第52話
「エクトルもよく来たな。イルナも楽しみにしてたから、ゆっくりしていってくれ」
「ありがとう。……ジャンさんも変わりなく元気そうで、よかったよ」
私はこの二人が会話しているところを初めて見たけれど雰囲気は悪くない。互いに好意の色も見えるし、仲がいいとまでは言えなくても好印象を抱いているのだろう。それに少し安心する。
室内に招かれ、ジャンが扉を閉めてくれたところで私とエクトルはフードを外した。……まあ、私のフードは頭を掻きまわしてくれたジャンのおかげでほとんど外れかかっていたのだけれど。
家の中には空腹を誘う良い香りが漂っていて、昼食が用意されていることがそれだけで分かる。ジャンの伴侶であるイルナが作ってくれたのだろうか。わざと昼食の時間より遅めに来たのだが気を使わせてしまったかな、とその姿を探してみれば――厨房から出てきたところで目を見開いて固まっていた。
「は、花の騎士……?」
予想通りの反応だ。彼女の頭上には驚きが伸びたまま、縮まない。エクトルが輝くような笑顔で「こんにちは」と挨拶の声を発したことで我に返ったのかぎこちなく笑って動き始めたが、その頭上の驚きの色は短くならないままだ。基本的に驚きを示す薄黄色は一瞬伸びて消えるものなのだが、隣に見える短い不信の灰色と合わせて考えれば「目の前の光景が信じられない」という状態だろうか。
「イルナさん、お久しぶりです。急な訪問ですみません。でも、ずっとお世話になってきたお二人にはどうしても紹介したいと思いまして……私の婚約者のエクトルさんです」
「エクトル=アルデルデと申します。どうぞ、お見知りおきを」
エクトルはゆったりとした動作で一礼して見せる。その姿はやはり洗練されて美しく、様になっていた。……私が婚約者として紹介した瞬間に天井を突き抜け、そして頭を下げるのに従って家の中を縦断した喜びの色が見えなければさぞ美しい礼に見えることだろう。
(急に押し掛けて迷惑でなかったのは良かったけど……ジャンさん、イルナさんに言ってなかったんだ。私の婚約者がエクトルさんだってこと)
手紙で先ぶれを出したとはいえ、それは三日前のことだ。唐突に決まった短い休日だったためお互いの日程を詰める時間がなかった。城からの遣いに手紙をお願いし、その場で三日後の訪問が可能かどうかの返事をもらってくる形になってしまったのを申し訳なく思う。
その急な日程を快く受け入れてくれた彼らだが、ジャンはともかくイルナは目の前の現実を受け入れ難いらしく忙しない表情と予想線の変化を見せていた。
「お前ら昼食は食ったか?」
「いえ、まだです」
「なら食ってけ。イルナが張り切って作ったからな」
「ありがとうございます。では、いただきます」
そういうことで昼食をご馳走になることになった。両親を失ってから暫くはこの家でよく食事を食べさせてもらっていたので懐かしい気分だ。ジャンもイルナも優しくて、私と年齢のあまり変わらないザックもかなり気遣ってくれていた記憶がよみがえる。
「そういえばザックさんは?」
「あいつはどうしても抜けられない仕事があってな。まあでも急いで終わらせてくるって言ってたからお前たちが帰る前には戻るんじゃねぇか」
仕事ならば仕方がない。結婚前の挨拶といっても私達は血のつながった本当の家族ではないし、職場から休みを貰えるはずもないのだ。だから昼休憩の時間を選んだのだけれど、休憩に入れないほど忙しいのだろう。
「堅苦しい挨拶は後だ後。腹減ったからな、先に飯にしてくれ」
「……まったく、仕方ないね。もう出せるから席について待ってな」
イルナが厨房に戻っていったので私もその後を追った。配膳の手伝いくらいはさせてもらおうと思ったからだ。
私が来たことに気づいて軽く眉を上げて驚いた顔を見せる彼女に「手伝います」と言ったら可笑しそうに笑われた。
「今日のシルルはお客なんだから座ってていいんだよ?」
