第11話



 本日の薬屋は定休日。しかし、来店の予定が一つだけある。時間通りに店の裏口の戸が叩かれたので、直ぐにかんぬきを外して扉を開けた。



「いらっしゃいませ」


「休みの日にごめんね」


「いえ、エクトルさんの姿を他のお客様に見られる方が困りますから」



 最近薬屋の客が増えて――というか、占いをしたがって商品を買いに来る客が増えている。おかげで店は繁盛するのだが、エクトルに薬を提供しにくくて仕方がない。結果、こうして休日に来てもらうことになってしまった。

 何せ、彼は花の騎士と呼ばれる絶世の美男子で、この町の恋人がいない女性のうち八割は彼に恋をしているような状態である。そんな彼が常連客だと知られたら見物目的の女性がこの店に押し寄せて商売にならなくなるだろう。

 ……まあ、本気の恋ではないのかもしれないが。憧れが強い人間も多いだろうし。


 そしてその美貌ゆえ幼い頃から女性に追い掛け回されていたエクトルは、かなりの女嫌いであるのだけど。


(やっぱり初恋かぁ……まだ半透明だ)


 先週彼が店を訪れた時、その頭の上に半透明の恋の予想線が伸びているのに気が付いた。時間がたってもまだ半透明のままということは、無自覚な初恋状態であると考えていいだろう。


(この歳で初恋となると、拗れそう。自覚するまではそっとしておくべきなのかな)


 彼は私の力のことも知っているし、気軽に話せる女性ということで恋の相談に乗ることもできるはず。いつか悩んだ時には真剣に相談に乗るから頑張れ、と心の中で応援しながらエクトルを店の席まで案内する。



「空瓶をお預かりします」


「うん、お願い」



 小瓶を洗浄して、詰め替え作業をしながら思う。魔法薬を入れることができる瓶には空きを作っておくべきだったな、と。すべての魔法瓶に様々な魔法薬を入れて保存してあるので、エクトルには同じ瓶を使い続けてもらわなくてはならない。

 通常、詰め替えの薬は客から空になった器を受け取り、前もって詰め替えておいた別の容器で渡すものなのだけど。魔法瓶に空きがないのでそれができない。


(私がそばにいれば魔力の保護ができるから魔法瓶じゃなくていいんだけど、そういうわけにもいかないし)


 実際、エクトルが使う薬を保存している店の大瓶は何の仕掛けもないただの瓶である。毎日私が魔力による保護をするので品質が保たれているだけで、保護を忘れればすぐに使えなくなってしまう。

 この前の採集で手に入れたばかりの素材を使って作った、エクトル用の薬。二ヵ月もすればなくなるだろうから、その前にまた採集にいかなければならない。


(エクトルさんが付き合ってくれたら助かるけど、初恋中だし……お相手の子を優先してほしい)


 今まで一人で採集していたのだから、これからも一人で大丈夫だ。前回が特別だっただけで。

 魔法瓶に薬を詰めたら、それを待っているエクトルの元に向かう。その場で薬代金の清算もしたが、彼は席を立とうとはしなかった。



「君の時間が許せばだけど……よかったらおすすめの茶葉とか、教えてもらえないかな。休日に申し訳ないんだけど、いつもはゆっくり聞けないから」


「ああ、いいですよ。それならちょっと待っててくださいね。試飲の準備をしますから」



 営業時間だとエクトルはまともにこの店を利用できないので、店の商品を見たのも初回だけだ。今日は本来なら休みだが、彼一人を客として扱うくらいなら構わない。この後は買い出しに行ったり、ひたすら薬を作ったりする予定しかないので時間はある。


 占いをしに来る客はたいてい茶葉を買っていくが、その茶葉自体も気に入ってくれている様子で、人気の高い二種類の茶葉と新作として出そうと思っている茶葉を使って、少量ずつ三つのカップに淹れる。

 リラックス効果の高いハーブティーと果物の香りがする紅茶が定番人気のもの。そして鼻に抜ける香りが独特の煎茶が新作として出そうと考えているものだ。売り出す前に誰かの意見が聞けたらありがたい。



「この二つは女性がよく買っていくものです。三つめは新作として出そうと思っているんですけど、意見を聞けたらと……菓子との相性は分かりませんが」


「ああ、それなら美味しいって評判のお菓子を買っているから、これと一緒に味わってみようかな。よかったら君もどうぞ」



 エクトルが取り出したのは、かわいい外装の箱に入ったクッキーだった。最近この辺りで流行っているもので、ジャムやチョコで絵が描かれていて本当に愛らしい見た目のものである。それなりにいいお値段もして、女性への贈り物として人気が高い。高いのだが。



「……わあ」



 それを取り出した途端、エクトルの頭上に悲しみの色の線が伸び始めた。しかも半透明だ。つまりこれは、この菓子を私かエクトルが食べると、彼が大変悲しむ結果になるということか。



