第38話
なぜ私がソフィアとお茶会をすることになったのか。
まず、私は茶葉の入れ方を王太子妃付きの侍女に教えるためにソフィアを訪ねたし、実際に侍女にそれぞれの茶葉の扱いを教え、それらをまとめ書きしたものを渡した。その後さあ帰ろう、というところでこの部屋の主に呼び止められ「ご一緒にいかが?」とお誘いをされてしまったのである。
王太子妃に望まれたので断りようがなかったといえばそうなのだが、たかが宮廷薬師で平民の私が王太子妃にお茶に誘われる理由が分からない。……ソフィアは感情が見えにくいこともあって、判断が難しい。好意的に思われているような気もするのだが、カイオスのように私の反応を楽しんでいるだけような気もする。とにかく変わり者であるのは確かだ。
(結構、似た者同士の夫婦なんだろうな……)
平民と食事をしたりお茶を飲んだりする貴族がそう何人も居るはずはない。きっとこの王太子夫妻だけだろう。
「シルルさんには不思議な魅力があるでしょう?」
「はい? ……あ、いえ。お褒めにあずかり光栄です」
「ふふ。貴女には表裏がないわ。だからカイオスも気に入っているのでしょう」
ソフィアの言葉の意味は分かるような、分からないような。私は大きな秘密を抱えているのですべてをさらけ出してはいないのだが、ソフィアには素直で正直な人間に見えるということだろうか。
普段は感情の長さを見比べたりしながら相手の心を推し量るのだが、感情色が短いソフィアはそれが難しい。私以外には見えていない色なので他の人は心の色など見えずとも交流を図っている訳だが、正直それはとてもすごい事だと思う。分からない、ということがこんなに不安になるとは思わなかった。
(私はもうずっと、人の心の色を見ながら接してきたから……変な気分だ)
相変わらず分かりやすく警戒しているグレイが視界に入ると安心してしまうほどである。その頭上に半透明の橙色が見えるのは、ユナン関係かもしれない。仲直りできるといいな、と現実逃避気味に考えてみたが私はいつこのお茶会から解放されるのだろうか。
「イージス殿下にはもうお会いになって?」
「……いえ。カイオス殿下、ソフィア妃殿下以外の貴い方にお会いしたことはございません」
「そう。……あのお方は貴女のことを気にしているようなのだけれど」
イージス殿下、と呼ばれているのだから王族の誰かだ。王族にばかり気にされるのは勘弁していただきたいのだが、私に興味を持っているというのはどういうことなのか。
その名前が出た途端グレイの頭上で警戒の色がさらに伸びたので、とりあえず関わる気はないのだと意思表示しておく。
「私はカイオス殿下の命で行動する以外は薬を作っておりますから、きっとお会いすることはないでしょう」
「……そうだとよいのだけれど」
ソフィアとのお茶会はそう長くはかからなかった。たわいもない話をして、彼女がお茶を一杯飲み終わったところで退席を促されたから。体感としてはとても長い時間であったのだが、実際の時間は恐らく十分程度だったと思う。
彼女の部屋を出されて扉が閉まった途端、解けた緊張と共に深いため息を吐き出した。おつかれさま、と声をかけてくれたエクトルに返事をしようとその顔を見上げたら、藍色が少し見えて少し驚く。何かを心配しているようだがおそらくここでは話せないのだろう。作った綺麗な笑みを浮かべたまま、言葉を紡ぐ様子がない。
「……急いで帰りましょうか?」
「うん、そうしよう」
足早に薬師塔まで戻った後、エクトルから薬草園で話そうと言われてまた外に出た。視界が開けていて人が隠れるような場所がないから、そこで話すのが良いと判断したようだ。
「イージス殿下はカイオスの弟なんだよね。王位継承権第二位の、第二王子さま。カイオスを廃したいのはこのお方の一派というか……」
カイオスは常に何者かに命を狙われている。それは不幸の見本市のような、危険を示す予想線がいくつも見えることからも確かだ。その理由がカイオスを次期国王にしたくない者達の思惑で、そういう者達は第二王子を推している、ということらしい。
「カイオスは嘘に騙されることがないから、それだと不都合な連中がいるんだよ」
「ああ、なるほど。なんとなく分かりました」
私のような感情の色を見る能力を持っている訳でもないのに、カイオスは他人の気持ちを見抜きすぎる。腹芸をさせない力を持った王様は権力を欲する大臣からすればやりにくい相手だと想像できた。
