず払ってみせるから……どうか、俺の想いを受け取ってほしい」
「はい」
差し出された誓花を受け取って、私もその花弁に口付ける。これで相手の誓いを受け入れたことになるのだが、エクトルは本当に心底嬉しそうに笑っていた。
拒絶されるとは思っていなくてもやはり緊張していたらしいというのは、表情の変化から読み取れた。一部の予想線が突き抜けていてその動きが見えなくても、彼の表情であればその内面を窺うこともできる。
「誓いを受け取った花嫁よ、誓花にそなたの想いを込めて花婿へ」
耳の上に飾られた誓花を取り、代わりにエクトルから受け取った花を挿す。今度は私が彼に誓う番だ。
エクトルに誓う言葉はずっと考えていた。私も貴方を守りますとか、貴方を愛し続けますとか、何度も伝えてきた言葉ばかり思い浮かんでずっとまとまらなかったのだが、彼の誓いを受けて伝えたい一言が心に浮かんだ。
いつもかならず約束を守ってくれたエクトルを信じると決めた日のことを、思い出したから。
「私はこれからもずっと、いつまでも貴方を信じます。どのようなことがあっても、貴方だけは信じています。……私の想いを受け取ってくれますか」
魔法使いは信じる相手でなければ愛することができない。かつて私は、彼にそう語って告白をした。私にとって信じることは愛することと同義である。
これはその告白を聞いたエクトルにしか伝わらない。私たちだけの愛の言葉とも言えるもの。軽く目を見開いて、ほんの少し驚きの色を見せた彼も私の言葉の意味に気づいたのだろう。
「……うん、勿論受け取るよ」
私の手から白い誓花を受け取ったエクトルがそっと花弁に口付ける。おそらく、側面から見ればとても絵になる光景だろう。ただ彼は今、いつも両手で顔を覆う代わりに花で顔を隠し、私に見えないようにしている。
本来ならすぐに胸元に挿すはずなのだがしばらくそのまま動かなかった。隣から忍び笑いが聞こえてくるのは、親友の心境を察しているからだろうか。さすが長年の親友はよく分かっている。
「新郎、感極まるのは分かるがそろそろ誓花を身につけよ」
「……そうだね」
カイオスに促されてエクトルはようやく花を胸に飾る。そうすると白い誓花と赤い植物の刺繍が並び、なおさら私らしい色合いになった。……イリーナはここまで考えてデザインしたのだろう。少し恥ずかしい。
「ここに新たなる夫婦が誕生したことを宣言する。証人は祝福を。さあ、新たなる夫婦は己たちの道を行くがよい」
祝福の拍手は四人分。この場に居る全ての人が祝福してくれているなら充分だ。少女のようにはしゃいでいるイリーナと、穏やかに微笑んでいるブランドン。いつも通りの楽しそうな顔にいつもより優しさをにじませるカイオスと、うっすら涙を浮かべているドルトン。その四人に見送られながら私達は儀式の間を後にした。
……これで、私たちは正式な夫婦となったのだ。見上げた先にあった夫の顔は幸福でとろけそうに笑っていて、私もただひたすら温かい幸せに満たされていた。
―――――――――
結婚式が終わると夫婦は家に帰り二人の時間を過ごすのがしきたりである。何故かと言えばそれは、夫婦である
結婚式の衣装も脱ぎ、普段着に着替えて家に戻った私とエクトルはさっそくそれをやることにした。
「心配しなくても大丈夫ですよ、エクトルさん。私を信じてください。絶対に痛くありません」
「うん。……でもやっぱり少し、緊張するね」
「……あんなにやりたがっていたのに」
結婚薬の瓶の蓋を開けながら笑う。その辺の針でもいいから早く穴を開けたいと言っていたのは彼だというのに、いざその時を迎えるとなると緊張するらしい。
婚約の証であった耳飾りは式場でピアスへと加工され、帰りには穴を開ける専用の道具と共に新たな夫婦へと渡される。これを持ち帰り、事前に用意していた結婚薬を使って耳に穴を開け、ピアスをつけるまでが結婚の儀といえるだろう。
「薬を塗りますから、髪をまとめてください」
「ん……じゃあ、お願い」
