第17話



 騎士は貴族につながる、近寄りたくない職業第一位だった、はずなのに。


(エクトルさんが心配でこんなところまで来るなんて……今日の私はどうかしてるな)


 いざという時の指輪おまもりがあるとは言え、こんなところに来ることがあるとは思いもしなかった。でもなぜか、心配で居ても立っても居られない気持ちだったのだから仕方あるまい。


 今朝会った時、エクトルに怪我の予想線はなかった。けれど、移動に一日かかる距離の討伐任務ならなくて当然なのだ。私が見える事象色は基本、一日以内に起きる事柄を示している。それを考えれば会えたところで怪我の予想線など見えないだろう。それなのに騎士が集まる駐屯所まで赴いてしまった。


(……多分、見送る覚悟が出来てなかったから)


 来週も当然その姿を見せるのだろう、と思っていた。そして私はこの先、彼の対応に頭を悩ませるのだろうと。困っていたし、悩んでいたけれど、来てほしくないなんて微塵も考えていなかったのだから。


 魔物は強い。奴らに決まった形はなくその身を刃に変えて攻撃し、魔法を使うことは共通しているが、個体によって使う魔法が違うのだ。

 使える魔法は一つで、魔法の種類はその魔物の生れ方に起因する。一般的には知られていないが――魔物とは魔法使いを食った獣の、成れの果て。食った魔法使いの能力を引き継いでいる。


 だから魔法使いの減少とともに魔物も増えることがなくなり、討伐された分その数を減らした。私も魔物も同じように絶滅危惧種、という訳だ。



「お、薬を持ってきてくれたのか。助かる」



 駐屯所の石壁をぐるりと回って裏口にやってきた。見張りをしていたのか、裏口の前に佇んでいた騎士がジャンの抱える箱に気づき、笑いながら声をかけてくる。



「ああ、薬屋ベディートからの品だ。よろしく頼む」


「聞かない名前だな……ん? そっちのお嬢さんは?」



 ジャンの大きな体と箱で小さな私はすっかり隠れていたらしく、遅れて気づいた騎士から視線を向けられた。接客用の笑顔を浮かべて緊張を隠し、軽く頭を下げる。



「薬屋ベディートを営んでおります、シルル=ベディートです。私の薬がお役に立てればと、お持ちいたしました」



 騎士、というのは貴族と平民が入り混じった職業だ。といっても爵位持ちはほんの一部だし、町の警備もしていて町人と言葉を交わすことも多いため、ここに居る者は貴族であっても庶民の気やすい態度に寛容である。

 粗相をして首を刎ねられやしないかとひやひやしないだけ、先週カイと二人きりになった時よりマシな気分だ。これなら笑顔が崩れることもないだろう。



「ここに入ってる薬はこの子が作ったんだ。効果は保証するぜ」


「へえ。責任者なら納品書を書いてもらっていいだろうか? とりあえず中へ」



 正直、騎士団の駐屯所内部になど入りたくはない。だが、もしかしたらエクトルがいるかもしれない。笑みを張り付けながら頷いて、ジャンと共に建物の中へと案内された。

 防音がしっかりしているのだろう。中に入ると途端に人の声で騒がしくなる。装備の確認は、馬は、薬は、と色んな声が飛び交っている中を見張りの騎士とジャンについて歩いていく。誰の頭上にも怪我の予想線は見えなかったので、時間的に見えないのだろう。皆が無事に帰還することを祈るばかりである。

 備品が積まれた部屋にたどりついて声が遠のき、ようやくほっとした。……さすがに大きい声が響く場所は緊張するというか、少し怖いというか、苦手だ。



「お嬢さん、ここの紙に持ってきた物とその数を書いてくれ。あとでまとめて支払うし、残っても騎士団で引き取るから」


「分かりました」



 備え付けられた小さなテーブルの上で、さらさらと持ってきた品物を書き込んでいく。中身の確認は一緒に来てくれた騎士とジャンの二人が手伝ってくれた。

 私の小さな店では大した量を用意できなかったので、その作業も直ぐに終える。書き上げた納品書を確認した騎士は笑いながら、冗談のようにこう言った。



「薬はいくらあっても助かるからな、ありがとう。でもこんなかわいいお嬢さんが駐屯所までわざわざ薬を持ってきてくれるなんて、もしかしてアイツ目当てかな」


「アイツ? ……ああ、あれか。花の騎士とかいう」



 エクトルのことだ。彼が目当てかと言われれば、そうではないと首を振りたくなってしまう。いや、違わないけど、違うのである。なんとも言えない気持ちになったが答える代わりに笑っておいた。他人から見れば私の行動も、乙女たちと変わらないのだろうから。



「アイツはやめときなよ、女癖悪いし絶対苦労するからさ。そして俺なんてどうだ?」



 そういう騎士の頭上に見えた色に、少し驚いた。茜色の予想線――その色を、私はいままで見たことがない。何の予想線なのかまったく分からないのだ。

 だが、他にある色に恋も好意もないのだから、冗談なのだろう。とりあえず「まあ、ふふ」とお淑やかに笑って誤魔化しておいた。完全な接客態度営業モードだが、これなら失礼にならないはずだ。……また茜色が伸びたが、これは何の予想線なのだろうか。事象色は時間で伸びていくものなので、感情色だとは思うのだが。



