第60話



 王太子カイオス=ジキ=ディトトニクスの王位継承とその息子ライニスの生誕を祝い、王都では昼夜問わず酒や料理が無料で振舞われる祝いの祭りが催されていた。賑わいを商機と見た人々の出店も多く並んでいて、大変な騒ぎだ。

 初日に新たな国王として国民に顔見せを行ったカイオスは「これではもうお忍びも難しいか」と言っているらしいとエクトルから伝え聞いた。……正直、国王があちこち歩きまわるのは危険すぎるので暴れるにしても城内だけに留めてもらうのが彼の周囲のすべての人間の精神に優しいと思う。



「カイオスがお忍びをやめるとは思えないけどね。俺たちがこうやって出かける方法も気にしてそう」


シュトウムこれは私の秘密が関係しますから……カイオス殿下、いえ陛下も気にしてはいても直接尋ねられることはないと思っているのですけれど」



 カイオスは私が魔法使いであることに気づいている。気づいていて、知らないフリをしてくれているのだ。彼のそういう主君としての度量は仕える前から変わらない部分であるし、今後もそうだと信じている。私たちが騒ぎにならずに出かける方法の秘密にもおそらく感づいているのだろうけれど、余程のこと、もしくは上手い言い訳でも思いつかない限りはその方法を教えろと命じられることもないだろう。



「それはそうだね。……シルルさんもカイオスのことがよく分かってるなぁ」


「まあ、一年も振り回……お仕えすれば充分かと」


「はは、そっか。……あれからもうすぐ一年か」



 空気の冷たい冬の季節。もうすぐ星月祭がやってくる。商人に攫われてからまだ一年も経っていないとは思えないほど、今年は色々なことが起きた。大変だったが充実してもいたとは思う。

 現在の私達はそれぞれシュトウムの花を身に付けて人込みの中を歩いている。はぐれないように手を繋ぎ、出店を見て回っているところだ。

 


「シルルさん、あっちのお店も見たいんだけどいい?」


「構いませんが……何か探し物ですか?」


「うん。君に……髪飾りを。毎日使ってるし、いろんなの持ってるから好きなのかと思って」



 エクトルが言っているのは私が普段使いしているヘアバンドのことだろう。子供の頃に母がよく買ってくれていたもので、ずっと使っていたせいか大人になった今でもつけていないとなんとなく落ち着かないのである。

 私の白髪は珍しいため人目を引く。自分に集まる視線に居心地の悪さを感じていた私に、大きな飾りの可愛らしいヘアバンドをつけてくれたのが母だった。



『白い髪だからどんな色でもどんな飾りでも似合って素敵ね、シルル。とってもかわいいから、皆が見ちゃうかもしれないわ』



 それはきっと、私が私の髪色を気にしないよう、嫌いにならないようにと考えてくれた母の愛情だったのだと思う。そんな思い出のせいか、こればかりは可愛いデザインを見つけるとつい購入してしまうのだ。



「そうですね、好きなんだと思います。……エクトルさんが贈ってくださったものなら毎日使いたいですね」


「え、じゃあたくさん買わなきゃ」


「嬉しいですけどたくさんあっても使いきれませんからね?」



 エクトルが真剣に出店の品を見ている間、私も彼に贈る物を探すことにした。彼の場合は彼に責任のないところで装飾品を紛失する可能性が高いので、身に付けるものではない方がいいだろう。そして薬師塔の中なら盗難被害に遭う可能性はゼロに等しい。実用的かつ、持ち歩く必要もなく、部屋に置いておけるものがいいはずだ。


(……これがいいかな。毎日使えるから)


 出店の中で目に留まったものを購入した。祭りの出店で買えるのだから高いものではないけれど、贈り物の価値は値段ではない。私はこれを使ってほしいと思ったし、あとはエクトルが喜んでくれるかどうかである。

 自分の買い物を終えてエクトルの方を見ると、その手には五種類のヘアバンドがあった。どれも私好みの可愛いデザインだ。



「迷ってるんですか?」


「うん……シルルさんの白い髪には何でも似合うと思うと迷っちゃって……全部贈りたいけどたくさん贈ったら使いきれないんだよね」


「まあ、日替わりでつければ使えますかね」


「ほんと? じゃあこれ全部ください」



 手にしていた五種類を、作り物ではない笑顔で購入したエクトルはそれらが入った紙袋を大事そうに抱えている。そんな何気ない姿ですら愛おしいと感じるのは、私が彼を愛しているからなのだろう。

 買い物を終えた私達は店を離れ、どちらともなく自然と手を繋いで再び人込みの中へと歩き出した。



「次は何を見ようか?」


「そうですね、小腹が空きました。料理を食べに行きませんか?」



 王都で評判の店は国から資金が出され、無料で料理を振舞うようにと依頼されている。この祭りの期間に料理を出している店ならどこでも美味しいものが食べられるという訳だ。

 ちょうどどこからともなく良い香りが漂ってきて空腹を刺激されている。そちらに向かうのはどうだろう、と思っての提案だったがエクトルが何故か少し驚いた色を見せた。



「……ああ、そっか。今なら気にせず食べられるんだ」



 彼は外で食事をする時、気を付けなければならない。どこでどんな物を混入されるか分からないからだ。彼が“花の騎士エクトル”として人の前に出る時はどうしても気を張るしかないのだろう。

