第26話
逃げるなら扉から。騎士団に私がここにいると分かってもらえれば、助けてもらえるはず。そういう考えで走り出したが、本気で逃げきれるとまでは思っていない。
扉から出ようと試みるも、予想通り扉の前にいる使用人に捕まってしまった。この館に来てから着せられている品のいい服も動くのには適さないものだし、分かり切っていた結果だ。でも、目の前に可能性があるなら手を伸ばさずにはいられない。
「出してください!」
「できません、この部屋からでないでください」
「誰かツん……!!」
叫ぼうとした口をふさがれて、扉から離される。すぐに声を出せないよう布を噛まされ、後ろ手に腕を縛られた。助けを求める私が見つかれば言い逃れができないのだろう。騎士団が帰るまで、私の身動きを封じてどこかに隠しておくつもりなのだ。
「クローゼットにでも押し込めておくか……?」
「さすがに、可哀相ではないですか? このお嬢様は、無理やり連れてこられたのでしょう? それを、こんな風に縛り上げて……」
「しかし、決して見つかるなとご主人様からの命だ。仕方ないだろう」
私に同情的だった女性の使用人が非難をしてくれているおかげで、私を捕まえている男の意識がそれ、少しだけ捕まえている腕の力が弱まった。これなら身を捻るくらいは出来る。
大変に申し訳ないとは思うけれど、背に腹は代えられない。私は背後に向かって思いっきり足を振り上げた。
「あぐぅっ!?」
「えっ!?」
ひらひらのワンピースを着せられていても、私は良家のお嬢様ではない。逃げるために金的を狙うのは、そこらの町娘なら誰でもできると思う。富裕層ではまず見られない、非常識な行動かもしれないが。
うずくまる男と衝撃で固まる部屋の使用人たちの隙をついて、今度こそ扉に向かった。腕は縛られて使えないので、体当たりするように扉を開けて、廊下に転がり出た。
「うわっ!?」
勢いよく飛び出し、腕が使えないためバランスを崩して転びそうになったところを誰かに支えられた。目に入った騎士の制服に、バッと顔を上げる。そこにあったのは、エクトルではなかったがどこかで見たことのある顔だった。
(この人は……誰だっけ)
親しくなるつもりもない相手の顔も名前もあまり覚えていないので分からないが、確かにどこかで見たことのある顔である。騎士なのだから、町か駐屯所に行った時に見たのだろうけれど。
「お嬢さん、ほんとに捕まってたんだな。可愛いお嬢さんを縛るなんてひどいことをするもんだ」
使用人たちは部屋から出てくることなく、騎士の制服を見ておろおろと動けずにいる。その間に彼が私の腕を縛る縄を解き、口元の布も外してくれたのでようやく喋れるようになった。
口調で思い出したが、この人はたしか、騎士団に薬を持って行った時に案内をしてくれた騎士だ。エクトルを怒らせた人で、名前は……やはり思い出せない。まあ、いいか。
「っていうか、これを見たのがエクトルじゃなくてよかったぜ。怒り狂ったら怖いんだよな……」
何を思い出したのか、彼は軽く腕をさすりながら
「とりあえず一緒に来てもらえるか? アイツもお嬢さんの顔みたら落ち着くと思うんだよな」
「エクトルさんも、来てくれてるんですね」
「まあ、そりゃ……お嬢さんの身柄の確保は第二騎士団の最優先任務だしな」
第二騎士団、というのは私たちの町に駐屯所を構える騎士団の名称である。総出で探しに来てくれるとはよっぽど重要な仕事とされている、ということなのだろうけれど。……これは、きっと王族案件扱いなのだろう。胸元の指輪をぎゅっと握りこんだ。
「この館の人たちは……」
「それはお嬢さんが気にすることじゃない。じゃ、行こう」
彼は扉の向こうの使用人たちを一瞥した後、私の背中を押そうとして一度固まり、何事もなかったように先を歩き出した。その頭上に残る恐怖の色に首を傾げたくなりながら、後に続く。
「もしエクトルに俺が責められたら、転びそうなのを受け止めたのと拘束を解いたのは不可抗力だと言ってくれ」
「なんですか、それ」
意味は分からないが、彼は真剣だった。頼む、と真顔で言われたら分からずとも頷くしかない。
彼の案内で広い屋敷を歩いたが、この館の人間はどこへ行ったのかまったく見かけない。ただ、あちこちの部屋を探し回っていたらしい騎士には何度か出くわしたし、その度に私を見て「無事でよかった」と笑ってくれた。
「エクトルは?」
