第33話
エクトルと並んで歩きながら商店通りを見て回る。目的である宝石店は中心部にあるので、それまでに様々な物を目にすることができるはずだ。顔を晒して歩くことにまだ少し不安そうだったエクトルも道行く人々が全く私達を意識しないと分かるとほっとしたようで、今はただひたすら楽しそうに黄色を長く伸ばしていた。
(それにしても人が多いし、いろんなお店がある。見たことのない店は全部見て回りたいくらい)
王都の街の賑わいは私が住んでいた港町とは比べ物にならないものだ。ここから馬で数時間の距離であり、交易も盛んにおこなわれているのであそこは決して田舎ではなかったのだが、それでも随分違う。理由は王都でしか売買が許されない品、限定品が多く存在することだろう。フェフェリなどはまさにそれであり、他にもこの街でしか見られない物がたくさんあって大変興味をそそられる。
(化粧品の人気が高い。これは開発すればかなり売れそう。作っちゃだめかな)
しかし私の店は王都にはないので、販売は許されなさそうだ。でも王都の品を見ていると創作意欲が湧く。現在は口紅が流行っているようだが、私が見たところ使われている成分が人の肌に優しくはない。塗り続ければ唇が荒れるだろうし、私ならもっと良い物を作れそうだ。いや、荒れた唇のための薬を作るという手も――。
「シルルさん? 口紅がどうかした?」
「……あ。すみません。開発する側の目線で考え込んでいました」
いつの間にか化粧品店に展示されている口紅の前で足を止めていた。エクトルに声をかけられてそのことに気づくほど思考に没頭していたようで申し訳ない。ここは森ではないので気が抜けているのだろうか。つい一人で珍しい品を見て回る時の癖が出てしまっていた。
「そうだろうと思ったよ。君は仕事熱心だから……とてもシルルさんらしくて好きだけどね」
笑っているエクトルの頭上には楽しさと嬉しさを表す色と並んで小さく
「ごめんなさい。浮かれていたみたいです」
「謝らなくていいよ、君が楽しそうなのは俺も嬉しいしね」
「でも、今日は初めてエクトルさんと街に出たのに……」
そこでふと気づいた。私達はこういう、恋人らしい外出を今までしたことがなかったことに。エクトルは街に出れば顔を隠さなければならなかったから、私達が行くのは基本的に森への採集だった。しかしそれは付き合う前の話である。恋人になって王城暮らしをするようになってからはおそらく他の恋人たちより共に過ごす時間は長いものの、森に行くこともなくなってしまい、共に出かけるのは今日が初めてなのだ。
道理でエクトルの頭の上の
これは所謂、初めてのデートというやつではないだろうか。先ほどまでただの買い物、お出かけだと思っていたが、認識を改める。これはデートなのだ。もっと恋人らしく振舞ってもいい、はずだ。
「……私が立ち止まったら手を引いてくれませんか?」
「え?」
「手をつないで歩きましょう? 護衛任務中はできませんしね」
護衛の手を塞ぐことはできない。その手は剣を取るべきだから。私たちは共に過ごす時間は長いけれど、恋人らしく振舞う時間はそう多くないと思う。私は王族の専属薬師であり、彼はその護衛で。仕事を忘れられる立場ではない。でも今日の私達は休日を楽しむ恋人同士だから。
「そうだね……うん。そうしよう」
ふわりと花開くような柔らかい笑みを浮かべたエクトルに一瞬、目を奪われる。私はどうも感情を堪え切れないようにこぼれる彼の素直な表情に弱い。普段、他者がいるところでは特に作った表情をしていることが多いからか、その顔との差異に驚かされるような不意を突かれたような心地になってしまう。
そっと重ねられた手の温度はとても高くて熱いと感じるほどだった。視線を上に向ければ大変喜んでいるものの、薔薇色も見えるので嬉し恥ずかしといった気分であるのだろう。
そのまま二人で王都のものについて話しながら宝石店を目指して歩いた。エクトルは第二騎士団に配属されるまでは王都にいたので、私よりもこの辺りのことに詳しい。しかしそれでも自由に出歩けたことはなかったようなので、こうして過ごすのは新鮮だと楽しそうにしていた。
