第45話




「カイオスと連絡とれたよ。今は不足してる薬もないから例の解毒薬を最優先で作るように、だってさ」



 詐欺師のユレルミに出会った翌日のこと。朝食の時間にエクトルがカイオスからの伝言を話してくれた。昨日の今日でどうやって厳重な警備の中にいるはずの王子と連絡を取ったのか分からないが、主人からの命令が下りたのだ。私も催眠香の解毒薬は早く作りたかったので望むところである。



「ソフィア妃殿下へのご挨拶が終わったらすぐに作り始めますね。できれば、訓練の前にエクトルさんにも渡したいですし……」



 あの香は魔力のない人間、つまり魔法使い以外の普通の人間には強く効果がでる。私がいないところでエクトルがその香りを吸ってしまった時、彼を守るためにも薬が必要だ。

 それにイージスがユレルミを連れ歩いているという話なので、一体どれほどの人数に影響が出ているか不明である。薬は早く、そして大量に準備した方がいいだろう。


(……それにしても、なんであれをユレルミさんが使えるんだろう)


 魔法使いではないのだから使っている本人もあの香りを嗅げば思考が鈍るはずだ。香とセットで解毒薬を持っているのだろうか。……物理的に鼻に詰め物をしておくという手がないこともないけれど。思えば多少は鼻にかかったような声だった気もするが、そこまでして貴族に関わりたいものだろうか。私には理解できない。


 とにかく私がやるべきことは、ユレルミが使う香に対抗する薬を作ること。魔法薬を解毒するのだからもちろんこちらも魔法薬であり魔法使いにしか作れない薬だが、普通の人間には魔力が含まれた薬かどうかだなんて判断できないのでそのあたりを気にする必要はない。

 問題は、私の元を離れた薬は一週間ほどしか魔力が持たないことだろう。……もう一人、別の魔法使いがいれば相手の催眠香のように長期保存が可能だったかもしれないけれど。暫くはこの薬を作り続けることになりそうだ。



「今日の訓練はいつからですか?」


「予定はお昼を過ぎてからだね。ユナンだから時間きっちりに来るだろうし、早くも遅くもならないと思う」


「それなら間に合いそうですね、よかった」



 エクトルはいつも私と離れる時、心配や不安の色を見せる。自分の代わりの護衛が居るとしても大事な相手が視界にいないと不安になる、そんな彼の気持ちが今ならよく理解できた。私のいないところでエクトルに何かあったらと思うと気が気でない。薬を渡せるなら少しは安心だ。



「あ、もしかして心配してくれてる? 不謹慎かもしれないけど嬉しいなー」



 ニコニコと笑うエクトルの頭上に橙色が伸びている。彼は私に心配されると嬉しくなってしまうらしい。自分の身が危険だとは思っていないのもあるだろうし、実際に悪い色は見えていないので大丈夫なのだろうけれど、それでも。



「いくらでも心配しますよ。……愛しい婚約者を心配するのは当然でしょう?」


「ンッン……うん、ありがとう」



 エクトルはわざとらしく大きな咳払いをした後に笑みを浮かべた。漏れそうになる声を我慢したようだが耳が赤いのと喜んでいるのが丸わかりの橙色のせいで誤魔化しきれていない。

 そういえば、彼が魔物討伐の任務に出た時も似たようなことを話した気がする。その時もエクトルは耳を赤く染めて照れていたが、咳払いで誤魔化そうとするほど取り繕う余裕がない、なんてことはなかったはずだ。

