第28話
騎士団が用意してくれていた宿で一晩休んで、町に戻ってからは大騒ぎだった。
町の人々に無事を喜ばれると同時に、大出世でよかったなと口々に言われ、状況を理解するのに時間を要した。シルル=ベディートはその腕を買われて王族に召し抱えられ、王城で薬師となるという話が既に町中に広がっており、帰った途端店に客が殺到してほとんどの薬の在庫がなくなる程だったのだ。
もちろん、すべての薬を売ることができた訳ではない。魔法薬は必要な人にしか売れないし、数日離れたことで魔力の保護ができず、ダメになってしまった薬もあった。だが、手元に残った薬は持ち運ぶのに苦労しない程度であり、まあ、引っ越しをすることになった私としては、助かるのだが。……本当に目まぐるしい一ヵ月だった。
「宮廷薬師兼、第一王子の専属相談役かぁ。今日からお城で暮らすんでしょう? どんな気分?」
引っ越しのための荷物運びを手伝ってくれているエクトルにそう尋ねられて、私は小さくため息を吐いた。ひと月の準備期間を経て、私は今日、王都に出発するのだ。
「気が重いですね」
私は城の中に一室を与えられて、そこに住むことになっているらしい。御伽噺として聞けば夢のような話かもしれないが、現実となると気が重い。貴族に囲まれて暮らす生活を庶民である私が楽しんでできるはずもない。
「カイオスのことだから、できる限りいいように取り計らってくれると思うけど。ほら、王子だから権力を使ってさ」
「あの方が王子様だって事実も気が重くなる要因なんですが……」
カイの正体はこの国の第一王子であり、王位継承権第一位のカイオス=ジギ=ディトトニクスという人物で。もっと王位と遠い王子であったなら権力争いなどから遠い生活が送れたのだろうけれど、その筆頭人物である。私も否応なく巻き込まれるだろう。
「まあ、でも、この薬屋を残してくださることには感謝しています」
地下の工房で、私がこの場所を大事に思っていることを知ったからか。カイオスはこの店を残せるように計らってくれた。私は王城に住んでそこで薬を作るけれど、この店にも薬を運んで売り、薬屋として存続させてくれるという。王族御用達の店として薬屋ベディートはかなり繁盛するだろう、と予想もできた。私も時々はここに帰ってこられるらしいし、文句はない。
カイオスは随分私の対応に心を砕いてくれたようだ。そんな相手なら貴族どころか王族であったと分かってもまだ――多少は、気が楽だろうか。魔法使いであることだけは隠し続けるつもりだが、悪い人でないのが分かっているだけいい。私が仕えることを選んだ相手でもあるし。
「……エクトルさんと離れるのはちょっと寂しいですけどね」
彼はこの町の第二騎士団に所属する騎士であり、この町と王都はそう離れていないとはいえ、今までのように気軽に会える距離ではなくなってしまう。知らない人間に囲まれて過ごす生活の心細さからつい漏らした言葉だったが、それを聞いたエクトルは顔を押さえて軽く呻いていた。
なんだか、変わった心の動きをしていることが気になる。伸びようとする喜びの感情を押さえつけているような、妙な予想線の動き方だ。……これはよく分からない。言いたいけど言えない、という感じだろうか。
「……何かわかった?」
「エクトルさんが何か葛藤していることは分かりました」
「ああ、うん、そうだろうね……。シルルさん、あんまり向こうでの生活を心配しなくていいよ。絶対大丈夫だから」
私が聞いていない話も親友から聞いているのかもしれない。エクトルがそういうなら、きっと大丈夫なのだろう。
生活に必要な殆どの物はあちらで用意してくれているという。引っ越しの荷物の主なものは、薬の材料になる植物たちだ。私専用の薬草園を用意してくれるとも聞いているので、シュトウムやフェフェリといった、個人的に育てている物も持っていくことにしたのである。
「……そういえば、今日は制服ですね」
「まあ、そうだね。君はもう王族の専属な訳だから、騎士が傍に居てもおかしくはないし大丈夫だよ」
