第37話
ソフィアのために作ったのは五種類の混合茶で、スッキリとした後味の飲みやすいもの、甘みを感じるもの、深みのあるものなど彼女が好みを選べるように味わいの違うものを揃えてみた。香りが強いものを一種類作ってみたけれど、妊娠していると嗅覚が敏感になり受け付けないこともある。ソフィアの調子や気分で飲む茶葉を選んだ方が良いだろう。
そういった注意点やそれぞれの茶葉の美味しい飲み方を書き記した後、実際にそれらのお茶を淹れてみて、一度味見をすることにした。護衛のユナンにも試飲してもらおうと誘ったのだが、真面目な彼には辞退されてしまう。護衛任務中にくつろいでしまったら大変だから、と。
「私はシルル殿の腕が良いことを知っています。貴女がソフィア妃殿下の気分を和らげるために作ったものを飲んだら、私も気が抜けてしまうのではないかと……」
私は治癒魔法使いである。私が作る物は意識して魔力を込めなくても多少の影響が出るようで、薬や食べ物の効果が高まることが多い。お茶でも恐らくそうだろう。魔法をかけた際の効果に比べれば微々たるものであるが、ユナンの言う通りにならないとも限らないので休憩を兼ねて自分だけお茶を楽しむことにした。……だが、普通のお茶にはそんな効果があるはずもない。彼は本当にまじめな男だ。
「あの、シルル殿。少し気になっていることがあるのですが……」
「はい、何でしょう」
「グレイ、いや、ソフィア妃殿下の筆頭護衛騎士のことでして……あいつはエクトルを嫌っていますので、婚約者であるシルル殿にも当たりが強いのでは、と」
私に対して警戒心むき出しの女性騎士のことだ。話を聞いてみるとどうやら彼女は堅物のユナンから見ても真面目で堅いと評されるほど愚直な人柄であるらしく、軽薄に見えるエクトルに対して嫌悪感を持っているという。以前の自分と同じです、とユナンは少し申し訳なさそうに言っていた。
「私はシルル殿と話す機会もありますし、エクトルが見た目通りの人間でないことも知りました。だからもうエクトルに対し注意をすることも、愚痴を漏らすことも致しません」
エクトルが近衛騎士団に戻って共に訓練をするようになってからまだ日が浅い。私が城に来る前から時々訓練に参加していたらしいが、その頃から訓練中でも笑みを絶やさず余裕そうで本気には見えないのに試合をすれば華麗に勝ってしまうエクトルは妬み嫉みの対象になっていた。せめてその不真面目そうな態度を改めた方がいい、と口を出していたのがユナンとグレイだったようだ。
「エクトルさんは見えないところで努力をする人ですからね。共に過ごす時間が短ければ短い程誤解もされやすいでしょう」
エクトルの部屋は私の部屋と壁一枚を隔てた隣であるが、夜におやすみと別れた後、予想線が時々隣室の壁から飛び出してくることがある。その動きを見ていれば彼が部屋でできる鍛錬を積んでいるのは分かるので、私はちょっと微笑ましい気持ちになるのだ。……飛び出してくるのがとても長くなった恋の色だからかもしれないが。
「今ならあの動きは普段からしっかり鍛えているからだと分かるのですが……グレイも、以前の私と同じように二人を見る目に雲がかかっているのだと思います。根は悪い奴ではないのです」
「大丈夫ですよ。悪意を感じたことはないですから気にしていません」
私に対し警戒心剥き出しのグレイという騎士がソフィアをよく慕っているのは見ていたら分かる。不信と共に心配、不安の色が伸びるからだ。内情を深く知らない人間からすれば、私という存在は怪しいことこの上ない。
突然王子が召し抱えた平民で、花の騎士と呼ばれる恋多き男の婚約者で、宮廷薬師に登用されてから半年も経っておらず実績を積んでいる訳でもないのに王太子妃の相談を受けるくらいに信用されている。不審がられて当然だと私自身が思っているのであまり気にしてない。それに、グレイは警戒をしていても悪意――傷つけてやろう、という色を見せることはないのだ。心根が真っ直ぐな人なのだろう。
