第44話



 妊娠中のソフィアが安定期に入ったようで、目立つようになってきた彼女の腹部から黒い線が見えることもなくなった。朝の相談の時間には短いが喜びの橙色を伸ばしながら、お腹の中で赤ん坊がよく動くことも教えてくれる。毒物の混入や衝撃に気を付けて過ごせばきっと無事に生まれてくるだろうと私も安心した、そんな頃のこと。



「魔法使いが見つかった……?」



 訓練を終えて戻ってきたエクトルから聞かされた話に思わず眉が寄った。カイオスの弟、第二王子イージスが魔法使いを見つけたとご機嫌であちこちに触れ回っているらしい。だが、どうやらそれは私の事ではない。そこは安心できたが、良い話とは思えない。

 私のように隠れながら生きてきた魔法使いの末裔、その誰かが貴族――しかもあのイージスに捕まったのだとすれば悲惨なことだ。同情するし、心配する。その魔法使いは大丈夫なのだろうか。



「自分は魔法使いだってイージス殿下の前で魔法を使って見せたんだってさ」


「……それはおかしな話ですね。魔法使いがわざわざ貴族の前に出てくるなんて」



 どうも私の考えていた状況とは違っている。捕らえられたわけではなく、自ら貴族に魔法使いであることを明かすなんてことが、ありえるのだろうか。

 私達魔法使いの家系に生まれれば必ず親から貴族の恐ろしさについて教えられる。例え魔法を持って生まれなくても子供には必ず伝えられているはずなのだ。私のように両親が魔法を使えなくても受け継ぐ場合があるから、それを教えないということだけはない。

 魔法が使えれば尚更、物心ついた時にはこの力を隠すように教えられる。気づけば宮廷薬師兼第一王子相談役という大層な役割を与えられ貴族に近い位置にいる私だが、それでも魔法使いであることは隠しているつもりだ。そしてこれからも、それを明かすつもりはない。私と似たような境遇にあるなら貴族からは隠れて暮らしたいと思いそうなものだが。



「俺も普段の君を見てるから変な話だなって思ったんだけど……イージス殿下が連れ歩いてるのを見たよ」



 私のように白い髪をしているので遠目からでもよく目立っていて、人が良さそうに笑う青年だったという。たしかにこの髪色はめずらしい。……白髪と赤瞳は昔、魔法使いがまだ多く存在していた頃ならそれなりにいた。魔法使いの家系ではよくある色だったからだ。

 魔法使いの激減と共に見られなくなっていき、今では希少となっている。魔法使いに多かっただけで普通の人間にもいないわけでもなかったが、二百年ほど前には“魔法色狩り”が行われたという歴史もある。


(白い髪と赤い瞳は魔法使いの証、か。実際、私はそうだけど……)


 白い髪の人間と赤い瞳の人間がそれぞれあちらこちらで捕まって集められた。しかしいくら調べても彼らは魔法を使えないただの一般人でしかなかった。そこで白髪や赤瞳だから魔法使いだという訳ではない、という証明がなされたのだ。

 極めつけは最後に確認された魔法使いが金髪だったことだろう。それはありふれた色で珍しいものではない。今では色と魔法は全く関係のないものであり、魔法使いは絶滅したのだと思われている。そもそも今の時代は”魔法色狩り”があったことすら知らない人の方が多いのだ。

 そのおかげか、私もこの色彩で疑われたことはなかった。……今までは。



「白髪の魔法使いが出てきたとなると、私も巻き込まれるかもしれません」



 絶滅したと思われていた魔法使いが見つかったのだ。この話は国中を駆け巡るだろうし、その魔法使いが白髪であればまた白髪と赤い瞳の人間に注目が集まるかもしれない。私としては大変迷惑な話である。



「詐欺師、ってことはない?」


「……あるかもしれませんね。一度会ってみれば判断できそうですけど……」



 魔法使いであれば魔力の存在を感じることができる。魔法薬やシュトウムのような魔花を見れば「これには魔力が宿っている」と分かるように、もし魔法使い同士が出会ったなら一目でお互いが同じであることも分かるはずである。

 相手が本当に魔法使いであれば私の事もバレてしまうだろう。できるだけ会いたくないものだと、そう思っていたのに。



 それは王太子夫妻が同席する恐れ多い夕食に招かれ、豪華でありながら味を楽しむ余裕がない食事を済ませた後のこと。エクトルと共に薬師塔に戻ろうとしたらいつかのようにイージスが通りすがった。


