第62話
結婚薬を作ってしまえばあとは早い。衣装は出来上がっており、新居の準備も必要ない私達は式場と儀式の進行を務める司会者、招待するアルデルデ家の都合さえ合えばすぐに式が挙げられるのだ。
その辺りの手配は張り切ったエクトルがしてくれたので本当にあっという間であった。というか、早く結婚したいエクトルと早く結婚してほしいアルデルデ家の両親が手を取り合ったのだから早くないはずがない。……なんと結婚式は生誕祭最終日の、翌日である。
あれよあれよという間に準備が進み、私は念入りに身なりを調えられて花嫁衣装に着替えさせられた。現在は小さな式場の小さな控室で夫となる人の母親と二人きりという状況だ。
「シルルさん。よくお似合いよ」
「ありがとうございます、おかあさま」
白い花嫁衣装に身を包んだ私をイリーナが満足げに見つめてくる。その視線がドレスに施された金の花の刺繍に向き、少し恥ずかしくなった。……だって、これはどう考えてもエクトルを模している。
(でもすごくきれいな衣装だ。ジャンさん達にも見せたかったけど……)
他に大勢の平民が居ればまだしもこの場に居るのはごく少数の身内だけ。私の親のような立ち位置になるジャン達を招待したなら、アルデルデの両親と並ぶことになっただろう。騎士階級とはいえ貴族と並ぶのは豪胆なドバック家でも胃が痛いはずだ。貴族を前にして胃がきゅっと締まる感覚を味わうのは私だけで充分である。
(この小さな式場で貴族家所縁の結婚式があるなんて誰も想像できないだろうな。見物の人間も寄ってこないだろうし)
これは“花の騎士”の結婚式なのだ。邪魔をされないよう人気のない街の隅の小さな式場を選び、式場に居る人間も最低限にした。着付けなどの手伝いを頼んだのもアルデルデ家の使用人なので極々身内だけの式と言えるだろう。大きな式場の豪華な結婚式であれば興味を惹かれて一目見ようと覗きに来る人間もいるが、このように寂れた場所ではそれもない。資金も人員も掛けられないささやかな式には誰も見向きもしないものだ。
(人が少ないだけでささやかではないような気がするけど)
鏡に映る自分はまるで別人のようで、貴族家の使用人の仕事に感心してしまう。化粧は作る側であったので施されるのは殆ど初めてだ。愛らしくて煌びやかな装束に自身が負けそうだと思っていたのに、化粧の効果もあってか驚くほど似合っているように感じた。さすがセンスの塊のようなイリーナが私のためだけに手掛けてくれただけのことはある。
儀式に使う“誓花”はドレスに余計な装飾を付けたくなかったので耳の上に挿した。花の色は私の髪と同じ、白色である。
(エクトルさんはどんな衣装かな)
エクトルは当日まで秘密だと言っていたので私は彼の衣装の色くらいしか知らないのだ。楽しみになってきたところで部屋の扉がノックされた。
「エクトルです。シルルさんの準備はどう?」
「あら、丁度完成したところよ。入ってもらってもいいのかしら?」
「ええ、どうぞ」
入室の許可を出すとエクトルが扉を開けて入ってくる。彼も私と同じ白を基調とした花婿の衣装だ。だからこそ、赤い糸で施された植物を模した刺繍が良く目立つ。しかしそれは派手でないので、全体のバランスを崩すこともない。胸元に挿された誓花は彼の瞳の色によく似た色で、赤い刺繍がそれと寄り添うように見えるのはイリーナの発案だろうと思われた。
(……よく、似合う。これは……たしかに、あまり他人には見せたくないな)
騎士の制服も似合うが、花婿衣装を身にまとう彼の華やかさは別格だ。独占欲ではなく、我を忘れる人間が出そうという意味で他人に見せたくない。私もエクトルの様子が様子でなければ惚けてしまっていただろう。
普段は緩く結わえているだけの髪も綺麗に後ろでまとめられているのでその整った顔がよく見える。熱っぽい目で私を見つめながら固まっている彼の感情は半透明の
(これは……見惚れている、ってことなのかな)