「ありがとうございます。私が話をできればよかったのですが……訓練後に風呂に誘ってから、避けられているようで」
「……お風呂に誘ったんですか?」
騎士団の訓練場には公衆浴場も併設されていると聞く。しかしそこは男性だけが使う場所であるはずだ。エクトル曰く、女性は他人に肌を見せるものではないので自室の風呂を使い、浴場には行かないもの。しかし自分が浴場にいると女性が付近をうろついて覗きまで発生することがあるので絶対に使用しないのだ、と。とにかく浴場は普段女性が行く場所ではない。
この薬師塔でも私の部屋、エクトルの部屋にそれぞれ浴室が設けられている。平民なら家に風呂がないことも珍しくなく、町の中の風呂屋に行かなければならない家庭もあるというのになんと贅沢な作りか、と驚いたが城では部屋に風呂が併設されているのが当たり前らしい。
城の内部にある騎士に与えられる部屋にも当然風呂はあるはずで、まあつまり、女性であるグレイをユナンが誘って風呂にいくという状況が全く分からず首を傾げた。
「はい。体を動かしましたし、共に汗を流そうと……グレイは訓練中どれほど汗を掻いても一切服を脱ぐことがないので、相当暑かったと思うのですが」
私はここであることに気づいてしまった。グレイは中性的な顔立ちで、女性にしては背が高く骨格もしっかりしており、髪も短い。女性らしい膨らみは潰しているのかどうか分からないが見えないし、声を聞いたことはないが、もしかすると低めの声なのかもしれない。グレイという名も男女ともに使われるもので、つまり……ユナンは彼女を男だと勘違いしている。
「ユナンさん、グレイさんは女性ですよ」
「え」
ユナンの頭上に驚きの色が伸びた後、不安や罪悪感や反省といった色が動揺を示すように伸び縮みし始めた。彼としては気の合う同僚と仲良くなってきたので軽い気持ちで風呂に誘ったのだろうけれど、相手は異性であって伴侶でもない限り共に風呂に入ることはあり得ない。
グレイ自身がどう思ったかはその時の色を見ていないので分からないが、避けられているというなら不快に思われた可能性が高い。品のないからかいを受けたと思って距離を置いたのか、男性だと思われていたことに傷ついたか、何にせよ彼女の中でユナンの印象は悪くなったのだろう。……顔色を悪くして黙り込んでしまったユナンが可哀相になってきた。この後さらに伸びる予定の半透明で見える罪悪感の色を見て心配にもなる。
「……グレイさんが真面目で誠実な人柄なら、真摯に謝れば関係の改善もできるかもしれませんよ」
「そう、ですね。まず謝らねば……」
「ちょうどソフィア妃殿下のお部屋に言伝をお願いしようと思っていましたので、グレイさんに伝言ついでに休憩中にでも時間を貰えるよう頼んでみるのはどうでしょう」
「ありがとうございます、シルル殿。そうしてみます」
ユナンの予想線を見ながら悪い結果にならないよう助言していくと、半透明の罪悪感は消えたものの代わりというように半透明の恋の色が伸びて見えて少し驚いた。……この恋心はグレイに向けられる未来の感情だろうか。心の中で応援しておくとしよう。
暫くしてエクトルが戻ってくると、ユナンはいつもより素早く交代を済ませて走り去った。エクトルはそんなユナンに軽く首を傾げていたので、グレイの件を軽く話しておく。
「ユナンさんはグレイさんとちょっとした行き違いがあって、それを謝りに行ったんですよ」
「へえ。あの二人、喧嘩してたんだ?」
エクトルが訓練から戻ってきた時は私が耳飾りをつけるのが習慣となってきたので、自然と椅子に座った彼に向き合って預かっていた耳飾りを手にした。そのまま軽く雑談を続ける。