 まあ、あの時とは関係も変わっているし、随分と長くなった恋の色からも分かるように私へ向ける感情が強くなっているから仕方がないのかもしれない。

 私も当時は友人として彼を心配していた。今は、私の中で彼の存在がもっと大きくなっている。大したことではないと言われそうなことでも心配になるのだから、困ったものだ。



「なら俺は、君の心配を杞憂に終わらせるためにも絶対、君の元に帰ってくるから。今日だけじゃなくてこの先もずっと」


「……はい。信じてますよ」



 エクトルは約束を守ってくれる人だ。彼が帰ってくると言うなら何があっても必ず帰ってきてくれるだろう。今回はまだしも、騎士である彼には危険な任務が与えられることもあるはずで、ずっと無傷でいられるほど易しい職業ではない。しかしどんな怪我をしたとしても、命さえあれば私が治せる。だからこの約束は信じたい。


(それに……これは私がこの人の帰る場所である、ってことでもあるのかな)


 心のよすが。もっとも安らげる場所。それは家であったり、秘密の場所であったり、誰かの隣であったり、人それぞれだ。そしてエクトルにとってのそれは、私の傍なのだろう。

 ならば彼を待つ間、私も絶対に無事でいなければならない。大事なものが増えると守らなければならないものも増えていくらしい。

 大事な人をたくさん抱えている人は大変だと思う。私は自分とエクトルの大切に思うものを守るだけで精一杯だ。


(まあ、でも……ここにいる間は、護衛してくれる騎士がつくからありがたい)


 エクトルがいない間はユナンという真面目な騎士が護衛をしてくれる。ユナンの技量についてエクトルが心配しているところは見たことがないので、剣の腕も確かなのだろう。

 貴族のいる城の敷地内に暮らすのは気苦労も多いが、護衛をつけてくれるのはとてもありがたいことだ。魔法が使えて薬の知識があっても私に腕力はない。力尽くでどうにかされてしまったら抵抗できず攫われることだってあると身をもって知っている。

 王族直下の近衛騎士達は精鋭揃いだ。ユナンも頼りになる護衛である――――そんな彼が昼過ぎにやってきた姿を見て、私は眉間を押さえたくなった。



「ユレルミ様は素晴らしいのですよ。炎を自在に操って見せたり、何もないところから物を取り出したり……偉大な魔法使いで」



 ユナンがすっかりユレルミの催眠香の餌食になっている。催眠状態は病や怪我ではないのでそれが色として頭上に現れるわけではないが、そのおかしな言動や彼がユレルミについて語り始めてから異様に伸びた緑色尊敬の予想線から察することは容易い。……あまりに長い尊敬は、もはや崇拝と呼べる感情だ。今のユナンなら、ユレルミに“お願い”をされればどんなことであってもためらわずに実行してしまうだろう。


(これは、先が思いやられる……薬が出来ててよかった)


 出来上がったばかりの解毒薬をコップに注ぎ、水で適度に薄めながらため息をついた。ユナンまでこの状態ということは、いったい城の内部にどれだけの被害者がいるのだろうか。想像したくもない。



「ねぇシルルさん、俺訓練に行くのやめていい?」


「……初めてエクトルさんのそれを肯定したくなりましたね」



 エクトルの頭上には思いっきり灰色が伸びていた。今のユナンに警戒するのも不信感を示すのも仕方がない。これではまともに護衛が務まるとは思えないし、普段から「私と離れたくない、離れている間に私に何かあったら嫌だ」と訓練に行きたがらないエクトルの藍色心配の線もいつもより長くなっている。

 そして私も彼の身が心配だ。エクトルの頭上に悪い色は見えず解毒薬も出来上がり小瓶に入れて持たせたが、それでも何かあるのではないかと不安になる。


(……向こうはどうなってるんだろう)


 薬師塔は城の敷地内とはいえ、王城自体からは離れている。貴族も騎士も、特定の人物しか訪れないのであちら側の状況は分かりにくい。

 毎朝ソフィアの部屋には通っているが、裏道を使っているので顔を合わせるのは彼女の部屋の番をしている騎士と護衛騎士筆頭のグレイくらいのもの。更に言葉を交わすとなるとソフィアのみとなるためどれほどの人間が被害者となっているかは本当に分からないのだ。


