第30話
広いテーブルに並べられた二人分の食事。肉も野菜も味付けも何もかもが高級そうな料理が載せられた複数の皿。一つは私の前に、もう一つは黒髪黒目の王子様の前に。
この部屋にいるのは私とカイオス、そしてそれぞれの護衛であるエクトルとドルトン――以前会った時にはドンという偽名を使っていた人である――の四人だけ。護衛の彼らは食事をしないため、私はカイオスと向かい合ってこの夕食を楽しまなければならない。
(美味しいんだろうけど、楽しめるはずがない)
平民が王族と共に食事を摂る。これほど胃が痛くなるイベントが他にあるだろうか。……カイオスと関わる限り色々とありそうだなと思い至ってしまい、吐きたくなるため息を必死に飲み込んだ。
私が今日呼ばれたのは、カイオスの「たまには温かい料理が食べたい」という要望を叶えるためである。常に毒殺の危険がある王子は、毒見を終えなければ料理を口にできない。普段彼の前に運ばれてくる料理は冷めたものばかりであるらしい。だからお忍びで城を出て平民の温かい料理を求めることもあるというが、それでも毒を盛られてしまったので、もうその方法も使えない。
そこで私の能力が必要になったという訳だ。私なら、予想線を見て毒物が仕込まれているかどうかが分かる。……カイオスが私の能力を正確に把握しているわけではないけれど。彼は“鋭い勘”だと思っているはずだから。
「さて、私の相談役よ。この食事に毒は含まれているか?」
楽しそうな顔で、その通りの色を見せる彼の頭上には多くの不幸な色が並んでいる。しかしどれも短く、伸びる様子はない。これが彼の平常であり、常に危険はあるものの今目の前の食事に原因はない、と予想できた。
「……ないとは思いますが、一応私に毒見をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わん。だが、冷める前に終わらせよ」
万が一ということもある。大抵の毒物は口に含めば分かるので、カイオスの料理からほんの一口ずつを取り分けてもらうことにした。もちろんそれをやったのは王子ではなく、その傍に控える護衛のドルトンだ。大変手慣れた様子だったので、毒見役がいる城以外での毒見は彼がすることが多いのだろう。実際、街で見かけた時も彼が最初に毒を口にしそうになって、私はカイオスと関わることになったのだから。
「ありがとうございます」
「……いえ、こちらこそ」
毒見用に取り分けられた皿を持ってきてくれたドルトンに礼を言うと、彼は曖昧に笑ってみせた。罪悪感があるらしい、というのは彼の持つ深緑の色で分かったのだが、それを気にするより先に視界の端に映った長い心配の色に意識を持っていかれる。
護衛任務中であり、私とカイオス以外の人間がいるから気安い口を利くこともできないエクトルが、大変心配しながらこちらを見ているのだ。口に含んだものが毒物だったら遠慮なく吐き出すから気にしなくていいのだけど。大抵の毒には耐性もあるから、例え誤って飲み込んでしまっても問題はない。
(さっさと毒見しよう。カイオス殿下が早くしろという目をしてる気がするし)
そして毒見を始めてすぐに、肉にかけられたソースから薬の存在を感じ取って眉を寄せた。味の濃いものに混ぜて感じ取りにくくしてあるようだが、確かに何か混ざっている。しかし、体を害する毒物とは別のものだ。つい最近も口にしたばかりなので、その正体が何なのかはすぐに分かった。
全ての料理を口にしたが、他のものには何も仕掛けがない。薬が混ぜられているのは肉のソースだけだった。
「……カイオス殿下。一つ、お尋ねしたいのですけれど」
「なんだ、何でも言ってみろ」
「フェフェリが入っているのですが、城ではよくあることなのでしょうか」
カイオスの頭上で興味の色が長く伸びる。そして、彼の背後に控えるドルトンが顔を背けながらむせた。薄黄色が伸びていたのでかなり驚かせてしまったらしい。私の背後のエクトルがどんな反応をしているかは、後ろに目がないので分からない。
私たちの料理にも入っていたし、今日の料理にも入っていたフェフェリ。エクトルも過去にこの薬を盛られたことがあるようなので、城では珍しいことではないのかもしれないと思って訊いてみたのだが。
「味など判別もできぬようにしてあるはずだが……よく分かったな。それは私に必要だから入っている、気にしなくていい」
「……左様ですか。では、この食事には問題ありませんでした」
「うむ。では頂こう」
カイオスは王族で、この国の後継で、血を残すことも大事な使命であり、まあ、つまり、フェフェリが必要になるのはそういうことなのだろう。あまり考えないことにした。
まだ熱のこもった料理をカイオスは嬉しそうに口に運んでいる。私の役目はこれで終えただろう。彼の「温かい料理が食べたい」という要求は叶えられたのだから。