エクトルの方こそ人の魂を攫いそうなほど美しい花婿なのだけれど、この美しさは筆舌に尽くし難くとても言葉で表現できない。ただその衣装は彼によく似合っていて、今まで見たどんな服よりもその美しさを際立させているのは間違いないだろう。……もしかしたらそれは、彼が醸し出す幸福感のせいでそう見えるのかもしれないが。
(さすがにこんな熱っぽく見つめられ続けると恥ずかしくなってくる……おかあさまは楽しそうだけど)
部屋の隅の方で気配を消し、扇子で顔の下半分を隠したイリーナが実に楽しそうに私たちを見ているのが視界に入る。エクトルの目には映っていないだろうし、何なら母親の存在を忘れている可能性があった。先程から微動だにしていないので段々心配になってきた。
「エクトルさん」
「好きです結婚してください」
「……今からしますよ」
あまりにもエクトルが動かないので声を掛けたら唐突に
「うん……どうしよう。結婚したい」
「だから今からしますよ。この花嫁衣装が目に入りませんか?」
「見た。本当にもう、好きすぎて直視できない。心臓が働きすぎて胸が痛い」
「それは……大丈夫じゃありませんね、深呼吸して落ち着いてください」
その言葉通りエクトルは手で目を覆っている。これから二人で並んで儀式に臨むのだけれど、彼のこの興奮具合が収まらないことには難しいかもしれない。実際にほんのちょっぴり伸びている
「式の前に倒れたらどうするおつもり? 花嫁を放って置いてはいけませんよ」
「っ……!? ……母上。見てたんだ?」
「まあ。わたくしのことが見えなくなっていたのね」
イリーナに入室の返事をされたのにもかかわらずその存在がすっかり頭から消えていたらしいエクトルは、私と二人きりでいる時のような反応をしていたのだ。
面白がっていたイリーナもこれ以上は息子の羞恥心が耐えられぬと判断したのか声をかけたが、取り繕って輝く笑顔を張り付けたエクトルは顔も耳も真っ赤に染め頭上の薔薇色もとてつもない長さなので遅かったかもしれない。ただイリーナの存在を知覚したことで少しは落ち着いたというか、取り繕う余裕はできたようで、笑顔で茶化して誤魔化す台詞を口にした。
「ごめん、シルルさんがすごく綺麗だったから周りが見えてなかったのかも?」
「ふふ。……私は先に誓いの間で控えているわ。二人も遅れないように」
そう言い残してイリーナが退室したのは気を遣ってのことだろう。新郎新婦の二人きりの時間を作ろうという配慮である。それが分かるからこそ少し気恥ずかしいが、ありがたい。何せ今日は身支度に忙しくてエクトルとあまり会話できていなかったのだ。
「……心臓おかしくなりそう。俺、普通にできてる?」
「そうですね……表情は大丈夫です。感情は突き抜けているのでちょっと、判断が」
感情が荒ぶる時、感情の線も伸び縮みを繰り返しその興奮度合いを教えてくれるもの。しかしエクトルの感情として浮かぶ二色は天井を突き抜けてその最大値が見えず、動いているのだとしても最低値が天井を下回っていないので見えない。ただとてつもなく喜んでいて、いつもどおり深く愛されていることしか分からないのだ。……まあ、それが分かれば充分だと思うけれど。
「一生に一度の儀式だから、君の思い出に格好悪い姿を刻みたくないなーなんて」
「貴方が格好悪かったことなんてありませんよ。可愛いと思うことはありますが……」
「かわ……」
「愛おしいとも言いますね」
微笑みかければ息を飲んで耳を赤くする、こういう姿が愛おしいのだ。今日は特に、衣装の力もあってその魅力が十全に引き出されているため尚更である。
「遅くなりましたけど、とてもよく似合っています。エクトルさんはいつも素敵ですが今日は特別素敵です。……好いた方が自分の花婿だと実感できるから、でしょうか。今の貴方を見ていると胸が詰まる程幸福な心地になります」
「……っ……ッちょっと待って……っ」
勢いよく顔を逸らしたエクトルが待てと言うので口をつぐむ。深呼吸を繰り返し、意を決したようにこちらを見たはちみつ色の瞳は潤いを帯びていて、色気という名の芳香を放つ花蜜のようだ。“花”婿とはよく言ったものだと思う。