耳を晒すためエクトルには髪を後ろで結ってもらい、私は瓶の中の軟膏を指に取った。それを優しく彼の耳たぶに塗り込んでいくのだが、見ていて変化が分かるくらいその耳の血色がよくなっていく。ついでに頭上には茜色が伸び縮みしている。
「……エクトルさんは耳が弱いですもんね」
「言わないで、自覚してるから……」
そっと両手で顔を隠してしまう姿は結婚前と変わらない。いや、そもそも結婚しただけで性格が変わる訳がないのだから変わらなくて当然だろう。
エクトルが顔を見せられなくなっている間にもう片方の耳にも薬を塗り込んでいく。指に薬が付着したままだと指先の感覚もなくなるので、塗り終わったら洗い流さなければならないのだが。
「できました。このまま十分待ちます。私のはエクトルさんにやってもらおうと思っていたんですが……どうします?」
「やります、それはやらせて。……一生に一度だから」
「では、お願いします」
まだ真っ赤に染まった顔でそう言われたので微笑みながら薬瓶を渡した。先に手を洗って薬を流したら椅子に座り、私は結べるほど髪が長くないので耳に掛ける。そうして耳をエクトルの方に向ければ、熱を持った指先が耳に触れた。
(これは……少し、くすぐったい)
彼の指先の熱と自分の熱で軟膏が溶け出し、皮膚に馴染んでいくのが分かるくらいだ。両耳にそうして薬をつけてもらったら、エクトルも薬が残らないように手を洗いに行く。
麻酔効果が出るまでしばらく待ったら式場で貰った穴あけ器を使い、穴を開ける。夫婦となった者なら誰しもしていることなのだろうが、この待ちの時間は妙にむず痒い。
「……なんか、ずっとふわふわしてて、現実味がないや。俺たち、結婚……したんだよね」
「はい。今から夫婦の証を開けますよ」
「夢……じゃないんだよね……」
「夢じゃありませんよ。……ほら。感覚、あるでしょう?」
「……うん。夢じゃないね」
エクトルの手を取りぎゅっと力を込めて握る。そうすると優しく握り返された。……夢ではない、これは現実なのだ。そう彼に伝えると同時に、自分もまた自覚する。これが夢ではなく、現実であることを。
(……エクトルさんに会うまでは考えられなかった。私が結婚をする、なんて)
魔法使いという秘密を抱えた私を受け入れてくれる人と出会い、その相手を私が心から信じられること。それは奇跡に近いと思う。だから魔法使いは数を減らしていったのだろう。以前の私のように、一人で生きていくことを決めて、一人で死んでいったのだと思う。
(けれど私は誓った。……この人だけは絶対に、信じている。いつまでも、何があっても)
誓いを込めたお互いの色の花も持ち帰っている。それはテーブルの上に飾られているが、花であることには変わらない。数日もすれば枯れてしまうだろう。
それは当たり前のことで、誓花が枯れたからと言って互いの誓いが消える訳ではない。それでも何故か残念だと思ってしまう。
「誓花なんですが……薬を使って保存してもいいですか?」
「保存っていうと、枯れないようにできるってことかい?」
「はい。……枯れてしまうのが、惜しくて」
花を綺麗なまま長期間保存できる薬液がある。本来ならそれは長く持たせるだけのものだが、私が作って魔力を込めれば半永久的に枯れないようにもできるだろう。
そうしてこの花がずっと残っていてくれれば、私はそれを目にする度に今日の幸福な心地を思い出せる気がしたのだ。
「出来るならずっと枯れないでほしいって、俺も同じこと考えてたよ」
「よかった。じゃあそうしましょう」
明日の午後には作ろうと材料を思い浮かべ出ている間、エクトルは何かを考えているようだった。少しして真剣な表情で話を振られる。
「……ねぇ、その薬って魔法薬? それとも普通の薬かな」
「魔法を使わなければ長期保存用の普通の薬です」
「じゃあさ、結婚薬の注文があった時に合わせて売ったらいいんじゃないかな。他にも結婚間近のお客さんに話してみたり、なんなら枯れない花で何か小物を作っても売れそうな気がする」
それは確かに売れるかもしれない。私たちと同じように、枯れてしまう誓花を惜しむ夫婦はいるだろうし、それ以外にも枯れて欲しくない花はあるかもしれない。薬を使った花で作る物のデザイン性が高ければ花束のような贈り物にもなるだろう。