「あっち。食堂だな、早くいった方がいい」
「分かった」
言葉を短く交わしてエクトルの居場所を尋ねながら館の中を進む。食べ物の良い香りが漂ってくる大扉の前にたどり着いたとき、その扉の向こう側から聞こえた派手に皿が割れる音に驚かされてびくりと肩がはねた。ついでに、前を歩いていた騎士の恐怖の色も伸びた。
「……エクトル! 例のお嬢さんは見つけたぞ!」
一度大きく呼吸をした彼は、意を決したように大声でそう言いながら扉を開け放った。開いた扉の先でまず目に入ったのは床にぶちまけられた豪華な料理と転がる燕尾服の使用人。そして、商人の男の襟首をつかんで宙に浮かせているエクトルだ。
強烈なその光景に固まっていたら、ゆっくりとエクトルの顔がこちらを向き、その目が私を見て大きく開かれる。
「シルルさん!」
「う、わっ」
私と目が合った途端、商人を放り出しここまで一緒に来た騎士を押しのけてこちらに向かってきたエクトルは、そのまま力一杯私を抱きしめた。正直、苦しいし痛い。ドス、と重たい物が床に落ちる音がしたのだが、床に落ちたらしい商人は大丈夫だろうか。
でも、直前に見えたエクトルの感情はとても不安そうで、苦しそうで、怒りと後悔でいっぱいだったのが見えたから、彼の行動を咎められない。今は視界が騎士の制服で埋め尽くされて何も見えないが、私を抱きしめる腕からは私の身を案じていた彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。
「えくとるさん、くるしい、です」
「あ、ああ、ごめん。怪我はしてない? 大丈夫? なにもされてない?」
腕から解放されたと思ったら、両手で顔を包まれて上から覗き込まれる格好になった。はちみつ色の瞳が珍しく揺れている様子からすれば、酷く心配しているというのは分かる。そしてこの体勢は、以前私が彼の傷を心配した際と似たようなもので、本当に顔が近い。……なるほど、あの時の彼の心境を今理解した。これは心臓に悪い。
「大丈夫、なので……その、落ち着いてください」
「うん……でも、本当に無事でよかった……」
もう一度抱きしめられた。先ほどよりは弱い力で、苦しくはない。二度も抱きしめたのは、存在を確かめたいからなのだろうか。……私はもう、先ほどから距離が近すぎる彼に心臓がおかしくなりそうなのだけれど。
「あーえーとな、目に毒なんで他所でやってくれるか……」
「ほら、エクトルさん。お仲間の騎士さんもああ言ってますから、離れてください」
「……ああ、セザンがいたのか。急に抱きしめてごめんね、シルルさん。色々、堪えきれなくて」
予想線がいまだに落ち着きなく、様々な感情が伸び縮みしている様子を見れば仕方がないことだったと納得できるし、頷いた。それほど心配をかけたのだ。
それに、助けに来てくれた。彼の姿を見てから、私の心から不安のようなものはすっかり消えている。エクトルが安心できるなら多少のことには目を瞑ろう。
「後の処理は俺たちが居れば十分だし、お前はそのお嬢さんをまず送ってやったらいいんじゃないか」
「うん、そうする。シルルさん、行こう」
「あ、はい。セザンさん、ありがとうございました」
エクトルのおかげで名前が分かった騎士に頭を下げて、エクトルの後についてそのまま屋敷の外に出た。屋敷の中ではそうでもなかったが、外に出れば夜風が冷たくて体が震えた。
「あ、寒いよね。よかったらこれを着て」
「……ありがとうございます」
渡されたのは騎士団のマントである。かなり大きいが、羽織るだけでとても暖かい。しかし、これを脱いだらエクトルが寒いのではないだろうか。
「近くの宿を騎士団が借りてるけど、シルルさんは……乗馬の経験、ある?」
「ない、ですね」
「だよね。それにその服じゃ馬には跨れないか。……宿に着くまで少し、寒いだろうけど……歩けるかい?」
「はい。大丈夫です」
今日は星月祭。星と月の明かりが一年でもっとも明るい夜で、ランプがなくても道を見失わない。目が慣れればもっとよく見えるようになるだろう。そんな夜道を二人で並んで歩き始めた。先導するために、エクトルが一歩だけ先に歩いてくれている。
「助けに来てくれてありがとうございました。星月祭でお休みだったのに、騎士団の皆さんまで」
「それは、当たり前だよ。君は自覚ないかもしれないけど、皆……君の薬には助けられてるし、町の人だって君のことが好きだから、たくさん協力してくれた。大義名分もあったし、ね」
