第23話
好きだ、とか。恋人になりたい、とか。そういう告白なら、まだわかる。いや、それでも脈絡のない唐突な告白に感じるだろうけれど、まだ理解できるのだ。彼は私のことを好いているから。でも、そういう色々すっ飛ばして結婚とは何事なのか。
笑顔で差し出されたコップの水を受け取って喉に残る塊を押し流し、彼の頭上に視線を向けて安堵した。
(……ああ、何か意図があった訳じゃないのか)
それを言った本人は顔に出さないが内心慌てていたから。別に私の秘密を盾に結婚を迫ったり、関係を強要したりしたい訳ではないというのもその感情を見れば分かる。言うつもりのなかった本音が漏れたのだと分かる混乱具合で、驚いたり不安になったりとにかく忙しない心の動きが見て取れた。
(これは、冗談として受け止めていいはず。そして流そう。それがお互いのためだ)
あまりにも唐突過ぎて普通なら冗談としか思えない。今ならまだ、冗談だったと笑って済ませられる。彼の言葉は冗談だったし、私は彼の気持ちに気づいてない、今まで通りでいられるはずだ。
「びっくりしたじゃ、ないですか」
「ごめん。つい」
「つい、じゃないですよ。全く、冗談にも程があるでしょう」
それでこの話は終わるだろうと思っていた。エクトルは初めての恋の真っただ中で、色々と間違えてうっかり口にしてしまったそれはきっと隠したいだろうし、私も気づかないフリをするべきだと。
だが、私の反応は彼の望むものではなかったらしい。冗談にもほどがある、と言った途端に少し不満の色が伸びたのだ。
「あのさ、シルルさん。本当は……俺の気持ちも見えてるんじゃない?」
「……何を、言っているのか」
「君が見えるものの話だよ。人の可能性だけじゃなくて……あんまりはっきりしたものではないんだろうけど、人の気持ちを察せられるだけの何かは見えてるでしょう?」
それは質問という形でありながら、確信に基づいて放たれた言葉だった。もしかして、という根拠のない推測であったなら、短くても不安の色が見えるものだがその色はない。カマをかけられているくらいだったらはぐらかせばいいけれど、確信を持たれているなら誤魔化しきれるものではない。
「……なんで、分かったんです?」
「俺が君をよく見てるから、かな。前に教えてくれたよね、人の頭の上に可能性が見えるって。でもさ、それにしては見てる回数が多いと思ったから」
つまり、未来の可能性を見ているとは思えない状況でも視線を向けているので、他のものも見えていると思った。そしてそれは、私の人の気持ちを察する能力の高さから考えれば、そういうものが分かる何かだろう、と。
「俺の推測、合ってるかな?」
「まあ、はい。……気持ちを見られるのは不快だろうと、思うんですが……すみません」
「君が悪い訳じゃないんだから謝らなくていいのに。俺は見られても困らないし……ああ、悪巧みしてる連中はそうかな。でも、はっきり何考えてるかわかるほどじゃないんでしょう?」
「ええ。……私に見えるのは、色と長さですから」
治癒の魔法使いであることも知られてしまっているし、感情を知ることができると気づいているならもう隠す意味もない。予想線について詳しく説明する。見えるもの、見え方、それから私がどんな予想、判断をしているか――エクトルは終始嬉しそうに橙色の線を伸ばしながら私の話を聞いていて、そんなに喜ぶ内容だろうかと首を傾げたくなった。
「嬉しそう、ですね」
「うん、嬉しいからね。君のことを知ることができるのも、俺の気持ちがちゃんと伝わるんだってことも」
エクトルは表情を作っていることが多い。もうそれは抜けない癖であるからこそ、私やカイのような“心を見抜く”相手でないとまともな関係が築けないのだと言う。
「感情の色だけじゃ心を読むとまでは言わない、かな?」
「そう、ですね。間違えることもあると思います」
私の判断が正しいとは限らない。きっとこう思っている、と予想しているだけでそれが正解である保障などないのだから。未来予知や心読みの魔法とは別物なのだ。
しかし、もしかすると。これも血で受け継がれた魔法の一種なのではないだろうか。私の先祖には治癒の魔法使いだけでなく、未来予想や心読みの魔法使いも居て、混ざり合い、この予想線が見える能力に変わったのかもしれない。……真実は分からないけれど。
「それで、俺の気持ちも知ってるって思っていい?」
「…………ええと」
「酷いなぁ、知ってるのに冗談で済ませようとするんだもの」
さっきの小さな不満はそういう理由らしい。確かに彼の言葉は心の声が漏れたものであっただろうが、本心だ。それを知っていて冗談にしてしまおうとした私に、ほんの少し思うところがあったのだろう。
こういう時にどう答えればいいのか、分からない。私はただ、今の関係を続けたいと思っていて、彼と不仲になることは望んでいない。けれど喜んで恋人になろうという気持ちもない。そんな戸惑いが表に出ていたのか、エクトルは不安の色を長く伸ばし始めた。