「いいですね。……でも、突然どうしたんですか?」
「……いつか君と薬屋をやりたいから俺も色々考えてて、さ。俺にできることがないかなって」
「なるほど。……エクトルさんが私に似てきたのかと思って吃驚しました」
こういうもので商売を考えるのは私の癖のようなものだ。だからこそ、エクトルが私がやりそうな思いつきを口にしたことに驚いた。ただ、デザイン性のある小物という方向にはいかないだろうからこの発案は彼らしいとも思う。
「俺は前からずっと君に影響を受けてるよ。……仲の良い夫婦は似てくるっていうし……その、そうだったらいいな」
「ふふ……私たちはまだ結婚したばかりですけどね」
人間は好意のある相手の真似を無意識にするらしい。私たちの容姿には似たものなどないけれど、思考や仕草を真似合って、いつかよく似た夫婦になるのかもしれない。
そうして雑談をしているうちに時間が経ち、耳をつまんでも感覚がなくなったことを確認したのでさっそく穴を開けることにする。まずはエクトルからだ。
この道具は穴あけと装着を同時にこなすものなので、ピアスを道具にセットしてエクトルに向き合った。
「……また緊張してきた」
「大丈夫ですよ。……ほら、終わりました」
「え、嘘。全然感覚ないや」
「薬が上手く出来ている証拠ですね」
これは挟むだけで穴を開けることのできる道具なのでお手軽である。彼の両耳に穴を開けた後、清潔な布でほんの少し滲んだ血を拭った。止血の効果もしっかり働いているようで安心である。……白と赤のピアスが彼の耳を彩っているのが、なんだか嬉しい。
交代して今度はエクトルに道具を渡したのだが――彼の心が妙な動きをしていた。罪悪感が少し伸びては縮むのを繰り返している。
「どうしました?」
「君に傷をつけることへの躊躇いと、夫婦としての証を開けられる喜びですごく複雑」
「……なるほど。でもこれは傷ではなくて証ですから、気にせずどうぞ」
エクトルが少し躊躇って一呼吸置く、ということがあったものの私の両耳にも無事にピアスがつけられた。私の耳に血がにじむのを見たらしいエクトルがまるで自分が痛いような顔をしていたので「痛くありませんよ」と笑っておく。
「気になるなら……少しずるいですけど、傷口を塞ぎましょう」
両耳に手を当てて、力を調整しながら治癒魔法をかけた。完全に傷が塞がっているか、ピアスが動かせるかを確認する。本来なら薬を使いつつ時間をかけてピアスホールを作らなければならないのだが、その工程を飛ばせるのは治癒魔法使いの特権だろう。
「ほら、これで大丈夫です。……エクトルさんもしましょうか?」
「……うん、お願いするよ」
エクトルの耳にも同じように治癒魔法をかける。自分で一度実験したので力の調整は間違えない自信があった。それでも彼のピアスも問題ないかは確認しておく。
「大丈夫です。……これで私たちは正式な夫婦、ですね」
「……うん」
お互いの色のピアスを着けている私たちは、誰がどう見ても夫婦だ。自分たちだけではなく、他人から見てもそうであるというのは結構重要なことだと思う。
花の騎士と呼ばれるエクトルが結婚したことはこれで誰の目にも明らかになった。この先も色々とあるかもしれないけれど、それは随分と前に受け入れた未来だ。
「シルルさん。……ありがとう、俺の奥さんになってくれて」
「こちらこそ。……貴方と出会えたことが私の人生で一番の幸運です。私の夫となってくださって、ありがとうございます。」
「……今、顔を覆いたいのを必死に我慢してるんだけど……変な顔になってない?」
変な顔はしていないが、赤く染まって色気を振りまくような状態なので人に見せられない顔はしている。そんな彼を見られるのは私だけの特権だ。
「では、顔を隠さなくていいようにしますね」
エクトルの頬に両手を添えてそっと唇を重ねた。これから夜がやってくる。その前に少しくらい、私の熱を預けるくらいは許されるだろう。
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