 そんな場所へエクトルを送り出したくない、と思ってしまうのは自然な反応ではないだろうか。私が心配症なだけではない、はずだ。

 彼の安全のためにも早急に城の内部へ解毒薬をいきわたらせる必要がある。……まずは、私の護衛の任につく騎士を正気に戻すことから始めるべきか。



「ユナンさん。こちらをどうぞ」


「これは……?」


「たくさんお話して喉が渇いたのではないかと思いまして。水分補給をした方がよいかと」



 差し出したのは先ほど完成した解毒薬だ。大抵の解毒薬は苦みが強いので不味いものが多いのだが、これは微かに甘く柑橘類のようなさわやかな香りがする。味も香りもそう強いものではないので、飲みにくいことはないはずだ。



「ありがとうございます、頂きます」



 いつものユナンなら任務中ですから、と辞退されそうなものだがやはり判断力が鈍っているのだろう。笑顔でコップを受け取った彼はそれをすぐに飲み干して、数秒後。驚いたように目を瞬かせた。

 薬の効果は覿面てきめんのようだ。ユナンの色は少々混乱気味ではあるが、ユレルミに対する緑色は瞬きする間もなく消えた。線が短くなっていくのではなく消滅したのである。……尊敬する相手に幻滅したとしても、その線は勢いよく短くなって消えるものであって、消滅するものではない。やはり歪に作られたものだから妙な心の動き方をするのだろう。



「……私は、一体……」


「寝ぼけてたんじゃないの、ユナン。俺の婚約者をちゃんと護衛してくれないと困るんだけど。……頼むよ、ほんとに」



 ぽん、とユナンの肩を叩くエクトルの表情は背後にいる私には見えない。ただ、目を合わせたユナンは少し引きつった顔をしていた。……頭上に見える色から予測すると心配してくれているだけなのだけれど、一体どんな表情をしているのだろうか。



「あ、ああ。すまない。大丈夫だ。安心して行ってこい」



 こちらに本当にもう大丈夫なのかと確認するように視線を寄越したエクトルに、頷いた。今のユナンは正気に戻っているし、薬の効果は一日持続する。しばらくは再び催眠にかかることもない。



「大丈夫です。……エクトルさんこそ、気をつけて。いってらっしゃい」


「……うん。行きたくないなぁ」


「シルル殿は私がしっかりお守りする。早くいけ」



 扉を出るまで何度もこちらを振り返り、なかなか訓練に行こうとしないエクトルに調子の戻ったユナンは呆れてため息をついている。しかし今回ばかりはエクトルを責められない。私もいつものような気持ちでは送りだせないから。


(ユナンさんに向こうの話を聞きたいな……ユレルミさんとどういう接触の仕方をしたのか、とか)


 城がどんな状態なのか分かれば、私も少しは安心できるかもしれない。……逆に不安が増す可能性はなくもないが。



「ユナンさん、ユレルミさんとはどうやってお知り合いになったんですか? 先ほど熱く語られてましたよね」


「え、ああ……昨日、魔法を見せていただいただけなのですが……」



 ユナンは交代要員の護衛騎士だ。騎士も人間なので専属の護衛騎士達も訓練をしなければ体がなまるし、休みだって必要になる。そういった場合の穴を埋めたり、客人が訪れた際に護衛任務に就いたりする専属のいない護衛騎士が何人もいて、ユナンはその一人と言う訳だ。

 昨日はエクトルと交代の後客人の護衛任務についたが、そこにイージスが現れた。当然ユレルミを連れてきており、もてなしにと魔法を見せてくれた。そこからの記憶は少し曖昧になっているらしい。



「頭にモヤでもかかっていたような気分です。それは先ほどの一杯で晴れましたが……シルル殿、あれは水ではありませんでした。何かの薬ですか?」


「……はい、薬です。カイオス殿下に命じられて作った物なのですが、ユナンさんの様子がおかしかったので……だまし討ちのように飲ませてしまってすみません」



 王都では意中の相手にフェフェリを飲ませて強引に関係を迫る行為が黙認されている。相手の了承なく薬を盛るなんて悪質で忌むべき行為だと思っているのだが、今回は勝手に薬を使われた症状を解毒するために薬を飲ませた、という状況なので仕方がなかったと思っている。……怪我やら洗脳やら、自分が治せるものを見て放っておける性格でもない。