私の護衛につく前、王都へ訓練に来ていたエクトルは同世代のユナンやグレイと顔を合わせて剣を交えることが多かったらしい。今はユナンが交代要員なので三人が揃うことはなくなったという。
「グレイとは今でもたまに一緒になって、もっと真面目にやれって怒られるんだけどね」
「……笑っているだけで訓練自体は真面目にしているでしょう? エクトルさんはそういう人ですから」
私の言葉を聞いて嬉しそうに柔らかく目を細めた彼の頭上には橙色が見える。座っている彼とは目線が近いので、その表情もよく分かった。……色を見なかったとしても伝わってくるくらい嬉しそうだ、と。
「俺は君が理解してくれるから、いいんだ。あ、あとカイオスもね?」
そうやって本音を冗談っぽく言うから、誤解されてしまうのだ。やはり、とても難儀な人だと思う。耳飾りをつけ終わって空いた手の平でそっと彼の顔を包んで、そのまま親指で頬を撫でた。この顔は彼の「理解してほしい」という思いと裏腹に、表情を作ってしまう困った癖のある顔だ。とても綺麗な顔立ちで、完璧に表情を作ってしまうからこそ余計に誤魔化されてしまうのかもしれない。
「貴方がどんな顔をしていても、どんな言葉を使っても、私は理解できます。でも……そうでない人が貴方を誤解している言葉を聞くと少し悲しくなります。エクトルさんはこんなにも素敵な人なのに、と」
噂で聞くような、女好きで不真面目で軽薄な人では決してない。しかし先入観と言えばいいのか、彼の内面を知るより先に噂や上辺を見て決めつけてしまったら、もう分からなくなるだろう。隠すのが上手い人だから。
……と思ったが、今は徐々に耳や目元を赤く染めながら困ったように目を逸らしつつ瞼を震わせていてとても表情を隠せている状態ではない。恋と喜びの予想線はすでに天井を突き抜けているので動きが分からないが、見えないところで激しく伸び縮みしているのではないだろうか。
「あの、ね、シルルさん……その……嬉しいんだけど……ごめん、顔、隠していい?」
「…………どうぞ」
私が彼の頬を包む形で触れていたせいでいつものように顔を隠すことができなかったらしい。隠しきれない感情が出ている愛おしい表情をもう少し見ていたい気持ちだったが、致し方ない。私が離れるとエクトルはすぐに顔を覆い隠し、小さく呻き声のようなものを漏らしていた。
正直、この姿を他人に見せたら恋愛に初心だということは一目で分かってもらえそうな気はするが、なんとなく誰にも見せたくないような気もする。
「はぁ……シルルさんの愛情が心臓に刺さるみたいだ……結婚したい……」
「する予定じゃないですか。……まあ、少し先になりそうですけど」
式を挙げるにも、結婚するのにも準備が必要だ。絶対に必要なのは結婚薬だが、他の薬屋で売られている薬では私に効かないだろうし自作した方が良い。しかしこの薬の調合には丸一日以上かかってしまい、調合中はほとんど薬から離れることができないためソフィアやカイオスに何かあった時が大変だ。私はできるだけ身軽でいて、いざという時にいつでも駆け付けられるようにしていた方がいいだろう。ソフィアの出産が無事に済み、カイオスが王位を継いでからでないとゆっくりと準備の時間が取れないと思う。
そう話したところでようやく手を降ろしたエクトルは、まだ血色のいい顔に気恥ずかしさを残しながらいつも通り笑おうとしている。……こういう表情を愛おしいと思うのだが、口にすればまた隠れてしまいそうなのでその言葉は心の中にしまっておいた。
「そっか、君は自分で作るんだね」
「はい。効果については保証しますよ」
一般に結婚薬と呼ばれているそれは一種の鎮痛、麻酔薬だ。結婚をする男女はお互いの耳に穴を開けるが、その痛みを消すものである。腕のいい薬師が作ったものを使用すれば穴を開けても痛みを感じず、その後穴の周辺が膿むこともない。しかし質の悪いものだと痛みが消えなかったり、傷口が化膿したりと問題が起きることがある。
