第14話



 衝撃的で休日にならない休日であった森の日から一週間、ようやく森の日がやってきた。はがねつちようつきほむらいずみの六日間がやたらと長く感じたのはなぜだろう。何もない平凡な日というのは穏やかである分、時の流れもゆっくりに感じるものなのだろうか。

 今日は薬屋の定休日であるため、エクトルが来店するはずである。私は右手の親指に黒い石の指輪をはめて、彼の来店を待っていた。


 カイと名乗って私に契約の指輪を渡した貴族は、エクトルが親友だと言っていた相手と同一人物のはず。指輪についても何か聞いているかもしれない。


(さすがに、これについてはジャンさんにも話せないから)


 誰にも吐きだせないが自分だけで飲み込むには大きすぎる話なので、少しでもこれについて吐露できればと思っている。……エクトルとこんなに話がしたい、と思う日が来るとは思わなかった。

 裏口を軽く叩く音が聞えたら、素早く裏口に向かい閂を外して客人を招き入れる。いつも通りのマントを着て、いつも通りの笑顔で店の中に入った彼は、私の親指にある黒い宝石の指輪に気づき笑顔のまま固まった。


(うわぁ……すごく動揺してる。これは何も聞いてないな)


 驚き、悲しみ、不安、怒り――そんな予想線が伸びたり縮んだりと激しい動きを見せている。彼の心の複雑な感情を表すようだ。カラフルな線が跳ねまわるカエルのような動きをするためつい目を奪われてしまうが、あまり頭の上ばかりを見ていると奇妙だろうとそっと視線を外した。



「その、指輪……どうしたの?」


「後でお話します。前回お買い上げいただいた茶葉も用意してますから、一服して落ち着かれてください。その間、瓶の洗浄をしますね」



 混乱しているエクトルを席に着かせ、お茶を一杯差し出してから洗浄と詰め替えをする。作業中ちらちらと横目で窺ってみたが、予想線で見える心の動きはまったく落ち着く様子がなかった。

 この指輪はよっぽど驚く物であるらしい。私はとんでもないものを貰ってしまったのだろうか。そのあたりもエクトルが話してくれなければ分からない。



「お待たせいたしました。お代は5000ベルです」


「うん、ありがとう」



 輝く笑顔で差し出された薬代を受け取って、私は彼の向かいの席に着いた。感情を隠すのが上手い人なので、いつも通り明るい笑みを浮かべており、表面上は落ち着いているように見える。が、指輪を見た時からまったく落ち着けていないというのは、伸び縮みの激しい予想線を見れば分かってしまう。

 まずは先日の出来事を話すべきかもしれない。貴族との話だし、公にできない内容なのも分かっているが、彼の親友からの提案だ。エクトルになら話してもいいだろう。



「この指輪、先日カイ様という方にいただいたのですが、エクトルさんのお友達なのでしょう?」


「……やっぱりあいつか。うん、この前話した親友だけど、なんでそれを君に」


「私の色々察せる力について色々と思うところがあったようで」



 薄黄色驚きが伸びる。相変わらず予想線は複雑な動きをしていて分かりにくいが、一際伸びて見えたので驚いたのだろう。その後すぐに藍色不安が長くなる。

 相手が動揺していると感情を察するのも難しい。表情を変えない相手だと殊更に分かりにくいが、私の力を知られたことに驚き、不安になったということは。おそらく、私たちの約束を破ったと疑われているのではないか、という不安に駆られているのではないだろうか。



「ああ、エクトルさんが約束を守ってくださってたのは分かりますよ。カイ様は……驚くほど察しの良い方と申しますか……私の顔色からも感情を読み取れるようでしたので」


「……うん。君との約束は破ってないよ」



 サッと不安の色が半分以下になったことで、正解であったことを確信して私もほっとした。感情が見えるからこそ、他人と話すのは緊張する部分もある。……対応を間違えた時は一目で分かってしまうから。


 それから私はあの日、町で毒を食べそうになった彼らを止めたことから、この店でカイに指輪を渡された経緯を説明した。話を聞き終わるとようやくエクトルも落ち着いたらしく、複雑だった予想線の動きも収まって、それらが短くなると今度はある感情が強くなっていく。

 その色は赤紫、不満や不服を表す色だった。表情はキラキラと輝く笑顔のままなので、顔だけ見ていたら全く分からない。しかし、今の話の何が不満なのだろうか。よく分からない。



「私の力は貴族が欲しがるものだから、と。私が選択できるように、この指輪をくださったのですけど」


「それは既に契約済みだって証になるから、あいつが言ったことは嘘じゃないよ。……でも突拍子もないことするよね。君も大変だったんじゃない?」


「まあ、でも……守ろうとしてくださったようなので」


「そうだけどさ。あいつも俺に一言くらいいってくれていいのに。シルルさんと仲良くなったのは俺が先なのになー」



 甘い顔と極めて明るい声でそう言われたが、冗談ではないのかもしれない。私はそこまで仲良くなったつもりはなかったが、エクトル的には親しくなったと思っている。そしてカイとエクトルがかなり親しい仲なのは確かだ。きっとなんでも話し合える友だったのだろう。

