第16話



 恋をしている人間は何人も見て来た。熱に浮かされたような目は、相談を受けている目の前の私ではなく、思い浮かべている別の誰かをいつも見ていて。

 だから、その熱っぽい瞳が自分を見ている、というのは不思議な気分だった。そしてその目を向けるのが、花の騎士エクトル=アルデルデであるというのは、信じがたい現実である。勘違いであってほしいが、流石にこれは認めざるを得ない。


(……友達になろうと決意した瞬間にこれかぁ)


 友達にはなれても恋人にはなれないと思う。相手を知るまでは応援していたエクトルの恋も、自分が対象であるとすれば話は別だ。

 友人関係ですら見つかったら嫉妬の雨あられに降られるだろうに、恋人になんてなろうものならその雨が鋭い槍に変化しても可笑しくはない。流石に槍に降られる覚悟はできていないのである。



「……シルルちゃんって呼んだらいい?」


「それは止めてくださいと言ったじゃないですか……」


「いや、ほら、親しくなった証みたいな?」



 にこにこと笑いながらそんなことを言っている彼だが、心の中では驚いたり恥ずかしくなったり何やらとても忙しない様子だ。いつだったか、私がカイに指輪を貰った時並みの動揺具合である。自分の気持ちに気づいて混乱の最中さなかにあるというか。

 手を離しながら吐きそうになるため息を堪えた。こういう時にどうしたらいいのかは分からない。とりあえず、知らないフリ、気づかないフリをして普段通りに接するとしよう。……どうしてもよそよそしくなってしまう気がするけど。



「友人だと思っていた間と同じ呼び方でいいじゃないですか。私の認識が変わっただけなんですから」


「それもそう、だよね」



 そう、私たちは今お互いに友人と認める関係になったばかりで。それをすぐに変えられるはずがないのだ。特に私の感情がついていかない。

 友達になろうと決意してすぐ相手の恋心が発覚してしまい、私だって混乱している。表面に出さないようにしているけれど落ち着かないし、エクトルと今までのように気軽に接することができなくなりそうだ。



「あのさ、シルルさん。俺がその……占いってやつをやってもらうことはできるのかな?」


「……できますよ」



 彼は薬を買っているのだから断ることはしないけれど、彼の頭上にある予想線を見て考えられる相談内容は一つだけである。それは相談されても困るというか、なんというか。

 自分への恋心を相談された時、その気持ちを知っていても素知らぬ顔で受け答えしなければならないなんて、考えたこともなかった状況だ。



「俺、好きな子ができたんだけど……その子に今告白したらどうなると思う?」


「……そうですね、確実に振られると思います」



 予想線を見なくても分かる問いだ。私は彼の告白を受け入れられない。

 エクトルは笑みを深めているが、私の答えに傷ついたらしく悲しみの青色を伸ばしていた。……なんだか申し訳ない気持ちになる。



「まあ、行動次第で未来は変わるものですし、その、落ち込まないでください」



 つい元気づけようとそんなことを言ってしまったが、いいながらなんとも言えない気持ちになった。エクトルの恋が成就する時とはつまり私も同じ想いを抱く時になる訳だが、彼が喜ぶ未来が訪れる気が全くしない。

 そんな私の内情を知らない彼の頭の上からは悲しみの色が消えたので、前向きになったらしい。気持ちが浮上してくれてほっとしたような、でもその恋を応援することはできないしやめてほしいような、何ともいえない複雑な気持ちになる。



「うん、じゃあ俺は頑張ってみようと思う。今日はそろそろ帰るよ、またね」


「ええ、ではまた……」



 あんまり頑張らなくていいですよ、という言葉を飲み込みながらエクトルを見送って、深いため息を吐いた。色々と衝撃を受けすぎて、頭が混乱している。


(……どうしたらいいんだ)


 落ち着かずにうろうろしていたらいつのまにか姿見の前まで来ていた。私の頭上には相変わらず何も見えない。見えればよかったのにと強く思う。……いま、自分の感情であるはずなのに、自分が何を思っているのかよく分からなくなっている。


(戸惑いはある。嫌悪感は、ない。嬉しいかといえば……まあ、嬉しい……の、かな……?)


 好かれている、というのは悪いことではないと思う。困りはしたが、嫌だとは思っていない。私もエクトルのことは嫌いではないし、好意を持っているから友達になりたいと思ったのだ。

 ただ、恋愛感情となればよくわからない。恋をしている人間はたくさん見てきたしその相談にも乗っていたけれど、自分が経験したことはなかった。それどころか友人もいなかったので、普通の友人関係がどういったものなのかも分からないのだ。

 ……自分に恋愛感情を持っていると知っている友人と接する時、他の人間はどうしているのだろう。まったくわからない。そして友人がエクトル以外に居ないのでこういう話を相談できる相手もいない。


(嫌ではないし、せっかく友人になった相手と距離を置きたいとも思わない、けど)