そして逆に、弟であるイージスは扱いやすいのだろう。私としては王城の権力争いになど巻き込まれたくはないのだが……。
「……私は、カイオス殿下が王となってくれたら安心します」
「うん。俺もそう思ってる」
人で遊ぶし、人を振り回すし、意地の悪いところもあるが善人だ。私のような平民であっても粗末に扱うことのない王子は、きっと民のことを考えてくれるだろう。圧政を敷くことも悪政を行うこともないと信じられる。
「あと、イージス殿下はカイオスと違った意味で珍しいもの好きで……シルルさんの髪も目も珍しいから」
エクトルの指が私の髪に触れた。彼が今心配しているのはこれらしい。ここまで聞いた言葉や見えた皆の感情からイージスという王子がどのような人物なのか、なんとなく察することができた。
私が元々貴族に抱いていた
「できるだけお会いしたくない方ですね。面倒事は好きではないですから……まあ、でも大丈夫でしょう」
「……あまり心配してないんだね?」
「そうですね。そこまでは」
エクトルの頭上には不満を示す赤紫の色がほんのりと伸びていて、これは不満というよりは私の様子が納得できないという感じに見えた。
面倒事の気配はすると思うものの、その王子に関して私が不安に思うことはあまりない。私の庇護者はカイオスで、彼は私を簡単に切り捨てるような人ではないしできる限り助けてくれるはずだ。そして、なにより。
「エクトルさんが私を一生守ると言ってくれましたから。私は貴方を信じていますし、貴方と一緒なら大抵の困難は乗り越えられると思っています」
私の身も私の秘密も守ると言ってくれた。もちろん彼にすべてを任せる訳ではなく、私もできる限りのことはする。これは信頼による安心とでもいおうか、私はエクトルが傍に居てくれればあまり危険を不安には思わないのだ。
「君に危機感が薄いのは珍しいって思ってたけど……俺を信じてくれてるから、なんだね」
「ええ。勿論、全く警戒しない訳ではありませんが……ただ、エクトルさんが居てくれれば落ち着いていられます」
いたずらに怯える必要はないと思っている。しかし、できる警戒はするし、薬師塔の防犯強化もするつもりである。ここは城内なので治安はかなり良いのだけど、話を聞く限り攫われる可能性がない訳でもなさそうなので、念のためだ。
エクトルから赤紫の線が消えて、代わりに
「俺は君に愛されてるね」
「はい。愛してますよ」
「ン゛」
少し照れくさくて冗談を言ったのだろう。しかし事実だったので肯定したら彼は勢いよく片手で顔を隠し、そしてそのまま背けた。自分から言い出したのに認められると激しく動揺するというのは一体どういう訳なのか。空に向かって伸びる桃色と橙色の長さは伸びすぎてよく分からない。
顔を背けられたので私に見えるのは真っ赤に染まったエクトルの耳くらいのものだが、それを見ているとなんだか笑いがこみあげてきて、小さく声を漏らしてしまった。
「ごめん、自分で言い出したのに色々堪えきれなくなった……」
「エクトルさんのそういうところ、とても愛おしいと思います」
「ンン゛ッ……シルルさんそれ……追い打ちだから……」
エクトルはそれからしばらく戻ってこなかった。そんな彼の様子を飽きることなく眺めていられる私も大概だな、とは思う。ようやくこちらを向いたエクトルの耳や頬の赤みは引いていなかったが、目を合わせて笑えるくらいには復活していた。
「……俺は何があっても絶対に君を守るよ。約束する」
「はい。……信じています」
穏やかで、平和で、心地よい日常。王太子夫妻の対応で胃を絞られるような緊張を与えられることはあるものの、それを不穏だとは感じない。ずっとこういう日々が続いてほしいと、そう思う。
――そう思った、ほんの数日後のこと。
私はカイオスに呼び出されて夕食を共にしていた。まあ、共にするというか、私の役目はほぼ毒見役であるのだけれど。毒殺の危険が付きまとう王子様の温かい料理が食べたいという我儘を叶えるためには、私のような特殊な人間が必要なのだ。
相変わらず黒い線が短いながら存在し続けるカイオスの前で、私は彼の料理を一口ずつ口にしていた。最後の毒見でメインの肉料理を口に運んだところで、僅かな違和感に気づく。ゆっくり咀嚼してその正体を見極めようとしていると、声をかけられた。
「どうした?」
カイオスの頭上に普段からある、体調を崩す兆しである濃紫の線や死の色である黒の線は短いまま変わらない。……これは私が毒見役をしているからだろうか。
