第19話


 この町に駐屯する騎士団の中から編成された、魔物討伐隊は四日で帰ってきた。怪我人は出たが誰も欠けることなく戻ってきたと人伝に聞いてほっと胸を撫で下ろす。

 私の友人である騎士は大変人気が高く有名なので、大事があればハチの巣を突いたような騒ぎになるだろうから、本当に無事なのだろう。森の日にはいつも通りの笑顔でやってきてくれるはずだ、とそう思っていた。

 だから、そろそろ店を閉めようと表の札をひっくり返しに出たところで、見慣れたマントの人物に出会ったことに大変驚いた。



「やあ、こんにちは。……今から少しいいかな?」


「……いらっしゃいませ。中へどうぞ」



 札は準備中のままエクトルを店内に招き入れたら一応鍵をかけておく。来るのは三日後だと思っていたが、緊急の用事でもあったのだろうか。



「ごめんね、閉めるところだったのに」


「いえ、構いませんが……何かありましたか?」


「うん。今日は協力してくれた薬屋に、騎士団が薬の分の代金を払って回ってるから。ここには俺が来た方がいいと思ってさ」



 成程、仕事だったらしい。一軒一軒に騎士が直接、お礼も兼ねて訪ねて回っているようだ。討伐から帰ってきたばかりでもっと休んでもいいだろうに、ご苦労様である。……エクトルの頭上には喜びの色も長く伸びているが、疲労の色もある。疲れているのは事実だろう。

 治安維持に尽力している騎士達は民衆からの支持も厚い。その上、この町の騎士団は薬を提供しただけでこうやって丁寧な対応をしてくれるのだからその人気は上がるばかりで留まるところを知らない。他の街の騎士団はここまで市民に丁寧な対応ではないと聞くので、率いている者の人柄がいいのだろう、きっと。



「まずは、お帰りなさい。無事に帰って来られてよかったです」


「……うん。ただいま。シルルさんが送り出してくれたから、絶対帰って来なきゃって思ってたんだよね」



 疲れて表情を取り繕う気力もなくなっているのだろうか。フードの影で見えにくくなっているはずの顔に、分かりやすいくらい嬉しそうな笑みが浮かんでいるのが見えた。見える感情と全く相違のない、喜びの表情だ。……とても珍しい。やはり疲れているのだろう。



「とりあえず、お疲れでしょう。席へどうぞ。お茶を淹れますね」


「ありがとう。君に淹れてもらったお茶、好きなんだ」



 そう言いながらフードを外してよく見えるようになったエクトルの顔に、正確に言えばその頬に、真新しく深い傷があることに気づいて驚きのあまり固まった。彼は私の驚きに気づかないままいつもの席に腰を下ろしたが、私はお茶を淹れる前に確認しなければならないことができたので、彼のすぐ傍に立つ。

 エクトルは魔物と戦っていたはずだ。その魔物に傷つけられたものならば。



「ちょっと失礼します」


「え? シルルさん、急にどうし……っ!?」



 エクトルの顔を傷に触れないようにそっと両手で包んで固定し、傷口をよく観察する。

 深い傷だが魔力は帯びていない。つまり、魔障にはなっていない。それが確認できれば安心である。

 鋭い刃で綺麗に切られているので、私の薬を使えば傷痕も残らないだろう。……この傷が残ってしまったら、乙女たちが嘆き悲しむ声で町に異常事態が発生するだろうが、大丈夫だ。



「よかった、これなら右手に悪影響もないですね。他に怪我はしませんでした……か」



 魔障は、重ねれば重ねるほど悪化する。心配のあまり傷口の確認を最優先にしてしまったが、よく考えたら苦痛の色の長さが大して変わっていないことで判断できた気もするし、何より相手の感情やら何やらを考慮しなければならなかったな、と深く反省した。

 以前にも気づいた瞬間に勢いよく右手を掴んでじっくり観察してしまったが、あれは右手だったからまだよかったのだ。


 ……つまるところ、花に例えられるほど麗しい顔が羞恥に染まっている様子を間近に、しかも正面から見るものではないと思う。しかもその目は多量の熱を含んでいて、見ているだけなのに瞳の色はちみつと同じくらいの甘さを感じた。

 さすがにその光景は私の心臓にも悪かったらしく、急にドクドクと心臓が激しく鼓動しだす。かなり気まずく感じながら「お茶を淹れてきます」と逃げるようにその場を離れた。


(距離感を間違えたんだな、たぶん……)


 友人同士の距離感、というのはよく知らないのだが、顔を捕まえて覗き込むのはいくら傷口を見るためであっても止めた方がいい。湯を沸かし直しながら窺ったエクトルの予想線から、内心は大変に混乱しているのが窺える。喜んだり恥ずかしくなったりと忙しない心の変化が予想線に現れているのだ。


(恋の色もまた伸びたし……応えるつもりがない気持ちを育てさせるのは、よくない)


 マイナスな感情が見えないのはいいけれど、恋の色が一段と伸びてしまったのは私の責任である。……軽率だった。相手は私を好いているのだから、適切な距離を保たなくてはいけない。


 湯が沸くまでの間に、傷薬の用意をする。魔法をかけて効果が上乗せされたもので、魔法瓶に入れる訳ではないので長持ちしないが、二日も使えば傷痕すらうっすらとしか残らなくなるくらいの効力がある。頬の傷に使って貰うつもりだ。

