第43話


 正面に座るように命じられたのでカイオスと向かい合いながら自分の力について説明した。もちろん、治癒魔法のことについては一切触れない。

 話を聞いたカイオスは興味――いやこの場合好奇心だろうか。黄緑の線を驚くほど長く伸ばしながら根掘り葉掘りと尋ねてきて、怒涛の質問攻めに心がくたびれてきた頃にようやく満足したのか、質問が終わった。……天井に届きそうになる黄緑の線は初めて見た。今は満足そうに、そして楽しそうに黄色の線を伸ばしている。



「実に面白い力だ。お前に城の人事を任せたら上手くいきそうだな」


「は……?」



 予想線の能力を聞いた王子の第一声がこれである。語尾上がり疑問形の「は」であっても肯定とする王子の前で思わず声を漏らしてしまい、慌てて口を塞いだ。口を塞ごうが息を吸おうが声にした言葉は絶対に回収できないのだけれど。



「だがさすがに政務を女にやらせることはできん。全く下らん法だな、私が王位を継いだら廃するか」


「さすがにそれは難しいでしょ、カイオス」


「何、ただの冗談だ」



 冗談だと笑っているが、女が政務に携わることを禁止していなければやらせていたという口ぶりである。そしておそらく、実際にそう思っているのだろう。カイオスはそういう人間だ。私の性別が男であったなら、城の人事なんて平民には大それた仕事を平気でやらせていたに違いない。……この国の女性が政治に関する権力がなくて助かったと心底思った。



「お前の力は面白いな。お前が同席するならもう毒見もいらんだろう」


「…………お待ちください、まさか」


「私の食事をお前が見ていれば、毒が入っているかどうかわかるではないか? ああ、ソフィアも共に食事を摂るというのもいいな」



 つまり毒見もされていない料理を食べる王太子夫妻を見守って共に食事をし、毒が入っていたら食べる前に止めろということである。責任が重大すぎて胃がギリギリと締め付けられるようだった。確かに、毒を口にしそうになれば線として見えるがこんなに胃に悪い食事もない。毒見をさせてもらった方が真っ先に自分が口にできるだけまだマシというものだ。



「それじゃシルルさんは食事を楽しめないよ。シルルさんは君の臣下だけど、友達じゃないんだからね?」


「仕方ない。ならば月に一度程度にしよう、ソフィアの都合も合わせなければならないからな」



 成程、決定事項だ。これは覆らない。今まで週に一度は必ず、時には二度呼び出されていた食事が月に一度となったことは喜ぶべきかもしれない。責任の重さが増えたことは喜ばしくないけれど、そろそろこの破天荒な主人に振り回されることに慣れないと胃が潰れる。



「二人で仲睦まじい時間を過ごしていたところを邪魔して悪かったな。だが、面白い話が聞けてとても良い時間が過ごせた、褒めてやろう」



 仲睦まじい、のところで黄色の線を伸ばしながらチラリと私から視線を外したのでどうやらエクトルをからかっているらしい。私とカイオスが向き合って座っているので、一人で護衛を務めるエクトルは机の横に立っている。ついちらりと私も視線を向けてしまったが、なんでもなさそうな顔で笑いつつちょっと羞恥の色を伸ばしていた。

 ……それにしても、驚くほどあっさりと受け入れられたのが少し意外だった。未来予想ができる事象色のことだけでなく、感情が見えることも伝えたのにそちらにはあまり食いつかれなかったのだ。

 普通、心の中を見られるような力は忌避されるのではないだろうか。嫌悪感を抱かれるくらいはあり得るかもしれないと身構えていたのだが、なんというか――。



「拍子抜けだ、とでも言いたそうな顔だな」


「え……」


「この私が感情を読まれることを嫌がると思っているのか?」



 努めて笑顔でいるつもりだったのだが、心の中を読まれたような言葉が飛んでくる。そういえば彼は飛びぬけて人の顔色を見るのが上手いのだ。……それこそ、私と同じものが見えているのでは、と思うくらいには。



