第51話



 私の育った港町は高い崖と巨大な森に囲まれた特殊な地形の中にある。陸からは魔獣の住む森を抜けなければ入れないという不便な部分はあるものの、王都に近い町の中で唯一海に面しているため交易で栄えている、そんな場所だ。

 魔獣も明るいうちに活動するものは少ないし、手練れの護衛をつけていれば危険はない。……その護衛を雇うには結構な金額が必要な訳だが。それゆえに町と外を行き来する人間というのは珍しく、大きな貿易をしている商人くらいのもので、この町に生まれた多くの人間が生涯を外に出ることなく終える。

 今回、私とエクトルは馬車で森から町へと入った。王城の手引きがあるため立派な護衛がついており、安全に森を抜けられたのだ。……ちなみに用意された馬車の外見は質素だが中身はかなり質が良く、誰がお忍びで使っているものなのか想像ができる代物であった。


(変わらないな)


 王都へ旅立ってから早数か月――久しぶりに戻ってきた故郷を懐かしく思う。馬車と道中の護衛は街はずれに置いて、二人だけで町の中へと足を運ぶ。花の騎士と呼ばれるエクトルはもちろん、この町のただの薬屋から宮廷薬師になった私も有名人だ。シュトウムを使って顔を誤魔化しつつ移動している。



「どこか行きたいところはある?」



 朝一番に城を出てきたのと道のりが順調だったのとで町には予定より早く着いた。ジャンには昼頃に家に伺うことを手紙で伝えてあるので、もう少し時間の余裕がある。それなら寄りたい場所は一つだ。



「ベディートの様子を見に行きたいです」



 私の実家である薬屋ベディートはカイオスによって販売を受け持つ従業員が手配され、今でも営業されている。王城では薬屋に卸すための薬も作っていたし、私自身がその場にいなくても名実共に私の店なのだ。

 期待か不安か、ほんの少し鼓動が早くなる。速足に人込みの中を歩き、やがて目にした懐かしい実家の変わらぬ佇まいにほっとして、以前とは違う賑わいに驚いた。



「お客さん増えたよね?」


「そうですね……かなり増えたかと」



 数分様子を見ていただけでも客が結構出入りしている。私の助言はもうない訳だから、皆純粋に薬を買いに来ているだけのはずだ。だが、どこか体を悪くして薬を常用する者はともかくそうでなければ薬なんてそうそう買いに行くものではない。それなのに客が途切れる様子がなく、大層繁盛しているように見えるのである。



「中にも入ってみる?」


「はい。店内の様子も気になります」



 外観は変わらないが中はどうだろうか。私はもう薬を作るばかりであり、営業については知らないのだ。どのように営業されているのだろう。いわばこれは自分の店の視察である。

 扉を開けば聞きなれたドアベルの音と、はっきりと通る「いらっしゃいませ」という声が重なって聞こえてくる。焚かれている香のにおいも、店内の棚の配置も変わらない。以前は客が複数いることは少なかったのだが、自分たち以外のお客が何組か見える。そして従業員は少なくとも三人いた。そのうちの一人が新たな客に気づいて笑顔でこちらに近づいてくる。



「宮廷薬師シルル=ベディートの薬屋へようこそ。お探しの品はございますか?」



 口元が引きつりそうになった。私が宮廷薬師へと昇進したことは周知の事実ではあるが、それを大々的に表に出して商売しているのを目の当たりにするとどうも落ち着かない。

 本来なら店主の特徴である白髪赤目の私が来店した時点で特別な反応をされたかもしれないが、今はシュトウムの認識阻害効果によってよく分からなくなっているはずだ。ならばこの対応が常であり、笑顔で丁寧に接客する従業員は高級店並みによく教育されていると言えるだろう。

 こじんまりした店の規模は変わらないが、箔はかなりついたようだった。



「お店を間違えたようです。すみません」


「いえ。何かご入用の際はいつでもご利用ください」



 笑顔の従業員に見送られて店を後にした。外観も内装も変わらず私の名前で私の作った薬が売られているのだから、間違いなくあそこは私の店だ。王族御用達の宮廷薬師の薬が安く買えるとなれば繁盛するのも当然である。

 以前は週に一度の休日に大体の薬を作ればまかなえていたのに、今ではほぼ毎日薬屋に卸す薬も作っているのだから、少し考えれば店の繁盛具合も分かっただろうに。城での生活が色々と大変だったので頭から抜けていた。



「シルルさん、どうかした? お店、やっぱり雰囲気が変わってて嫌だったかな」


「いえ、そういう訳ではなく……」



 たしかに私が一人で経営する小さな薬屋ではなかったが、規模が大きくなって従業員を雇い入れたらああいう形態になるだろう。……従業員の質が高く、高級品店に負けないような店にはならなかっただろうが。