「この店に来るのは久しぶりだな」
「来たことあるんですか?」
店の前で呟かれた言葉が意外だったので尋ねてみた。宝石店は基本的に色付きの石を購入した後、装飾品に加工する。意味ある贈り物として誰でも利用するけれど、飾り物が好きな人は自分用に購入することも多い。しかしエクトルが色付き石の装飾品を身に着けているところを見たことはなかった。
「うん。俺が護衛騎士をやめて異動することになった時に、カイがね」
護衛でなくなっても親友である証としてお互いに指輪を渡したらしい。ただ、それは身に着けることなく大事にしまってあるという。持っているのに使わない理由を尋ねてみたら、彼は作り笑いを浮かべて、久々に嫌悪の色を見せた。
「俺が使ってるものってすぐなくなるんだよね」
「ああ……なるほど」
なくなるというか、盗られるのだろう。訓練の間指輪を外しておいていたら戻ってきたときには消えているとか、シャワーを浴びるために耳飾りを外したらなくなっているとか、そういうことが起きる。どう考えても窃盗という犯罪なのだけど、日常的に起こりすぎて犯人を探すのも面倒になり、装飾品を持たなくなったのだと思う。
「色付きの耳飾りも危ないでしょうか?」
「絶対外さないから大丈夫。なんならもう穴をあけて取れないようにしたいなー、なんて」
「それは結婚してからですよ」
茶化して言われたからこそそれが割と本気であることが分かる。だが、婚前に穴をあけるのは社会の逸れ者だ。知られれば眉を潜められてしまう、そんな行為をエクトルにさせたくはない。しかし訓練の際耳飾りは邪魔になるだろうし、失くしてしまったり壊れてしまったりすれば彼の精神的な苦痛が大きすぎる。
「訓練の時は私が預かります。それなら安全でしょう?」
「そっか、その方法があった。君に預けるなら安心だね」
そんな言葉を交わしながら店の中に入る。いらっしゃいませと声をかけてきた店員が、私たちの顔を見て表情には出さないがかなり困惑しているのが分かった。シュトウムの効果で顔がよく分からないからだろう。色すら判断できないに違いない。
「色付きの石を見せてください。赤と白、金とはちみつのような……透明感のある橙の石を揃えていただければ」
「ああ、ええ。お二人の色ですね、お座りになって少々お待ちください」
たった二本のシュトウムの幻惑作用なら、指標を与えれば破ることができる。以前、私が一輪のシュトウムを指し示したらエクトルにも見えたように。店員の彼は私たちの顔立ちはよく分からないままだろうが、目と髪の色は視認できたはずだ。似た色の石を持ってきてくれるだろう。
「エクトルさんはどっちの色が欲しいですか?」
恋人同士がつけるのは相手の髪、もしくは瞳のどちらかの色だ。店員には両方の色を持ってきてもらうように頼んだけれど、どちらが欲しいか聞いておいた方が円滑に話を進められるはずだ。
「俺は君の瞳の色が欲しいかな。好きなんだ、君の目」
「……そう、ですか。じゃあ、赤の石を選びますね」
店にくる女性たちから「瞳と髪の色のどちらを望むべきか」という相談を受けたこともある。その選択で予想線に変化が起きることはなさそうだったので好きな方を望めばいいと答えていたし、内心どっちでも変わらないだろうと思っていた。確かに、色の選択自体はどうでもいいのだが。何故、こうも気恥ずかしい気持ちになるのだろう。
「あの、シルルさん。俺は両方贈りたいんだけど、受け取ってくれるかな」
通常、恋人の証である耳飾りは一色ずつ贈るもの。二つ目を贈るのは婚約の申し込みである。贈られた側はその先の関係を望んでいなければ受け取らず、結婚について考えるつもりがあれば受け取り、共に生きる覚悟ができれば自分も二色目を贈る。お互いに二つ目の色を身に着ければ婚約成立だ。その後は結婚の準備を整えることになる。
「……受け取ります」
ギュン、と音がしそうなくらい勢いよく橙色が伸びていった。身に着けると言った訳でもないのに、喜びすぎではないだろうか。……その上にまだ半透明の部分が見えるのが、なんというか。今以上に喜ぶ上に明日になっても浮かれてはしゃぐことになるのだな、と分かってしまって可笑しい気分だ。
