第15話


 エクトルが薬屋ベディートに来るようになって半年。今のところ、町の恋する乙女軍団に彼が店に来ることを知られる気配はない。何度か護衛をしてもらって森の採集にも出かけたが、そちらも見つかっていない。

 だからと言って油断は禁物。気が緩みそうになるのを引き締めつつ、接客をこなしている。


 変わり者の貴族でエクトルの親友というカイにも、指輪を渡された日以降会うことはない。まあ、貴族に何度も出会う方がおかしな話だ。この町は王都から遠くないとはいえ、貴族が買い物を楽しむような高級店がある訳でもない。人が多く賑やかな港町で、活気ある庶民の暮らしぶりを見るにはいい場所なのだろうけど。



「キャー! エクトル様ー!」



 ぱんぱんに膨れた買い物袋を両手で抱えていた私は、賑やかな歓声へと目を向けた。そこにあるのは花の騎士として、甘やかで色っぽい笑みを浮かべるエクトルの顔。遠目からでも、普段私が見ている顔とは随分違っていることに気づく。

 ……いや、最初は私の前でもあの顔だった。だが今は違う。私の前でも常に笑顔ではいるものの、甘ったるく色気を振りまくようだと感じることは殆どなくなっている。


(……苦痛の色が伸びてる。女嫌いは相変わらずだなぁ)


 彼は右手に魔障による痛みを抱えていたが、それは私の薬によって随分減ってきている。だから今、いつもより増えて見える分の青紫は、嫌いな女性に囲まれている現状からくる精神的苦痛の分なのだろう。嫌悪の濃紺も伸びていて、浮かべられた表情とは正反対と言っていい感情を抱えているのが見て取れる。……完璧な笑顔なので、表情を見ているだけでは分からないだろうが。


(あ、気づいたかな?)


 一瞬、目が合った気がした。私が見ていることに気づいたのではないだろうか。そしてそれが気のせいではないことが、瞬時に伸びた薄紅色好意橙色喜びの予想線で分かる。

 目が合っただけでそんなに喜ぶものなのか、と思って少し可笑しくなった。迎えに来た母親を見つけた子供と大して変わらない喜び様なのである。


 笑いを噛み殺しながら視線を外し、店に戻る道を歩く。帰ったら明日の定休日に来るであろう客のために、在庫の確認でもすることにしよう。



――――




「あれは無視した訳じゃないんだ」



 森の日の定休日にやってきた客は、開口一番にそう言った。よく意味が分からずに首を傾げたが、とりあえず店の中に案内する。



「昨日は蝶々さんに囲まれていたから、声もかけられなくて」


「ああ、昨日のことですか」



 昨日、買い物帰りに目が合った時のことを言いたいらしい。人の目がある以上他人として接してほしい私としてはまったく気にならない、むしろありがたい行動だったのだがエクトルはそれが気になるようだ。

 目が合ったのに会釈すらできなくてごめんね、と軽い調子で謝られた。



「お気になさらず。外で親しげにされる方が困ります」


「そっか、ならよかった。すぐいなくなったから、気を悪くさせたかと思ってさー」


「……エクトルさんは結構、繊細ですよね」



 わざとらしく肩をすくめているが、不安の色が消えた頭上を見れば安心したのだと一目で分かってしまう。私が心情を見抜いていると分かっている彼は、ほんの少しだけ視線を逸らした。瞳が小さく揺らぐ程度の変化だが、見透かされたことがどうやら少し恥ずかしくなったらしい。薔薇色羞恥がちょこんと伸びて見えた。

 そしてその隣にある、半透明のまま時が経ちすぎている恋の色に意識が向く。


(……随分長くなったのに、まだ自覚しないのか。歳をとるほど難しいのかな)


 私が彼の頭上にこれを見るようになったのは、出会って一月もしない頃だった。あれから既に半年近くの時が過ぎているというのに、いまだ色づかないまま。巷で恋多き男と騒がれる彼はまだ初恋も自覚できていないような、初心な青年である。



「どうかした?」


「いえ、空瓶をお預かりします」


「はい。じゃあお願いするね」



 ついじっと頭の上を見ながら考えてしまっていた。さすがに全く目が合わないとどこを見ているのかと不思議に思われてしまう。さっと瓶を受け取って洗浄を始めたが、一度疑問を抱いた事をすぐに忘れるなんてことはできないはずだ。



「シルルさんってよく頭の向こう……というよりは、頭の上を見てるよね」



 ……そしてこう質問される訳である。まあ、もう見える力についてはエクトルもほとんど察しているだろうし、無意味にすべて隠そうとする意味もないと、ある程度は話すことにした。心の動きが見えることまでは伝えるつもりはないが。



「私は人の頭の上に可能性が見えますから、つい目がいくんですよね」


「……そうなんだ? 初めて聞いたよ」


「まあ、言ってませんからね。それを見ていたらエクトルさんの傷がどれほどのものなのかも判断できます。もう大分治ってきたようで、安心しました」



 嘘は言っていない。先ほど見ていたのは感情色だが、その人の未来の可能性である事象色だって見えるのだから。洗浄、詰め替え作業が終わってエクトルに向き直った時、そこに長く伸びた喜びの色が見えて驚き、一瞬固まった。感情色の長さは、その感情の大きさでもある。

 普段から浮かべているはずの笑みも心なしか嬉しそうに見えてきた。……とりあえずとてつもなく喜んでいるらしい。

 既にテーブルの上に用意されていたお代と薬瓶を交換して、一旦取引を終える。この後は軽く一服して少し話をしてからお帰り頂くのがいつからか定着した私たちの交流だ。……もしかすると友人と呼べる間柄になってしまっているのかもしれないと思う今日この頃である。