(カイオス殿下の食事に呼ばれるのは私の運が悪い日な気がしてきた)


 そもそも王太子との食事会というだけで精神的負荷がとてつもないのに、帰り道でその弟である第二王子に遭遇するなんて本当に運が悪い。しかもこれで二度目である。



「お前……ほう。あの時の薬師だな。兄上の食事には毒が盛られていたと聞いたのだが、無事だったのか」


「はい。お久しゅうございます。イージス殿下におかれましては本日もご健勝のこと、恐悦至極に存じます」


「うむ。頭を上げて良いぞ」



 膝をついて貴族が通り過ぎるのを待つ私に気づいたイージスが声をかけてくる。そのまま通り過ぎて欲しかったのだが、そう上手くはいかないようだ。話しかけられているのに無視をする訳にもいかず挨拶をしたら、顔を上げるように言われた。


(……喜びと、興味の色。でも、それほど長くない)


 私が生きていることを喜んでいる。そして、毒を口にしたはずなのに生きていた事に興味を持っているのだろう。しかしそれらが左程長い線ではなかったのは、彼の関心の大部分が後ろに控えている白髪の男性にあるからかもしれない。



「殿下、この方は?」


「む? ああ、これは兄上の部下だ。宮廷薬師と兄上の相談役を任されているらしい。お前と似たような立場だな」


「私もご挨拶を申し上げてよろしいでしょうか」


「……まあ、よかろう。私は先に戻るので、お前も用が済んだら戻れ」



 イージスが数人の護衛と共にいなくなると少しほっとする。この場に残されたのは私とエクトル、そして“魔法使い”とされている白髪の青年とその護衛の騎士だけだ。貴族がいないならばと立ち上がろうとした私にすっと手が差し出された。



「はじめまして、私はユレルミ=シンティア。白髪仲間だね、お嬢さん」



 人が良さそうに藤色の瞳を細めて笑っている彼からは、甘すぎる香りが漂ってくる。さすがに差し出されたものを無視するのは失礼だろうと彼の手を取る前に、私が伸ばした手は横から搔っ攫われた。……無論、犯人は浅葱色嫉妬が隠せていないエクトルである。顔は全開の笑顔だけれど。

 仕方がない人だと思いながらそのまま立たせてもらい、ユレルミには軽く頭を下げて謝罪した。彼は苦笑していたが私たちの関係は耳飾りの色で分かるのだろう。特に不快にも思っていない。


(それにしても、この香りは……)


 彼が纏う香りに覚えがある。これはよくないとエクトルの手を離れないように強く握った。視界の端で驚きと喜びの色が跳ねたような気がしたが、ユレルミから目を放さないよう真っ直ぐ見つめる。

 彼は魔力を持っていない。他の人たちと同じに見える。……つまり、魔法使いではない。詐欺師だ。



「……シルル=ベディートです。初めまして」


「おや、私は警戒をされているようだ。魔法使いなんて胡散臭いと思っているのかな?」



 顔には出していないはずだが分かるのだろうか。まあ、警戒しているのも胡散臭いと思っているのも事実だし、実際に彼は魔法使いではないので当然だ。

 それに、使ってはならないものを使っている。握った手から魔法をかけ続けているものの、あまりエクトルをこの場に居させたくない。



「よし。じゃあ特別に魔法使いである証拠を見せてあげよう」


「いえ、結構です。イージス殿下をあまりお待たせする訳にもいかないでしょうから。……それでは、失礼いたします」



 頭を下げたらエクトルの手を引いてその場を離れる。礼を失した態度なのは百も承知だが仕方がない。

 帰ったらすぐに解毒薬を調合したいところだが、時間的にもう遅いだろう。今夜は材料の確認だけして調合は明日一番にやろう。ユレルミのことはカイオスやソフィアに対しても注意をしておきたい――などと考え込みながら歩いていたのだが、ふとエクトルが無言のままでいる事に気づいて振り返った。


 もう城を出て薬師塔へ続く一本道を歩いているところだ。ここまで彼が黙り込んでいたのには何か理由があるのか、と思ったのだけどそう深刻なものではなさそうだった。喜びと羞恥の色が仲良く並んでいたから。……とりあえず、呼びかけてみる。



「エクトルさん?」


「…………ごめん。せっかく君が手を握ってくれたし放したくなくて黙ってた」


「いえ、それは構いませんが……」



 エクトルは私の護衛騎士だ。基本的に剣を持つべき手は空けておくべきであって、こうしてただ手を繋いで歩くことはほとんどない。それこそ、婚約の石を買った日以来かもしれない。