 ただ、今はシュトウムの花の効果で私以外の誰も彼を“花の騎士エクトル”として認識できない。今ならば普通の人達のように、異物混入を気にすることなく食事ができると喜んでいる。そんな姿を見ているとなんだか胸が詰まるような心地になって、温もりを感じる手を強く握った。



「……初めての探索の時、エクトルさんは私が作った昼食を食べてくれましたけど……ご迷惑にならなくてよかったです」


「ああ、懐かしいね。……一応、君が何かしないかは見てたんだよ? でもさ、あの時の君は俺に興味がなかったから……他人に貰ったのに安心して食べられたのってあのサンドイッチが初めてだったかも」



 たしかに、あの時の私はエクトルと距離を置きたかった。関わりたくなかったし、関わってほしくなかった。けれどだからこそ、彼はそんな私に安心していたのだろう。私に害されることはなさそうだと直感で分かっていたのかもしれない。



「しかもとっても美味しくてさ。また食べたいって思ったし……シュトウムを探しに行った時にも作ってくれたでしょ? 俺、あれ食べた時本当に幸せで、この先もずっと君と一緒にこうして過ごしたいって思ってたら……口が滑ったんだよね。今思い出してもちょっと恥ずかしい」


「……ああ……それであのセリフが出てきたんですね」



 シュトウムの泉を見つけた後、別の採集地で昼食を摂った時のことだ。私が魔法使いであることを知られた直後に「俺と結婚しない?」と彼が言い出した時の衝撃は今でもよく覚えている。

 そういえばエクトルは今でも「結婚したい」という願望が口から零れているので、変わりないといえば変わりないのかもしれない。



「でも……本当に結婚しますからね」


「うん。……うん。そうなんだよね。いまだに夢みたいだって思うよ」


「夢ではありませんよ、現実です。……だから噛みしめてください」



 彼の頭上の色は喜びに満ちている。その喜びは夢幻ではなく現実なのだと、目の前に確かにあるのだと刻んでほしい。

 喜びを堪えきれず微笑んだエクトルが私を見下ろして、ふと私が持っている小包に気づいた様子で視線を留めた。



「シルルさんも何か買ったのかい?」


「はい。エクトルさんに贈ろうかと」


「俺に? ……期待しちゃうなぁ、なんて」



 その期待に応えられるかどうかは分からないが中身を教えておくことにした。贈り物はそれを見た瞬間の驚きも良いものだけれど、別に中身を知らない方が嬉しいとは限らない。現に私はエクトルが贈ってくれる予定のものを知っているけれど、受け取るのが楽しみだし嬉しい。



「中身は櫛ですよ。エクトルさんは髪が長いですから」



 相手が使ってくれているところを想像できるものが良いと思ったので、これを選んだ。木製で彫りの装飾が植物モチーフであり、華美でないところがいい。男性が使ってもおかしくはないだろう。



「助かるよ。そういえば使ってる櫛の歯が折れてたし、新しいのを買おうかと思ってた」


「なら丁度良かったですね」


「うん。流石シルルさん。毎日使うよ」



 毎日使ってもらえるならよかった。ただ、まあ、私が彼への贈り物に櫛を選んだのは実用的な部分以外の意味もある。それも伝えてこそ贈り物として成立するだろうと思うので、私が普段から思っていることを口にした。



「エクトルさんの髪、好きなんです。結婚したら同じ部屋で寝起きするでしょう? 朝はこの櫛で私に整えさせてもらえたら嬉しい、と思いまして。これは他人ひとの髪にも使いやすそうですし……エクトルさん?」



 手を繋いで共に歩いていたはずなのに、後ろに引っ張られたので驚いた。振り返るとエクトルは歩みを止めて天を仰いでいる。長く伸びた桃色と橙色が後方の男性の顔面を貫くという、なかなか強烈な絵面となっていた。

 道のど真ん中でそのようなことをしているものだから、通り過ぎる人々がちらりと視線を送って去っていく。シュトウムの効果で顔の認識が上手くできなくても人が突っ立っていることは分かるし、少し目立ってしまっている気がした。



「大丈夫ですか?」


「……俺は一生髪を切らない……絶対に伸ばし続けるって今決めた」


「それは、まあ似合うでしょうけれど……とりあえず歩きましょう。目立ってますよ」


「うん……」



 ようやく前を向いたエクトルの顔は赤くなっていて、熱っぽい吐息を零してから歩き出した。片方は私が、もう片方は荷物が塞いでいるので顔を隠せないのだろう。他の誰かに見られたらあらゆる意味で危険そうな顔をしているのだが、現在彼の顔を認識できるのは私だけなので問題はない。



「早く結婚したい」


「急がなくてももうすぐですよ。今日は、恋人として最後のお出かけでしょう?」


「うん、そうなんだけどね。……でも俺は君が好きすぎる」


「それは、充分知っていますよ」



 天に高く伸びて、空の色に溶けて見えなくなるような恋の色だ。愛されていることは誰に言われるまでもなくよく知っている。

 急ぐことはない。結婚式を挙げて、夫婦となるのは本当にもうすぐなのだから。今はただ、今日というもう二度と訪れない日を満喫するべきである。


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