第18話



 好きな人が、出来てしまった。

 自分だけは絶対に恋をすることなんてないと思っていたのに。



「よろしくお願いします、エクトルさん」



 笑っている顔を正面から見たのはそれが初めてだったと思う。赤い瞳は美しい宝石のように輝いて見えたし、白い髪は誰にも踏み荒らされていない朝の雪景色のように神聖に見えた。そして自分がそう思ったことに何より、驚いたのだ。

 シルルは愛らしい顔立ちをしているが、絶世の美女という訳ではない。整った顔なら見慣れているし、貴族の女性なら端正な顔立ちをしていて当然で、その中に混ざれば彼女は埋没してしまうかもしれない。

 でも、美しい顔立ちに何の価値があるのだろう。少なくともその時、今まで見て来たどんな物よりも魅力的に見えたのは、堪えきれない笑みが零れたような薬屋の娘の微笑みだった。


(……好き、だ。でも、これは……どう、したら)


 きっと、ずっと前から好きだった。気づいた瞬間感情が溢れそうになって、どんな顔をしたらいいのかも分からなくなってしまう。

 たった今友達だと認識してくれたばかりの想い人。今すぐ自分の気持ちを打ち明けたいと思いながら、それは間違いだと理性が止めにかかる。それでも我慢しきれなくて、今好きな人に告白したらどうなるか、と彼女の力に尋ねてみた。

 分かってはいたが告白成功の見込みはなく、落ち込んだ。行動次第で変わるという助言を貰って持ち直し、頭を冷やすためにも薬屋を後にしたが、一人で悩んでいてもいい考えは浮かばない。


(どうやったら好きになって貰えるんだろう……)


 見た目だけで異性が寄ってくるものだから、好かれるためにどうしたらいいかなんて考えたこともなかった。そもそもシルルは最初から俺の外見に惹かれる人間ではなかったので、今までやってきた「女を手のひらで転がす術」なんてものは通用しない。

 何をすればいいのか悩んで、最初に思いついたのは贈り物をすること。可愛いと評判のクッキーは、薬さえかかっていなければ喜んでくれそうに見えた。彼女は可愛いものや、甘いものは好きなのではないだろうか。


(でも、食べ物はだめだ。また何か入れられたらたまったものじゃないし……)


 食べ物ではないなら、何がいいのだろう。可愛いものか、綺麗なものか。女性が喜ぶとされる物は知っているが、本当にそれを贈って喜んでくれるのだろうか。


(カイオスに、話そう。他に相談なんてできやしないし)


 ただ、唯一の親友は次にいつ会えるのかが分からない相手で。吐き出せない想いの代わりに、深いため息を吐いた。




 その数時間後、騎士団に所属する騎士に強制召集がかけられた。休暇中でもお構いなし、慌ただしく動く騎士を見れば何事かと思うもので、召集がかけられたことは町中に直ぐ広まる。花束でも買おうと花屋に向かっていた俺も、休みのはずの仲間が走って駐屯所に向かう姿を目にして、ただ事ではないと同じ方向に駆けた。



「二つ隣の町に魔物が確認された。うちからも討伐隊を出す。すぐに支度しろ!」



 魔物、その言葉を聞いて一瞬、右手がひどく痛んだ気がした。もう、シルルの薬を塗っていれば痛むこともなくなったのに。その痛みと共に過去の恐怖がまざまざと思い起されて、それを押し込めるように笑みを浮かべた。



「余裕そうだな、エクトル。お前も討伐隊に組み込まれてたぞ」


「はは、俺の力を買ってもらえて光栄だね。じゃ、準備してこようかな」


「おお、花の騎士様はさすがだな。女どころか魔物の扱いもお手の物ってことか」



 仲間の軽口をひらりと手を振って受け流しながら与えられている部屋に戻り、支度を始める。顔には笑みを浮かべ続けているものの、気は重い。

 俺は昔、魔物に襲われた。魔物は他の生き物とは全く違う、禍々しい姿をしている。あの時それを見て固まったカイオスを庇って右手を貫かれ、戦う意思も持てず、激しい痛みを必死に堪えて逃げるしかなかった。