 それでつい惜しくなったのだろう。一応、私が掴んでいない方の手は剣にかかっているし護衛を放棄していた訳でもないようなので咎める必要はないと思う。……ただ、手を握った理由が恋人らしく甘いものではないのがちょっと申し訳ない。



「すみません。あの人は催眠効果のある薬を使っているようだったので……解毒の魔法をかけていました」



 あの甘い香りは中毒性のある危険な催眠薬のものだ。あんなものを纏う人間と長時間共に居れば陶酔し、その人間の言葉が例え過ちでも肯定してしまうようになるだろう。例えば香を纏う人間が白い壺を指して「あの壺は黒だ」と言えば、催眠にかかっている人間はその通りだと思ってしまう。魔法を使った、というのももしかすると薬の効果かもしれない。……魔法でもあながち間違いではないのだが。

 あれは魔法薬の一種だ。作製にもかなり珍しい材料が必要になるし魔力のない人間には決して作れないそれを、何故魔法使いではない彼が持っているのか。


(あれは魅了と幻影の魔法使いが作った、劇薬。まだ残ってたなんて)


 魔法薬には魔力が込められている。普通、それは魔法瓶に閉じ込めていない限り効果が薄れていくものだ。だが、ユレルミが使っていた催眠香は二種類の魔力が籠っているためか年数で劣化しない。治癒の魔法使いが解毒魔法を使ってその効果を打ち消すしか処分方法がないので、我が家では代々危険なものとして受け継がれてきた。

 ベディートが管理していた分は私という治癒魔法使いが生まれたことですべて処分できたのだけれど。……その香りにこんなところでまた出会うとは。



「……そっか。道理で君の様子が変だと思ったよ。カイオスにも連絡しておこう」


「お願いします。特にソフィア妃殿下はあの人に近づかないようにしていただいたほうがいいですね。お腹の子に悪い影響が出たらいけませんし、できるだけ薬も使ってもらいたくありません」


「うん、それも伝えておく。……イージス殿下は本当に厄介な人を連れてきてくれたなぁ」



 エクトルは冗談っぽく笑っているが見える色は不信と警戒を示す灰色と不安や心配を表す藍色だ。突然現れた、劇薬を使う詐欺師。そんな相手がこれから何をするか、どんなことが起こるか、私やカイオスに危険はないか。色々と考えているのだろう。



「私があの人の好きにはさせません。解毒薬も作れますし、本物の魔法使いです。……だから、大丈夫ですよ。私が守ります」



 魔法時代の遺物、催眠の魔法薬。その後始末をするのはやはり魔法使いの役目だと思う。私の前でそんな薬を使って、他人を操ることは許さない。

 それに、私の主人であるカイオスが巻き込まれない保証もない。ユレルミが何を企んでいるのかは知らないが貴族に取り入って催眠をかけているのだから碌な事ではないだろう。……私にできることならやるべきだ。カイオスは私の主であり、エクトルの大事な親友なのだから。



「シルルさんってほんと、頼もしいというか……俺は何度君に惚れたらいいのかな。君といると不安なんてすぐ飛んでいくんだけど」


「……私もエクトルさんがいるから大丈夫だと思えるんですよ。貴方がいてくれたら、私は何でもできる気がします」



 私一人ではきっと大したことはできない。でも、エクトルがいれば大丈夫だ。

 私の薬や能力とエクトルの剣の腕があれば大抵の荒事は乗り越えられるし、貴族と権力に関してはカイオスとの連携がとれていれば悪いようにはならないはずだ。ユレルミのことでイージスと対峙することになったとしてもきっと、やれるだろう。

 何より、彼が傍に居てくれるだけで私は安心する。落ち着いて物事に向き合えるし、不安に押しつぶされそうにならない。エクトルは私にとって誰よりも心強い味方なのだ。

 そう思って笑いかけたら、エクトルはぐっと息を飲み、間をおいてそれを言葉と共に吐き出した。

 


「……ああ……好きだなぁ……」



 俯いた彼からぽつりと漏れたその言葉には、抑えきれず零れた感情が乗っている。繋いだままの手が少しだけ強く握られてどきりとした。……彼が懸命に隠そうとしている時はその気持ちを理解していても愛しく思うだけなのに、こうして本音を伝えられると鼓動が早くなって落ち着かない。