「エクトルさん、ちょっとそのクッキーを見せてもらっても?」


「うん、どうぞ」



 差し出された箱から一つとって、よくよく観察してみる。甘い焼き菓子の香りと、それに混ざる異臭。おそらくこれを食べたら即座に吐き出すことになるだろう。

 女性への贈り物として人気が高い品を、花の騎士が買った。当然、この菓子は誰か女性に贈られるものだと考えられる。……エクトルがこれを初恋中の相手に渡さなくてよかったと心の底からそう思った。

 悲しみの色が伸び始めたのはつい先ほどだから、彼は件の子に渡す前に、同じ女でありエクトルに恋愛的好意を持たない私の反応を見ようと今思いついたのだろうか。それとも意中の子に渡す勇気が持てず、ここで出してしまったのか。まあ、どちらにせよ私に見せて大正解だ。



「……もしかして、お店で直接買われましたか?薬が仕込まれてますよ」


「え? そんな……!!」



 これは、エクトルではなくその意中の相手を狙ったものだ。花の騎士と仲良くなるなんて許さない、というメッセージというか、なんというか。見たこともない相手に対してよくもまあこんな嫌がらせができるものだ。

 しかしこのような嫌がらせをされると心を病んでしまうかもしれない。彼の初恋が実らないかもしれないと思って同情する。顔が良すぎると普通に恋もさせてもらえないのかと。



「本当に大変ですね……そして、とても勿体ないですね……」



 せっかく可愛らしいお菓子だったのに。私だって可愛いものや甘いものは嫌いではない。

 臭いで判断するに、かけられているのは殺虫剤だ。口に入れたらとんでもない味がするし、食べたらおなかを壊してしまう。

 売り物にこんな仕掛けをした店員が誰かしらないが、なんと酷いことをするのだろう。店の評判も落ちる愚かな行為であるし、何より食べ物に対する冒涜である。


(どうにか食べられないか……食べられないな。いくら私が耐性あるっていっても……これはさすがに……)


 私が手にしたクッキーには、おとぎ話の一面が描かれていた。勇者から伝えられた異世界の童話で、カボチャの馬車に女の子が乗って、妖精たちのパーティーに連れていかれるとかそういう話であったと思う。

 本当にもったいないという気持ちでそのクッキーを見つめていたら、小さく「ごめんね」と謝る声が聞こえて顔を上げた。



「君に変なものを食べさせるところだった。ごめんねー、これ可愛くていいと思ったんだけどなぁ」



 明るい笑顔とは裏腹の悲しみを表す青色が、先ほど見たものより短いとはいえ色づいて頭上に伸びている。私は彼を悲しませたくなくてこの菓子を確認したのだが、失敗したらしい。

 助言をするのと自分で行動するのはやはり違うものだな、と思う。はっきり未来が見える訳ではないから、本当に難しい。



「エクトルさんは被害者ですよ。謝るならこの菓子を売った、というかこの菓子を食べられなくした人間です。耐性ある私であっても食べられませんよ、許されざる行いです」


「……耐性って?」


「私は毒物の耐性はそれなりにありますが、でも味は、どうしようもないので……」



 この菓子に掛けられた殺虫剤は、口に入れるととんでもないえぐみを感じる。無味無臭の毒物ならまだ食べられたのだと訴えると、エクトルは笑みを深めた。驚きの色が伸びているので、これは驚いて表情が崩れそうになるのを笑って誤魔化しているのだろう。


(あ、でも……悲しみの色は消えてるから、よかった)


 それならいい。整いすぎた容姿のせいで他人に振り回されるエクトルだから、こんなことは日常茶飯事なのだろうけど。慣れていたとしても辛いことには変わりない。それを少しでも減らせたならよかったと思う。



「やっぱり君といると気が楽だ。それに、少し俺の親友に似てるよ」


「親友、ですか?」


「うん。俺がどんなに顔を作っても大体察されるんだよね」



 なるほど、エクトルのこの完璧な仮面を見抜くことができる友人がいるらしい。私のような能力はないだろうから、本当に人の顔色を見るのが上手いのだろう。

 ほとんど表情を作って過ごしているような彼からすれば、そういう“見抜いて接してくる相手”というのは得難く貴重な存在なのかもしれない。……だから私にも構うのだ、きっと。



「今も君、俺を元気づけようとして冗談を言ったんでしょう? 真顔で言うから一瞬信じちゃった」



 ほんのりと笑みを浮かべた顔に蜜のような甘さはない。甘ったるい笑顔に比べるとささやかな笑みだ。だが、喜びの感情が滲み出る笑みというのは魅力的で、美しい。

 きっとこちらの顔を見せられたら卒倒する人間が出てくると思う。さすがに私も見惚れそうになった。……まるで最高級の美術品でも見ている気分だ。



「……まあ、無味無臭の毒物なら一口くらい食べたと思います」


「え。本気だったの」



 心震わせる絵画のような美しい笑みが崩れて、いつも通りの笑みに戻ったことにほっとした。なんだか見ているのが悪い気がして、その表情を収めて欲しかったから真実を口にしたのだ。

 ただ、エクトルの頭上にほんの少し不安や心配を示す藍色が伸びたのを見て「この人は本当に大丈夫なのか」というような心境になっているらしいことを察してしまい、とても複雑な気持ちになった。



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