通常の毒見は、毒見役が口にした後しばらく時間を置くのでカイオスが口にする頃には冷めきっている。毒殺の危険に晒されている彼からすれば、食事とはそういうものでなければならない。でも、温かいものを口にしたいと思うのも、仕方のないことだと思う。
(……美味しい料理だけど、胃が痛い)
私も目の前に出された料理を口に運ぶ。美味しい料理、だと思う。味覚はしっかり働いているが、緊張でほとんど入らない。残してしまっては勿体ないと無理やり詰め込んでいると「そういえば」と目の前の王子から楽しそうな声が上がった。
「お前たちの料理にもフェフェリが混ぜられていたんだな」
「…………」
ピタリ、と一瞬手が止まってしまった。目の前の王子は口角を釣り上げた楽しげな顔でこちらを見ている。
私はこの城で働くことになった初日、たしかにフェフェリの盛られたスープを飲んだ。けれど、それは男性にしか効果のない薬なので私には効かず、エクトルの口に入る前に気づいたので実害はなかった。だからそれを仕込んだのか仕込んだ人間に頼まれたのか分からないが、事情を知っている使用人には「他言しない」と言ってしまったのだ。
話せ、と言われれば相手は王族であるし、話すしかないのだが。どうしたものかと口をつぐんでいると、黒い目が私の背後に向けられた。
「隠し事に向かない性格をしているな、お前は。エクトル、報告しろ」
「は。初日の料理に混入されておりました」
「そうか。シルル、こういうことは報告するように」
カイオスの頭上にほんの少し、心配の色が見える。なんだか申し訳なくなってしまった。彼は横暴に見えることも多々あるけれど、やはり根は善良な人なのだと改めて思う。
「申し訳ございません。害はなかったので、カイオス殿下を煩わせるほどのことではないかと思っておりました」
「フェフェリが問題なのではない。あれはこの辺りでは珍しい薬でもないからな」
フェフェリから作られる媚薬自体は、この王都では珍しい物ではないという。庶民の間では強引な告白方法として用いられることもあるし、円満な夫婦の生活のためにもよく使われる。だが望まないことが起きないようにするために、専用の解毒薬もしっかり普及していて、フェフェリの媚薬が問題になることは早々起きないらしいのだが。……他所からきて、こういう事情に疎いものはよく引っかかるだろうけれど。珍しい事件でもないなら特に問題はなさそうなのだが。
「お前の食事に何かが仕込まれた、という事実が問題なのだ」
「……なるほど。承知いたしました」
私の食事に何かが混入されるような状況が良くない。何故なら私はカイオスの専属で害することは許されない存在だからだ、とそういう話なのだろう。今回はフェフェリの混入だったから何もなかったが、それは同じ手口で致死の毒物を入れることだって可能だったということでもある。
この後信用のできない人員が排されたり、処分されたり、色々あることだろう。そのあたりはあまり考えないことにした。
「お前は私のものだからな。何かあればすぐに言え、お前を傷つける者は私の敵だ」
何やらわざとらしい物言いだな、と思ったがすぐに彼の考えを理解した。彼の頭上に伸びる
見えないけれど、背後で護衛をしている彼は浅葱色を長く伸ばしていることだろう。やめてほしい。
「お前は表情が動かないが、存外分かりやすくて面白い」
「…………お戯れは程々でお許しいただきたいのですが」
ドルトンの頭上に同情の群青色が長く伸びているのがなんとも言えない気持ちになる。この王子さまは本当に、人を振り回して遊ぶのが好きなので疲れてしまう。その上、相手の顔色を読んでやりすぎない程度に留めて嫌われることのないギリギリを攻めてくるのだから手に負えない。
そんなカイオスだけが楽しい夕食を終えて、なんとも言えない心労を覚えながら薬師塔へ帰る。隣を歩くエクトルは笑顔だが、あまり良い気分ではないのは消えていない浅葱色からも察せられるというものだ。……その隣には半透明の
(親友の冗談なのは分かるから怒るに怒れないけれど、もやもやが残るって感じかな)
伸びようとしては縮む怒りの色を見てそう判断した。この人は軽そうに見えて大変一途で、一途なあまり嫉妬深いのである。
「エクトルさん、あれはカイオス殿下が貴方をからかおうとしただけですよ」
「うん、分かってるよ。人をおちょくるのが上手いからね、カイオスは」
小さく息を吐いたエクトルから綺麗に怒りの色が消えた。代わりに不安の色と喜びの色が伸びたり縮んだりするようになる。喜びの色は長い半透明で不安が伸びると喜びが縮み、喜びが伸びると不安が縮む、この動き方は何かを提案しようとしていて、私の返答を期待しているけれど不安もある――という動きだ。
長い半透明の橙色はまだ残っており、その根元が色づいて伸び縮みしているので、これはまだ現在の感情ではない。この半透明の色が今から提案される話に関するものなら期待通りの返答を私はするのだろうけれど、本人はそれを知らないから真剣に悩んでいる様子だった。