私には王族の専属となる契約があり、それはつまり王族の所有物扱いとなるそうで。私と契約を結んだカイが私を切り捨てればそれまでだったが、保護しろと命じれば私の身柄は最優先で保護されるべきものとなる。
カイに私が行方不明となったことが伝わってからは大変早かったという。それまでも情報収集などは行われていたが、王族の命令があれば集まる情報の桁が違う。
「ここは森の向こう側だから、町に戻るのは日が昇ってからになるけど……町の人たちもすごく心配してたから、顔を見せてあげれば安心すると思うよ。例えば……」
エクトルはそれからたくさんの人の名前を挙げてくれたが、ジャンとその家族の名前くらいしか私に思い当たるものはなかった。私は名前も知らない人たちなのに、皆が助けようと動いてくれたらしい。不思議な気持ちだった。
「……もしかして、シルルさん。今の人たちが誰か分からない?」
「よくわかりましたね。……誰とも親しくなる気が、なかったので」
「君らしいといえば、君らしいんだけどなぁ」
今度は名前ではなく、買っていく薬や私がよく利用する店の名前などが挙がる。それでようやく、どんな人たちが私を助けようとしてくれたのかが分かった。顔と使う薬などは直ぐに一致する。常連客や、私がアドバイスをするお店の主人、その奥様方がたくさん協力してくれたようだ。
「今度は分かりました。皆さんにお礼を言わなくちゃいけませんね」
「こっちだと分かるんだね。そっか……君に名前を憶えてもらってるって、少し特別な気がする」
「エクトルさんについては……もう何百回と聞かされていましたので、流石に」
エクトルが騎士としてやってきてから六年。いや、もうすぐ七年だろうか。町の女性たちはずっと彼の話をしていたし、私もずっと相談を受けていた。それだけ聞き続ければ顔と名前は自然と一致する。そう話したら、彼の頭上に少しだけ悲しみの色が伸びた。それを見ていたら、後悔の色も伸びていき、彼の歩みが止まる。私も自然と立ち止まった。
「……助けに行くのが遅くなって、ごめんね。ずっと心細かったでしょう?」
私を見下ろすはちみつ色の瞳はとても不安定に揺れていた。そういえば、今日はずっと感情をむき出しにしているような気がする。それだけ、今回のことは彼を動揺させたのだろう。
攫われてから今日まで、確かにずっと心細かった。怖かったし、苦しかった。その間、いつも思い浮かんでいたのがエクトルの顔だったのを、思い出す。……助けに来てくれるだろうと、どこかで信じていたから。
「……エクトルさん、今日は約束を守ってくれてありがとうございます」
「約束、かい?」
「はい。星月の夜を一緒に過ごすって、約束したじゃないですか。まさに今が、そうですよ」
満天の星空と、明るい月の下で二人きり。ご馳走で食事はできていないけれど、一緒にこの夜を過ごすという約束は今果たせている。
「貴方ならきっと助けに来てくれると思っていました。だって、貴方はいつも約束を守ってくれるでしょう?」
彼は感情を隠すし、表情を作ってしまう嘘つきだ。でも、約束を破ったことはない。
私はきっと、心の底からエクトルのことを信用している。この人は私を絶対に守ってくれる人だと、そう信じている。今回のことでそれがよく、分かった。
「父がよく言っていました。魔法使いは、本当に信じられる人しか愛してはいけないと」
今、父のその言葉を思い出すのは、きっと。まあ、そういうことなのだろう。今の気持ちを言葉にして伝えようと決めたら、彼の頭上に半透明の橙色が長く伸びていくのが見えた。言う前から物凄く喜ばれることが分かるのは、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちである。
「私はエクトルさんを信じています。……貴方を、愛しても……いいですか?」
ずっと無言で私の言葉を聞いていたエクトルから返事はなかったけれど、抱きしめられて見えなくなる前の予想線でどう思っているのかはよく分かった。
一つだけ飛び抜けて長かった桃色に笑いながら、温もりに身を委ねるように、その背中に腕を回す。温かくて、とても心地が良かった。
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