 まあでも、頻繁に顔を合わせるのは薬を定期購入する必要があるからで、治ってしまえばそうそう会うこともないだろう。



「最近、ほとんど痛みがなくなってきたんだよね」



 そういいながら右手を開いたり閉じたりしているエクトルの姿を見て、頷いた。嬉しいと思ったのは右手の回復について私が口にしたからなのだろう。薬を塗っていればほとんど痛みがない程度には回復しているはずなので、喜ぶのも当然だと思う。

 私の薬が要らなくなる日も近い。週に一度は必ず訪れていた彼が来なくなるのは少し寂しいが、喜ばしいことだ。



「機能回復の訓練は始めていい頃じゃないでしょうか? 私の薬が要らなくなる頃には剣も握れるでしょう」


「わお、本当かい? それは嬉しいな」


「はい。きっとあと半年もかかりません。本当に良かったです。薬代の出費もなくなりますし、休日にわざわざ薬屋に出かける必要もなくなります、ね……」



 長く伸びていた喜びの色が一瞬で消え去ったことに驚いて口を閉じてしまった。少し寂しいですけどおめでとうございますと、そう言うつもりだったのに言葉が継げなくなる。

 先ほどまで大きく喜んで長く伸びていた橙色は一瞬で消え去り、代わりに悲しみの色が伸びるのはどういうことなのだ。そんな激しい感情の変化があるのに、表情は色気すら感じる笑顔であるのも違和感が強い。……この顔を私の目の前でするのは久々だ。



「そんなこと言わないでよ、シルルちゃん。せっかくこんなに仲良くなったのに、俺はとても悲しいよ。まあ、たしかに薬屋に用事はなくなっちゃうけどさぁ」


(……なるほど、この顔をしてる時は感情を抑え込んでる時、か)



 悲しんでいる人間を無理やり笑わせ、呼び方まで変えて無理に明るく振る舞おうとさせてしまっている状況に、少し胸が苦しくなった。私は友人になる気はないと思っていたけれど、彼も同じであるはずはない。親しみを抱いてくれているのも見て知っていたのに、先ほどの私の言葉は突き放すもので、酷いことをしてしまったと反省する。

 ……これまで友人など作らないようにしていたからと意地を張るのも大概にした方がいい。自分の予想線は見えなくても、私がエクトルに親しみを抱いてしまっていることくらい、自覚している。


 私はエクトルが嫌いではないし、難儀な性格をしているのを理解してからは一緒にいて楽しいと思っていた。ずっと私の力についても黙っていてくれたし、治癒の魔法使いであることはこれからも気を付けて隠し続ければいいのだ。

 町の乙女たちに知られると厄介だが、今まで通りの付き合い方なら早々知られることはないだろうし、もし知られたとしてもやましい関係ではないと胸を張って言える。……それでも嫉妬は受けるだろうけど、まあ、それを受けるくらいの覚悟はできた。


 きっと、友人になるくらいなら、できるだろう。傷つけた後でそれを承諾してくれるかは、分からないが。



「ごめんなさい、傷つけましたね」


「謝らなくていいのに。ほんの冗談だよ?」


「いいえ、傷つけました。だからごめんなさい」



 机に額がつくほど頭を下げた。しばらくして顔を上げた時、エクトルの顔にあったのは笑みではあったが不自然なほどに口角が上がったもので、予想線で見える様々な感情を抑え込んだ結果の表情であると察する。ただ、悲しんでいる訳ではなくなっていたので少しほっとした。



「私、この力のこともあって友人を作らないようにしていました。だから貴方とも親しくならないように、と思っていたんですが……」


「え…………俺はすっかり友達のつもりだったよ」


「……やっぱりそうですよね。すみません、いままで考えないようにしていたので……」



 エクトルは既に私のことを友人だと思っていてくれていた。先ほど私が彼を傷つけた発言は、友人だと思っている相手から聞かされたら「用がないなら来るな」と言われているようなもので、確かにショックを受けるだろう。

 そして今は、友人だと思っていた相手にそう思われていなかった、と知ったところで重ねてショックを受けさせたところである。……十八年も友人関係を築いたことがない私ではやはり、社交性に欠ける。



「……でも、シルルさんの言い方からすると……俺と友達になってくれる、ってことかな?」


「まあ、はい。エクトルさんがよろしければ、ですが……」


「はは。シルルさんのそんなに困った顔、初めて見たなぁ……うん、じゃあ君に友達と思ってもらいたいから、改めてよろしくお願いしようかな?」



 差し出された左手を握る前に彼の予想線をちらりと窺った。嫌われたかもしれないと思ったのに、そこに見える、先ほどよりも少し長くなった薄紅色の親愛に心の中で安堵して、つい笑み零れながらその手を取る。



「よろしくお願いします、エクトルさん」



 次の瞬間、目に飛び込んできた光景に驚いて笑顔のまま固まった。

 彼の頭上に長い間半透明のまま存在していた恋の色が一気に色づいたのだ。人が恋に落ちる瞬間という表現があるが、私の目には根本から上に色濃くなっていく恋の色が見えたので、どちらかと言えば昇る瞬間と言うべきだろうか。

 まあ、これは自覚した瞬間であって、恋した瞬間ではないのかもしれないが。



(……そうか、私だったか)



 人の恋心が見えるのも、考えものである。



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