「いえ……私がこうしてお手伝いする機会も、もうほとんどないでしょうから」
「……そうかい。それも、そうだね。じゃあその鍋から皿に取り分けてくれるかい?」
イルナの表情は嬉しそうだが、頭上には喜びと同時に寂しさの色が見えた。私の母が生きていたら同じような反応を見せてくれたのだろうか。……私もどことなく、少し寂しい気がする。
二人でせっせと料理を取り分けて食卓に運んだ。ジャンと向い合せで席についているエクトルはいつも通りの笑顔を浮かべて軽い雑談に応じている。しかし内心はやはり緊張気味のようなので、早く隣に戻って安心させてあげた方がよさそうだ。
「さ、食事にするぞ。好きなだけ食え」
「おかわりもあるからね。食べながら……そうさね、向こうでの話を教えてくれるかい?」
食事は和やかに始まった。代表的な家庭料理が並ぶ食卓で、懐かしい味に頬が緩む。王城での食事は確かに豪華であり美味しいのだけれど、故郷の味というのだろうか。野菜が溶けるほど煮込まれたスープも、じっくり火を通された鶏の照り焼きも、すべてが変わらぬイルナの味である。とても心が満たされるものだ。
そんな料理を楽しみながら、危険なことを除いて王城での暮らしを話す。さすがに毒見をしてたら本当に毒を口にしたことや、暗殺されかかったことなどは話せない。だから毎日薬を作ること、薬草を育てること、とある貴人の薬の相談に乗っていることなどを話した。
何やらジャンは満足げというか誇らしげであり、イルナは感心した様に息を吐いて話を聞いてくれている。……ただ、彼女の視線はちょくちょく私の隣のエクトルに吸い寄せられていたが。
「向こうでも楽しくやってるならいい。気になってたからな。……ようやく手紙が来たと思ったら婚約の知らせで、驚いたぞ」
「ああ、驚いたねぇ。しかも相手は花の騎士だなんて……」
イルナの視線がエクトルに向いた。彼女に見える不安と不信感は噂によるものだろうか。ちらり、と隣に目を向けると相変わらずの輝かしい横顔が見えたが、彼にもまた不安の色があった。自分が疑われていることが分かるのだろう。
「イルナ、噂なんて人が勝手にするもんだ。コイツは結構、ちゃんとしてる」
「……あんたがそんなことを言うのは珍しいね」
「俺は話す機会があったからな。……少しはコイツのことが分かってるつもりだ」
安い果実酒のラベルが貼られた瓶を開けたジャンはそれをぐびぐびと飲み始めた。私は彼が飲んでいるそれに対する違和感とその正体に気づいたが、知らないフリをしておく。
そのまま瓶を飲み干す勢いの彼をイルナが窘めたけれど、ジャンは「今日くらいいいだろ」と言って聞かなかった。
「俺たちはずっとシルルを見てきたし、その秘密も知ってる。……そんなシルルがコイツと結婚するって決めたんだ。俺たちにできるのはシルルの目を信じて、祝福することだけだろ」
「あんた……」
「俺たちは親代わりであって、本当の親でもないしな。……本来口を出せることでもねぇんだから尚更だ」
ジャンとイルナは私の予想線が見える力について知っている。本当はもっと大きな秘密があるのだが、そちらは言えずじまいだった。そしてきっと、これからも言わない。秘密を守ってもらうということは、それだけの重荷を背負わせることだから。
打ち明けられない秘密はあっても、それでも彼らは私にとって家族のように大事な存在なのだ。そして彼らも同じように想ってくれているからこそ、イルナのように女遊びが激しいと噂される相手を連れてきたことを心配したり、ジャンのように私の目を信じると言って後押ししてくれたりするのだろう。
しかし、それでも。私たちは家族のように思い合っていても、家族ではない。二人は本当の親のように私の結婚に反対したり、逆に認めたりできる立場にはないのだ。……それが私も少し、寂しい。
「少し、俺からいいかな」
「…………なんだ。言ってみろ」
