第13話


 なぜこんなことになったのだろう。前にも似たようなことを考えたような気もするが、本当に何故なのか。……いや、私が関わらない方がいい人種だと思っていながら手を出したのが悪いのだろうけど。



「クトラールの葉を日光に当てて乾燥させたものです。これを煮詰めると溶けだし、粘り気のある液状のものになります。様々な塗り薬の土台に使っております」


「ほう。では、これは?」


「こちらはレッテの実ですね。滋養が高いので栄養剤に使います。新鮮なものは苦みが強いですけど、収穫して一か月ほど熟成させると苦みが消えて甘みが強くなりますのでそれを……」



 現在、私は店の地下にある、薬を作るための地下工房の中に正体不明の貴人「カイ」と二人きりで過ごしている。意味が分からない。どうしてこうなった。

 興味深そうに薬の素材について尋ねてくる彼に、できるだけ丁寧に説明をするのが精神的につらい。十中八九貴族である美形の青年と二人きりで喜ぶことなどできない、ただひたすら心労がたまっていくばかりである。


(二人きりで話す、って離された護衛の方も大変だろうな……)


 店まで一緒に来たドンと呼ばれる男は、店の入り口を見張っている。カイは入口の外で見張らせようとしたが、それはドンが断固として拒否。せめて中でないと二人きりでは外聞が云々ということでどうにか店内に入ったものの、ドアの前からは動かないよう命じられてとても疲労の色が長くなっていた。

 彼も可哀想な人だ。二人きりで地下の工房に入ることになった私はもっと可哀想かもしれないが。

 そして誰の目もないこの場所でカイに何かあったら私の首が物理的に飛ぶのだろう。私が何かやらかす前に帰ってほしいと切実に願う。

 口元に笑みを浮かべて私の返答が終わる度に新たな質問を飛ばしてくる彼は、興味深そうに見ていたレッテの実から目を離すと、じっと私の目を見つめた。



「ふむ。お前、何か見えているだろう? 何が見えているんだ?」



 ピタ、と不自然に動きを止めてしまった。楽しそうに薬の材料について尋ねてくるだけだったから拍子抜けして油断していたが、彼は貴族である可能性が高い人物だ。私が最も警戒しなければならない対象。

 ドンを救ったことである程度何か察する力を持っていることはもう知られてしまったので、それは隠しようがない。だが、治癒の魔法使いであることだけは知られてはならない。


 昔、多くの魔法使いが貴族に捕らわれた頃のこと。様々な力を持つ者が捕まったが、中でも特に治癒系統の魔法を持つ者を貴族がこぞって欲しがった。地位と金を持った者が次に欲するのは、己の寿命と相場が決まっているらしい。他の魔法使いたちよりも治癒魔法の使い手はずっと多く捕らえられていったのだと、歴史の本にも書いてある。


(予想線が見える力は知られても問題ない。それは認めつつ、大した力じゃないことを主張して……)


 私の秘密は一つではない。一つ目は予想線が見えること、二つ目は治癒魔法の遣い手であること。後者については家族を亡くした今、誰にも話していない最大の秘密。

 秘密を暴いて隠された宝を見つけた人間は、さらにもう一段奥に隠されたものがあるとは思わないものだ。一つ目の秘密を見つけて大抵は満足する。目に見える成果に意識が囚われる。

 予想線が見えることも公にしたくない力であるのは事実だが、それを私の隠し事として振舞っておけば、治癒の魔法使いであることを隠すためのカモフラージュになる、はずだ。

 見えるものにも制限があり、使い勝手がいいとは言えない力だがそれでも特殊なものであることに違いない。こちらの秘密は暴かれてもいいし、それに気を取られてくれればいいのだ。……そう思っていても、不安にはなる。


