第8話


 柔らかな日差しの中、そよぐ風は森林のにおいを運んでくる。パンに野菜やハムなどの具材を挟んだだけの軽食を手に、私は青い空を見上げた。ああ、いい天気だ。でも――どこで間違ったのだろう、と思う。



「わあ、美味しい」



 どこで何を間違ったら、花の騎士と並んで手製の弁当を食べることになるのだろうか。

 ここは森の中の、人工的に切り開かれた場所。円形に木が切り倒されて、ここ一帯だけ日光が差すため魔獣が近づかない。騎士団が討伐任務の際、休憩をとるために作られたこういう場所が森の中にはいくつかある。

 そこで敷物を広げて持ってきた弁当を並んで食す、私とエクトル。昼食はとうに過ぎて午後のティータイムを楽しんでいてもおかしくない時間だが、満足するまで採集できた。そしてそんな時間まで活動していれば、腹が空くのも当然のことである。……だからこうなるのは必然だったというか、仕方なかったというか。


(さすがに私だけ食べるという訳にはいかなかったし……)


 弁当は何かあったときのために多めに作っておいたので本当に良かったと思う。二人分には少ない量ではあるが、エクトルに多めに差し出したので文句はあるまい。私は帰ってからしっかり食べればいい。



「これ、食べてるだけでなんだか元気になる気がするけど、何か入ってる?」


「まあ、色々と」


「……もしかして何か薬が……」


「元気になる薬のようなものは入っていますね」



 薬というか、パンの一つ一つに軽い回復魔法がかかっている。とても弱いものなので、食べただけで傷が治るとか、疲労がなくなるとか、そこまでの効果はない。ただ少し元気が出て、午後からも頑張ろうという気持ちになれるくらいのものだ。

 しかし薬が入っている、と聞いたエクトルは固まってしまい、パンをじっと見ている。そして不信や警戒を示す色が伸び始めた。


(魔法がばれた……って感じじゃないな、これは……ああ、なるほど)


 私の前では伸びなくなっていた、嫌悪の色も伸び始めたのを見て納得した。おそらく女性に、違う意味で元気になる薬を盛られたことがあるのだろう。



「そういう薬ではありませんから安心してください」



 はじかれたようにこちらを見る顔に苦笑しそうになる。顔がいいばかりに大変な思いをしてきたのだと簡単に予想できた。

 容姿が整っている、というのもいいことばかりではない。容姿端麗な人間には、そうであるからこその苦労がある。分かりやすいのがストーカーにあったり、何か妙なものを盛られたりという被害だろうか。他にも色々あるだろうけれど。



「君は鋭いよね。でも、違うんだ。俺は君を疑ってる訳じゃない。……ちょっと思い出しただけで」


「……大変ですね、本当に」



 心の底から同情した。理性を溶かすほどの美貌を持った彼に。こうして隣に並ぶ距離で顔を見ると、精巧な人形でもここまで整わないだろうな、という感想を抱くしかない。顔を晒して町を歩けば絶対に囲まれるし、かなり目立つ。……やぱり魅了の魔法を使っているのでは?と疑うくらいには、他者を惹きつけてやまない人なのだ。


(……でも、あり得なくもない、かも?)


 騎士は貴族と平民の中間に位置するような存在。何か大きな功績をあげた騎士ならその本人だけだが爵位を授けられ、貴族と認められて、貴族の娘を嫁に貰うこともできるのだ。

 エクトルの家はまさにそれ。代々騎士として名を馳せている、つまり代替わりごとに爵位を授かっている家で、何度も貴族の娘を迎えている。彼はまだ爵位を持っていないけれど、そのうち授かるのだろう。ほとんど貴族と言って差し支えない家系である。

 そして昔、魔法使いの一部は貴族に囲われた。貴族の中に魔法使いの血を引くものが居ても可笑しくはないし、魔法の力は子供に受け継がれなくても孫や、曾孫――後々の子孫が覚醒して受け継ぐことがある。


(右手の魔障が見えないくらいだから、受け継がれているとしても弱い力なんだろうけど……元々の容姿と相まって効果が上乗せされてる可能性あるなぁ)


 あくまで可能性の話ではあるが。普通の人間は魔力に耐性がなく、魔障にも弱い。六年も我慢し続けられた彼の忍耐強さを考えても、あり得なくはないなと改めて思う。

 まあ、魅了の魔法があってもなくても彼が絶世の美男子であることは事実であり、どちらにせよ苦労するのは変わりないのだろうが。



「不思議なんだけどさ……君って時々、俺の心の声が聞こえるんじゃないかってくらい鋭いよね」


「聞こえませんよ、流石に」



 どういう感情を抱いているのかはわかるけれど。

 過去の魔法使いの中には心読みの魔法を使う者たちもいたらしいが、私の力はそこまで精密なものではない。……それでも、心の動きが見えるというのはあまり心地のいいものではないだろうから、わざわざそれを教えることもしないが。



「俺は君と話すのが結構好きだよ。君はあんまり俺のがわを見てない気がするから。……なんて、冗談。蝶々さんたちにこんなこと言ってたなんて、言わないでね!」


「お客様の個人的な情報は勿論、他言致しません。ご安心を」


「あ、さっきまで結構柔らかい口調だったのに。急に距離を取られたみたいで何だか寂しいんだけど?」



 極めて明るく、冗談にしか聞こえないような口調でそう言った彼の頭上に、寂しさを示す水色の線がほんの少し伸びているのが見えて。「御冗談を」と返すつもりで開いた口を閉じた。