丁度よく店員が石を準備して戻ってきたので、私もエクトルもそれぞれ自分の色を選ぶ。恋人用の質を落としたものではなく、婚約に使える品質のものの中から自分の瞳によく似た色の石を選んだ。本当に今日は財布の中身を多めに用意して来てよかったと思う。
「すみません、白い石も選んでいいですか?」
「ええ、もちろんでございます」
視界の端でエクトルが固まったように見えたが、あまり気にしないようにしてそのまま白い石も選ぶ。珍しい色なので数は少ないが、艶のある純白の石を選んだ。この店は買った石を耳飾りに加工してくれるので、暫く町を散策してから戻ってくれば受け取りができるし、今日から身に着けることもできるだろう。
「シルルさん、いいの?」
「元からそういうつもりでお付き合いしてるんですから、私も贈りますよ。貴方の色をどちらもつけられるのは嬉しいですから」
私はエクトルなら生涯を共にしても大丈夫だと信じられると思ったから、彼の気持ちも己の気持ちも受け入れることにしたのだ。私が彼をどれだけ好きになったとしても、共に生きる覚悟がなければ恋人としてのお付き合いなんてしない。恋人になると決めた時点で結婚は遅かれ早かれするつもりでいたので、婚約することに異議などあるはずもないのである。
それは話しているつもりだったのだけど、エクトルは耐えきれないと言わんばかりに顔を手で覆った。笑顔の仮面を常に被っているような彼だが、心を激しく揺さぶられて制御できなくなると物理的な仮面をつける癖があるらしい。今も橙色と桃色の線が仲良く並んで店の天井を突き抜けているので大きな感情の波にのまれているのであろう。……顔を隠している時のエクトルがどんな表情なのかは正直ちょっと興味がある。
「好きです。結婚してください……」
「……だから両方つけるって言ってるじゃないですか」
「ああ、うん、そうだよね……分かってるんだけど……ほんとに好きでたまらなくて」
心の声が口から漏れ出るくらい落ち着かない気分である彼は暫く放っておくしかない。そしてふと、視線を感じて前を向く。選ばれた四つの石をクッション付きの台に載せた店員が、穏やかに微笑んで銅像のように動かず気配を消してそこにいた。
(……心を完璧に殺して……商売人の鑑だなぁ)
その微笑みには何の感情も浮かんではいない。頭上の予想線も爪の先程しか伸びておらず色から感情が判断しにくいくらいで、ひたすら己の感情を殺している様子が窺える。
石の装飾品は意味ある贈り物であり様々な用途があるとはいえ、恋人同士で購入しに来る者が一番盛り上がりそうではあるし、別れがあることを考えれば一度だけとも限らないので、よく見る光景なのだろうけれど。
(人前でこういう雰囲気になるつもりはなかったのに、難しい)
私は人前で仲睦まじい様子を見せつけるような趣味はないので、なんだか大変申し訳なく、そして気恥ずかしくなってきた。
軽く咳払いをしてから購入の手続きを済ませ、代金は装飾品への加工が済んでから受け取る際に支払うので、そそくさと店を出る。エクトルは顔から手を離すことはできたものの、ニコニコと大変嬉しそうに笑っていた。表情の仮面はどこかに落としてきたらしい。幸福そうなその顔は目に毒だと思ってしまう程なので、シュトウムをつけていてくれて本当に良かった。……これは他人に見せられない。
(……ちょっとだけエクトルさんの気持ちが分かったかも)
見られたら大変なことになりそうだ、というのもあるけれど。その柔らかな表情を、心の底からの幸福を、知っているのが私だけだというのはあまりにも特別で、何よりも得難い私だけの幸福だろう。
「さて、しばらくお店を見て回りましょう」
「うん。どこから行こうか」
「ここに来る途中にあった骨董品店が気になります。掘り出し物があるかもしれません」
どちらからともなく自然と手を重ね、人の群れの中を共に歩きだした。仕事に関係なく楽しむ休みというのは、両親を亡くしてから初めてかもしれない。……今日は本当にいい休日だ。
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