 エクトルはどうするのだろう。帰る前の態度から察するに、友達で居続けるつもりはなさそうに思えるのだが。


(でもエクトルさんは、恋愛できるのかなぁ……私が言うのもなんだけど)


 私はそもそも、エクトルが恋をしているのを知っていた。けれど彼の性格や取り巻く現状を考えるに、恋愛成就は不可能だろうとも思っていた。彼の難儀な性格と隠された気持ちを理解できて、乙女たちから隠れきるか逃げ切るかはたまた全力で立ち向かえる折れない心を持っている、そんな超人でなければ無理だと。……その相手が私だったのは予想外だったが。前者はともかく後者は私にも不可能である。


(……とりあえず様子見、現状維持。私とエクトルさんは友人同士であって、それ以上でもそれ以下でもない)


 心の動きが見えてしまうので、私も知らないフリをするのは大変だろうけれど、頑張るしかない。改めてそう決意した日の昼下がりの午後、調合に身が入らなかったため、体でも動かそうと店中を掃除していた時のこと。

 そろそろ休憩をしようかと考えていた私の耳に、裏口の戸を叩く音が飛び込んできた。



「シルル、いるか?」


「ジャンさん……? 直ぐ開けます、ちょっと待ってくださいね」



 休日に彼が訪ねてくるのは珍しい。仕事の様子を見に来ることはよくあるのだけど、一体何があったのだろうか。

 少し不安になりながら戸を開けた先にあったジャンの顔はいつも通りの笑顔で、その頭の上にも危険を感じるものもなかったのでほっとしながら「どうしました?」と尋ねる。



「おう、実は魔物が出たらしくてな」


「……魔獣ではなく、魔物ですか」



 つい顔を顰めてしまう。魔獣が町の近辺に出ることはままあるし、それらは速やかに騎士団に討伐されるので心配することはない。騎士団も魔獣と戦うのは慣れているし、大怪我をする者はほとんど出ないと聞く。

 しかし、魔物の討伐となると勝手が違う。何せ相手は絶滅寸前の怪物で、魔物と実戦経験がある者は殆どいないのだ。怪我人も多く出るだろうし、運が悪ければ魔障を受ける者も出るかもしれない。



「ああ。馬で一日はかかる距離だが、この町に駐屯してる騎士団も討伐隊を出すらしい。薬を集めるようにお触れがあったから、声をかけに来た」


「分かりました、使えそうなものを準備します。駐屯所まで届ければいいですか?」


「いや、シルルには重いだろ? 俺が運ぶからお前は薬を箱に詰めてくれ」


「助かります。暫く待っててください」



 空いている木箱に消毒液や傷薬、止血剤、包帯など使えそうなものをできる限り詰めていく。作業しながら思い浮かぶのはにこにこと笑う友人の顔だった。

 彼は騎士団に所属する者たちの中でも実力があると評価されているし、討伐隊には組み込まれるだろう。そう思うと、妙に胸がざわついた。……これは多分、心配だと思う。


(せっかく右手も治りかけてるのに、新しく魔障受けたら悪化するかもしれないし)


 酷い怪我をしたらどうしよう、私の薬は役に立てるのか、そんなことをぐるぐると考え事をしながら薬を詰め終わり、箱に蓋をした。大箱が二つと、小箱が一つ。ジャンが持って行ってくれるとは言ったが、この小箱なら私でも運べそうである。



「ジャンさん、できました」


「おう、じゃあすぐ運ぶからな、任せとけ」


「ありがとうございます。……この小さい方なら私でも運べそうなので、私も持っていきます」


「そうか? じゃあそっちは頼むぜ」



 裏口に閂をかけ、店の表から外に出て鍵をかけた。軽々と二つの箱を運ぶジャンの後ろを、小箱を抱えてついていく。

 ……向かう先は駐屯地で、今日は休みを取っていたらしいエクトルがいるかどうかは分からないのに。もしかしたらその姿が見られるかもしれないと思って、出てきてしまった。


(予想線が見えれば、安心できるかも、しれないし……)


 今朝は怪我の予想線なんて見えなかった。予定にない行動だったから見えなかったのかもしれないし、移動に一日かかるという話だから、遠い未来過ぎて見えなかったのかもしれない。今、彼の予想線を見ても、怪我をするかどうかの予想は立てられない可能性も高い、けれど。予想線が見えなくても、顔を見たいと思ってきてしまったのだ。


(…………友達になったからかな。こんなに心配になるのは)


 親しい人が遠くに出かける。たったそれだけの出来事が私の心の古傷を呼び起こそうとする。

 箱を持つ手に自然と力が入った。騎士団駐屯所までの道のりが、酷く遠く感じて仕方がない。



「ついたぞ、シルル。裏口で受け渡すことになってるからついてこい」


「……はい」



 見上げた石造りの建物を前に、こくりと喉を鳴らした。

 ……友人が心配ですっかり忘れていたけど、ここには近づかないようにしてたんだった。



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