騎士団の白を基調にした制服は、とても目立つ。服の色もさることながら、その服装に華やかな顔という組み合わせが心底目立つのだ。人気のない早朝とはいえ、誰かに見つかったらわらわらと寄って来てすぐ人だかりができるだろう。
普段薬屋に来る彼は控えめな色の服の上に汚れたように偽装されたマントを着ているので、騎士としてのエクトルがこの場に居るのは少し不思議な感じだ。
「よし、荷物はこれが最後かな」
カイオスが手配してくれた荷馬車に、そう多くない荷物が積み込まれている。この荷物と共に私は王都へ向かい、今夜からは城で暮らすことになるのだ。……いまだに信じられない気分だが。
「手伝ってくださってありがとうございました。とても、助かりました」
「これくらい当然だけど、どういたしまして。さ、君が乗る馬車はこっちだよ」
私は荷馬車の中に乗れれば充分だと思っていたのに、人を運ぶ専用の馬車も用意されていた。しかも、なんだか高級そうで私の庶民の部分が気後れするような代物である。エクトルの手を借りて乗り込んで、腰を下ろしたら伝わってくる柔らかな感触に顔をしかめたくなったくらいだ。……畏れ多いのである。
「じゃあ、俺は外にいるから安心してね」
「エクトルさんも行くんですか?」
「うん。道中の護衛は俺が任されてるから」
王城までは一緒、ということだろうか。少しだけ気が楽になった。
馬車の旅は休憩を挟みながら四時間ほどだっただろうか。柔らかいクッションがあるとはいえ、ずっと座っているのは体のあちこちが痛くなる。そろそろ限界だ、と思ったところでようやく馬車が止まり、扉が開かれた。
「お疲れ様。慣れない馬車の旅で疲れたでしょ?」
「はい。でも、この先のことを思えば……まだ」
本番はこれからなのだ。馬車を降りて思いっきり体を伸ばし、あたりを見回した。人気がない場所だが、高い石壁の中にいるので既に王城の敷地内なのだろう。
「ここは一番目立たない門で……使用人たちが出入りするところだよ。この先の案内も俺がやるね」
「ありがとうございます、お願いします」
まだエクトルは一緒にいてくれるらしい。どこまで一緒なのかは分からないが、精神的にとても助かる。彼の案内で歩きだしたが、城の中には入らず裏道のような場所を通っていく。そのおかげか人とも行き交うことなく、やがて開けた場所に出た。
「わあ……ここ、薬草園ですね?」
一面に知っている植物の畑が広がっている。割と新しいものに見えるのだが、ここ数日で出来たものではない。これはいつ用意されたのかと、不思議に思って首を傾げた。
「そう、君の薬草園だよ。城からは離れてるし、貴族も普通は来ない。君の部屋もここにあるから」
「ありがたいですね。カイさ……カイオス殿下の計らいでしょうか」
これなら胃が痛くならなくて済みそうだ。部屋はこっちだよ、と案内するエクトルのあとについて歩きながら、彼の頭上に伸びていく
まさか、と思いながら薬草園の奥に建てられたまだ新しい家の中に通されて、そこで見えた不幸の見本市のような予想線に全力で逃げ出したい気持ちになる。
「よく来たな」
いつぞやの旅人風の装束とは全く違う、華美な衣服に身を包んだカイオスが、とても楽しそうに黄色い線を伸ばしてこちらを見ていた。王子が護衛もつけずに何をしているのだ、と愕然とする。
エクトルが即座に彼の前で膝をつき、頭を下げるのを見て慌てて私もそれに倣った。
「エクトル=アルデルデ。シルル=ベディート。カイオス殿下のご命令通り、馳せ参じました」
「堅苦しいのはいらん。人払いもしてある。いつも通りに話せ」
「王族の命令なら、仕方ないなぁ」
どこか芝居がかったやり取りのあと、エクトルが立ち上がった。私も恐る恐る立ってみたが、カイオスはそれを咎めることなく黒い瞳を楽しそうに輝かせている。黄色い線もとても長い。まるで悪戯が成功して喜んでいる子供のようだ。
「さて、私の専属相談役よ。よく来たな」
「……はい。礼儀を知らぬもので失礼をしたら申し訳ございません。この度のお礼を申し上げたく」
