第46話 【幕間】予想外の知らせ
ドルトンはこの国、シュテルヒメルの第一王子たるカイオス=ジギ=ディトトニクスの筆頭護衛騎士である。
王子ともなれば多くの護衛騎士がつく。それを総括し、もっとも傍に控えるのが筆頭護衛騎士の役目。カイオスという主人は模範的王族から外れた行動をすることが多いため、ドルトンの気苦労は大変なものだ。アルデルデの家は王都でも比較的城に近い位置にあるというのに一週間働き詰めで家に戻れない、なんてこともざらにあるくらいには忙しい。
半日の休みを得たその日の午前中、ドルトンは七日ぶりに自宅へ帰ることができた。日が沈むころにはまた城に向かわなければならないが、それでも時間の許す限り家に居たい理由がある。
「お帰りなさいませ、ドルトン様」
「ああ、ただいま。……ミルリアはどうしている?」
「ミルリア様はお休みになられております」
久々の我が家に足を踏み入れ、迎えに出てきた使用人にドルトンは妻の様子を尋ねた。最近妊娠が分かった大事な伴侶は悪阻が酷いようで寝込んでいるらしい。体調がすぐれない妻の傍に居られないことを申し訳なく思いつつ、あとで起こさぬよう静かに様子を見に行くことを決めた。
(殿下の身の安全を守ることは、私が最も優先しなければならないことだ。ミルリアには苦労をかけてしまうな……)
本来、今のドルトンの立場にいるのは弟のエクトルのはずだった。ドルトンはアルデルデ家の次期当主であり、危険が多くいざという時は護衛対象の身代わりとなる可能性が最も高い筆頭護衛につくことはほぼあり得ない。
しかし優秀な弟は護衛騎士を外されてしまった。それは本人の落ち度ではない。魔物に遭遇し、身を挺してカイオスを庇った結果、騎士として致命的な障害を負ってしまったのだから。
(名誉の負傷だ。……だが、それでも利き手が使えないのは護衛として不安が残ると判断された。そんな怪我をしてしまうほど弱い護衛もいらない、とも……相手は魔物だというのに)
対人の訓練と魔獣討伐の経験はどの騎士も積んでいる。エクトルは同じ年代の中でずば抜けて優秀であったし、上の世代とも遜色はなかった。それでも突発的に現れた魔物には対処しきれなかったのだ。……他の騎士でも結果は同じだったか、最悪の場合護衛対象が魔物の針に貫かれていただろう。
しかし人の悪意やそれによって広まる噂は容赦がない。その容姿と優秀さのせいで羨望も嫉妬も向けられる弟を目障りに思う者は多く、機会があれば叩き潰したいと考えていたのだろう。
(利き手を失っても、近衛騎士に残れるだけの実力はあった。それを許さなかったのは人の感情であって……魔物よりも、人間の方が恐ろしい)
王子の護衛、それも筆頭護衛となれば騎士にとってはこれ以上にない名誉。それを奪われる結果になったアルデルデ家への償いや、エクトルの噂によって王家からの信頼が失われていないことを示すため、弟の代わりにドルトンがカイオスの傍に控えることになったのだ。
それは政治的事情であって、当事者たちの感情は考慮されていない。エクトルもカイオスも顔には出さないが飲み込み切れない思いがあっただろう。
(特にエクトルは……何でも隠してしまおうとするからな)
絶世の美男子と呼ばれ、女好きの遊び人と噂されるエクトル。その整った容姿によって強烈に異性を引き付けたために苦労し心に傷を負った彼を、ドルトンも両親もずっと心配している。
何せ、エクトルは家族を頼ろうとしない。笑顔ですべて隠して家族の心配も大丈夫だからと言って受け流してしまう。家族に迷惑をかけるとでも思っているのか家にもなかなか寄り付かない。
そんな弟に兄として何ができるのか、ドルトンには分からなかった。そして何もできないまま弟はどんどん離れて行き、時も過ぎるばかりで。
(ああ、でも……最近はなんだか、明るい顔をしているような)
エクトルの雰囲気は以前よりも柔かくなっている。じっと見つめる視線の先にはいつも同じ人物があり、それは護衛対象だからという理由だけではないように思えて――。
「ドルトン、少しいいかい?」
「父上。……どうなさいました?」
自室に戻るまえに声をかけられドルトンは足を止めた。相手は父でありアルデルデの現当主、ブランドンだ。
