第53話



「……花の騎士が婚約者、なぁ……」



 さっそくエクトルを婚約者だと紹介したのだが、ザックはまだ少し呆けたような表情でエクトルを見やっていた。そんな彼に対してエクトルは相変わらずの完璧な笑顔を作っている。



「……ま、とにかくだ。婚約おめでとう、シルル。まさかあんなに小さかったシルルが結婚なんて……まだ実感が湧かねぇよ」


「私が小さかった頃はザックさんも小さかったと思いますが」


「いやいや。背の高さが全然違っただろ。お前はいつも俺の背のこの辺りでちんまい……」



 ザックと私の年齢は一歳差でそう変わらない。けれど体格のいいジャンに似た彼は同年代の子供たちの中でも大きかった。立って向かい合っている今でも私が見上げる程度には大きい。

 この辺り、と自分のお腹の高さを手で示したザックがふと何かに気づいたように目を丸くして、驚きの色を見せる。その視線は私に固定されており、どうしたのかと首を傾げた。



「なんか……しばらく見ないうちに可愛くなったな、シルル」


「……そうですか? 特に変わりないと思いますが」


「なんつーか、表情とか雰囲気みたいな……まあ、いいや。とにかく元気そうでよかったぜ!」



 私のことを妹のように思っているザックは、ジャンが私の頭を撫でまわすのを見ていつからか真似するようになった。ドバックの家に来るたびに二人に頭を掻きまわされるのは恒例となっていたので、彼の手が伸びてきたのも「ああ、いつものやつだな」と受け入れようとしたのだがその手が私の頭に触れることはなかった。……私に触れる前にエクトルがザックの手を掴み取ったからである。



「……俺、男に手を握られる趣味はねぇんだが」


「うん、俺もない。でもほら、ちゃんと挨拶してなかったからね。……シルルさんの“婚約者”のエクトル=アルデルデと申します。どうぞお見知りおきを」


「お、おう。ザック=ドバックだ、よろしくな。……ところでそんなに強く握らなくてもよくねぇか……?」



 掴んだザックの手を握手の形に持っていったエクトルはキラキラしい笑顔でそんな挨拶をしているものの、見上げた先にある長めの浅葱色の線でその心中が穏やかでないことを察した。ジャンが私の頭を撫でるのは良くても年齢の近いザックは許容できないらしい。

 ザックの方は困惑した様子で、説明を求めて私や己の両親に目を向けている。私もちらりとジャン達を見てみたが、イルナは状況を楽しんでいる様子だったし、ジャンは素知らぬ顔で酒を煽っていた。



「エクトルさん、ザックさんは幼馴染ですが兄のような人です。小さい頃はよく面倒を見てもらっていて……」



 何故だろう。エクトルの浅葱色が伸びてしまった。今の言葉のどこに彼の嫉妬心を煽る要素があったのか分からない。とりあえず全く友好的ではない握手が解かれた後、ザックは己の手を軽くさすっていた。



「なんつーか……大分噂と違うんだな。こんな怖い男だとは思わなかったぜ。シルル、大丈夫なのか?」


「私は大丈夫ですよ。でもすみません。エクトルさんは私のことが好きすぎて少々行き過ぎるところがあるので……そういうところも愛おしくあるんですが」



 隣で大きな咳払いが聞こえたため横目で様子を窺ったが、その時にはすでにいつもの笑顔に戻っていてなんでもない風を装っていた。人前ではこれくらいの反応が限界であるらしい。背後ではイルナの堪えるような忍び笑いが聞こえて、目の前のザックはポカンと口を開けていた。



「あー……親父がそんな顔してる理由が分かった。ずっとこんな感じだったんだな?」


「そうだ」


「そっか。シルルを泣かせるような男だったらどうしてやろうって考えてたのになぁ……頑張れよ、花の……いや、エクトル」



 何故同情するような言葉をエクトルにかけるのだろうか。ザックもジャンと似たような表情でエクトルを見るのが不思議だった。私が見る限り、彼の頭上にある色に悪感情は――羞恥の色はあれど橙色や桃色が長くて幸福そのものである。まあ、多少感情の振れ幅は大きくて大変そうではあるのだが、幸せを感じているのは間違いないというのに。



「シルル、そろそろいい時間じゃないのかい?」


「……そうですね、すっかり長居してしまいました」



 当初の予定では挨拶だけして帰るつもりだったのだが食事もご馳走になってしまったし、昼の休みいっぱいお邪魔してしまった。あまりにも居心地がよくて、どこか帰りがたい気持ちになってしまっていたのだろう。

 帰り支度をして玄関の前に立つ。この町と城までは馬車だと四時間かかるため、明るいうちに森を抜けた方が安全だ。まだここに居たい、なんて我儘を言う訳にはいかない。



「急だったのでお土産も用意できませんでしたから、今度王都から美味しいお菓子といいお酒を送りますね」


「お、そいつはいいな! 楽しみにしてるぜ!」


「全く、あんたは酒に目がないね。シルルもそんなに気を使わなくていいんだよ? まあ、菓子は楽しみにしてるけどね!」


「……俺の分の酒、残らねぇんじゃ……?」



 ザックが不安そうに呟いたので「飲み切れないくらいたくさん送りますよ」と付け加えるとほっとしたように笑ってくれた。そして大量の酒が届くと聞いたジャンのいかつい顔にも無邪気な笑みが浮かぶ。お日様のような、まっすぐな感情の表れた魅力的な笑顔だ。