「いらんと言っただろう。前にも言ったが、お前に礼儀は求めていない」
王族の命令である。胃の痛みを感じる気がしても、笑顔を浮かべて頷くしかないのだ。
「シルル。お前に求めることを話そう」
カイオスが私に求めることは、大きく分けて三つ。一つ目はここに暮らして薬草の管理をし、宮廷薬師として必要時には薬を作ること。二つ目は私の“勘の良さ”を使ってカイオスの相談に乗ること。三つめは時々食事に呼びつけるので必ず来ること、だった。
「……食事に呼ばれるというのは、どういう」
「お前は毒が入っているかどうか分かるだろう? 私も偶には温かい料理が食べたいのだ」
「カイオス。君はまた、そういう……シルルさん、嫌だったら断ってもいいよ、これ」
エクトルは肩を竦めてやれやれ、という風に首を振りながらそんなことを言うが私に断れるはずがない。私はエクトルのように、王子の友人という気軽な関係ではないのだ。
以前、この人の伴をしていた護衛の人たちがとても疲れた色を伸ばしていた理由がよくわかる。この王子様は、大変自由奔放であらせられるのだ。……とにかく私に拒否権はないので「分かりました」と恭しく答えておいた。
「私が目をかけているお前には、それなりの危険もあるだろう。王族の近衛から一人、護衛騎士をつける」
「え、あ……よろしいのですか?」
王族の近衛というのは、選ばれた実力のある騎士しか所属できない組織のはずだ。そこから一人、私のために選出してくれるというのは破格の対応だと思う。ただ、そこまでしてもらってよいのかと困惑する気持ちもあってカイオスの顔を窺ったら、黄色の線がまた一段と伸びているのが目に入った。……何か悪戯を目論んでいる予想線だ、あれは。
「ああ、本人の希望もあるからな。ではエクトル。これより宮廷薬師兼私の専属相談役の護衛任務を命じる。しっかり守れ」
「エクトル=アルデルデは、護衛の任を謹んでお受けいたします」
「…………はい?」
気のせいだろうか。今、エクトルが私の護衛騎士になったように聞こえたのだけれど。
「はは、その顔が見たかった。良い顔をするではないか」
「ええと……ごめんね、シルルさん。絶対に言うなって命じられてて……」
混乱している私に、エクトルが説明をしてくれた。彼は右手で剣を振るえるようになり、双剣の扱いにも慣れてきたため、元々所属していた近衛騎士団に戻ることができるようになった。昔はカイオスの護衛騎士だったのだが、現在は別の人間がそこに居る。エクトルがそこに戻ることはできない。
しかし私が召し抱えられることになり、王族の所有物として私を守る役目は近衛に命じられる。そこへ顔見知りであるエクトルが選出されるのは自然な流れだった、というが。
(……絶対、この王子様の企みだ)
それは満足そうに笑っている黒い目を見れば分かることで。なんというか、色々な不安が衝撃で飛んでいった。カイオスは善人のはずなのに人が悪い。根は良い人なのだろうけれど、権力と悪戯心が強すぎて周りを振り回すタイプである。勘弁してほしい。……まあ、でも。
「こっちでも、エクトルさんが一緒に居てくれるってことですか?」
「うん、そうなるよ」
「……それなら、いいですよ。貴方が居てくれたら、私も安心できます」
目の前の黒い頭の上に勢いよく
エクトルが居てくれるなら、きっとどうにかなる。彼は全力で私を守ってくれるだろうから、私はそれを信じる。
見上げた柔らかな金髪の頭の上に、長く伸びた恋の色を見て笑いそうになるのを堪えた。
私には、この花の騎士の恋心が見えている。あまりにも長いその色にいつも笑いそうになるのだが、今は王族の前なのだからまじめな顔を作るべきだ。
「シルル=ベディートは、宮廷薬師兼カイオス殿下の専属相談役の任を、謹んでお受けいたします」
そうして、私の新しい生活は、始まったのである。
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