第24話



 来客を告げるドアベルの音がして、反射的に「いらっしゃいませ」と明るい声を上げる。物珍しそうに店内を見回す客の姿に、違和感を覚えた。

 もう季節は冬で、外からやってくる客が分厚いコートを着ているのはおかしなことでもないのだが。それが上質な生地で品の良い仕立てであり、おおよそ庶民の小さな店に似つかわしくない物である、というのは中々ないことだ。


(これは貴族、というより……富豪、かな?)


 表には連れが居るのかもしれないが、護衛の姿は見えず、店内に入ってきたのは高級そうなコートの紳士が一人きり。貴族は一人で行動しないものなので、恐らく金を持った平民だろう。……入口を見張らせて地下の工房に庶民と二人きりで入ろうとする者は例外である。

 そして、店に入ってきた客の予想線を見るのはもう、私の癖のようなものなのだけど。


(怒りや不満の未来……何をしに行くんだろう、この人)


 不透明で見えるその二つの色から察すれば、今からよくないことが起こるのだろうと予想できる。しかし、状況を知らない相手にアドバイスができるはずもない。



「失礼。こちらの店は薬屋に見えるが、評判の占い師がいるという店で合っているのかね?」


「商品を買っていただいたお客様に限り、今日の出来事についてのご相談を承っております」



 何度言えばいいのか分からないが私は占い師ではないのである。騎士団にも薬を売るようになり、効果を知って個人的に薬を買いに来た騎士が「ここ占いの店だと思ってたけど薬も売ってたのか!」とのたまったとしても、断じて違う。私は薬屋だ。



「ふむ。では……食事を助ける薬はあるかね?」


「はい。お持ちいたしますね」



 富豪や貴族は会食でしっかりした食事をすることが多いので、消化促進の効果がある胃薬が必須なのだ。すぐに棚から取り出した胃薬をカウンターに置き、金額を告げる。



「三十回分、1000ベルです。食前にお飲みください」


「ふむ、安いな。では……この後の商談の成否を占ってもらおうか」



 薬代を受け取って、もう一度その男の頭上を見た。やはり、いい色は見えない。



「……芳しくないかもしれませんね。私に商売のことは分かりかねますが、今のままではいい結果を生まないかと、思います」


「……不愉快だが、まあいい。占いを覆してこそ、という見方もできる」



 男は半透明だった怒りと不満の色を線の根本だけ染めながら不愉快そうに顔を歪めたが、薬を受け取ってすぐに出て行った。私は見えたものから予想したことを正直に話すしかないので、どうしようもない。

 先ほどの男は私の言葉に怒りと不満を示したが、それらの色は半透明の部分が長く残っていたので、予想線に現れるほどの出来事はまだ起きていない、ということだ。考えを変える気はなかったようなので、その商談とやらは失敗するのではないだろうか。まあ、私にはもう関係のないことである。



 その日も無事に仕事を終え、買い出しも終わって夕食の支度でもしようかという頃に、エクトルがやってきた。顔を合わせた途端、彼の頭上に橙色喜びが伸びることにも随分慣れてきた気がする。……気恥ずかしい気持ちはあるけれど。

 しかし、定休日の森の日まではあと三日ある。今日は約束もなかったし、何か急ぎの用事でもあったのだろうか。


「急にどうしたんです?」


「大した用事じゃないんだけど……忙しかった?」


「いえ、特には」


「そっか、よかった。……ごめんね、実は顔が見たくなっただけなんだ」



 それをいつも通りの作ったような笑顔で言ってくれれば笑えたが、愛おしそうに目を細めながら言われたので顔を逸らした。言葉は悪いが目に毒である。

 この人は疲れている時は表情が出やすい、と思う。現に今も、苔色が頭の上に伸びていた。



「疲労の色が見えましたよ。少し休んでいきますか」


「ああ、ありがとう。じゃあお邪魔します」



 最近はもうエクトル専用の席となってきた店の椅子に腰を掛けた彼は、頬杖をついて軽くため息を吐いた。よっぽど疲れているらしい。動作がいちいち色っぽいので、この状態で町の乙女たちの前に出したら食われそうだな、と不吉なことを考えてしまった。



「……大丈夫ですか?」



 ハーブティーに回復魔法をかけて差し出す。魔法使いであることは既に知られてしまっていて隠す必要がないので、彼に対してはもう惜しみなく魔法を使うようになってしまった。慣れとは恐ろしいものである。



「大丈夫だよ。……ああ、やっぱり君が淹れてくれたお茶は落ち着くなぁ。ありがとう」


「どういたしまして」



 向かいの席について、ぼんやりとエクトルの姿を眺めた。気怠げな様子が妙な色気を纏うのは、容姿が整っているからこそだろうか。私としては、色々と心配になるところだ。この状態で見つかったら蝶と呼ぶ乙女たちに貪り食われかねない、とか。一体何をしてそんなに疲れているのだろうか、とか。