用途が限定的なので常に売られているものではなく、懇意の薬屋に注文して作ってもらう薬だ。私の場合は自分で作るけれど、まとまった時間が必要となるのでしばらくは難しいのである。城の注文と薬屋ベディートから送られてくる注文を計画的に片付けて時間を作らなければならないし、結婚準備を始めるための準備期間がいる、とでもいうべきか。
「しばらくはベディートの様子も見に行けそうにないですね。ここを離れられませんから」
「そうだね。ジャンさんも心配してるんじゃないかな?」
王都に来る前、たまには店の様子を見に戻ってくるとジャンには伝えていたし、ソフィアのことがなければ次の休みにでも戻ろうと思っていた。エクトルの言うとおり、暫く戻れないことを伝えなければ心配させてしまうだろう。
「……手紙を書こうと思います」
城で重要な仕事があるため暫くは戻れないことと、それから。婚約したことも知らせよう。ジャンは私の親代わりだ。ずっと私のことを気にかけてくれていたのは知っている。
私は共に歩んでくれる相手ができた。一人ではなくなった。だからもう心配しなくてもいいと、そういう手紙を送ろう。
「エクトルさん、色々落ち着いたらジャンさんに会って貰えませんか? 私にとっては親のような人なので……婚約の報告をしたいんです」
以前、ジャンにエクトルは友人だと言った。その時はただの友人だったし、私にはそれ以上の関係を築く気がなかったのだ。……だから改めて大事な人だと紹介したい。
私の場合は両親が既にいないので本来は家族に対する挨拶なんて必要ない。けれど、せめてジャンには伝えておきたいと思ったのだ。
「うん。むしろ会わせてほしいな、俺もジャンさんにはちょっとお世話になったし」
私が商人にさらわれた後、二人で話す機会があったと聞いている。エクトルの頭上にちょこんと伸びて見えた好意の色はジャンに向けられたものだろう。どちらも私にとっては大切な人だし、二人の仲が悪くないなら私もどことなく嬉しい。
「俺の両親にも会ってくれるかい? 君に会いたがってるから」
「はい、勿論です。……でも、緊張しますね」
エクトルの家は騎士階級の貴族だ。他の貴族よりは平民に近いとはいえ、対等な立場ではないのは確かである。王城の隅に暮らすようになって王族とばかり関わっているけれど貴族と会うことに慣れた訳ではない。相手が結婚相手の家族となればより一層身構えるというものである。
「あんまり気負わなくて大丈夫だと思うよ。俺が結婚したいって思うようになったのが嬉しいみたいだから」
私と違って家族と連絡を取り合っているらしいエクトルは笑ってそう言った。家族なのだから、エクトルの内面や女嫌いだったことも当然知っているだろう。婚約の報告をしたら一度相手を連れて家に戻ってくるように、と返事があったらしい。
「盛大にもてなすってさ。母は君と二人でお茶がしたいんだって」
「……貴族の女性と二人でお茶を楽しむのは……練習が要りますね。付き合ってくれませんか?」
「うん、いいよ。俺が練習台になろう」
エクトルなら貴族の礼儀作法も知っている。彼に教えてもらえれば私も心の準備ができる、と――そう思っていたのに。
「まあ。本当にお砂糖は入っていないの? とても甘くておいしいわ。……それでシルルさん、お菓子はお気に召して?」
「……ええ、とても」
何故私がソフィアと向かい合って二人でお茶と甘いお菓子を頂く状況になったのか、分からない。軽く噛んだだけでほろほろと崩れる上品なクッキーに口の中の水分をすべて持っていかれるような気分を味わいながら、私は笑顔を張り付けた。
エクトルの母親の前に王太子妃とお茶をする予定など私の人生の中にはなかったというのに。……何故、どうしてこうなった。
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