 お茶を淹れるまでにはそれなりに時間がかかったし、大分頭も冷えた。エクトルも少しは落ち着いただろう、と何でもない顔で二人分のハーブティーを運ぶ。……こちらにも少しだけ、元気が出るだけの回復魔法をかけておく。



「どうぞ。疲れが取れますよ。それからこちらは傷薬です。傷口を消毒してから使ってくださいね」


「ああ、うん。ありがとう。いくらかな?」


「いえ、お代はいりません。傷、早く良くなってほしいだけですから」


「……そっか。じゃあ、有り難く頂くよ」



 流石に表情を取り繕うのが上手い彼は、いつも通りの笑みと声でカップを手に取った。まだ羞恥心が覚めていないのは、頭上の薔薇色と赤くなっている耳で容易に知ることができる。私も彼を見習って、努めて無表情でいることにした。



「これ、騎士団から。金額が合うか確認してくれる? 君が書いてくれた納品書から、相場の金額で出してあるんだけど……足りなかったらまた言ってね」


「……わあ」



 渡された小袋の中身を確認して、思わず声が漏れた。少なく見積もっても、騎士団に持って行った薬の売値の倍は入っている。流石に、心苦しい。正規の値段で買ってくれたらそれで充分だ。



「あの……多いので、必要数だけ受け取ってお返しします」


「多いのかい? 君の薬の効き目を考えたら、それくらいの薬だろうって判断だったんだけど」



 エクトルの話によると、私の薬の効力が他の店の薬とは一線を画すものであったらしい。痛み止めは飲めばたちどころに痛みが消え、解熱剤も五分と経たず熱が下がり、傷薬を使えば一日で傷口が塞がる。これは秘薬といっても過言でない薬に違いないと。


(……ああ、詰め替えの時に結構不安定だったから、魔法が掛かったのか……気を付けなきゃ)


 魔力は感情が揺れると漏れ出すことがある。騎士団に届ける薬を詰め替える間、私はエクトルのことを考えていた。絶対に無事で帰ってきてほしいと心配していたから、その感情が魔法になって薬の効果を強めた可能性はある。……元々、私が作った薬は普通のものより効きが強い。それをさらに強めて、魔法薬にしてしまったのだ。



「じゃあ有り難く貰っておきます。お役に立てたなら、良かった」


「うん。……あと、少し質を落としてもいいから値段を押さえて、騎士団うちに定期的に売って貰うことってできる?」



 薬の質を落とすことはできないが、魔法で効果が上乗せされない普段通りの薬なら出せる。それでも少し質が落ちた、と相手は勘違いしてくれるだろう。それを半額で卸せば、魔法のことは誤魔化せるはずだ。



「今回の半額で出せます」


「それはありがたい。皆助かるよ」


「ええ。……エクトルさんの役にも立ちますしね」



 私の薬を騎士団が使うということは、エクトルも使うということ。危険に立ち向かう仕事をする彼の支えに少しでもなれたらいい。

 そう思っての発言だったが、彼の喜びの感情色が伸びたり縮んだりと落ち着きない動きをし始めた。喜んでいいのかどうか、迷っているような反応だ。

 恋をしている相手を前にすると人の感情はここまで落ち着きがなくなるものなのか。最近のエクトルの予想線は生きているかのようによく動く。……私に恋をする人間なんていなかったから、新発見だ。



「ええと……そうだ、君にお土産を持ってきたんだった」


「お土産、ですか?」



 男性から女性へ贈る物としての定番は花だが、私はそういう物を貰っても困る。エクトルなら花束の一つでも持ってきそうだ、と少し不安に思いながら彼が少し大きめの革袋を取り出すのをじっと見つめた。



「シルルさんはこういう花だったら喜んでくれるんじゃないかと、思ったんだけど」



 するりと紐を解かれた革袋から覗いた、白と紫が入り混じる花に目を見開く。花は花だが、これは、珍しい。フェフェリと呼ばれる花で、この辺りでは取れない薬の材料が取れる植物なのだが、この辺りの市場でも売りに出されていない。私では手に入れにくい品である。……エクトルがこういうものを持ってきてくれるとは、意外だった。



「土ごと掘り返して持って帰ってきたし、汚れるからこの袋のままどうぞ」


「……ありがとうございます。これは、嬉しいですね」



 私が普段作らない類の薬に使われるものだが、五本ほど株ごと持って帰って来てくれたので、栽培すればいくらでも薬が作れるだろう。

 つい堪えきれない笑みを浮かべながら袋を受け取った。新しい材料というのは、わくわくするものだ。例え使ったり売ったりする予定のない薬でも、嬉しいものである。



「よかった。……ところでこれ、何の薬になるの?」


「ああ、これは……ええと」



 彼はこの花が何の薬になるか全く知らないで持ってきてくれたらしい。まあ、知っていたら女性には贈らないだろうから、当然だ。知っていて女性に贈ったらある種の変態になってしまう。

 それに、多分、彼はこの花を使って作った薬を盛られたこともある。それなのに話してもいいものなのか。


(……まあ、今知るかいつかどこかで知るかの違い、かな……なら、教えてあげた方がいい、のか)


 意を決して私はその効果を口にした。そして彼の予想線が絶望の淵に落ちた、とでもいうような動きをしたので、言ったことをとても後悔した。……やはり、人間関係は難しい。

 私は市場に並ばないような材料なので本当に嬉しかったと一生懸命伝えたものの、エクトルはどこか空虚な笑顔のまま帰っていったのである。



 ―――フェフェリの実からは、男性によく効く、かなり強力な精力剤が作られます。


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