「私にとって他人の感情は顔を見れば分かるものだ。お前も似たようなことができるのは分かっていたしな、それに興味はない。しかし、未来の可能性が見えるというのは本当に面白いな、毎日話を聞きに訪ねたいくらいだ」


「…………お戯れはどうか程々でご容赦いただければと……」



 王太子に毎日質問攻めにされる日々を過ごしたら私の胃が危険だ。キリキリ痛むだけでは済まない気がする。そして連れ回されるドルトンも可哀相だ。常にこの破天荒な王子の護衛をやっている彼の心労は私の比ではないだろう。 



「ではエクトル、ドルトンと交代しろ」


「……え? どういうこと?」


「あれもシルルに話があるらしいからな。二人で話がしたいと」



 エクトルの頭上に不満の色が伸びている。しかし、ドルトンが私に話とはいったい何だろうか。彼はエクトルの実兄であるが、私との関わりは薄い。初めて会った時は思いっきり警戒されて厳しい目を向けられていた記憶はあるものの、今は信用されているのかそういう色を見ることはない。ただとても苦労しているような色を見るのでちょっと彼の胃は無事だろうかと心配になるくらいだ。



「話は聞かないからせめて俺の目の届くところでやってくれない? シルルさんが見えなくなるの、嫌なんだけど?」


「なんだ、惚気か?」


「そうだよ。俺は訓練さえなければ片時もシルルさんから離れたくないんだからさ」



 なんというか、今まではエクトルの言葉の意味を正確に理解する相手ではなかったから、だろうか。そこまで気にしたことはなかったのだが、カイオスは他人の顔色を見るのが上手く、何よりエクトルの親友でその性格や気持ちを正しく読み取っている。

 ……どことなく気恥ずかしい。エクトルから私へと流れてきた視線と心底楽しいと言わんばかりの色に少しばかり居た堪れない気持ちになって誤魔化すように軽く首を掻いた。



「まあ構わんだろう。ドルトンも内密の話があるという訳ではないようだからな。シルル、お前が呼んでこい。エクトルはこのまま私の護衛だ」


「かしこまりました」



 居心地の悪い視線から逃げ出すように速足で戸口に向かい、扉を開けてドルトンを招き入れた。精神的な疲労であろう苔色が伸びているので、本当にお疲れ様である。



「お話があるとカイオス殿下から伺いました。……目の届くところで話すように、とのことですが」


「弟に聞かれなければどこでも構いません。長い話でもありませんから、貴女がよければこの場で」


「……では、こちらで」



 エクトルに聞かれたくない話であるらしい。大事な話であると察せられる雰囲気の話をするのが玄関先でいいのかと思いはするが、本人がここでよいと言うなら私も構わない。

 そんなドルトンの頭上には心配や不安の色である藍の線と、喜びの橙、そして反省や後悔を示す灰緑の色があった。



「初めてお会いした時、私は貴女を警戒していました。護衛の騎士としては当然の行為だと思っていますが……私の態度で怯えさせていたら申し訳ないとも思っています」


「いえ。私も当然のことだと理解していますから」



 刺すような厳しい視線を向けられていた時は確かに緊張したが、その後この人が苦労しているのは直ぐに分かったし、特に怖いという感情を抱いたことはない。私が彼に向けるのは基本的に同情と心配であり、優しい人であるのはよく分かる。



「よかった。義妹になるお嬢さんに怖がられていたらどうしようかと少し不安でしたので」



 ……そうだった。この人はエクトルの実兄なのだから、結婚後は親類関係になるのだ。この兄弟が話しているところも見ないし、あまり雰囲気も似ていないので意識したことがなかったけれど。