沈黙が落ちてジャンがついに瓶を一本空にしてしまった時、エクトルが声を発した。怪訝そうなジャンが先を促すとエクトルは立ち上がって片手を胸に当て、深く頭を下げる。
「シルルさんを見守ってきた二人に誓いたい。俺はこの先ずっとシルルさんを守る。何があっても必ず。だから心配……はするかもしれないけど、安心してこれからを見ていてほしい。何度でも、何年先でも、元気な姿で彼女を連れてくると約束する」
その宣誓に心を動かされたのは私だけではない、と目の前の二人の色を見れば分かった。私の位置からはエクトルの真剣な表情も見れたのだが、顔を上げた時にはいつも通りの、輝く笑顔になっていた。……だからこの人は難儀なのだ。
「なんてね。俺が言っても信憑性薄いかもしれないけど、約束は守るからさー」
こうして本音を口にするとどうしても冗談っぽく茶化してしまうのが彼の彼らしいところなのだが、せっかく感心していたイルナの頭上に再び不信の色がちょん、と伸びたため私も少し慌てて口を開く。
「エクトルさんは本音を冗談のように誤魔化してしまう癖があるだけなので、心配しないでください。それを一度理解するととても可愛らしいところだと思えるようになります」
「……あの……シルルさん。ちょっと恥ずかしいかなー……なんて」
横を向けば変わらぬ笑顔のままだけれど、赤くなった耳と羞恥の色が伸びているのが見えた。ぴたりと合ったはずの目もそっと逸らされてしまう。……そういうところが愛おしいのだが、今は他人の目があるので口にするのをやめた。もっと恥ずかしがらせてしまいそうだ。
そんな中「あはは!」と豪快な笑い声が響いて少し驚きつつ声の主であるイルナに目を向ける。
「なんだい、ほんとに上手くやってんだね。あたしが心配するようなことは何もなさそうだ」
何の憂いもない明るい顔でエクトルに笑いかける彼女にはもう、疑うような色は見えなかった。そこにあるのは喜びと好意であり、私たちの関係が良いものであることが伝わったのだと分かって嬉しくなる。
エクトルは誤魔化すように軽く咳払いしながら座り直した。そんな彼を見るイルナの目はとても温かいものになっている。
「お二人のおかげて私はここまでやって来られました。一人で生きようとする私をずっと心配してくれてたのは、知っています。だから……もう大丈夫です。私はこれから、この人と一緒に生きていきます。一人で生きようとはもう、思っていませんから」
自然と頬が緩み、口角が上がった。私は共に生きたいと願う人に出会えた。そして、相手も同じように思ってくれている。……これからの私は一人ではない。エクトルと、そしていつかは彼との子供と、温かい家族を作りたい。両親やジャンとイルナのような、子に尊敬されるような親になりたいと今日、思った。
「……ロルフとジニットも、もう心配してないだろう」
それは久しく聞かなかった両親の名だ。しかしこれは亡くなった両親ではなく、二人に代わって私を見守ってくれていたジャンが心配していない、と言ってくれているのだと感じる。
新しい酒瓶を開けてそれを呷るジャンの目には光るものがあったし、そんなジャンを「それ二本目だよやめときな!」と慌てたように止めに入るイルナの目も潤んでいた。
二人が見せている
「イルナさん、飲ませてあげてください。大丈夫ですよ」
「え?」
「それくらい大丈夫です」
「……シルルがそこまでいうなら」
酔いの度合いを正確に示す予想線がある訳ではないのだが、私にはジャンがまだ少しも酔っていないという確信があった。何故なら一本目の果実酒は、酒のにおいが全くしなかったからだ。発酵していない、ただの果実ジュースである。
酒が大好きなジャンは私達の話を聞くまでは酔わないようにと我慢してくれていたのだろう。でもそれを気取られないように、飲んで酔っているフリをしていた。私がその事実に気づいていることを察して羞恥の色を見せた彼は今度こそ本当に、本物の酒をぐびぐびと飲み始めた。