 機嫌のいいジャンの大きな手が私の頭に伸びてきて、また髪をぐしゃぐしゃにする気だなと覚悟したが――彼は突然笑顔を引っ込め、ピタリとその手の動きを止めてしまった。



「……お前も結婚するんだし、いい加減子ども扱いはいけねぇな。達者でやれ、応援してる」



 ぽん、と頭の上に手が乗せられる。いつものように撫でまわされることがないせいか、その手の温かさがよく伝わってきた。

 ジャンが私の頭を撫でてくれるのはきっと、これが最後だろう。離れていく温もりに寂しさを覚えるのはそれが分かってしまうからだ。



「エクトル、お前もな。約束通りシルルを連れてこいよ」


「うん。約束は必ず守るから、任せてよ」



 三人に別れを告げて居心地のいい家を後にした。シュトウムを身に付ければ誰も私達に気づかない。少しだけゆっくり街の中を歩いて変わらぬ故郷の姿を目に収めてから、帰りの馬車に乗り込んだ。

 胸の中にあるのは満足感と、寂しさである。私はずっと一人で生きてきたつもりだったけれど、それを支えてくれていた家族のように大事な人達がいたのだと改めて実感した。



「……ごめんね」


「……突然どうしたんですか?」


「いや、君の幼馴染に対して失礼しちゃったからさ。俺もお詫びにお酒を送っていいかな」



 揺れの少ない静かな馬車の中、向かい側に座っているエクトルが唐突に謝罪の言葉を呟いた。どうやら浅葱色を伸ばしながらザックの手を強く握りすぎたことを言っているらしい。ほんのりと不安の色も見える。

 ザックは別段気を悪くした様子もなかったので自分宛の酒が届いたらきっと喜んでくれるはずだ。むしろ律儀だとエクトルへ好印象を抱く可能性が高いのでいいと思う、と助言すると不安の色は消えたものの代わりにちょこんと浅葱色が姿を見せる。

 ザックの話題は彼の嫉妬心や独占欲を煽るようだ。……私にはこの話のどこがそういう感情を揺さぶってしまうのかいまいち分からないのだけど。



「……俺が知らない君をあの人が知ってるのも、君があの人を良く理解しているのも分かって……羨ましくなったんだよね」


「羨ましい、ですか」


「うん。俺は出会う前の君のことは知らないし、子供の頃の君の姿を見ることもできないけどあの人は知ってるんだなって思ったら、こう……幼馴染ってずるいなぁって。俺は、シルルさんのことなら何でも知りたい」



 好きな相手のことを知りたい、と思うのは自然なことだ。店にいた時もよく聞いた相談であったし彼がそう考えるのも当然なのかもしれない。

 しかし時間は進むものであり、決して戻らないもの。エクトルがどれほど望んでも彼が私の幼少期と出会うことはできない。それが分かっているからこそどうしようもない気持ちがあるのだろう。


(……私もエクトルさんの子供の頃は気になるけど)


 今の彼の性格を考えれば、辛いことも苦しいこともたくさんあっただろうから私から尋ねようという気は起きない。だが、カイオスという親友が居ることや家族とも良好な関係でいることを考えれば、悪い事ばかりではないはずだ。いつか、彼が良い思い出を語ってくれたら嬉しいとは思っている。

 けれど私が今、語るのは問題ない。揺れの少ない馬車なので移動も楽だと立ち上がり、エクトルの隣に腰を下ろし直した。



「……どうしたの?」


「こちらの方が声が近いのでたくさん話しやすいかな、と。私の子供時代をエクトルさんに見せることはできませんが、話すことはできますから。貴方が望むならいくらでも話します」



 この低い天井ではエクトルの感情を上手く把握することは不可能だ。橙色の先は見えないがそれでもきっと喜んでくれているだろう。浅葱色も短くなりつつある。彼の手に己の手を重ね、はちみつ色の瞳を見つめた。



「それに、これからの未来はずっとエクトルさんと共にあります。時間はたくさんありますから、貴方の知らない私なんてないくらい、私を知ってください。……それでは、いけませんか?」



 過去は変えられない。けれどこの先の未来、私の傍らには常にエクトルが居るだろう。この先の私を彼が知らないということはないはずだ。私の未来はエクトルと同じ場所にあるのだから。

 共に過ごしていく中で互いに色々なことを知り、理解していきたい。私しか知らないエクトルの表情があるように、彼しか知らない私の姿もあるのだろう。私の一番の理解者はエクトルのはずだ。そして私は、彼の一番の理解者でありたい。



「それでいいです……充分、です……」



 片手で顔を覆い隠され見えない口元から絞り出すような声で返答があった。浅葱色はもうすっかり見えなくなっている。馬車の低い天井を突き抜けっぱなしの橙色はどうなっているのか分からないが、この反応の時はいつも長いので、今回も同じだろう。