 私の早くなった鼓動が平常に戻る頃に顔を上げたエクトルは、いつも通りの顔でにこにこと笑っていた。感情を表に出さないように抑え込んでいる時の顔だ。



「……解毒の魔法って、もう終わってるかい?」


「あ、はい。もうエクトルさんに催眠薬の効果はありません」


「そっか。魔法、使ってくれてありがとう」



 笑顔のエクトルの頭上に寂しそうな水色が見える。いや、どちらかというと残念そうというべきか。私がその線を見ていると彼はばつが悪かったのか笑みを深めた。笑顔で取り繕ったところで私には通じないと分かっていても、ついそういう表情の仮面をつけてしまうのだろう。


(これは……手を放したくないんだろうな)


 せっかくだからもう少しこうしていたいという気持ちは分からないでもない。デートに出かけでもしなければ手を繋ぐ機会なんてほとんどないからだ。

 しかしソフィアの体調やお腹の子のことを考えると、私はあまり城から離れられない。彼女の相談を受けるようになってからは二人でどこかに出かけていないし、休日でも薬師塔でのんびり薬を作ったり薬草園の世話をしたりと普段とあまり変わらないような生活をしている。


(恋人らしいことは……していなくもないけど。デートに行きたいって気持ちはエクトルさんにもあるよね)


 次の休日は少し趣向を変えて過ごしてみよう。食事は材料を頼んでこちらでエクトルの好きなものを作って、薬草ばかりだが花を眺めながら外で食事をしたり、お茶を飲んだり、少しだけお出かけ気分を味わうというのはどうだろうか。

 でも、それは少し先の話。今のエクトルが少し寂しい思いをしているなら、それを埋めるのは私の役目だ。半透明の橙色喜びが伸び始めたので、私の考えていることは間違いではないだろう。



「薬師塔までは見晴らしもいいですし、誰か近づいてきたら分かります……かね?」


「うん。隠れるところもないから」


「では、このままこちらの手はお借りしていてもいいですか?」


「……もちろん」


 繋いだままの左手を軽く持ち上げて見せると、彼は嬉しそうに頷いた。了承を貰ったので、今度はしっかり指を絡めるように手を握る。橙色と一緒に薄黄色驚きもグッと伸びていく。普段から長くなっているので真上を見るくらい頭を傾けなければ見えない桃色も伸びたかもしれない。



「薬師塔までもう少しですけど……ゆっくり歩いて帰りましょう」


「……うん…………薬師塔、遠くならないかな」


「なりませんよ」



 いつもよりも随分と歩みを遅くして、言葉を交わしながら薬師塔まで帰った。私達は仕事場で暮らしているようなものなので、生活と仕事が密接に関わっている。それでも同じ空間に恋人がいることには変わりなく、こうして合間に触れ合う時間は心地よくて好きだ。

 エクトルのように薬師塔が遠のいてほしいとまでは言わないが、私も帰り着くのが少し惜しいと思ってしまった。穏やかで幸せな時間はいつまでも続いてほしいものである。


(……でも、そうはいかないんだろうな)


 魔法使いを名乗り危険な薬を扱う詐欺師。そんな者が身近に現れたのだ。暫くは警戒が必要となるであろう。緊張の日々が続くことになるかもしれない。

 だからその前に、今だけ、ほんの少し。この温かい時間を享受してもいいだろうか。



「……なんだか離れがたいので、あとで抱きしめてもいいですか?」


「えっいいの、あ、いや。……いいよ」



 繋いだ手を放すのが惜しい気がして薬師塔の扉を開きながら振り返って尋ねた。その瞬間に見えていた寂しさの水色は即座に消え、歓喜の色に塗り替えられる。そんな恋人の様子に愛しさと笑いが同時にこみあげてくる、それを幸福だと思った。

 この暮らしを守りたい。この人と過ごす温かい日々が、一生続いてほしい。ただ穏やかで幸せな日常を送りたいと願うけれど、実はそれが一番難しいのかもしれない。


(私にできるのは、そうなれるよう努力するくらい、か)


 明日になったらあの香りの解毒薬を作ろう。詐欺師に関する処理はカイオスの領分だろうから、私はその手伝いをする。


 さて、それよりも先にするべきことは。そわそわしながらそれを顔に出さないように笑顔でいるエクトルを、思いっきり抱きしめてあげることだろう。

 長すぎる恋の色に並ぶ半透明の喜びの色を染めるのは、私しかいないのだから。


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