「俺の気持ちは迷惑かな」
「……いえ、そういう訳では」
迷惑だとも嫌だとも思っていないから、困るのだ。恋人になって欲しいと懇願されたら受け入れてしまいそうな自分がいるから、困惑しているのだ。重たくて面倒くさそうな愛情を抱えている人だと分かっているのに、不思議と拒絶する気は起きないのだ。
(……自分の気持ちがよくわからない)
エクトルに好意を抱いているのは確実だが、それが愛や恋と呼ばれるものなのか、友情なのか、はたまた別の何かなのか、判断しきれないのである。そんな状態で町の乙女たちに目の敵にされるかもしれない「花の騎士の恋人」という位置に収まる覚悟など持てるはずもない。
それに、魔法使いが誰かを愛するのは難しい。秘密があるからこそ、本当に信じられる人以外愛してはいけない。親からもそう言い聞かされてきたし、その通りだと思っている。私は、本当に心の底から彼を信じられるだろうか。……それもまだ、分からない。
「俺、君に嫌われてはいないと思ってるんだけど……」
「勿論です。エクトルさんのことは好きですよ」
それは間違いないと自信を持って言える。その“好き”の種類が分からないだけで、好意には違いない。そうでなければ一緒に出掛けたりしないし、一緒に居て心地よいと感じるはずもないのだから。
「あー……シルルさんはこう……時々すごく、真っ直ぐな言葉を使うよね」
「あ。……すみません」
ストレートな物言いをし過ぎたらしい。エクトルの耳が赤く染まった上、喜びと同時に悲しみの色が伸びている。好きだという言葉が嬉しい反面、そこに他意がないと分かって残念だと思う気持ちも強いのだろう。……ちょっと悪いことをしてしまった。
「その、私は、恋愛感情というものがよくわかっていませんから、お答えしようがないというか」
「あ、そうなんだ? それなら、よかった」
何がよかったのかと隣に座る彼の顔を見上げたら、嬉しそうに笑う顔が私を覗き込んでいた。
「君にはっきり断られたらちゃんと身を引かなきゃって思ってた。でも、俺は君が居ないと苦しいから……うん。よかった、まだ諦めなくていいんだね」
甘く、とろけるような、柔らかい笑み。熱っぽく強い欲が見て取れる、はちみつ色の瞳。いつも街で見かける
――ああ、これは逃げられそうにない。別に触れられている訳でも、逃がさないと言われた訳でもないのに。そう、思った。
(……落とされそう)
何に、とは言いたくはないが。多分、近いうちに、そうなる。
心臓が強く波打って、顔に熱が昇るようで。彼の顔を見て居られなくて、そっと目を逸らす。小さく息を飲む音が聞えた気がした。
「……シルルさん、感情が見えるんだよね」
「えっと……はい」
「うん、俺が落ち着くまでちょっと見ないでいてくれるかな」
何でですか、と目を向けようとしたら視界が何かに遮られた。直ぐにそれはエクトルの手だと気づく。……よっぽど見られたくない感情を抱いているらしい。気になるけれど、見ない方がいいのだろう。
「……見ませんから、手を離してください」
「……うん」
目を閉じたまま彼の熱い手が離れるのを待ち、離れた後は背中を向けることで視界に入らないようにした。
数分、そのまま無言の時を過ごして、落ち着いたらしいエクトルに「もういいよ」と声をかけられてから降り返る。ついちらり、と確認するように頭上を見てしまったが、そこに見えたのは灰緑の色で。それは反省や後悔を示すものだ。
「俺は自分を律せるようにならないといけないなと、反省しているところなんだけど、分かる?」
「はい。反省の色が見えます」
「そう……他に変な色はない?」
「それ以外は……まあ、不安の色があるくらいでしょうか」
「それならいいんだ」
さっと藍色が消えたので、安心したらしい。一体なんだったのかと首を傾げたくなったが、あまり気にしてはいけない。見るなと言われれば見たくなるのが人間の心理というものではあるが、友人の心を踏みにじりたくはないのである。
「ここで採集をしたいんですけど……」
「うん。俺は周囲の警戒をするから、安心してやるといいよ」
それはいつも通りなのだけれど。今日はせっかく遊びに来たのに、果たしてそれでいいのだろうか。
「……一緒に、やります?」
それは思いつきだった。私が楽しいことであって、彼が楽しめることとは限らない。それでも、エクトルの頭上には
「じゃあ、やってみたい」
その後は採集する植物の説明や、作れる薬の種類、植物ごとの採集の仕方をエクトルに教えつつ、薬の材料を集める時間を過ごした。思っていたよりも楽しそうに過ごしてくれたので、良かったと思う。
……今度はここで採集したものを使って、簡単な薬を作ってもらうのもいいかもしれない。
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