「じゃあ、まずは私の一番古い記憶から。まだ歩くこともできない赤子で、母に背負われて……多分市場だったと思います。その時見た海が、とても青く輝いていました」



 私が覚えている限りで一番古い記憶は、それである。赤ん坊であった私がその時何を思ったかまでは定かでない。けれどのその景色だけはよく覚えているのだ。

 それから、ジャン達に可愛がってもらっていたこと、初めて治癒魔法を使った日のこと、予想線の意味を知った時、薬草集めに行く父の後をこっそりつけた話や、保存している薬を隠れて味見した話など、色々なことを話した。

 私の秘密を知っているエクトルにだから話せることもたくさんあって、私だけの記憶が、私と彼の共有するものになっていく。それが何だが少し、嬉しい。



「子供の頃のシルルさんって結構やんちゃだったんだ。……ああ、でも根本的なところは変わらないかな。今でも新作の薬はわくわくしながら飲んじゃうし」


「……大人になってさすがに分別がつくようになりましたし、危ない事はしていませんよ。子供の頃は色々としでかして両親を困らせもしましたが」


「うん。まあ、でも子供らしくて可愛いと思うよ。大分、幼い君を想像できるようになった気がする」



 嬉しそうに微笑む彼を見て、私も話せてよかったと心底思った。嫉妬は思考を歪めやすい感情だから、できるだけ取り除いてあげたいのだ。私は、エクトルの明るい感情の色を見ていたい。悲しみや苦しみや、暗い感情は私がすべて明るくて温かい色に塗り替えたい、と思ってしまうのは傲慢だろうか。


(他に何か話すことは……ああ、そうだ)


 私の子供時代にまだ話せることがあったかな、と考えてふと思い出した。先程、ジャン達と話していて思いついたことだ。



「そういえば、私は貴方との子供が欲しいと思ったんですけど」


「んぐッ……っ!!??」



 驚かせすぎたようでエクトルはむせてしまった。背中をさすりながら「大丈夫ですか?」と声をかけて暫く、咳が治まった彼は息苦しさのせいか感情のせいか判断のつかない赤い顔で、うっすらと涙を溜めたはちみつ色の瞳をこちらに向けてくる。頬にかかる金の髪や濡れた瞳がやけに色っぽく見えてちょっとした罪悪感を覚えた。



「すみません、唐突でした」


「いや、その……俺もごめん。君の顔から察するに真面目な話、だよね」


「まあ、はい。私の子供は……魔法使いの血族、ということになりますから」



 王族も使用するこの馬車の内部の音声は外に漏れない構造になっているらしい。しかし、それでも声を落として話した。これは私にとって最大の秘密である。

 魔法の力は血によって受け継がれるが、私の親が魔法使いではなかったように、必ず親から子へ継がれる訳ではない。だがその血族はたとえ自分が魔法使いでなくても、己の子や孫が魔法使いになることはあり得るのだ。秘密を負う義務と、それを子に伝える義務が生じてしまう。そしてそれは、伴侶にも同じものを背負わせることになる。……それを受け入れてくれる、信頼できる伴侶を得るのは難しい。

 だからきっと、子孫を残さないという選択をした魔法使いの血族が大勢いた。その結果、絶滅寸前まで数を減らしたのだろう。私だってエクトルに会わなければそうするつもりだったのだから。



「私の子は魔法使いになるかもしれない。孫や、ひ孫がそうなるかもしれない。ずっと秘密を継いでいかなくてはならない。きっと……他の家庭よりも、大変だと思います」


「……元からそれは考えてたよ。君の子供は魔法使いになるかもしれないって。……だから、君も子供も秘密も全部俺が守ろうって思いながら、婚約の申し入れをした」



 少し驚いてエクトルを見上げた。実のところ、私はその時まだ、子供の事にまで意識が向いていなかったから。自分が子供を持とう、なんて考えたことがなかったせいで思い至らなかったのだ。

 けれどエクトルはずいぶん昔から考えてくれていたらしい。私達が子供を持つのはきっと苦労するから相談しようと思ったのにあっさりとした答えが返ってきたのは予想外だった。



「俺は結構……君との将来を、考えたりするから」


「……随分前から考えていてくれたんですね?」


「……うん……俺、君以外と結婚なんて絶対しないし。そりゃ、色々考えるよ」



 そう言ったエクトルの頭上に茜色が現れたり消えたりしているのは見て見ぬフリをしてあげるべきなのかもしれない。そう思って笑いながら、視線を外し彼の肩に頭を乗せるようにしてそっと寄り掛かった。



「ジャンさんとイルナさんを見て、私達も子に尊敬される親になれたらいいな、と思ったんです。……なってくれますか?」


「ん゛ん゛……がんばります……」



 視界の端では両手で顔を覆う姿が見えているが、その頭上の色は見なくても彼の温かい体温と、余裕のなさそうな声色でどういう気持ちになっているかは想像ができる。なんだか私も、とても心地よい気分だ。

 温かい未来を思い描いて過ごしたからか、エクトルとずっと言葉を交わしていたからか、王都までの長い道のりで退屈することはまったくなかった。



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