「……シルルさんこそ、とても綺麗だ。今日の君の言葉はいつも以上に過剰に感じるみたいで……式までに顔が戻らない可能性があるから……これ以上は勘弁して……」
「……そうですね。今のエクトルさんはあまり他人に見せたくありませんから、愛を囁くのは式の後にしましょうか」
見せたくないというか、見せられないというか。家族ならともかく赤の他人はどうなってしまうか分からない。魅了の魔法としか思えない色香を振りまいているエクトルは大変危険で、この顔を正面から見れば儀式の進行役である司会者ですら惚けてしまいかねない。
私が彼を愛しく思う気持ちを口にするのは今しばらく、儀式の後まで取っておけばいいだけのことだ。式の後は新婚夫婦だけで過ごす慣例なのだし、時間はたっぷりある。
「…………俺、式が終わったら死ぬんじゃ……?」
「そういう色は見えないので安心してください」
彼の頭上に暗い色は何一つない。少なくとも明日までは幸福な心地で過ごしていられることだろう。そんなエクトルが表情を取り繕える程度に落ち着いたら二人で儀式の間に向かう。私のエスコートをするだけで幸せ溢れる顔になっていたエクトルも、儀式の間の大扉の前に着けば表情を調えた。
「よし……準備は良いかな?」
「はい」
扉をノックして到着したと合図を送る。暫く待つと澄み渡るような高い鐘の音が響き、ゆっくりと扉が開かれた。
式場としては左程広くない部屋でも招待されている人間が少ないので広々と感じる。国王の護衛騎士となったドルトンはカイオスについていなければならないため欠席となりその夫人も来ていないので、私たちの結婚の証人となるのはアルデルデ夫妻。ブランドンとイリーナの両名だけだ。
(でも、充分だ。……二人とも、とても喜んでくれてる)
ブランドンもイリーナも、喜びの色で私たちを見つめてくれているのだから。愛する人の両親に歓迎されて、これ以上に望むことなどない。
その二人に見守られながら司会者の前へと進み出て――――私は、気づいてしまった。司会者は儀式が始まるまで顔の前に布を垂らしており、新郎新婦の姿をそれまで見ないようにする。それはつまり、新郎新婦からも司会者の顔が見えないということなのだが、布の隙間からこの国では私の白髪と並んで珍しい黒髪がちらりと覗いている。
(いやいやいや、まさか…………まさかそんなことは…………)
たとえその司会者の頭上に楽しさと好奇心を示す色が長く伸びていたとしても、更にその司会者の後ろに何故かもう一人同じ服装の人間が控えていて罪悪感の色を長く伸ばしていたとしても。まさかそんなことがあるはずはない。
「改めて問う。これより婚姻の誓いを結べば二人は別たれることはない。婚姻の意思は揺らがないか?」
「はい」
即答したエクトルの顔を見上げた。この威厳にあふれた聞き覚えのある声に微塵も動揺していない。知っていたんですね、と目で訴えかけるとほんのりと申し訳なさそうに深緑の色が見えた。……嬉しさのあまりこれを黙っておけという命令に対する罪悪感も吹き飛んでいたのだろうな、と思う。
「……はい」
「よし。では、始めようか」
顔の前にたらされていた布を取り払い、黒い瞳が楽しそうに笑う。背後に控えていたもう一人も同じように布を取って申し訳なさそうに、しかし珍しく困ったように笑う顔を見せた。
国王陛下とその筆頭護衛が一体こんなところで何をやっているんだと問い詰めたくなる気持ちを押し込めて、引きつりそうになる頬を堪える。
(……不幸の見本市みたいだったのにな)
以前なら離れた距離でもその頭上の色で誰だか直ぐに見当がついた。今のカイオスの頭上には死や病の気配がない。ただ楽しそうに、興味深そうに、そして――親友の幸福を喜んでいる色だけが見えた。
「私とこの場の三名が新たなる夫婦の誓いをしかと、見届ける」
愛する人の両親と実の兄と
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