 しかし勝手に薬を飲ませたのは事実だ。それは申し訳なく思うので頭を下げた。



「先ほどまで護衛任務に支障をきたしかねない状態でした。それは騎士として、私の誇りを傷つけることでもあります。……感謝いたします、シルル殿」


「いえ。私は私の仕事をしただけですから」



 小さな笑みを浮かべたユナンは直ぐに表情を引き締め、背筋を正す。いつもどおり真面目に護衛を務めようとする彼の姿に安心した。催眠香の影響もなければ、薬を勝手に使った私に対する嫌悪もないようだ。……よかった。間違った行いではなかったらしい。



「カイオス殿下から勅命を受けられているならば、私は貴女の仕事についても薬についても尋ねませんが……あの魔法使いには、気を付けます」


「……そうですね。ユナンさんもよかったら、少しこれをお持ちになりますか?」


「お願いします。……エクトルの心配も少しは晴れるでしょう」



 固い表情を崩してユナンは苦笑してみせた。出会った頃はエクトルに対し軽い嫌悪感すら抱いていた彼の頭上には、薄紅好意と短い赤茶呆れが並んでいた。おそらくこれは「仕方のない奴だ」と思っているのだろう。

 そんなユナンの様子に、先ほどエクトルが出ていく前に彼を見て引きつった顔をしていたことを思い出した。



「あの……エクトルさんはどんな顔していましたか?」


「ああ。いつも通りの……よく見せるあの笑顔でしたが、目が笑っておりませんでしたので。肩に指が食い込むほど力が籠っていましたし、エクトルもこのような顔をするのかと驚きましたね」



 たしかに、エクトルはいつも通りの輝く笑顔でたまに目が笑っていない時がある。普段の表情との落差のせいか迫力があるのでユナンが驚くのも無理はない。

 少し脅されたような気分でした、とユナンは言ったが彼の状態が状態だっただけにそうでもしなければ私を置いて訓練に行く気にならなかったのだろう。今日は全力で走って戻ってきそうなので、のどを潤すはちみつ水でも用意しておこうか。



「シルル殿。ここには貴女とエクトルしかいません。……寝ずの番が必要な時は、私を呼んでください」



 真剣な声と真剣な表情、そして心配そうに伸びる藍色の線。彼は自分が洗脳されていたことに気づいているし、ユレルミを危険だと判断した。そしてその洗脳を解く薬を作れる私は、ユレルミの敵と認識されてもおかしくはないと気づいたのだ。

 騎士も人なのだから眠らずに護衛を続けられるわけではない。日中のエクトルは訓練以外常に私の傍に居て、就寝時間も何かあった時は直ぐに駆け付けられるよう隣室にいるが、それでも睡眠はとっている。その間は最も警備の薄い時間と言えるだろう。ユナンはそれを心配してくれているのだ。



「ありがとうございます。でも、大丈夫です。……色々工夫してますから」


「……シルル殿がそうおっしゃるならば。しかし、気が変わったらいつでもお声掛けください」



 ユナンは一瞬口元を緩めて笑い、直ぐに真面目な顔に戻る。これ以上無駄口を叩かず任務に専念しようとしているようだ。

 私も一度ぺこりと頭を下げてから仕事に戻った。催眠解毒薬の小分け作業と、それが終わったら使い方や注意事項をまとめてカイオスに提出する。時間があまれば改良できないか色々と試してみようと思う。


(……この薬で状況が改善すればいいけど。あちらがどうでるか)


 それはまだ、分からない。ただ、私がやるべきことは油断することなく仕事をこなしていくだけだ。



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