「お話したいとお願いしたのも大したことではなく……個人的に、一言お礼を申し上げたかっただけなのです」


「お礼、ですか? 私に?」


「はい。エクトルのことは私も両親も心配していましたから、婚約したという知らせが届いた時は目を疑ったものです。……同時にとても嬉しかった」



 絶世の美男子はその美貌故に酷い目に遭って、極度の女嫌いに育った。家族はそれを知っていても、助けようと思っていても、守り切れるものではなくて。エクトルが感情を隠して作った笑顔を浮かべるようになり、もっとできることがあったのではと後悔するばかりだったとドルトンは語った。……だから、弟が結婚をしたいと言った時にはとても驚いたし嬉しかったのだと。



「私たちにできなかったことを、貴女がしてくださったのでしょう。今のエクトルは結構、感情を表に出していると思います。今も兄である私を睨みつけていますからね」


「……ああ、はい。たしかに」



 浅葱色を長く伸ばしているのできっと睨んでいるのだろう。少し距離があるので細かい表情までは分からないが、少なくともドルトンにはそう見えているのだ。私が目を向けた瞬間、浅葱色が消えて慌てた心の動きが見えたので零れそうになる笑いをこらえる。本当に分かりやすい人だ。



「エクトルといれば貴女も苦労するでしょうが……二人で幸せになってほしいと、差し出がましくも思っています。貴方たちの兄として、できる限り力にならせてください」


「……ありがとうございます」



 普段眉間に皺を寄せていることが多い顔に優しい笑みを浮かべたドルトンの表情が、どことなくエクトルの喜ぶ表情に似ていて、やっぱり兄弟なのだと改めて思う。私に兄弟や姉妹がいたらこうして心配したり喜んだりしてくれていたのだろうか。……少しあこがれてしまう。せっかく“兄だ”と言ってくれているのだから呼んでみるべきだろうか。



「お義兄にいさん、とお呼びするのはどうですか?」


「ははは。それはいいですね、結婚後は是非そうしてください。……ああ、それならこの話し方はよそよそしいな。私もシルルさんと呼ばせてもらいたいのだが、いいだろうか?」



 頭上にあるのは楽しさと喜びと、親しみある好意の色。社交辞令ではないのがよく分かったので「勿論です」と笑みを浮かべながら頷いた。……視界の端で浅葱色が伸びたような気がする。



「中々時間を取るのは難しいとは思うが、両親も会いたがっているので我が家にも遊びに来てもらえたら嬉しい」


「ありがとうございます。色々と落ち着いたらお伺いさせていただきたいです」


「では頃合いを見て招待状を送ろう。……さて、そろそろ弟がしびれを切らしているので戻ろうか」



 ドルトンに促されて何やら楽し気なカイオスと色々と複雑そうなエクトルの二人の元へ戻った。普通は王族をこうして待たせることなどありえないのだろうが、カイオスは有意義な時間を過ごせたと満足そうにしている。私たちが話している間、彼もまたエクトルと何か話していたのだろうか。

 戻ってくるなり即座に私の傍に移動してきたエクトルは大変機嫌が悪そうな色を見せていたが、表情だけはキラキラと輝く笑顔であった。



「では、二人の時間を邪魔して悪かったな。楽しかったぞ」



 そう言い残して帰っていった王子とその護衛を見送ったあと、深く息を吐いた。堅苦しいのはやめろと命じられるので作法を間違ってはならないと緊張することはないのだが、上位存在である王族に対して礼を尽くせないという状態も心苦しいのである。

 秘密の一つを明かしたけれど、決して親しい関係というわけではない。あくまでもカイオスは私の主であり、対等になることはありえない存在なのだから。



「片付けたらお昼まで休憩しましょうか」


「うん、そうだね。……あのさ、シルルさん楽しそうだったけど、ドルトンとどんな話したのか聞いていい?」



 カイオスに出した茶の後片付けを手伝いながらエクトルはそう尋ねてきた。さすがに弟には聞かれたくない、と言われた内容は話せない。ただ、彼はどうも落ち着かない気持ちでいるようなので不安になるような話ではないことは伝えておきたい。