その手にあるのは一枚の紙。エクトルが不定期に送ってくる近況報告だと気づき、そしてブランドンの神妙でありながらどこか興奮した様子の表情に首を傾げる。
「シルルという女性を知っているかな?」
「はい。シルル=ベディート殿ですね。エクトルが護衛騎士を務めている宮廷薬師の方です。カイオス殿下の信頼も厚く、相談役も任される程で……シルル殿が何か?」
珍しい白髪と赤い瞳が印象的で、大人しそうだが芯の強い人。それがドルトンの持つシルルへのイメージだ。出会い方がかなり特殊だったので脅すような真似もしてしまったし、それを少し申し訳なく思っている。
そしてどうやら。彼女はエクトルにとって唯一、嫌悪感を抱かない異性であるらしい。
シルルが攫われた時の焦ったエクトルの顔は今でも鮮明に思い出せる。女嫌いの弟にこんな顔をさせる女性がいるのかと驚いたものだ。
(耳飾りはしてないから恋仲ではないのだろうが……それに近い関係ではあるのかもしれないな)
兄弟といっても会うのはお互い護衛の任務中であり、言葉を交わせるような状況ではない。ただ、エクトルが最近楽しそうだというのは顔を見れば分かる。それは恐らくシルルの傍に居るからであり、二人が良い関係を築いていると察するのは難しくなかった。
「その女性とエクトルが婚約したという知らせが届いたんだけどね」
「は? ……あ、いえ、失礼いたしました。……あの、婚約とおっしゃいましたか?」
「そうだ。“婚約を受け入れて頂いた”とここに書いてある」
予想外の言葉が父から飛び出して、驚きのあまり心の声が漏れた。ドルトンがあの二人を見たのはつい先週のことで、カイオスの「温かい食事を食べたい」という欲求を叶えるために食事の席に呼ばれた彼らは恋人の証たる耳飾りすらしていなかったというのに。この数日で一体何があったのか。
「どのような女性か教えてもらってもいいかい? イリーナが大喜びで贈り物を選び始めてしまって……」
エクトルの婚約の知らせを聞いた母は喜び勇んでシルルに贈り物をしなければと張り切っているようだ。この勢いでは豪華なドレスや宝石を贈りかねないと苦笑している父に、おそらく相手はそれを貰っても困るだろうことを伝えた。
「シルル殿はあまり派手なものは好まないように見えますので……私も詳しくはありませんが」
主人であるカイオスはシルルに対し多大な興味を抱いている様子だが、ドルトン自身は彼女のとの関わりが薄い。薬師として優秀なこと、年の割に落ち着いた性格であること、カイオスと似たような勘の良さを持っていること、珍しい髪や目の色には関係なく、どこか普通の人間とは違う空気を纏っていること。ドルトンがシルルについて知っているのはそれくらいだ。
「贈り物についてはエクトルに尋ねるのが一番だとは思います」
「そうか。ならまず手紙を送るようにイリーナには言っておこう。……久しく顔を見てないからね。元気でいるのか心配だったけれど……そうか。添い遂げたいと思える人に出会えたんだね」
ふと口元を緩めたブランドンはどうしようもなく嬉しそうに見えた。息子の幸せを願い、喜ぶ父の顔だ。そして父親譲りの顔立ちのドルトンもきっと、よく似た顔で笑っているに違いない。何故なら口角が上がったまま下げられないからである。
(予想外だ。……ああ、でもこんなにも嬉しい予想外なら大歓迎だ)
ドルトンは普通と平穏をこよなく愛している。驚きは少なくていい、ただ穏やかな日常を送りたい。自分の想像を軽々と飛び越えて行動する王子の護衛などは本当に心の負担が大きいのである。でも、今回のこの知らせには酷く驚かされたのに、とてつもなく嬉しい。
婚約とは双方にその意思がなければ成り立たない。お互いの色を贈りあって、互いに身に付けなければならないのだから。……あれだけ女性を拒絶し心を隠していたエクトルが結婚を望む日が来るなんて家族の誰も思っていなかった。
(相談してくれと言ったところで大丈夫だ、とはぐらかすばかりだったからな)
ドルトンも両親も、エクトルが受けた仕打ちのほんの一部しか知らないはずだ。薬を盛られたり、部屋に連れ込まれたり、そういう現場に遭遇して助けたことはある。けれどそれも一度や二度ではないはずで、他にももっと彼の心を追い詰めるような小さな積み重ねが、あったはずで。