「何かあったんですか?」


「ああ、王都に行ったら色々、ね……でも、うん、いいこともあったよ。まだ話せないけど」



 王都へはここから馬で三時間、といったところだ。往復したならそれだけでも疲れそうだが、精神的に疲弊することが向こうであった、と考えるべきか。

 「色々」と口にした瞬間、濃紺嫌悪がにじみ出るように現れて消えたから、女絡みなのだろう。本当にどこに行っても大変そうな人である。



「まあでも、いいことがあったなら良かった、ですね?」


「うん。もう無理だろうって思ってたから、嬉しい。……シルルさんのおかげなんだけどね」



 そう言いながら右手を振って見せる。なるほど、剣を握れるようになったからこそ、出来るようになったことがある、という訳か。それなら良かった。

 私の薬が誰かの役に立つ。そしてそれを、喜んでもらえる。薬を作る者としてこんなに嬉しいことは他にないだろう。



「あとこれは王都のお土産なんだけど……」


「え、これ、高級品じゃないですか……!?」



 王都にある、有名な高級菓子店のクッキー缶が取り出されて取り乱しそうになった。庶民はまず手を出そうと思わない値段のものである。

 中に入っているのはクッキーのはずだが、宝石箱のような見た目で大変綺麗な箱だ。食べ終わっても小物入れとして使いたいくらいの品物である。



「うん。まあ……カイが用意するの手伝ってくれたから、安全だと思う」


「ああ、まだあれを気にしてるんですか」


「だって、君に毒を食べさせるわけにはいかないじゃないか」



 以前持ってきたクッキーが殺虫剤入りだったことが長く尾を引いているようだ。私は気にしていないのだが、彼は「これじゃ君が喜びそうだと思っても気軽に買えない」と嘆いている。……別に、そんなに贈り物を頑張らなくても良いのに。



「……あの、本当に頂いてもいいんですか?」


「勿論。君へのお土産なんだから」


「ありがとうございます。じゃあ、頂きます」



 これは素直に嬉しいので大事に食べさせて貰おう。開けることも勿体ないので、暫くは飾っておこうかとすら思う。いや、食べなくては意味がないのは分かっているのだが。まあ、とにかく嬉しい。



「何かお返しがしたいですね……欲しいものはあります?」


「俺が欲しいもの……」



 ぐん、と伸びた恋の色を見れば、何を考えたのかは大体察せられるというものだ。私が視線を頭上に向けたのを見て、エクトルは己の顔を手で覆った。薔薇色羞恥が勢いよく伸びていく。



「……ごめん、これはその、違うんだ。つい」


「……はい」



 恋心が見えるというのも、見られていると知っているというのも、考えものであろう。お互いに気恥ずかしいというか、ちょっと気まずい空気になった。



「あの、お返しっていうか……来週の星月せいげつの夜は俺と過ごしてくれないかな、って」



 年に一度の盛大な行事、星月祭せいげつさいはこの国の民の祝日だ。一年で最も星と月が輝く日で、来週の土の日の夜から陽の日の夜までがそれに当たる。

 土の日の夕方までは仕事をするし祭り関連の屋台なども開かれるが、その日の夜から翌日の夜までは働かなくていい。むしろ、原則働いてはならない。家族や友人など、大事な相手とゆっくり過ごすのが慣例の行事である。……恋人同士などは、この日を過ごすのが定番だが。



「……いいですよ。食事も私で良ければ作りますし」


「ほんと……!?」



 パッと顔を上げたエクトルが心底喜んでいるのが分かって、苦笑気味に笑う。先ほどまで不安の色を長く伸ばしていたが、今は歓喜しか見えない。……こういう反応をされるから断れないのである。

 いつもはジャンとその家族と共に過ごすので、そちらに断りをいれなければいけない。大事な友人と過ごすと伝えれば、笑って送り出してくれるだろう。



「食事の支度は俺も手伝うよ。それなりに出来るしね」


「じゃあ、お願いします。夕方に来てもらえれば、助かります」


「うん。任せて、走ってくるから」


「……ばれないようにお願いしますね?」



 エクトルが町中を走っていたら目立つだろう。しかも、星月祭だ。恋多き男がどこかの愛しい女の元に行くのだと、大変注目されるに違いない。恋する相手である私の元に来るのだからあながち間違いではないのだが、なんというか、世間の想像とは違う関係であるので、余計な勘違いはされたくない。……恋人にはなっていないのに、勘違いで嫉妬による突撃はされたくないのである。



「大丈夫。絶対蝶々さんたちには絶対見つからないようにするから、約束だよ。絶対来るからね」



 エクトルがとても嬉しそうで、それを見ている私の気分もよかった。きっと星月祭は楽しく過ごせるだろうと、そう思っていた。



 三日後、薬屋定休日の森の日のこと。

 休みの日に朝早くから尋ねてくる人間はエクトルくらいのもの。だからその日、裏口を叩く相手は彼以外にないと特に確認もせず閂を外して、扉を開けた先に見覚えのない黒ずくめの人間が数人立っていたことに、驚いて固まった。



「白い髪に赤い目、この娘だな」


「よし、確保だ」


「っ!!」



 口に押し付けられた布からは薬の匂いがした。その薬は強制睡眠の効果がある、いわゆる麻酔薬で、いくら薬の耐性が強い私でも力で勝る男に押さえつけられながら一分もそれを吸わされたら気絶する。……常人が数秒で意識を落とす薬でも、一分程度は抵抗できる訳だが。



「この薬でなぜ眠らない!?」



 そんな慌てる声は聞けたものの、抗い続けられる訳もなく、意識を手放した。



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