「どうしました?」
「シルルさんには見えちゃうか……ええとね、その……俺の色の耳飾り、贈ったら受け取ってくれるかな」
装飾品を誰かに贈る時は、それぞれに意味がある。中でも耳飾りは恋人や伴侶などに贈るものだ。
恋人にはまず、自分の髪か目の色の石がついたイヤリングかカフスを贈る。告白の際に贈ることも多い。婚約する時には先に贈っていない方の自分の色の飾りを贈って、両耳を見れば相手が誰なのか分かりやすくなる。結婚すると耳に穴をあけて、お互いの色のピアスをつけるようになるのがこの国の習慣だ。
自分とは無縁過ぎて全く考えていなかった。装飾品は親しい間柄の贈り物であって、親しい相手が長らくいなかった私には関係がなかったのだ。エクトルの提案がなければずっと忘れていただろう。
「なら、私もエクトルさんに贈りましょう。今度、町に買いに行きたいですね」
「! うん、そうだね」
確か恋人とはお互いの色を一つずつ贈りあうはずだ、と思っての提案だったが、エクトルの頭の上で勢いよく橙色が色づいていったので可笑しくなった。明日もご機嫌なまま過ごせるくらいには嬉しかったらしい。
(……不安がないわけじゃないけど、すごく喜んでるから……いいか)
色のある石がついた耳飾りは恋人がいる証だ。エクトルは今までそれを身に着けたことはなかった。軟派で女好きを演じていたから、色のない飾りを使うことはあったけれど、それは特定の相手がいないという意味である。……花の騎士に恋人ができたと知られたら一体どんな騒ぎになるのやら。想像もできない。
(私の色は珍しいし特定されやすいのが問題だけど……私はあまり人前にはでないからなんとか)
色の耳飾りは相手を示すものでもある。エクトルが色付きをつけていたら、その色の女性を血眼になって探す人間は必ず出てくると思う。そして私の持つ色彩は珍しく、見つけやすい。人前に出ない職業に就けて幸いだったと思うべきだろう。
私が元々住んでいた町でもエクトルは大層な人気だったが、それはこの王都でも変わらないはずだ。王都に行って帰ってきたエクトルはとても疲れていたし、女性関連で嫌な思いをしてきたのが分かる予想線を持っていたから。
(……町娘に囲まれるより、貴族女性に囲まれる方が精神的にきそうだな)
そんな未来が訪れませんように――と願ったけれど、無駄になる気がするのは何故だろう。
「実はさ、俺も訓練に参加しなくちゃいけなくて……その間君に別の騎士がつくんだよね。あーあ、俺が一人でずっと護ってあげられればよかったのになぁ」
「……それは、まあ、そうですよね」
エクトルは私の護衛騎士となっているが、元の所属は近衛騎士団――王族直下の部隊なので、ずっと私についていて訓練をしないという訳にもいかない。少し考えれば分かることだが、思い至っていなかった。おそらく、私がこちらの生活に慣れるまでの数日はその訓練を免除されていたのだろう。
エクトルが訓練に出ている時間は、代わりの騎士がやってきて護衛をしてくれるらしい。そして、エクトルは自分が居ない間に私が他の騎士と二人きりになるのが心配なのだと思う。
(耳飾りは牽制にもなる、って言ってたしなぁ)
そんな話をしていたのは今では懐かしく思う、占いに来ていた乙女たちだが。エクトルが耳飾りの提案をしたのは、恋人同士の習慣というのもあるけれど他の騎士への牽制の意味もあるに違いない。……彼は
自然と己の耳に触れてちらりと高い位置にある顔に視線をやると、しっかり目が合ってしまった。
「君が俺の色をつけてくれたら嬉しいな」
「ちゃんとつけますよ」
「……ありがとう」
幸せそうに笑む顔が見えて、足が止まりそうになった。あまり感情を顔に出さないようにする人だが、二人でいる時は素直に表情を見せてくれることが多くなっている。私はそれが嬉しいし、そういう彼を愛おしくも感じているのだけど。……ちょっとばかり、心臓に悪いのだ。
恋人の証が余程嬉しいのだと、分かりやすくてどこか気恥ずかしい気持ちになる。しかし私がエクトルの色を、エクトルが私の色をつけて過ごすようになれば。私たちは共に行動することが多いから、一色だけでも直ぐに相手が分かるだろう。
(でも、もういいか)
目立つのは好きではないし、出来るだけ騒ぎにはなりたくないという気持ちだってある。先ほどまでいかに隠すかを考えていたくらいだ。……でも、私たちは好き同士で恋人になったのだから、いつまでも隠れている訳にはいかない。
(いつかは……結婚、するんだろうし)
そうなったらもう隠しようがない。ならば、今のうちから慣れておこう。長く高く伸びている橙色の感情と、それよりももっと長い恋の色を見て、私も小さく笑った。
不安はある。けれど、この先の幸せに期待もしている。最大限、幸せになる努力をしてやろうではないか。
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