 私はあの薬屋が、ベディートの名前が残ればいい。ただ、繁盛しすぎているのは少々問題だ。



「……他の薬屋が軒並み潰れてはいないかと、心配になりまして」



 この町にも私以外の薬屋は何軒かあった。しかしベディートにこれだけ客が集まってしまうと他の店の客はいなくなってしまっているのではないか。私はベディートを残したかっただけで店を有名にしたかったわけでも、他の店を不況に追い込みたかったわけでもないのだ。



「ああ、大丈夫だよ。君の店の薬は外の商人も買い付けに来てるし足りてないから。……第二騎士団でも確保させてもらってるしね」


「……それならよかったです」



 他店に迷惑をかけるほどではないならひとまず安心だ。ベディートはこれからも繁盛するのだろうし、いつか私が宮廷薬師をやめることになったら戻ってきて、また店を切り盛りできたらいいなと思えた。……その時、隣にはエクトルがいるのだろうか。そんなことを考えながらエクトルの横顔を眺めていると、視線に気づいた彼は短い薔薇色の羞恥を見せつつ小首をかしげた。



「ん、どうかした?」


「たいしたことではないのですが……ただ、将来は店に戻ってエクトルさんと一緒に薬屋が出来たら嬉しいなと」


「……それは、いいね。俺もそうしたい。騎士は引退も早いしさ」



 ぐん、と喜びの色が伸びていく。その色に見合っただけの嬉しそうな笑みも浮かべて。出会ったばかりの頃に見せていたキラキラしい笑顔とは違うその笑みは私だけに向けられるものだが、しかし。


(エクトルさんに接客をやらせるべきか否か……)


 いつか共に薬屋をやるとして、花の騎士と呼ばれその美貌であらゆる女性の心を鷲掴みにし、結果的に女性嫌いになるほど好意を寄せられた彼に接客をさせるのは危険であるように思う。主にエクトルの心労具合が心配だ。

 いや、その頃にはある程度年齢を重ねているから状況は改善されているだろうか。……年齢を重ねたことでまた別の魅力を増している可能性もある。やはりその時になってみなければ分からない。


(こうやって誰かとの将来を考えるようになるなんて、思わなかったな)


 この町で暮らしていた時、私は生涯を一人で生きて終えるつもりだったのだ。だが、今は未来のことを考えた時、常にエクトルの存在がそこにある。誰かと共にどのように生きるか考えることができるなんて、なんて贅沢な悩みだろうか。



「そろそろいい時間じゃない?」


「そうですね。ジャンさんの家まで案内します。こっちですよ」



 ジャンの家は住宅街の少し入り組んだところにある。エクトルを案内するために自然と彼の手を取って歩き出した。その手がとても温かくて少し驚いたけれど、そういえば普段の彼は騎士の制服を着ているため手袋を欠かさないのだ。布を介さない温もりが久々だったから驚いただけで、橙色を長く伸ばしている彼の体温はいつもこうだったのかもしれない。


 目的の家が見えたところで人目につかない路地に入り、フード付きのマントを被ってシュトウムの花を外す。それを魔法瓶と同じ仕様で魔力を外に逃がさない箱の中に収めた。町の人間には見つかりたくないけれどこれをつけたままでは誰も私達を認識できないため、ジャン達にも分からなくなってしまうからだ。

 さて行こうかとエクトルを見上げると、笑顔ではあるが藍色が伸びたり縮んだりしていて落ち着きがない。ただ、喜びの色もしっかりと長いのでこれはちょっと緊張しているのだろう。

 ジャンの家の裏戸はすぐそこに見えている。あとはこの狭い路地を出て向かい側の扉を叩くだけなのだが、その前に彼の緊張を解しておいた方がいいかもしれない。



「緊張しますか?」


「うん。ジャンさんは君の親代わりだからね。……それに俺はほら、結構いろいろな噂があるからさ」



 女好きで女たらし、泣かせた女は星の数。この町では誰もが知っているエクトル噂話だ。けれどジャンはそれに惑わされはしないだろう。エクトルという人を見て、話して、分かってくれると思う。その妻であるイルナだってきっとそうだ。二人の息子であるザックはかなり素直なのでちょっと噂に惑わされそうだが、私の話を信じてくれなかったことはないので大丈夫だろう。

 エクトルは人前で感情を隠して言葉を誤魔化してしまうけれど、本音を知られたくない訳ではない。誤解があれば、私がそれを解けばいい。



「大丈夫ですよ。ジャンさんは人をしっかり見てくれる人ですし。それに……エクトルさんは私がこの世でただ一人、私が共に生きたいと願う人です」



 私がどういう思いで生きてきたのか、どう生きるつもりなのか。ジャンはそれを察して、心配しながら見守ってくれていた。誰も信じられる訳がないから一人で生きていくと思っていた、そんな私がこの人を愛しているのだと伝えればきっと、喜んでくれる。私が信じるこの人エクトルを、ジャンもきっと信じてくれるだろう。