「セザンが蝶々さん連れ込んでるって聞いたんだけどー?」



 聞きなれた美声に自然と顔を向けた。はちみつ色の瞳と目が合って、グンッと伸びた薄黄色から相手が笑顔のままかなり驚いていることが分かる。私が来ているとは思わなかったからだろう。



「あ、よかった。別の人も一緒なんだ? じゃあ何もできないか。気を付けてねーこいつ手が早いからさぁ」


「な、何を言うんだエクトル……!!」


「だって君、この前も蝶々さんを部屋に連れ込んで……」



 ジャンがスッと目を細めてセザンと呼ばれた騎士を見る。その頭上に伸びた灰色警戒と、エクトルの頭上にある深紅の色になんとなく状況を察する。その深い赤は、怒りを示す感情色だ。

 とりあえず、セザンは人の女癖を非難できる人ではなかったらしい。先ほどの茜色はまあ……おそらくだが。異性に対する興奮のようなもの、ではないだろうか。



「あーっ! そうだ、俺は見張りに戻らないとな! じゃあ後は花の騎士様に頼んだから!」



 さすが騎士の身体能力だ、と思える素早さでセザンが出て行った。エクトルはその背中を見送った後わざとらしく肩を竦め、いつの間にか目を細めるだけでなく眉間にくっきりと皺を刻んで睨みの形相になっていたジャンも息を吐く。



「シルル、変な男には引っかかるなよ。俺が認めんからな」


「何言ってるんですか、ジャンさん……」



 まるで父親のようなことを言うジャンに笑った後、エクトルに視線を向ける。にこにことこちらを見ているが、その頭上の色から先ほどの怒りが大して消えていないことに気づいたし、でも私と目が合って喜ぶ様子もあるので、苦笑が零れた。……やはりまだ怪我の色はないので、そちらは予想のしようがない。



「エクトルさんも討伐隊として行くんですか?」


「……うん、まあね。俺は剣術得意だし、強いからね。あ、もしかして俺を心配して来てくれたの? 嬉しいなー」



 ジャンの前なら普段通りで構わないと判断して、エクトルに話しかけた。ちらり、私の隣を見てからいつものように軽い調子で話し始めた彼も同じ考えなのだろう。まあ、ジャンの方はその軽い口調にまた先ほどと同じように目を細め始めたのだけど。



「なんてね、冗談だよ。君の薬はよく効くから助かるし、俺が優先的に使わせてもらいたいなぁ」


「いえ、心配して来ました。……だから、お気をつけて。無事に帰ってきてくださいね」



 作り笑いがすとんと抜け落ち、小さく口を開けて唖然とした表情になったエクトルを見て私が驚いた。隣のジャンも似たような顔で私を見ている。

 考えてみれば、私がこのようなことを人に言うのはかなり、珍しい。親しい人間など今まで殆どいなかったし、こういう言葉をかけるのは父親代わりのジャンくらいのものであったような気もする。

 なるほど、確かに自分でも驚くべき変化だ。……それだけ、エクトルは私にとっても大事な身内ということなのだろう。自覚はなかったが。



「えっと……あの、うん。ちゃんと帰ってくるから、心配しないで待ってて」



 いまだに表情を取り繕えていないエクトルが、そっと顔を逸らしながらそう言った。柔らかな金の髪から覗く耳が薄っすらと赤くなっているのと、勢いよく伸びていった喜びの色からしてとても嬉しかったらしい、ということがよく分かる。……何故か私が恥ずかしくなってきた。隣からも生暖かい視線を感じる気がする。



「あーその、納品は終わったのかな? それなら外まで送るけど」


「終わりました。行きましょうか、ジャンさん」


「…………そうだな」



 今度はエクトルに連れられて、ジャンと一緒に駐屯所内を歩く。ところどころでまた女連れか?とエクトルに野次のようなものが飛ぶことはあったし、いつもは口数の多いジャンが静かで気になったけれど、特に問題なく裏口に到着した。



「じゃあ、またね」


「はい、また。いってらっしゃい」


「……いってきます」



 ほんの一瞬、作った笑顔ではない柔らかい笑みを浮かべて、エクトルは駐屯所の中に戻っていった。裏口に私とジャン以外の姿はなく、セザンが戻ってきた様子はない。見張りの騎士は要らないのだろうか、と首を傾げつつ帰路につくことにした。


 エクトルとは長い話はできなかったが、それでも話せてよかった。ちゃんと見送りの言葉をかけられたことで少しだけ気持ちも落ち着いている。……心配は、心配だが。きっと無事に戻ってきてくれると信じるしかない。



「シルル」


「なんですか?」



 途中から考え事をしていたのかやけに静かだったジャンが、真剣な顔と声で話しかけてきたので歩みを止めてその鷲色の瞳を見上げた。



「根はよさそうだがあの見た目じゃ苦労すると思うぞ」


「ええ。悪い人じゃないんですけどね、容姿のせいで色々苦労しているみたいです」


「……ああ、あっちも苦労するな」



 ガシガシと短い髪をかき回したジャンの言葉は理解できず、その頭上に伸びる喜びと不安の色を見ても彼の気持ちを察することは出来なかった。


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