 このカイという貴族はやたらと人の表情を読むのが上手く、隠し事をさせてくれそうにないから。



「ああ、そんなに答えにくいなら答えなくていい。私はお前の本音を聞きたくて護衛を排したんだからな。今はお互いの身分など考えず、お前の思っていることを素直に言え」


「……どういう、意味でしょうか」


「私はお前の秘密を暴きにきた訳じゃない。何を隠してるか訊かないから安心しろと言っている。ただ、お前の力には興味があるので訊いてみただけだ。隠したいなら、話さずとも構わん」



 この人は。予想線が見える私と同等くらいには、感情を読むことに長けている。私は無表情でいるつもりなのに、それでも私の感情を読み取れるらしい。

 身分は明かさないが、口ぶりから察するに相手は貴族。本来なら一般市民である私が口答えすることなど許されないが、身分を明かさないことでそれを許すつもりなのだろう。随分変わった考えの貴族である。……貴族としての身分を明かして命令されれば、私は断れないのに。



「これはたわいもない、戯れの話なんだがな。もし、私が専属の相談役としてお前を召し抱えたいと言ったら、どう思う?」



 これは戯れでなく、本気で勧誘されているのだろう。だが、私が断りやすいように冗談という体裁を作ってくれているのが分かる。カイは貴族だが、庶民である私の気持ちにも目を向けてくれる人であるらしい。彼なら私が魔法使いであることを知っても、監禁するようなことはしないのかもしれない。……でも、それでも。



「……私は……出来るならこのまま薬屋として生きたいと思っております」



 ここは両親の残してくれた店だ。私はできる限り薬屋ベディートとして生きていたい。生きている間には親孝行もまともにできなかったから、せめてこの店を盛り上げていくことが私なりの孝行だと考えている。

 しかし本当に断ってよかったのかとそっと視線を向けた相手は、苦笑気味に笑ってひらひらと手を振ってみせた。



「戯れだと言っただろう。……言いふらす気もないし、無理やり召し抱える気もないから安心しろ。それに、お前に何かあったら私の友が怒り狂う」



 その言葉でふっと、華やかな顔が思い浮かんだ。彼の親友はとにかく人の顔色を見るのが上手いと言っていた。そして彼は貴族にもつながることができる騎士だ。カイも初対面であったにしては不思議なくらい私に興味を持っていた。

 いくつかのピースが当てはまるように、頭の中で組み上がっていく。



「それはもしかして、エクトルさまのことでしょうか?」



 その問いに言葉は返ってこなかったが、どうやら正解であるらしい。目の前の男はニッと楽しそうに笑ったし、黄色の線がちょこんと伸びた。……この人の頭上にはずっと黄色の線があるので、ずっと楽しい状況であるようだ。私はまったく楽しくないし心臓に悪いのだが。

 しかしなるほど、この人がエクトルの親友。変わり者の友人は変わり者であるのだと、どこかで納得した。



「お前のその特殊な勘は、私が他人の表情を読めるのと似たようなものだろう。だが、それでも欲しいと思う貴族はいるはずだ。お前が思っているより、その力は有用だぞ。……ここで薬屋として生きたいのなら誰かれ構わず助けるのはやめた方がいい」


「……それは」



 難しい、と思う。私だって貴族に囚われたくはない。だがそれでも、貴族かもしれないと思っていてもドンが毒を食べようとするのを見過ごせなかった。

 それは私のどうしようもないお人好しの部分なのだろう。でも、誰かを見殺しにして平穏に生きるなんてことは出来そうにない。たとえこの身が自由であっても、誰かを見殺しにしたら心が耐えられない。誰かの命を見捨ててのうのうと生きるくらいなら、籠の鳥の方がマシだと思ってしまう。

 だからその時がきたら、仕方がないのだ。私が己の心に従って貴族に捕まった時は、そういう運命だったのだと諦めよう。……たった今、その覚悟ができた。



「ふむ、できないか。なら、いざという時は選べるように選択肢を与えておこう」



 カイはどこからか指輪を取り出して私に向かって放り投げた。慌てて受け取ろうとして失敗し、床に落ちそうになった指輪を追いかけてしたたかに額を作業台にぶつけたが、何とか落とさずにすんだ。