(……今度は戦える。だからまた、会えるはず)


 でも、もう一度顔を見て、出来れば「いってきます」と伝えたいと思うのは何故だろう。私服から制服へと着替え、剣を腰に挿して一度部屋を出る。そこで誰かが「セザンが女の子を支給品部屋に連れて行った」と話す声を耳にした。


(こんな時に何をしてるんだ、あいつ)


 俺よりもよっぽど女好きで遊び人の仲間の顔が浮かんで、直ぐに歩き出す。今から命がけの魔物退治だというのに、女を連れ込んで何を考えているのか。駐屯所内で妙なことをされる前に相手の女を追い出さなければ。

 そう思って向かった先に思いがけない顔があって、息が止まるほど驚いた。笑顔だけは剥がさなかったけれど、彼女はいつも俺を驚かせる。驚いたし、会えると思っていなかったからとても嬉しかった。でも。


(セザンがシルルさんをそういう目で見たってだけで……死ぬほど腹が立つ)


 彼女を穢されたような気分だ。シルルはジャンという彼女の恩人と共に薬を届けに来ただけのようだが、セザンが邪な目で彼女を見ていたことはすぐにわかった。

 さっさと追い払ったのはいいが、怒りは収まりそうにない。後で一度、きっちり締め上げておこうと今決めた。


 セザンへの怒りはひとまず収めて、とにかくシルルと話せることを喜ぶことにした。討伐隊として行くことが告げられれば、心も決まるというものだ。

 もしかして心配してきてくれたの?と冗談っぽく言ったのは、まあ心配してくれたら嬉しいな、という本音が漏れた言葉ではあったのだけど。

 彼女の赤い瞳が珍しく揺れて見えたので、直ぐに否定の言葉を紡ぐ。……嫌われたくはない。



「なんてね、冗談だよ。君の薬はよく効くから助かるし、俺が優先的に使わせてもらいたいなぁ」


 

 それに、薬を持ってきてくれただけで充分だ。シルルの薬の効果が高いことは俺が身をもって知っている。怪我が悪化して死ぬ、という事態は免れるに違いないという妙な信頼すらあって。



「いえ、心配して来ました。……だから、お気をつけて。無事に帰ってきてくださいね」



 だから、彼女がそんなことを言ってくれることまでは望んでいなかったというか。いつも冷静で、俺の言葉は真に受けないことが多い人だからそこまで期待していなかったというか。あまりにも驚いて顔を作るのを忘れていた。……でも、この人はいつも、本当に欲しい言葉をくれる。


(これは……ほんと、嬉しいや)


 絶対に帰ってこなければならないと思う。何でもない顔をして彼女のいる薬屋に行かなければならないと思う。


 シルルとジャンの二人を外まで案内した後、一時間もしないうちに出発となった。でも、不思議なほど恐怖は感じなくなっていた。




――――



 魔物の退治には時間と人員が必要だ。魔物の体は斬って分割したとしても、死なずに元の形に戻ろうとするから。ただ、子供の拳程度の小さな欠片であれば本体に戻る力もなくなるようで、その大きさを少しずつ削り取って体積を減らしていくのが魔物退治の基本だ。


(全然、減らないな……!)


 魔物というのは不定形の流動型の生物で、黒くて大きな塊のような体をしている。そのどこからでも刃を繰り出し、己に群がる人間を屠ろうとするのだ。その刃を避け、もしくは盾で防ぎ、魔物の体を少しずつ切り落としていかなければならないが、かなりの長期戦を強いられる。

 魔物の攻撃を躱しつつ、攻撃する際も切り落とす量に気を配らなければならない。そんな神経を尖らせる戦いが長引けば、集中力も続かない。事故をできる限り防ぐためにも細かい交代が必要となる、厄介な仕事だ。