「ドルトンさんをお義兄さんと呼ぶ許可を頂きました」


「え、羨ましい」


「……羨ましいんですか?」



 兄と呼ばれることが羨ましいのだろうか。たしかにまだ浅葱色は短いが存在している。エクトルは輝くような笑顔を浮かべながら肩を竦めて見せた。とてもわざとらしいのでこの後出てくる言葉は本音だろうと予想できる。



「だってシルルさん、婚約者の俺にもずっと丁寧な言葉で敬称使うし、ドルトンだけ親しみを込めて兄と呼ばれるなんてずるいじゃない?」


「……ああ、なるほど。確かにそうですね」



 エクトルに対しては敬語といっても崩した調子で話してはいるが、言われてみればその通りである。一年以上ずっとこの口調でいるので意識したことがなかったが、彼は気にしていたのだろうか。



「親を亡くしてから誰に対してもこういう言葉遣いをするようにしていたので、癖になってるんですね。エクトルさんとは気軽に話しているつもりですけど……呼び方だけでも変えてみましょうか」



 両親が事故に遭ったあの日。私は正式な見習いとなる十二歳を前にしていて、丁寧な言葉の練習はしていた。ただ、常用するようになったのはこの先誰とも家族にならず、今以上に親しい相手を作らない壁を作るためだ。七年間誰に対してもこの言葉遣いだったので家族や友人に使う気軽な話し方、というものは忘れてしまっている。

 でもエクトルとは家族になることを考えれば言葉遣いを変えるべきかもしれない、と思っていたら彼の頭上に深緑罪悪感の色が伸びていったのが見えて驚いた。



「ごめんね、無理しなくていいよ」


「無理はしてませんよ。……なんで謝るんですか」


「……辛い事思い出させちゃったかなぁって」



 笑っているのに申し訳なさそうなエクトルの様子を見ていてふと、気づいた。一年くらい前、つまりこの人に会う前まで私は両親のことを引きずっていたと思う。一人の夜に思い浮かべるのは取り戻せない温かい家族のことで、それを思い出す度に胸が締め付けられるようだった。

 だが、今はそうでもない。悲しみが完全になくなった訳ではないが、温かい気持ちで思い出せる。たぶん、もう、私が一人ではないからだ。



「以前は思い出すと辛くなりましたけど今は大丈夫です。今の私には、貴方がいますから。……ありがとう、エクトル。貴方と出会えてよかった」



 はちみつ色の瞳に、自分が笑う顔が映っている。もしかすると私はよく笑うようになったのかもしれない。これもまた、エクトルと出会って起きた変化だろう。

 一方、エクトルは笑みを浮かべたまましばしの間固まっていた。やがてゆっくりと視線を逸らし、じわじわと耳や頬が赤くなっていき、最終的には堪えきれなくなったようにそっと両手で顔を覆った。……ちなみにこの間ずっと羞恥の色が伸び続けていたので、どの程度羞恥の色が長くなったら視線を逸らしはじめ、このくらいで赤くなり、この長さで顔を隠すのだな、ということがなんとなく把握できるようになった。

 頭上にあった浅葱色や深緑色はすっかり消えて、跳ね上がった橙色は元から見えない恋の色と並んで天井を突き抜けている。次点で羞恥の色が長いが、これはさすがに突き抜けるほど長くはなっていない。



「……ごめん……やっぱり……元のままでお願いします……」


「いいんですか?」


「……うん。呼ばれる度にこんな気持ちになってたら死にそう。あと、俺はシルルさんを呼び捨てになんてできないと、改めて思った……」



 名前を呼ぶ度にこの感情の振れ幅ならたしかに大変だろうと納得して頷いた。お互いが納得しているなら言葉や呼び方を無理に変える必要はないと思う。私たちの間には確かな繋がりがあり、愛情がある。それが互いに伝わっていれば充分だ。

 ……だが、まあ、しかし。大変そうではあるが同時にとても喜んでいる様子なので、時々は「エクトル」と名前だけで呼んでみようとも思った。



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