 痛む額を押さえながら手の中にある指輪を見つめる。珍しい黒の宝石がついた指輪だ。石には何か紋章のようなものが刻まれており、指輪としての装飾も繊細で豪華だ。こういう物に縁がないので詳しくはないが、私のような庶民では手を出せない値段なのは分かる。……高級品を放り投げて渡す貴族の感覚が全く理解できない。



「それは契約の証だ。誰かに無理やり召し抱えられそうになったら、それを見せればいい。先約があると分かれば手を出せなくなる」


「一体、どういう……」


「私の専属になるか、どこぞの貴族のお抱えになるか選ばせてやれる。お前はいつか必ず、貴族に取り込まれるだろうからな。それなら選択肢はあった方がいいだろう?」



 手の中の指輪を見つめた。指輪というより、誰のものかを示す首輪のようだと感じる。でも、カイの頭上に見える色には庶民に対する嘲りのようなものがなく、不幸な色が乱立する中に短いが心配の色が見えた。

 だからこれはきっと、私を守るための提案なのだろう。そしてそれは今日出会ったばかりの私のためというよりは、彼の友人であるエクトルのためなのだろう。私に何かあればエクトルが怒り狂う、と彼は思っているのだ。


(……エクトルさん、私のことどう話したんだろう)


 エクトルがどんな話をしたのかは分からないが、最初から興味深そうにこちらを窺っていたカイの様子から考えれば悪い話はしていないはずだ。

 そして約束通り、親友であり貴族である相手にも私の力については話していなかったと思われる。出会い方のせいで色々バレてしまっていたが、エクトルからは聞いていないはずだ。カイの口ぶりと見える感情色からの判断だが、間違ってはいないだろう。

 ……親友と呼んで心許せる相手にも喋らないなら、誰にも話すことはないだろうと信用できる。約束を守ってくれる人で良かった。


(そしてたぶん、この人も)


 庶民である私の本音を聞くために護衛を排するような奇特な貴族。見える予想線は不吉だが、感情を見る限り悪人ではない。ここで生きたいなら人助けをやめろと、助言までしてくれたのだ。言いふらさないという言葉も信じていいと思う。……貴族にいつか必ず仕えることになるのなら、本当に選んでもいいのなら、この人がいい。



「ありがとうございます。ありがたく、頂戴いたします」


「それでいい。……ああそうだ、派手な音を立ててぶつけたその頭、あとでちゃんと薬を塗っておけ。さすがに痛そうだ」



 そう言って小さく笑った後、カイが工房を出ようと歩き出したので慌てて後に続いた。そのままドンを連れて店を出ていくのを見送った後、なんだかドッと疲れた気がしてその場に座り込む。……休日に何故、こんなに疲れなければならないのか。


 こんな小さな店で貴族と二人きりで過ごすなんて、現実味のない時間だった。けれどそれが夢ではないと、額の痛みと重みのある指輪が告げている。気が抜けたら急にぶつけた箇所の痛みが強くなってきた。


(いたっ……絶対腫れてる。とりあえず治そう)


 額に手を当てて魔力を使う。簡単な治癒魔法だ。すぐに痛みが引いていき、鏡で確認したが跡も残っていない。顔に傷があると接客に支障が出るから、これでいい。

 貰った指輪は大きかったので親指にはめてみたが、それでも少し緩くてすぐに抜けそうだ。


(……失くさないか心配だな、これ)


 自分で考えて、かなり不安になった。この指輪がどれほど重要なものなのか、私では判断しきれない。……人に相談したい。相談できそうな相手は、一人しかいないけれど。

 取りあえず来週の森の日まで、指輪は大事に仕舞っておくことにした。


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