「私が最も信頼し、最も愛する人が貴方です。親代わりだからこそ、それを分かってくれると思います。……だから心配いりませんよ。行きましょう」


「……待って、ほんと待って。行くのはちょっと待って……今俺の顔人に見せられないから……っ」



 顔を伏せつつ両手で覆うエクトルの頭上から藍色がすっかり消えている。いまは緊張どころではなくなったようだ。……予想線は向かい合う私の頭の上を通り過ぎているのでどれほど伸びたのかは判断ができない。

 しかし喜んでいるのは指先まで血色がよくなっていることからも分かる。予想線も喜びと羞恥が長く伸びているのだろう。恋の色はもうすでにどこまで伸びているか分からないが、路地を抜けた向こう側の建物を突き抜けるくらいには伸びているのだろうか。


(……いっそこの状態で連れて行ったら噂の印象イメージの払拭は簡単だと思うけど)


 彼がどれほど恋愛慣れしていないかは一目瞭然だ。だがしかし、エクトルのこの姿を知っているのは今のところ私だけであり、なんとなくそれは宝物のように大事に想えて秘密にしていたい気持ちにもなるのである。



「…………俺も君を愛してるし……この先ずっと一緒にいたい、です」


「はい。よく知っていますよ」



 か細い声で呟かれた告白に微笑んで頷いた。今日とて彼の恋の色の天辺は分からないくらいに長い。この色が見えるのは私だけだからこそ、私は彼に言葉や態度で愛情を示すのだ。

 暫くしてそっと手を降ろしたエクトルの顔はまだ赤く、はちみつ色の瞳は甘すぎるほどとろけそうな熱を宿していた。目が合った途端、その頭上には茜色が伸び始める。しかしそっと私に伸びてきた手は、私の頬に触れる前に止まった。



「あの、シルルさん……触れてもいい?」



 エクトルは私に触れる時、こうして許可を取ろうとすることが多い。私が危険にさらされ、心配で具合を見ようとする時は別だが恋人同士の触れ合いとなるとほとんど「していいか」を尋ねてくるのだ。

 最初は恋愛慣れしていないからだと思っていた。しかし恋人となり婚約者となって結構な時間を共に過ごしたが変わらないので、おそらく別の要因があるのだろう。

 彼の手を取って自分の頬に押し当て、はちみつ色の瞳を見つめた。



「私はエクトルさんに触れるのが好きですし、触れられるのも好きですよ。……気にせずにいつでも触れてください。貴方なら構いません」



 以前、言いかけたけれど言えなかった言葉。エクトルは常に女性に囲まれていた。中には薬を盛ったり、関係を無理に迫ったりする者も居たと聞く。他者に身勝手に触れられて不快な思いをしたのなら、好いた相手に触れることすら躊躇うようになってもおかしくはない。



「貴方は私に触れられると嬉しそうな色を見せてくれるので、私も気にせず貴方に手を伸ばすことができます。……私も同じですから、たくさん触れてください」



 もしそれが難しいなら、その分私から触れよう。これは彼の心の傷に関するものだから、その傷が癒えていつか自然と触れ合えるようになるまで。

 そう思って言葉を重ねたのだが、エクトルは私が触れていない方の手で目を覆いながら天を仰いでいた。せっかく被ったフードは外れかけているし、彼の桃、橙、茜の予想線はジャンの家の方に伸びて扉の向こうに突き抜けている。……さっきは下を向いていたけど今度は上か、忙しないなとぼんやり思った。



「……ありがとう。でも、その……色々耐え難いので結婚してからでいいですか……っていうか俺と結婚してください」


「しますよ。今から挨拶にいくんでしょう?」



 その時だった。エクトルの予想線が突き抜ける扉が勢いよく開かれ、懐かしい顔がそこから現れたのは。



「……何やってるんだ、お前ら」



 何、と言われると難しい。私はエクトルの手に頬を寄せ、エクトルは片手を私に取られた状態で天を仰いでいる。この状況はかなり説明しがたい。

 扉を開けた先にそんな姿を見つけてしまったジャンの頭上には薄黄色驚き灰色不信が見えるため、困惑させてしまったようだ。彼の声を聞いて私もエクトルもパッと離れたし、エクトルに至ってはいつも通りのきらきらとした笑顔を浮かべていたが、赤くなったばかりの顔と既に見られたものを変えることはできないのである。



「…………まあいい。誰かに見られる前に入れ、はやく」


「あ、はい。エクトルさん行きましょう」


「うん。お邪魔します」



 駆け足で路地を出てエクトルと共に扉を開けて待っていてくれるジャンの元に行った。ジャンは目の前にやってきた私を見ると、以前と変わらない明るく元気な笑顔を浮かべる。



「おかえり、シルル」


「……ただいまです。ジャンさッ……!?」



 優しい声の「おかえり」がとても嬉しかった。「ただいま」と返したら頭をぐしゃぐしゃと撫でられて、思いっきり髪を乱されてしまう。久々にやられたな、と思うと同時にそれさえも懐かしくて温かい気持ちになり、ちょっと笑ってしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る