 それなのに、自分の知らないところで親交ある相手同士の重要な話が進んでいたから、仲間外れにされたような気分になったのかもしれない。私という異分子の存在のせいで二人の友情に亀裂が走ったら大変だ。



「あちらもお忍びで来ていたところに偶然だったのだと思います。また次に会った時にでも詳しいお話はしてくださるのでは?」


「それもそうだね。あっちは忙しいから、早々会える相手じゃないけど」


「はい。不満は次に本人に会えた時に直接ぶつけるのがよろしいかと思います」



 そういうと、エクトルは一瞬きょとんとした顔を見せた。すぐに笑顔で誤魔化されてしまったが、ちょっと幼く見える、意外な表情だったと思う。……外で見かけるエクトルはいつも笑顔の鎧を着ているが、二人で話している時はちょくちょくそれが剥がれているので私も驚くことが多い。

 不満をぶつける、と聞いた途端に彼の不満の色はかなり短くなった。今見える感情色は半透明の恋と、好意、そして興味くらいのものだから平常通りである、といえる。かなり落ち着いたらしい。



「そっか……俺、不満だったんだ。君はすごいね、俺が分からない俺の気持ちが分かるんだから」



 なんと自分で理解していなかったらしい。この人は自分の感情を笑顔で押し込めすぎて、自分の気持ちが分からなくなっているのではないだろうか。少し心配になってきた。



「そうだ、ちょっと相談に乗ってほしいんだけど。最近、どうしようもなく胸がざわつくことがあって……なんでだと思う?」


「それは……」



 ――恋じゃないでしょうか。なんて言えるはずもない。

 彼は今年二十二歳になると聞く。ほとんどの人間が思春期に終えるような初恋をこの歳になって迎えた、希代のモテ男。そんな相手に今あなたは初めての恋をしています、と告げる勇気が私にはない。

 初恋は実らないと言われる。それは恋をした人間の思考はふわふわと軽くなりがちで、周りが見えなくなることも多々あるもの。失恋するとそういう部分にも気づけるのだが、初恋の時は中々その自覚を持ってないものだと私は思っている。

 自分を律することができないから周りにも好きな相手にも迷惑をかけ、実らずに散る結果になるのではないかと。


(恋を自覚したエクトルさんがどういう行動にでるか分からないからなぁ……それで周りにバレたりしたら、もう)


 主に、相手の女の子が心配で。町中の女性から目の敵にされる可能性も考えると、やはり「それは恋ですよ」と教える勇気が持てない。教えたところで女嫌いの彼が信じるかどうかも分からないが。俺が女を好きになるはずがない、と言い出すかもしれないし。


(とりあえず、自分で気づいてもらおう。私からは何も言わない)


 考えるのが面倒になったとかそういうわけではない。断じて違う。やはり自分で気づくのが一番自然だと思っただけだ。責任を取りたくないなんて思っていない。



「それだけだと難しいですね。とりあえず、心を安らげる効果のあるハーブティーでも飲んでみたらどうでしょう?」


「それはいいかも。買っていくよ」


「ありがとうございます。ご用意いたしますね」



 話を誤魔化せた上、茶葉を多めに売りつけることに成功した私は、ほっとしながらふと思い出す。今日はエクトルに聞いてほしいと思っていた話ができて、スッキリしたのだ。礼を言わなくてはならない。



「今日は私のお話を聞いてくださってありがとうございました」


「……カイのこと?」


「はい。話せる人がエクトルさんしかいなかったので……誰かに話せてほっとしたみたいです。だからありがとうございました」



 そこまで親しくない、と思っていたが、私が個人的な話をする相手は限られている。ジャンかエクトル、その二人だけだ。そう考えれば彼も親しい相手の部類に入ってしまうのかもしれない。

 人と話してほっとするなんて、あまりないことだ。親しくない、なるつもりはないと言いつつどこか歩み寄ろうとしてしまっている自分に苦笑したくなる。自分で壁を作り続けていたのに、今更友人が欲しいとでも思っているのだろうか。


(……ん?)


 頭を上げたとき、そこにあったのはいつも通りのエクトルの笑顔で。「そんなことでわざわざお礼なんて言わなくていいのに」と笑う彼の頭上の恋の色が少し、伸びているような気がした。


(……気のせい、かな)


 まあ恋の色なんて、相手を思い浮かべて想いが深まれば伸びるものだ。不思議なことはない。その恋が上手くいくかどうかは分からないが、頑張って恋愛してくれと心の内で応援しておく。



「そういえば、そろそろ採集に出かけようと思っているんですが」


「なら次に来た時は森までついていくよ。護衛させてね」



 護衛は気にしないでくださいね、と伝える前に護衛の了承を貰ってしまった。……やはり休日にはお相手に会えないのだろう。私としては非常に助かるけれど。



「……ありがとうございます。では、また来週」


「うん。……あ、そうだ。指輪緩いみたいだから、紐に通して首にかけるといいよ。服の下に入れとけば目立たないし。それじゃあ、また来週」



 笑顔で手を振って出ていくエクトルを見送ったら、また裏口に閂をかけておく。できる調合をしておこうと地下の薬工房に向かいながら、考えた。


(ちょうどいい紐、どこかにあったかなぁ……)


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