守り切れなかった。父も自分も働いていて、エクトルも騎士として外に出ている。四六時中傍に居られるわけではないし、見えないところで何かあれば心配をかけまいと隠してしまう。怪我が原因でカイオスの護衛から外された頃からはもう、家族でも本当の感情が分からなくなるくらい完璧な笑顔であらゆる心を隠すようになり、誰にも心を開かなくなってしまった。
(……だからもう、エクトルは生涯一人で生きるつもりなのだと思っていた。そうか、結婚するんだな)
ブランドンに届いた知らせでは「婚約を受け入れて頂いた」という一文があるらしい。それなら婚約を先に言い出したのはエクトルで、シルルがそれを受け入れたのだろう。
彼女について詳しくはないが、動じず冷静な判断が出来る人だと思っている。エクトルと共にあることで起きる女性関連の問題についても承知のはずだ。それでも弟を受け入れてくれたことには感謝するしかない。
「きっと素敵な人なんだろうね。……我が家に招待させて、くれるだろうか」
「私からお尋ねしてみます。……貴族出身の方ではないので母上には落ち着いていただかないとシルル殿が委縮してしまうかもしれません」
「……あの様子では暫く落ち着かないと思うなぁ」
苦笑するブランドンの顔からするにイリーナの興奮具合は相当であるらしい。エクトルの整った顔は彼女譲りのものだ。若い頃は苦労したらしいが、本人は決してそれを語らない。思い出したくもないのだろうと思う。
そして己の容姿に悩まされるエクトルを一番心配していたのも、イリーナである。この知らせを聞いて一番喜んでいるのも彼女なのかもしれない。シルルを招待することが決まったとしても、舞い上がる母がある程度落ち着いてからの方がよさそうだ。
「じゃあドルトン、招待についてはお願いするよ。……私はイリーナを少し落ち着かせてこよう」
背を向けて歩き出したブランドンの足はどことなく軽いように見える。今にも軽く飛び跳ねそう、とまではいかないが機嫌がいいのは確かだ。
ドルトンもどこか軽い気持ちで自室に戻り、身を清めてから妻が眠る寝室に向かった。出来るだけ音を立てないように扉を開き、そっと中の様子を窺う。どうやら相手は眠っているようなので、起こさないよう静かに部屋に入った。
(顔色は……思ったほど悪くない、か。よかった)
ベッド脇の椅子に腰を下ろしその寝顔を見つめる。苦しんでいる様子はなく、静かに眠る姿に少し安堵した。
ドルトンとミルリアは恋愛結婚をした訳ではない。家同士の繋がりで決まった婚姻だったが、穏やかで優しい彼女をドルトンは愛しているし、騎士としての仕事を理解してくれていることにも深く感謝している。あまり傍に居られないからこそ、それは出来るだけ彼女に伝えているつもりだ。
(……言葉にしなければ、家族でも分からないからな)
それは何も言わず離れていった弟のおかげで知ったこと。家族に対しても心を隠し、言葉を濁してしまう弟は、好いた相手にだったら言えるのだろうか。好意も、感謝も、本音も、弱音も。しっかり伝えられているのだろうか。
思ってもいない言葉を使いながら異性との間に明確な壁を築いていた姿を思い出し、シルルと二人で過ごす姿が上手く想像できずにほんのりと不安になってくる。
(……いや。きっと、出来ているのだろう。あの二人の関係は悪くなさそうに見えるからな)
間に確かな信頼を築いている者同士の距離感や雰囲気を感じる。だから互いの想いは通じ合っているはずだ。
しかしあまり表情を動かさないシルルが熱烈に愛を示すとは考えにくい。婚約を申し入れる程なのだから、おそらくエクトルの方が彼女に惚れこんでいるのだろう。
誰の特別にもならぬよう数多の女性に対して甘い言葉を吐いていたエクトルは、ただ一人に愛を囁くようになったに違いない。
そう思っているドルトンは知らない。どちらかと言えば愛を囁かれるのは弟の方であり、その度に昂る感情で言葉を失っているなどということなどは、想像もできないのである。
ただ、家族として兄として、弟と将来の義妹の幸せを願い、出来ることがあればいくらでも力を貸そうと考えている。
家族を守るのは騎士というよりドルトン自身が己に課した役目。守るべきものがまた一つ増えたのだと喜びを噛みしめながら、そっと妻の手を握った。
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