この料理には毒物が仕込まれている。私なら一口食べたところで特に異常は出ないだろうが、飲み込んだらきっとエクトルに心配をかけてしまう。王族の前で礼を失するのもどうかと思ったけれど、こういう時のために一応持ってきていた革袋を取り出し、テーブルの陰に隠れながら吐き出した。
「御前で失礼いたしました。この肉料理には毒が入っていますね。一口でも食べれば致死量ですので、殿下は口になさらないでください。他の料理は問題ありませんでしたが……メインがないとなると物足りないのではないでしょうか? 別の料理を用意されるならそちらも毒見を……」
「もういい分かった、それ以上喋るな。毒が体内に流れるぞ。……お前は直ぐに口の中を清めてこい。ここには戻って来なくていいから、すぐに休め」
カイオスの頭上に
正確にはエクトルに抱えられて持ち上げられた、というべきか。驚いて見上げた顔は笑っていたが、どことなく目が厳しく見える。頭上には長い心配が伸びていたので、吐き出したとしても毒を口に入れたという事実がダメだったらしいと気づき口を噤(つぐ)んだ。……
「薬師殿を休ませるためにも、このような姿で御前を失礼致しますことをお許しください」
「いい、早くいけ。……見ていられん」
エクトルは私を抱えたまま部屋の扉まで歩き始め、険しい顔つきをしたドルトンが扉を開けてくれる。彼の頭上にもまた藍色が伸びていて、一般的には毒を口に含んだだけでも心配されるものだったんだなと気づかされた。
「何も言わなくていいから……すぐ、水場まで運ぶよ」
早く大丈夫だと伝えたいのだが、おそらく伝えても同じだろう。小さく頷いて応え、大人しく運ばれることにした。
一番近い水場が外にある井戸だったようで、エクトルは井戸の傍に私を降ろす。そして無言のまますぐに水を汲んでくれた。……私が口をゆすいでいる間ずっと泣きそうに見える顔で笑っていたので、酷く胸が痛む。早く何か、安心させる言葉をかけなくては。
「エクトルさん、大丈夫ですよ。飲んでませんし、あの毒には耐性がありますし……薬師塔に戻れば解毒剤もあります。それに……私なら怪我も病も治せますから心配しなくても大丈夫、です」
最終手段だが治癒魔法も使えるので、意識を失っている間に死ぬか即死でない限り命を落とすことはないのが私だ。そして普段から薬は扱っていて、毒には耐性もある。そのせいか、どうも毒に関する危機感が薄い。……自分では問題ないと思っていた行動がこうも心配をかけてしまうとは思っていなかった。
「……それでも怖いよ、俺は。心配しないはず、ないでしょう……?」
エクトルの手が伸びてきて、そっと私の頬に触れる。顔色を窺うように覗き込んでくるはちみつの瞳は不安そうに揺れていて、それを見ていると私の心も揺れてしまう。
だからすぐに自分に魔法をかけてみた。盛られていたのは数分で効果の出る毒で、そろそろ効き目が現れてもおかしくないものだ。けれど口に含んだだけの少量で耐性もあるので毒の効果は出ていないのだろう、予想通り体力の消耗は感じない。
それでも魔法を使ったのはエクトルに安心してほしかったからだ。魔法を使ったところで魔法使いではないエクトルには何も見えないし感じないだろうけれど、使ったと告げれば少しは安心できるのではないだろうか。……いまだに消えない不安と恐怖の色を、これ以上見たくない。
「すみません……治しました。だからほんとうに、大丈夫です」
「君が謝ることじゃない。悪いのはカイオスを狙って毒を盛った人間で……でも、だめだ。ごめん、少し抱きしめさせて」
私は彼を安心させることができなかったようだ。引き寄せられて、頭と背中を抱えるような形で強く抱きしめられる。伝わってくるエクトルの熱は温かいのに、その体は小さく震えていて。この姿勢では見えないけれど、きっとまだ、不安も恐怖も消えていない。
「しばらく、このままでいていいかな……」
「……いいですよ。エクトルさんの不安が減るなら、いくらでも」
私は小さくて、エクトルは大きい。逆だったら包んであげられるのにと思いながら彼の背に手を回す。どうしたら、彼を安心させてあげられるだろう。
いつもとは違う速さで大きな音を立てているエクトルの鼓動を聞きながら、私は自分ができることを考えることにした。
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