「エクトル、お前も飲むか? 実はいい酒を取ってある」
「いや、遠慮しておくよ。酔ってシルルさんを守れなくなったら困るからね」
「……くそぅ。お前は文句のつけどころがなくて可愛くねぇな。もっと欠点を見せろ」
「あはは、いつものアレかい? 条件に合う男が来ても愚痴は出るもんだねぇ」
いつものアレ、とは何だろう。そう思って軽く首を傾げるとイルナが悪戯っぽい笑みを浮かべた。ジャンが少し慌てて「おい」と止めに入るが、先程まで全く言うことを聞かなかったお返しとばかりに彼女はその声を無視して続ける。
「腕っぷしが強くて、しっかり財力があって、何があってもシルルを守り抜く気概があって、なんなら見た目もいいくらい完璧な男じゃなきゃだめだってね。酒を飲んで酔う度に言ってたんだよ。その通りの男を連れてきたっていうのに、仕方ないねぇ」
ジャンがそんなことを言っていたなんて知らなかった。そう思いつつ彼を見るとガシガシと頭を掻き、照れ臭そうにそっぽを向いている。イルナの言った条件は世間一般的に結婚相手の男性に求められる最上の条件で、たしかにエクトルはそれに該当するだろう。
しかし私はエクトルだからこそ信頼でき、愛することができると思ったから結婚を望んだのだ。その表面だけのエクトルの評価では彼本来の魅力が何一つ分からない気がした。
「エクトルさんのいいところは他にもいっぱいありますよ。ジャンさんが納得できるまで私がお話しましょうか?」
私の提案に対し、野太いジャンの声と柔らかいエクトルの声が綺麗に重なりながら拒絶を示した。エクトルは薔薇色が長いことから恥ずかしがっているだけだが、ジャンはよく分からない。悪い感情は何も見えないのに勘弁してくれと言わんばかりの表情だった。
よく分からず首を傾げていると本日何度目か分からないイルナの大きな笑い声が響く。
「
私としてはエクトルの魅力を語ればジャンやイルナにもっと彼のことを分かってもらえるだろうという考えだったのだが。……そうか、これは惚気に当たるのか。無自覚だった。エクトルの愛しくなるような部分をたくさん伝えなければと思っていたけれど必要なかったらしい。
私を見ていれば分かる、と彼女が言うのだからそうなのだろう。エクトルに出会い、彼を好きになって自分でも内面に大きな変化があったことは自覚しているので、子供の頃から私を知っている二人なら見るだけで感じ取れるものがあっても不思議ではない。
「なぁエクトル。……お前、結構大変だろう?」
「うん。幸せなことにね」
ジャンの問い掛けの意味が私には分からなかったが、エクトルには伝わったようだ。私にとって大事な二人が良い関係を築けそうなのは嬉しいけれどほんの少し疎外感を感じる。同性同士でないと分かり合えない部分というのがあるのかもしれない。
(……でも、本当によかった)
この家に踏み入れたエクトルは不安と緊張を、花の騎士の噂を知っているイルナはエクトルに対して疑心を抱いていて、初めは硬い空気が流れていた。けれど今のエクトルはとてもこの場に馴染んでいる。お互いにその存在を受け入れている証拠だ。
和やかな空気のまま食事を終えて、机を片付けてジャン以外はお茶を楽しみつつ歓談していた時のこと。背後の扉が勢いよく開き、その音で驚いて振り返る。そこには庇うように私の前に出されたエクトルの腕と、息を切らしたザックの姿があった。
「シルル、まだ、いるか……ッ……って花の騎士……!?」
この驚いた顔はイルナにそっくりだな、とか見える色までそっくりだな、と考えながら久々に見た幼馴染を見上げる。
さて、今度は彼に分かってもらえるようにエクトルについていろいろと話さなければならないようだ。
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