「エクトル交代だ!! 一度退け!!」


「ッ……了解!」



 背後から飛んできた団長の声に反応して、距離を取る。途端に目前に迫ってきた黒い針を首をひねることで躱したが、頬に熱が走った。斬られたらしい。

 俺が下がって出来た空間に別の騎士が滑り込み、剣を振るい始めた。安全圏まで後退し、渡された水筒で軽く喉を潤し、乱れていた呼吸を整える。



「傷は?」


「最後にやられた頬だけです。少し休めば行けます」


「ああ。だが、お前は盾も持てないのだから無理をし過ぎるな。充分働いている」


「はい」



 右手はまだ、重たい物を持つことができない。俺は魔物の攻撃をすべて躱すか、躱しきれない時は切り落として難を逃れている。……伸ばされた刃の切り落としは、どうしても大きな塊となってしまうし効果がないのであまりやりたくはないが、命には代えられない。

 第二騎士団団長、俺の上司に当たるギルウィスの言葉に頷きはしたが、焦る気持ちはある。戦闘開始から三時間は経っているのに、魔物の体積は大して減っていないからだ。



「回復持ちというのは厄介だな」


「……はい」



 すでにこの世のほとんどの魔物は狩られているが、残された文献によると魔物は一種類だけ魔法を使うことができる。使える能力は個体ごとに違うのだが、今回の魔物は回復魔法を使っているようだった。

 つまり、切って切ってようやく小さくなってきたと思ったら、回復して元の大きさに戻ったのだ。ようやく作り上げた砂の城を高い波にさらわれた時のような無力感、とでもいえばよいのか。努力が無駄になるような光景が繰り広げられれば、徒労感にも襲われる。


(でも、それも無尽蔵って言う訳じゃない。どこかで魔力が切れるはず)


 魔法を使い続ければ魔力を失う。何かを食べて補給をしなければ魔力は回復せず、魔法を使えなくなる。その時までひたすら削り続けなければならない。危険な攻撃魔法を使われるより命の危険は少ないものの、精神力が試される。つまり、元々長期戦である魔物退治が、さらに長くなる。……褒美でもなければやってられない。



「これが終わったら我が第二騎士団には私が王都で奢るとしよう」


「それなら少しは皆、やる気が出るかもしれませんね」



 騎士団長であり爵位持ちのギルウィスの奢り、というならいい店に連れて行ってくれるのだろう。でも、それよりも早く帰りたいと思ってしまう。

 全く小さくなっていない大熊程の大きさの魔物に、小さく息を吐いた。これの討伐にはあとどれ程の時間が必要になるのだろう。



「お前やセザンには物足りないかもしれないがな」



 たしかにセザンには物足りないだろう。ギルウィスは愛妻家であり、大変身持ちが固い。女っ気が全くない店に連れて行ってくれる、ということなのだろうが、俺はそれに文句などない。



「……では、俺には、向こうでは採れない珍しい薬草でも教えてもらえませんかね」


「ほう?」


「冗談です。では、そろそろ行きます」


「ああ。……ヤオグ!! 交代だ!!」



 ギルウィスの叫ぶ名前の騎士の元に駆ける。早く、早く。こんな魔物は倒して、帰りたい。

 魔物の刃が届く距離まで近づけば、戦うこと以外の思考は切り捨てる。死ぬ危険は少なくとも、全くない訳ではないから。


 ――――結局、その魔物の討伐には半日の時間を費やした。日が昇り始めてから始まった戦いは、日が暮れる頃にようやく終わったのである。



「エクトル、良い薬草がこの辺りに自生しているらしいので、帰りがけに探すといい。特徴は――」



 誰も彼もが疲れて地べたに腰を下ろす中で、指示を飛ばしつつ自身も戦いにも参加していたはずのギルウィスに声をかけられた。疲れ切った頭で薬草の見つけ方と特徴だけを覚え、後は聞き流す。


(……持って帰ったら、シルルさんが喜んでくれないかな)


 そんなことを殆ど思考できない頭で考えていたけれど、もっとしっかり団長の言葉を、特に薬草の使われ方や効能について聞くべきだったと、後で後悔することになる。



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