 嘘を本当のような顔で言って、本音を戯れのように言う。この人は嘘つきだ。嘘と本当を織り交ぜて、自分を分かりにくくしている。



「……難儀な人ですね」


「え?」


「本音は本音らしく言わないと、分かりにくいですよ」



 私も今、彼の声と仕草だけ見ていたら分からなかった。ほんの少し寂しいと感じているのを見て、己の敬語を少し崩したものに切り替えながら思う。本当に難儀な人だ。

 私と気安く話したいと思っているのは事実なのだろう。これだけ日常的に嘘をついている人なのだから、心許せる友人も少ないのだと予想できる。


(私は友達にはなれないけど……情が湧いてしまったからなぁ)


 私は自分の能力を隠すためにも、友人以上の存在を作らないようにしている。親しくなればなるほど、隠し事を続けるのは難しくなるもの。それを考えると、親しくなる人間もかなり考えて選ばなければならなくなる。

 私の秘密を洩らさないと信頼できる人間を探して友になるより、最初から壁を作っていた方が楽だと思ったからだ。ジャンとその家族以外で、親しいと呼べる間柄の人間はいない。

 私がエクトルに持ったのは好意というよりも同情だ。でも常連客と薬屋の、多少親しみある関係になるくらいならいいのではないか。もう多少特殊な力があるのはバレているし、どうせ完治するまでは付き合いがなくなることもないのだ。頑なに拒絶し続けるのも疲れる。



「君はやっぱり不思議だね」



 そういうエクトルの頭上で、興味の色が短くなっていた。ずっと望んでいたはずのその現象を喜べなかったのは、代わりとでもいうように新しい色が伸びていたから。


(好意の色……だよね)


 薄紅色のそれは、嫌悪とは逆の感情。純粋な親しみ、好意の色だ。私がこの色をよく見るのはジャンの頭上だった。まさかエクトルに親しみを持たれるとは思いもしなかったので、驚く。……私も今日話して心境に変化があったから、おかしなことではないのかもしれないが。半日を二人で過ごした訳だし。



「シルルさん、今日はもう採集終わり?」


「え、ああ、はい。食べ終わったら帰ろうかと」



 名前を呼ばれたのは初めてだと思う。今朝「シルルちゃん」と口にしたのは呼びかけではなかったし、今までずっと「君」と呼ばれていた。なんだか少し、落ち着かない。



「よし、なら森の外まで護衛するよ」


「……ありがとうございます」



 弁当を空にしたら帰り路を歩く。エクトルの機嫌が良いことは、予想線でも分かるけれど何となく雰囲気からも察せられた。……流れる空気の居心地が悪くないからそう思うのかもしれないけれど。

 私と彼は友人、とまではいかないがそれなりに親しくなったのだろう。隣を歩くことが行きよりも楽に感じる。



「次に採集に行く時はまた護衛させてよ。俺の右手のためにも、ね? お願い」



 森を出たところでそう提案をされる。またもや冗談っぽい口調だったが提案は本気だと思う。確かに彼が護衛をしてくれると私としてもありがたい。今日も助けられたし、護衛がいれば採集に集中できることも分かった。今の心境なら断る理由もない申し出だ。

 ……だが、それをただ素直に受け入れるには少々、彼に煩わされすぎた。



「ではよろしくお願いします。……薬代も安くなりますし、何より私に何かあると貴方の右手が治らないので困りますもんね」



 それを聞いたエクトルの笑みが深まった。私の答えに内心慌てているらしいのは、予想線の動きでわかる。

 もちろん、彼に言葉通りの意図がなかったのも最初から分かっていた。自分のためというのは口実で、魔獣に襲われそうになった私を心配しての提案だと。

 だからさっきの返答は今までの仕返しとでもいおうか。興味本位につつかれまくって心労が絶えなかったので、からかって少し困らせるくらいの悪戯はしてもいいはずだ。

 しかしいつまでもそのままにしておくと可哀そうだ。珍しい反応が可笑しくてつい小さく笑いながら、深々と頭を下げた。



「冗談です。エクトルさんは純粋に私を心配してくれたんでしょう。……今日は助けてくださってありがとうございました」



 私は思ったよりも彼に親しみが湧いているのかもしれない。他の客とは店の外で会って、共に過ごすなんてなかったから。……そう考えると無遠慮に関わろうとしてきたエクトルが原因なので、やはり多少の失礼は許してもらいたい。



「……冗談を無表情で言うのやめてよ、吃驚した」


「そう言うエクトルさんこそ、感情と言動を一致させてください」



 顔を上げたとき、そこにあったのは困ったような、でもどこか嬉しそうな笑顔だった。その表情は、予想線とも反していない。……悪い気はしていないようで何よりだ。

 言葉通りに受け取られて困るなら本心で話せばいいのに、本当に難儀な人である。でも、そういう人なのだと分かったから苦手意識もなくなった。この性格に困っているのはきっと、誰よりもこの人自身だろうから。



「では、今日はこれで失礼します」


「うん、今の薬が切れる前に行くから」


「それまでに新しいものを準備しておきますね」



 今度は軽く頭を下げて、彼に背を向けて歩き出した。今朝考えていたよりも悪い休日ではなかったと、思う。帰ったらすぐに薬の調合をしよう。

 この時振り返ったら、不思議に思っただろう。私の背中が見えなくなるまでずっと、エクトルがこちらを見ていたことを。

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